カトリックでは子供が生まれると両親の希望によって幼児洗礼をいたします。
日曜日の通常のミサの間に組み込んで行いますので他の信者も皆でその楽しそうな雰囲気に気分が良くなります。
洗礼を受ける幼児は洗礼の意味もイエス様のことも分かりません。しかし両親をはじめ神父様、代父(ゴッドファーザー)、代母が幼児を囲んで自分のために何か良いことをしてくれていると、直感的に分かります。嬉しそうな声を上げます。不思議ですが、悲しげに泣いたり、怒ったりする子供が居ないのです。その様子を見ていると親の愛やイエス様の愛がそこはかとなく感じられて楽しい雰囲気になります。
下の写真では、幼児が神父様の手にある水を不思議に思っています。飲ませてくれるのか、何をしているのか好奇心いっぱいで手を伸ばしています。神父様はそんな様子に一向お構いなしに、微笑しながら水を幼児の額へ少しかけます。そして白衣を着なさいといって十字架の模様のついた”よだれかけ”をつけて上げます。「アシジのフランチェスコ、これが洗礼名です。」と言い渡して、皆が拍手をして無事洗礼式は終わりました。後で父親にブログへ息子さんの写真を掲載する許可を貰いました。
下の写真の左は主任司祭の山本量太郎神父様で右はカトリック小金井教会の鐘楼です。
訳も分からない幼児が洗礼を受けるのは無意味だと廃止したのがマルチン・ルター派のプロテスタント の諸宗派です。しかし幼児洗礼には少なくとも2つの良いことがあります。本人が成長して教会に行かなくなっても、本人は両親に愛されて育てられたという証拠を持って生きることが出来ます。もう一つはキリスト教から遠うざかって居る時期でも、自分が幼児洗礼を受けたことを覚えています。熱心な信者にならなくてもイエス様の愛を時々考えます。感じます。
宗教には「何々をしなければいけない!」とか「何々をするのは禁止だ!」という堅苦しいものがあいません。幼児洗礼を無理に廃止したり、その習慣を非難するのはどうかと思いますが、皆様は如何御考えでしょうか?(終り)