後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国体験のいろいろ(46)アメリカの仏教的セミナー

2008年06月14日 | 旅行記

        @インド人学生による執拗な誘い

ジャイ君というインド人学生がよく大学の部屋に来て雑談をしていた。ある時、「ドクター・フジヤマ、私がよく行くセミナーに参加しませんか?」と、あるセミナーに誘われた。1990年、オハイオ州でのことである。

「セミナーなら大学でも毎週参加しているよ」「いや研究に関するセミナーでなく、人生を楽に過ごすためのセミナーです」「人生を楽に過ごしているので必要ないね。第一そんな時間が無いよ」「もっともっと楽になるんですよ。二泊三日のセミナーで、泊まる場所は友人の家にします。どうですか?」

このような会話が五、六回続いた。インド南部出身の小柄なジャイ君が親切そうに何度も勧誘する。えい、面倒くさい。参加することにした。

        ○喋る美人タレント

場所はオハイオの淋しい田舎町の公民館。話をするのは利発そうな若い女性。綺麗な声と魅力的な語り掛け調で喋りまくる。神様は「喋るタレント」をこの人に与えたなという印象。参加者は貧しそうな白人約25名とインド人約10名という集団である。

美人タレントが始める。「よく参加してくれました。これから三日間、私だけが喋ります。ただ、皆さんへ質問したり、電話を掛けなさいと言います。気持ちを開いて率直に従ってください。ここで出る話は全て個人的なことばかりなので、他言しないで、秘密を守ってくださいね」

はじめから秘密結社的な雰囲気である。しかし、結論を先に言えば、実に気楽で楽しい三日間であった。「フジヤマさん、なぜ参加したのですか?」「ここにいるジャイ君がしつっこいので面倒になっただけです」「そうですか。でも三日間だけですから真面目に聞いてくださいね」

教えの内容は、仏教でいう色即是空・空即是色を中心にした抽象的な部分と、アメリカ社会特有の離婚の悲劇や親子の断絶をどのように解決するかといった具体的な部分がバランスよく整理、配置してある。参加者全員による発表もあり、緊張した雰囲気でもある。

         ○仏教的教えを話す

「この世の雑多なことに執着するから幸福になれないのです。人生は無意味です。人生は大変危険でもありますが、全く無意味です。物質的誘惑や人間関係にこだわってはいけません。親子関係も夫婦関係も執着心を離れて考えて見ましょうね」

色即是空・空即是色という観念を具体的な例を使って説明する。最後に、「不幸になった原因をあれこれ考えることが執着心なのですね。原因を考えると、自分も他人も傷付ける結果になります。あるがままに受け入れなさい」そして続ける、「どちらにしても空虚なのが人生の本質なのです」

話をしているタレントは決してお釈迦様やヒンズー教の話をしない。宗教抜きの生活術として説明している。そうすると、一応キリスト教徒ということになっているアメリカ人に受け入れやすい。このセミナーは宗教と一切関係ないと言う。皆が感心して聞いている。質問の時間には宗教がらみの質問はしない。話をしているタレントは仏教の教義をかなり深く研究している感じがする。確信を持って話している。しかしお釈迦さまの名前すら出さない。

          ○悲劇の解消作業

「皆さんのセミナー参加の理由で多かったのは、親子関係と夫婦関係で困っていることですね。親子関係は修復が可能です。夫婦関係はすぐに離婚して忘れることです。この会場の外の廊下に四十個の電話ブースが用意してあります。これから一時間休憩にしますから、困っている関係の相手に電話をしてください。親子の場合は愛しているから会いたいと。離婚しそうな夫婦なら感謝しているけど綺麗に別れようと言ってください」

「そんなこと急に言われても電話番号も分かりません」「電話局に聞いてください。どんな長距離電話でもその費用は主催者側で払いますよ。これは宿題なので、一時間後にどんな会話をして、その結果どうなったか皆の前で発表してもらいます」

三日目の最後は各自がセミナー参加の感想を喋る時間であった。異口同音にタレント先生への感謝の気持ちを喋る。つきものが落ちたように晴れ晴れした表情で解散となる。しかし、人生は無意味でも複雑で危険に満ちている。もとの生活に戻れば元の木阿弥。

でも、「人生は無意味だ。不幸の原因を考えると自分も他人も傷付ける」―忘れられないフレーズである。日本でも同じことを聞いたが、オハイオの田舎町で聞いたので一生忘れられない。陽気で社交的な人の多いアメリカでも、悩みの原因は圧倒的に人間関係にあるという。このような生活術を教える仏教的セミナーが彼方此方で開催されている。そんな事情は日本の新聞では報道されない。昔も現在も。(終わり)