2006年、一切の仕事を辞め、自由の身になりました。その時、高齢男性を襲ってくる色々な悲しみを考えてみました。40年以上仲良く一緒に居た妻が先立つことを考えると暗然となります。そこで独りになった状況を想定し、それに慣れる為、時々、独り旅に出ることにしたのです。それは現在でも時々実行しています。
まず最初に行ったのは北海道の南端に江戸時代から松前藩として栄えた港町でした。物凄く交通の便の悪い所です。
八戸までは新幹線。そこで函館行きの特急に乗り換え、長い海底トンネルを潜って木古内町という駅で降ります。淋しい小さな町です。5月の中旬なのに暗い雲が空を覆い、冷たい風が何もない駅前広場に吹いています。突然、独り旅の寂寥感が襲ってきます。後悔が身を包みます。松前行きのバスは1時間後です。
成程、松前は遠方なのです。バスが大きな山々を登り、下ってやっと1時間余のあとにさびれた町、松前藩の城下町に着くのです。バスの中で暗い気持ちで海峡の波を見て居ました。バスの運転手が見かねたように色々親切に話しかけてくれます。そして予約した旅館の前でバスを止め、どうぞ此処で降りて下さい、というのです。
独り旅の悲しさは人情の温かさを教えてくれます。
松前藩は北海道の南端にやっと張りついていた江戸幕府の一つの藩です。当時、北海道はアイヌ民族が広く分布して棲んでいたのです。アイヌが集める昆布や海産品の集積地でした。近江商人や大阪の豪商が松前に住んでいたのです。町の一角をそれぞれ半分独立したようにして住んでいました。北前船が日本海沿岸を行来していました。酒田、越後、越中、能登、加賀、越前、京都、大阪という巨大な物流ルートを作り、北前船の泊る港が繁栄したのです。日本海側には現在でも京都や大阪の文化の名残りがよく見られます。
泊った旅館は民宿程度の質素な宿です。汚れた古い畳の部屋に通され、また独り旅の悲しさが、ドッと襲ってきます。悲しい気分を吹き飛ばす為に散歩に出ました。夕食まで狭い松前の港町をつぶさに歩き回ります。戦前からのように見える貧しい木造の家家が並んでいる通りがあります。港には電球をズラリと吊ったイカ釣り船がギッシリと並んでいます。町にも港にも人は居ません。
貧しい町並みを突きぬけると山側に小奇麗な新しい住宅が並んでいます。どんどん山の上の方へ歩いて行きます。と人が居るではありませんか!姿の美しい奥さん風の人が白い犬を連れて来ます。先方から挨拶してくれます。そして独りで旅をしてるのでしょうと言います。松前は独り旅の人が多いのです。港を歩いたあとはこの辺の住宅地に来るのです。と言うのです。そしてここから帰りなさいと言います。北海道のヒグマが出るから夕方の独り歩きは危険です。私は犬の散歩なのでヒグマが寄って来ないのです。
次の日は松前城跡の丘に登り、松前藩の家具調度の展示館を見て、代々の藩主の立派なお墓の列を参拝して、夕方、やっと函館まで出て来ました。
江戸時代の1850年台初め、ロシアは松前港を開港するように迫ったのです。江戸幕府も松前藩も異人を嫌い、人もあまり住んで居ない函館の浜港を開港したのです。
函館の隆盛。松前の凋落。歴史の悲劇です。余談ながら新選組の土方歳三は函館で壮烈な戦死をします。彼は函館では現在も英雄です。松前では愚かな暴れ者として嫌われています。その必要も無いのに松前城を攻め、焼き払い、松前の町も破壊し、焼いて暴れたのです。人間の評価は場所によって違うのです。長くなりますので、続編は次回に致します。(続く)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人