後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ブログ文化(1)「にほんブログ村」の活動(補足)

2008年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

にほんブログ村のトップページから分類毎にページを開き、ランキングの高い方のブログを幾つも見てみました。 

どれも良いブログと感じましたが、異なる分野のブログをたて続けに読んだので気持ちが落ち着きません。素人の絵の展覧会で画風の違う多数の絵を見て歩いて、頭がクラクラした経験を思い出しました。やはり一種類の、同じような雰囲気のブログをゆっくり見て楽しむべきと反省しました。 

気持ちが落ち着かなくなると、必ず見る3個のブログが自分の「お気に入り」に入っています。 

山梨県北杜市の山林の中に大きな山荘を作り、自然を相手に独りで住んで居る、鬼家雅雄さんのブログと、そのコメント欄へよく投稿される、「ちひろ」さんと「玲」さんの3個のブログです。 

内容はみな、草花、湖や山並みの風景、太陽の輝き、朝焼け、夕焼けなどです。写真技術が良いだけでなく芸術的レベルに達しています。品性の高さを暗示する内容の文章が少し付いています。見た後で気分が晴々します。勇気が出てきます。混乱した気持ちが落ち着きます。何故か分かりません。言葉では説明が出来ません。 

ためしに少しご覧下さい。URLは、鬼家さん、ちひろ さん、玲さんの順序に下記の通りです。ご参考までにご報告します。

http://sizen068.blog95.fc2.com/

http://blog.goo.ne.jp/hanamusasi

http://blog.goo.ne.jp/koiredawa/e/1bedf9712644a664f97ed6069c67e009


ブログ文化(1)「にほんブログ村」の活動

2008年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今回、「にほんブログ村」へ村民登録をして、左サイド欄に4種のバナーを公開しました。

先刻ご承知の方々も多いと思いますが、一番下のバナー、「にほんブログ村」の使い方を少しだけ説明いたします。

(1)19万弱のブログの全体像を知るために使う。

ここをクリックすると「にほんブログ村」の全体像が見えてきます。登録村民は約19万人。日本全国でブログを開設している人が1000万人以上居るらしいので、村民は総数の2%弱です。

さらに19万弱のブログが分類されカテゴリー別に総数が明記してあり、さらにアクセス件数からの人気ランキングの順位が公開されています。

19万人弱の人々が掲載している写真や文章は全て創造活動であり、従来の文化活動とは様相が違います。新しいタイプの文化です。

従ってその膨大な作品群は「新規の一分野の文化作品」と考えるのが妥当とおもいます。これを「ブログ文化」と称することにします。

従来の文化の分類では絵画・写真、音楽、映画、舞台芸術、文学(小説・詩歌・日記・随筆)などがあり、もっぱらプロの専門家だけが活動して来ました。

ブログ文化の特徴はその担い手が多数の素人であるということです。プロも混じっていますが圧倒的に素人です。素人の活動によって作り出された文化的作品の価値をどのように評価したら良いのでしょう?またブログ文化が日本人の考え方や社会へどのような影響を与えているのでしょうか?今後、ゆっくりと考えて行きたい問題と思います。

(2)この「山林・杜の人のブログ」の客観的比較結果を知るために使う。

左欄のバナー、「にほんブログ村」をクリックすると、ブログ村のトップページが開きます。自分のものだけですが、その一番上の左に「マイ・ページ」という四角形の黄色の枠が有ります(自分だけ開けられます)。そこをクリックすると、この皆様が読んで下さっている「山林・杜の人のブログ」の概略の紹介と客観的評価がいくつかの分類で公開されています。それを見るとヨット、歴史(戦国時代)、海外生活、という分野別のランキングと、さらに総合ランキングが毎日一覧表として出ています。分野によって異なりますが、どれも上位10%から15%以内位のランキングになっています。読んで下さる皆様のお陰で、知らない間に、このブログは上位のランキングに評価されていました。有難う御座います。

アクセス件数だけからの人気ランキングなので、文章や写真の独創性や文化的価値は考慮されていません。写真の芸術性も考慮されていません。格調の高さや、読後感の清々しさも評価に入っていません。

しかし、19万弱のブログを定量的に比較し、ランキングを付けています。このことは文化活動が定量的に評価出来ることを示しています。

間違った考え方かも分かりませんが、なにか重大な意味があるような気がします。今後その意味を考え続けて行きたいと思います。(続く)


外国体験のいろいろ(48)アメリカの同窓会(続き)

2008年06月21日 | 旅行記

○閉鎖的な組織の話

アメリカの大学の周辺には一戸建ての家を借り切って学生寮にし、それを単なる宿舎以上の種々なクラブ活動の組織にして、学生自身が管理運営している結社的な組織が数多くある。男子学生のためのフラタニテイと女子学生用のソロリテイと呼ばれる学生組織である。

メンバーは数十人だが、出身地や専門分野で集まっているわけではない。キリスト教の宗派や慈善事業の種類、あるいはクラブ活動の目的別で分かれている。また上流階級のみでつくっているものも多い。1960年ごろのオハイオは人種差別が強く、このような学生組織で人種差別護持を活動目的にしているものもあった。

フラタニテイやソロリテイの建物はたいてい立派な一戸建てで、その入り口にはアルフアー・シグマ・ムーというようなギリシャ文字で、三文字の看板が出ている。

非常に差別的で閉鎖的な結社の場合が多く、黒人や外国人の近寄りがたい組織であった。このような結社による人脈がアメリカ社会では重要な役割を果たしていると言われる。

@アメリカの複雑さと急速な変化こそが強み

進歩的な評論家はよく、アメリカ社会を開放的な自由平等の社会と気楽に書く。しかし、そんなに単純ではなく、一方では秘密結社も多い。こんな暗い一面も有していることを忘れてはいけない。ただどのような結社も自由意思で参加する。辞める時も自由である。それに加えて宗教関係の団体も多い。キリスト教は勿論、仏教関係の組織も多い。ユダヤ教もイスラム教もある。

この複雑な社会のもう一つの特徴は「ダイナミックな変化」である。変化の速度がヨーロッパ諸国や日本のように遅くない。時々刻々巨大な歯車が回るように変化している。この変化こそがアメリカの強さである。

女性の国務長官が活躍したり、黒人男性が大統領候補になることは大歓迎すべき変化である。暗殺されたキング牧師も喜んでいるに違いない。

0511 1511

写真の説明:左は、オハイオ州立大学内のLord Hall という建物で筆者が1960年から1962年の間に実験装置を作って研究していた建物です。

右は同じくFontana Laboratory という建物で、この記事の前半分に出てくる、「マフィアの親分のように見える学科主任」が建設費の一部を寄付して作った建物で、彼の部屋はこの入り口を入りすぐ右手にあった。

アメリカの大学は情報公開が徹底しているのでHome Page 内のキャンパス地図にある建物や風景の写真を自由に転写・使用できるようになっている。

ついでに卒業したり研究生活をしていた日本の大学の建物の写真を探して見たが、公開されて居ない。情報公開の努力が足りないのか、あるいは大学文化が異質なのか考えさせられた。(終わり)

アメリカ社会はオハイオに前後4年間住んだだけでは理解できない。