1969年8月にシュツットガルトの研究所に着任する。そこから、はるか遠方のローテンブルグ・オプ・デア・タウバーという中世の町で3ケ月のドイツ語の集中研修へ参加しなければならない。いずれ家族も呼ぶ。車が必要だ。研究所の機械工場のある職工さんへ中古車の購入と車の登録の一切を頼んだ。ナンバープレートを付けて持ってきてくれた車は空色のオペル・レコルド。値段の割りには見たところが綺麗だ。彼が、「見たところは良いが、エンジンルーム内の部品がかなり老化してるので故障しますよ。まあ故障は私が直してあげますよ」と言う。外国で生活するには現地の人を信用して任せる。損得を度外視すればこの原理で生活が楽しくなる。何故かは分からないが。
地図を頼りに暗い曇りの日、昔の曲がりくねった道路を、ローテンブルグ目指してドライブする。8月というのに寒い。周りの牧草が一面、秋のように黄色になっている。探し探して、やっと町が見えてきた。家々の屋根がすべて赤い。その周りを高い城壁が囲んでいる。いよいよ城門に入る坂道を登り始めた。と、その時、車のボンネットの隙間から白い煙が出る。すかさず車を止め、開けて見る。中から蒸気が吹き上げてくる。よく見ると冷却水のゴムパイプが劣化して裂けている。車を買ってくれた彼の予言が見事に的中したと感心してしまう。感心と同時に酷く心細くなる。寒い暗い雲の下、人っ子一人見かけない。
しばらく思案に暮れていたが、よく見ると200mくらい先にガソリンスタンドがある。
歩いて行ったら、スタンドの若者がすぐに牽引してくれて、劣化したゴムパイプを取り替えてくれた。これで一件落着、30分位で終わる。
ローテンブルグは、当時は日本からの観光客も来なくて、静かな「中世の昔」のままであった。特に夏から秋にかけては曇りや雨の日が多く、暗い毎日が続いた。そんな時は気晴らしに車を駆って、ノルトリンゲン、ザルツブルグやニュルンベルグなどへ観光に行った。
それ以後もこの車は良く活躍してくれた。
ドイツ語研修が終わって家族が来た。
週末にはフランス東部、スイスのユングフラウ、インターラーケン、ボーデンゼー、
シャッハハウゼンやミュンヘン、チロル地方、あるいはオーストリーのザルツブルグなどなどへ、この車で旅行したが、大きな故障は起きなかった。
一年三ケ月後に帰国するとき、車の購入・登録のお世話になった機械工のおじさんへ、「随分と快調に走ってくれました。お陰で楽しい思いをしました。有難う御座いました」と礼を言って、上げてきた。
写真説明:上の6枚の写真は全て1969年8月から10月に撮ったもの。全てローテンブルグの風景です。ぼんやり、かすんでいるのは、元々下手な写真をデジカメで撮影したためと思う。
(終わり)