後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

帆船日本丸は日本の文化遺産だろうか?

2008年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

5月1日掲載記事に書いた通り、帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ設計と鋼材の切り出しと部品の調達を発注した。

鋼材と部品は全て日本へ輸送し、組み立ては 神戸川崎造船所で行った。昭和5年3月31日に竣工・引渡しが完了した。鋼材の切削・加工を行ったスキニンググローブ社(England)の名前が今でも船内の鋼材の上に明記してある。

初めの帆走・操舵技術は英国人教官の直接指導によったと思われる。それが証拠には帆走に関する設備・備品は現在でも英語の名前で呼ぶ。

すると、JR桜木町駅前に係留・公開されている帆船、日本丸は英国の文化遺産ということになるのだろうか?

この記事の前に「戦中、戦後、苦難の日本丸」という記事を書いたのは、この問いに自分なりに決着をつけるためである。現在、公開されている日本丸には現役54年の間に日本人の情熱と英知が惜しみなく注がれてきた。

結論を言えば帆船、日本丸の80%は日本の文化遺産であり、残りの20%が英国の文化遺産である。しかし、設計図を作るという行為と出来た帆船を大切に保守管理する行為は異質の行為であり、それを比較することには無理がある。

ただ正直な個人的感情で判断すれば80対20位が、妥当な配分のような気がする。

このような比率は人それぞれ違って良い。

しかし帆船、日本丸に関する案内書や刊行本には英国のこともリース市のラメージ&ファーガソン社のことも一切触れていない。不公平ではなかろうか?いや、狭量すぎる。

しかし日本丸の関係者だけはラメージ&ファーガソン社のことを説明してくれる。内部書類には明記してある。

政府の役人の狭量さが見えるようで寒々とした気分になる。日本人の品格に関係することなので記してみた。

皆様のご意見を頂ければ幸いである。(終わり)


戦中、戦後、苦難の日本丸

2008年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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写真の出典:(財)帆船日本丸記念財団監修・発行「帆船日本丸」1986年3月第一刷より、

こんなにも美しい日本丸の全ての帆と帆桁が撤去された。昭和18年、横浜浅野ドックで。撤去後、純白の船体も暗いネズミ色に塗り替えられた。鈍足なので敵潜水艦のいる太平洋へは出られない。瀬戸内海で筑紫炭田から尼崎火力発電所へ石炭運びを続けつつ敗戦。

敗戦は神戸港沖で迎える。B29からの投下機雷で港への入港も危険な状態だった。

戦後はアメリカ太平洋艦隊の管理下に置かれ、船体を真っ黒に塗られ、舷側に大きく、No.54と描かれる。

昭和20年12月から引揚船として24000名を運ぶ。

打ちひしがれた残留日本人を迎えにいった港は、上海、コロ島、シンガポール、ラングーン、台湾、南西諸島など。4年間で29航海した。日本丸にやっと乗り込めた日本人は、故国の土を踏んだかのように、涙を流しながらタラップを上って来たそうである。横浜に係留公開されてからは、何人もの引揚者が訪ねて来たそうだ。

先日、船倉の中まで案内してくれた大西船長が言う、「年老いた男性の引揚者が、この船倉に座り込んでしまいました。随分長い間、目を閉じていました。引揚げのとき、その場所に座っていたそうです」引揚者は何も言わない。大西船長も無言であちこち案内したそうだ。

敗戦後、日本丸はアメリカに没収される可能性があった。昭和25年、朝鮮戦争の勃発とともに今度はアメリカ軍の輸送船として米軍人を釜山港へ3回輸送する。帰りには韓国人避難民を日本へ。

翌年の昭和26年3月にアメリカ軍の管理を解かれやっと日本政府へ返される。

一方、日本丸の関係者は、昭和25年から帆走装備の回復改装の一大運動を展開し、昭和27年6月に総帆展帆が出来、改装が完了した。昭和18年以来9年ぶりのことであった。

昭和25年、日本丸の関係者が浅野ドックで、帆桁が雑草の中に埋まっているのを発見する。しかも帆桁の半数はアメリカ空軍の爆撃を受け使いものにならなかったという。関係者の落胆ぶりが見えるようだ。

帆船として生き返った日本丸は昭和28年、南方へ遺骨収集航海をする。南鳥島、ウエーキ、サイパン、テニアン、グアム、アンガウル、ペリリュー、硫黄島などの8島を巡り慰霊碑の建立と遺骨収集をした。

戦前の運輸省の練習船4隻のうち1隻はアメリカ空軍機の攻撃で沈み、もう一隻は戦後にアメリカ機からの投下機雷に触れて沈んだ。生き残ったのは日本丸と僚船の海王丸だけだった。

昭和の戦争に巻き込まれた日本人の苦難と同じように日本丸も危険な運命を何とか生き永らえ、横浜のランドマーク・タワーの前にゆっくり休んでいる。(終わり)

上記文章は:(財)帆船日本丸記念財団監修・発行「帆船日本丸」1986年3月第一刷の内容にもとずいて書きました。関係者へ深甚の感謝の意を表します。


絵画展のお知らせ

2008年06月05日 | 写真

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岡本太郎さんは「芸術は爆発だ!」と言いました。綺麗過ぎる絵は芸術では無い!、ともよく言われます。でも毎日爆発されてはかないません。やはり普通の日は綺麗な絵が楽しいものです。そのような素直に美しい絵画ばかりの展覧会のご案内を致します。

楽画樹ぐるーぷArt box ひまわり 2008 絵画展(油彩・水彩・パステル)がJR八王子駅北口前の「八王子エクスエアビル学園都市センター」の11階ギャラリーホールで、

9月5日、6、7、8、9日の5日間開催されます。

初日の5日は午後1時から開場し、そして最終日の9日は午後3時に終了します。その他の日は10時開場で17時終了です。車の有料駐車場はビルの地下にあります。

上の12号の絵は昨年度の出品作品の一例です。裏磐梯高原の風景で、T氏が昨年の5月14日に描いたものです。梅雨入り前の、朝の透明な空気がよく描いてあると感心しました。この絵と作風が同じ油絵が数枚、連続して展示してあるところにT氏が立っていて、いろいろ説明してくれる予定です。(T氏の立っている時間帯は;5日13時ー17時、6日12時ー17時、7日10時ー17時、8日欠席、9日13時ー15時です)

お問い合わせは、「学園都市センター」電話042-646-5611か内田光夫氏(電話042-644-3260)までご連絡下さい。