後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

幼児洗礼の楽しさをお送りいたします

2009年12月06日 | 写真

カトリックでは子供が生まれると両親の希望によって幼児洗礼をいたします。

日曜日の通常のミサの間に組み込んで行いますので他の信者も皆でその楽しそうな雰囲気に気分が良くなります。

洗礼を受ける幼児は洗礼の意味もイエス様のことも分かりません。しかし両親をはじめ神父様、代父(ゴッドファーザー)、代母が幼児を囲んで自分のために何か良いことをしてくれていると、直感的に分かります。嬉しそうな声を上げます。不思議ですが、悲しげに泣いたり、怒ったりする子供が居ないのです。その様子を見ていると親の愛やイエス様の愛がそこはかとなく感じられて楽しい雰囲気になります。

下の写真では、幼児が神父様の手にある水を不思議に思っています。飲ませてくれるのか、何をしているのか好奇心いっぱいで手を伸ばしています。神父様はそんな様子に一向お構いなしに、微笑しながら水を幼児の額へ少しかけます。そして白衣を着なさいといって十字架の模様のついた”よだれかけ”をつけて上げます。「アシジのフランチェスコ、これが洗礼名です。」と言い渡して、皆が拍手をして無事洗礼式は終わりました。後で父親にブログへ息子さんの写真を掲載する許可を貰いました。

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下の写真の左は主任司祭の山本量太郎神父様で右はカトリック小金井教会の鐘楼です。

訳も分からない幼児が洗礼を受けるのは無意味だと廃止したのがマルチン・ルター派のプロテスタント の諸宗派です。しかし幼児洗礼には少なくとも2つの良いことがあります。本人が成長して教会に行かなくなっても、本人は両親に愛されて育てられたという証拠を持って生きることが出来ます。もう一つはキリスト教から遠うざかって居る時期でも、自分が幼児洗礼を受けたことを覚えています。熱心な信者にならなくてもイエス様の愛を時々考えます。感じます。

宗教には「何々をしなければいけない!」とか「何々をするのは禁止だ!」という堅苦しいものがあいません。幼児洗礼を無理に廃止したり、その習慣を非難するのはどうかと思いますが、皆様は如何御考えでしょうか?(終り)


日本にある米軍基地のことをイエス様はこういう風に言っています

2009年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今週は鳩山総理が、「普天間基地の移転に関する日米合意」を不履行にしようとしていることに大変イライラした毎日をすごしました。

地球という惑星の上でアメリカ軍がどんなに広く基地を作り、どのような軍事戦略で外交へ影響を与えようとしているか全く無知で、単に日本だけから米軍基地を追い出そうとしているようです。アメリカを怒らせても怖くないと嘯いているそうです。

外交問題は感情的にしては双方にとって絶対に悪い結果にしかならないという原則を無視しています。

これから教会へ行ってイエス様へこの問題を聞いてきます。お答えは多分、「カエサルの物は、カエサルへ返せ」。「私はこの地上で政治運動をするために来たのではない。人々へ永遠の命を与えるためにやって来た」とおっしゃるだけです。

私が本物の信者ならこのイエス様のお教え通り、普天間基地問題でイライラしなかったと思います。こう書いてしまってイライラが止まりました。

米軍の沖縄の基地問題は、昔、ユダヤの土地をローマ帝国が占領して治めていました状態に似ています。その政治社会情勢にイエス様は一切関係の無い、「永遠の命」にかんする指導をしたのです。(続く)