後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

米軍基地、その早わかりードイツにある空軍基地、Spangdahlem Air Base

2009年12月18日 | うんちく・小ネタ

Afd0806170131 沖縄の嘉手納基地は太平洋地域でアメリカ空軍の最大の戦闘機の基地です。太平洋全域とインド洋の向こうのアフリカ大陸東海岸までを守備範囲にしています。

それでは嘉手納基地に相当するドイツの基地は?それはSpangdahlem Air Baseではないかと感じています。ホームページの右下のmissionという項目をクリックすると守備範囲が出て来ます。中近東、アフリカ全域、ヨーロッパ全域と書いてあります。イラク戦争の時には下の右の写真のような戦闘爆撃機がイラクの空襲に出撃していました。

この写真はこの基地の司令官のLee T. Wight 大佐です。この基地の軍事作戦はNATO同盟軍を支援し、共同で実行すると書いてあります。日本の米軍基地のHPでは米軍は自衛隊を支援すると書いてありますが、共同作戦は明記してありません。その理由は日本が海外出兵を避けようとしているからです。この違いは実は大きな違いで、アメリカの海外基地の運用や戦略へ大きな影響を与えています。イラク戦争やアフガニスタン戦争にドイツやNATO同盟国のイギリスやスウェーデン、イタリーなどは全て出兵しました。軍事同盟とはそういうものです。

日本はどの国とも軍事同盟をしていません。安保条約は軍事同盟でないのでアメリカが敵に攻撃されても日本は知らん顔が出来るのです。その故にアメリカは経済的な支援を迫ってきます。在日の米軍基地の費用を日本が肩代りしているのはその為です。そのことが日本にとって良いことか悪いことか?だれも議論しないで歴史が流れてきたのです。

皆さん、普天間問題が起きたこの機会に在日米軍基地の在り方のついて本気で議論をしてみませんか?(続く)

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ヨハネ・パウロ2世の違う宗派の交流、融合の勧め

2009年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をしました。例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。

東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。

2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。そのもともとの状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。

この考えはパウロ2世がこの世を去った後も進行しています。カトリック小金井教会の山本量太郎神父様は小金井市にある宗派の違う11の教会の交流を進めています。先日もご紹介したように「クリスマスには近所の教会へ」という印刷物を11の教会が協力して、市内の全所帯へ配布しました。

この記事の下にある「ブログのお陰で若い友人が出来ました」という記事は私がささやかながら この方針に従って努力している事なのです。今日の午後にも日本キリスト教団小金井教会の丸山和則牧師様を訪問し、色々お話を聞いてまいります。

色々な宗派を訪問してみて私の信仰が強くなりました。キリスト教は強く日本の土壌に根付いていることを確信しました。借り物の宗教ではないのです。カトリックの良さが深く理解も出来ました。

何故か? いずれ稿を改めてキチンと書いて見たいと思います。この小文は前の「ブログのお陰で若い友人が出来ました」という記事とローマ法王の方針との関係を説明するために補足として掲載します。(終り


