5月1日掲載記事に書いた通り、帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ設計と鋼材の切り出しと部品の調達を発注した。
鋼材と部品は全て日本へ輸送し、組み立ては 神戸川崎造船所で行った。昭和5年3月31日に竣工・引渡しが完了した。鋼材の切削・加工を行ったスキニンググローブ社(England)の名前が今でも船内の鋼材の上に明記してある。
初めの帆走・操舵技術は英国人教官の直接指導によったと思われる。それが証拠には帆走に関する設備・備品は現在でも英語の名前で呼ぶ。
すると、JR桜木町駅前に係留・公開されている帆船、日本丸は英国の文化遺産ということになるのだろうか?
この記事の前に「戦中、戦後、苦難の日本丸」という記事を書いたのは、この問いに自分なりに決着をつけるためである。現在、公開されている日本丸には現役54年の間に日本人の情熱と英知が惜しみなく注がれてきた。
結論を言えば帆船、日本丸の80%は日本の文化遺産であり、残りの20%が英国の文化遺産である。しかし、設計図を作るという行為と出来た帆船を大切に保守管理する行為は異質の行為であり、それを比較することには無理がある。
ただ正直な個人的感情で判断すれば80対20位が、妥当な配分のような気がする。
このような比率は人それぞれ違って良い。
しかし帆船、日本丸に関する案内書や刊行本には英国のこともリース市のラメージ&ファーガソン社のことも一切触れていない。不公平ではなかろうか?いや、狭量すぎる。
しかし日本丸の関係者だけはラメージ&ファーガソン社のことを説明してくれる。内部書類には明記してある。
政府の役人の狭量さが見えるようで寒々とした気分になる。日本人の品格に関係することなので記してみた。
皆様のご意見を頂ければ幸いである。(終わり)