後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国体験のいろいろ(47)大岩から飛退いた宣教師と自然信仰

2008年06月15日 | 旅行記

外国での体験ではないがアメリカ人宣教師のこと。昭和32年の仙台にウイリアムスさんという、大柄で陽気な宣教師がいた。説教をしたり賛美歌を教えるようなことはしない。大学生達が彼の家によく行って遊んでいた。

ある時、学生6、7人と一緒に郊外の田園地帯ヘハイキングへ行った。秋の青空が広がり、水田には黄色の穂波がゆれていた。爽快な秋の風につられ、つい早足になる。かなり歩き、疲れたので道端で休むことにした。見ると見事な平らな大岩がある。学生達は太っている宣教師の椅子代わりに勧める。自分達は草の上に座り、談笑していた。

そこへ野の花の束を持った、着物姿の小さな老婆が1人現れた。彼女の目がウイリアムスさんが座っている大岩を見つめている。

と、途端に大柄な宣教師が飛び上がって、岩から離れた。顔を真っ赤にしている。我々は何が起きたか分からない。ウイリアムスさんが10mくらい走って行き、老婆の方へ向いて、「すみません」とお辞儀をしている。その位の日本語は話せた。

老婆は「いいよ、いいよ」と言って、岩の陰に立っていた2本の竹製の花筒へ花を居れ、跪いて、両手を合わせて、お祈りをした。

短いお祈りのあと、何事も無かったようにトボトボ帰って行く。

我々が良く見ると、大岩の稲田へ向いた側面になにやら字らしきいものが彫ってあるり、花筒が2本立ててある。

道路側から見ると何も見えない、単なる大岩だ。でも先祖代々、稲田の守神として一家の信心を注がれて来た自然神なのだ。宣教師のウイリアムスさんは瞬間的に気がつき、恥じ入りながら飛退いた次第であった。

彼は学生達に偉そうな説教をしなかった。その代わり自然神を拝む老婆へ最高の敬意を表した。その礼儀正しさに我々学生は「本物の宣教師だったのだ」と深く感動した。あれから50余年経つがあのときのウイリアムさんの恥で真っ赤になった顔を鮮明に思いだす。

日本人が岩や、大きな樹木や。山川草木すべて自然のものに神が宿るとして拝むのを、キリスト教国の人々は決して軽蔑しない。われわれはこの国の信仰のあり方を欧米人へよく説明したほうが良い。国際相互理解のためにも。(終わり)


府中の大国魂神社と神道の素晴らしさ

2008年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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神道には論理的に構築された教理が無い。人々は神社へ気楽にお参りし、いくばくかの賽銭を入れ、鈴を鳴らし、拍手を打ってお祈りする。家族の健康と明日の幸いを。このような行動を繰り返す日本人の宗教心は簡素で透明な境地になる。

教理がないから神学的論争が起きない。農村の民間神道では、神社を村人が守る。神主が居ない。したがって神社同士が勢力争いをしない。

大きな神社と言えども、領主や大名との関係もあっさりしている。寄進は受けるが政治的権力は求めない。(最近アップした諏訪の上社と下社の政治権力争いは例外)

仏教のように宗派の間の闘争や、政治権力との癒着を起こさない。

このような宗教の存在が仏教の宗派争いなどの無意味な闘争を弱めてきた。日本人は素晴らしい2つの宗教を持っている。

ところが、キリスト教国から見ると神道の重要性が理解出来ない。日本人は全員、純粋な仏教徒のように見える。しかし、より正確に言えば、日本人は神道の影響を受けた仏教徒というべきである。

多くの人が、「私は無宗教です。宗教は信じていません」と言う。文明開化以来の科学技術の強調が過ぎて、科学で証明できないものは信じないという間違った考えが定着した。それで日本の知識階級(インテリ)は無宗教という。無宗教がインテリの条件になると思っているようだ。

ヨーロッパ諸国の知識階級は決して無宗教ですとは言わない。言えば社会から抹殺されることがある。

外国へ行った日本人がパーティーなどの寛いだ談笑の席で、自慢げに「私は宗教を信じない」と言うのを何度も聞いた。それで座が白けるとも知らない。そのような場面では「私は、信心が少し足りない仏教徒です」、と言ったほうがましである。

欧米人の多くの人々は仏教の教理に興味がある。それを少し説明すると議論が楽しくなる。

それに続いて神道の重要性を説明する。ますます興味を持ち聞いてくれる。外国のパーティーで、そんな経験をしたことが何度もある。

小生はカトリックだが、日本人として仏教や神道の善い側面を沢山知っている。そしてそれを誇りにしている。

クリスチャンは仏教や神道を馬鹿にしていると誤解している人がいる。それが異教徒の間の戦争の原因になるということに気がついていない。「私は無宗教です!」、と広言する前に仏教や神道の善さを少し勉強したほうが良いのかも知れない(終わり)

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「武蔵のくにと、大国魂神社と、樹木と、国分寺の関係」

645年の大化の改新以後、国家統治がすすみ701年の大宝律令によって全国にくにぐにが出来た。その時出来たのが武蔵のくにで現在の横浜東部、川崎、東京、埼玉にまたがる。その国府は現在の府中市に置かれた。

国府の場所は長年の発掘調査により京王線、府中駅の南側から大国魂神社の東半分にかけて存在していたことが分かっている。大国魂神社の歴史は国府の置かれた時よりはるか昔から続いていたという。したがって国府の守護神社の役割もした。

この神社の欅並木は1051年からの前9年の役で源氏の頭領、八幡太郎義家が蝦夷の安部一族を平定した戦勝祝いに欅1000本を寄進した。これが現存する欅並木の始まりである。欅の木は老化し朽ちるので世々代々植え続けられて来た。

国分寺と国分尼寺は741年の聖武天皇の勅により全国に造られたもので、武蔵のくにの国分寺と尼寺は20年の歳月をかけて完成したと言われている。七重塔跡の礎石をふくめて数多くの礎石群は現在の国分寺市の西部に広がっている。(終わり)

撮影日時:6月13日午前11時頃、撮影場所:府中市、大国魂神社内、本殿、拝殿の周囲