ブログのお陰で若い友人が出来ました

2009年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢になり仕事を辞めると話し相手は糟糠の妻だけになります。若い人々と話す機会もありません。勿論、友人も居ません。ところが2年前からブログを始め、その記事の取材の為に色々な若い人々に会ってきました。幾人か親しい友人が出来ました。深い心の交流をしています。 今日はその例として私の推薦したいブログ(http://homepage2.nifty.com/fledermaus/)を書いているオカブさんと日本正教会の金田一豊さんをご紹介したいと思います。
どのような心の交流をしているか?説明がしにくいのでオカブさんや金田さんからのメールの一部を示します。
====まずオカブさんから最近貰ったメール=======
藤山杜人さん 
娘の誕生日のためにお心篤いお祝いのメールをいただきまことにありがとうございます。こちらこそすっかりご無沙汰いたしております。また、クリスマスの準備にかまけていたために私用のメールを開かなかず、お返事が遅れたこと平にご容赦ください。
月日の経つのは早いもので、本当にもうクリスマスですね。藤山さん、ならびにご家族、また御教会の神父様、信徒の皆様が素晴らしいクリスマスをお迎えになることを心よりお祈りいたしております。
先の日曜日に、三軒茶屋地区の五つの教会がカトリック三軒茶屋教会に集い、合同でアドヴェントをお祝いする集会を持ちました。この集会は毎年この時期にもたれているものです。カトリックはご承知のように三軒茶屋教会のみですが、この集会で私はカトリックの良いところを改めて学ばさせていただきました。まず御聖堂が清潔に保たれ、信徒の方々が固く静粛を守り、御聖堂に尊崇を捧げている点です。プロテスタントでは会堂自体を特別尊重する習慣を持ちませんが、集会の場を大切に守ることは信仰の基本であると改めて心に刻んだ次第です。また、カトリックでは御ミサや御聖堂に神秘性を持たせることに心を砕いているようですが、この点はプロテスタントの信徒として大いに反省しなければならない点です。聖書理解においても、プロテスタントの古典的な神学者は大いに神秘性を尊重しているにもかかわらず、実際の信仰生活、そして毎日の礼拝においては、世俗の流れに飲まれ、プロテスタントにおいて神秘性が蔑ろにされている傾向があります。これは我々としては大いに恥じなければならない事柄であると思います。さらには、カトリックは全世界の教会で一致を保っていることも羨ましい限りです。プロテスタントにおいてはあまたの教派に分裂した後、教会の一致の運動が試みられておりますが、なかなかうまく参りません。
一方で、プロテスタントにおいては、基本的に会堂の維持管理、伝道・宣教から、もちろん牧師の謝儀に至るまですべて教会員の献金でまかなわれています。そのことは、信徒の信仰を鍛える良い点でもありますが、反面、今の時流の中で教会は絶えず経済的な不安に晒され、信徒が純粋な信仰を全うすることを妨げています。
なにか、プロテスタント批判をながながと綴ってきたかのようですが、隣の芝生は青いで、カトリックの教会を訪れたのを機に、カトリックの良さに感服したような次第です。無論のこと、プロテスタントにはプロテスタントのよさがあるのでしょうが・・・・
ブログ上の拙稿がお目に留まりまことに汗顔の至りです。
また、私のような者を玉稿でご紹介賜り、なにやらもそもそする思いもありますが、感謝で一杯です。
重ねまして、クリスマスのお祝いを申し上げるとともに、娘へのご祝意に感謝申し上げます。
後藤先生が完全にご快癒されるよう毎日の祈りの課題とさせていただいております。どうか、お身体おいといください。
また、お気持ちが向かれましたら、どうか娘の入試のためにお祈りいただければ幸甚でございます。
先のメールでもお伝えいたしましたが、ぜひ御教会の御ミサにも与らせていただきたく考えております。その節はよろしくお願い申し上げます。
主の祝福と平安が藤山さんの上にありますよう、お祈り申し上げます。
                             主に在りて    オカブ
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=====金田一豊さんへ藤山から送ったメール========
田一豊さん
ハリストス我らのうちにあり
拝復、 メールを頂きまして有難うございます。
さて先日のご厚情へたいして、感謝のあまり幾つもの記事を私のブログへ
掲載しました。雑多な記事に埋もれているので、ご覧出来なかったと思います。
そこで、金田さんの事が書いてある記事を以下にご紹介にします。
お時間のあるときに是非ブログの記事の月日にしたがって記事を探して
ご覧下さい。1月には金田さんが説教する日に又参上したく思っています。
ご担当日が決まりましたならお知らせ下さい。
クリスマスにあたって金田様へイエス様、聖ニコライ様の御祝福が有りますように
御祈りいたします。シルベスター後藤和弘
「山林、杜の人のブログ」の下記の記事をクリックすると記事が瞬間的に出て来ます。
(3)投稿日 2009/11/29 今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました (金田さんの写真が出ています!)
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=========金田一豊さんからのご返事===========
ハリストス我らのうちにあり
ご丁寧にありがとうございました。 
順にいろいろ拝見させていただきました。とても興味深いつくりになっていて感心していました。
今後の活躍と発展に期待していますので、どうぞがんばって下さい! お祈りしています。
ちょっときになったので補足を入れますね。
ニコライ堂の中での奉神礼においての記事で聖職者、聖歌隊、参祷者には差別がある的な表現がされていました。
もちろん差別に感じてしまう方もいるでしょうけど、これはあくまでも区別なので決して差別ではないのです。そこのところを理解していただけるとありがたいです。
なぜ区別があるかというと、その役割や立場、立ち位置なども含めて全てが教えになっているのです。正教会が伝統的に培ってきたものには全て意味があるのです。
もうひとつは、今説明したことに関連しているんですが、ニコライ堂のような大教会と地方も含めた町の教会とは同じではないということです。
例えて言うなら、ローマカトリック教会の町や地域の30人ほどが集まる教会と四谷にある1000人規模で集まる大きなイグナチオ教会とでは様々な諸事情によって全く同じ雰囲気や環境を作ることは出来ない、というのと同じことです。
正教会も地域や国によって参祷者全員で歌う教会もあります。みんなで協力しあう町の教会と役割分担をしなければならない大教会という差があるというのが実際のところです。
以上、余計なおせっかいでした!
それから、僕の予定が決まりました。
説教は、1月3日の主日。お話は、1月10日の聖体礼儀後の軽昼食会(ニコライ会館)。それから、私事ですが、伝道会という正教会の勉強会があります。
一応、毎週木曜日の18時30分~20時30分と、土曜日の15時~17時の枠を担当しています。
興味とお時間があればどうぞいらしてください。金田一豊
=======================(終り)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人