日本人は個人的な活動をしている限り多民族と変わりません。しかし政治組織、官僚組織、軍隊組織、教育組織、芸術家組織、宗教組織を作るとその中の運営方法や人間の上下関係が他の民族と非常に異なります。そんな問題をこれから少しずつ考えて行きたいとおもいます。
第一回は政治組織の特異性を明らかにするために普天間基地移転に関連することを取り上げたいと思います。
BYOOLというSNSの友人の盛田常夫さんはハンガリーに20年以上住んでいて、最近、「ポスト社会主義の政治経済学」という専門書を日本の学術専門の出版社から出しています。その方が最近の普天間基地問題についてハンガリーからコメントをお送って下さいました。以下にご紹介いたします。
======盛田常夫さんのコメント===============
アメリカが怒っている?
普天間基地をめぐるメディアの論調も奇妙である。「アメリカが怒っている。アメリカとの友好関係が崩壊する」と報道するが、この基地問題の本質が何であるかと議論したものがない少ない。なぜだろうか。アメリカ軍が日本全土に軍事基地を保有し、アジアのみならず、中東まで視野に入れた軍事戦略基地として日本を位置づけている事実を理解していない、理解しようといないからだ。
日本におけるアメリカ軍基地の存続は、アメリカによる軍事面での占領継続に他ならない。そのことを理解している、あるいは理解しようとする日本人があまりに少ない。アメリカの従者として戦後60年もアメリカに仕えてきたから、それが日常になってしまったのだ。だから、「アメリカを怒らせてはならない」という単純は議論がまかり通っている。
日本のアメリカ軍は日本を守るために駐留しているのではない。アメリカの軍事的な世界戦略にもとづいて、日本の各地に世界展開に必要な戦力が配置されている。嘉手納基地も横田基地も、それぞれ明確な軍事的使命をもって展開されている。アメリカの基地があることで、「日本は他国からの侵略にたいする抑止力を獲得しているから、日本はアメリカに全面的に協力する必要がある」というのが、アメリカの論理。しかし、この抑止力は「アメリカ軍駐留のおまけ」でしかない。歴代の自民党政府はこの「おまけ」を無条件でかつ全面的に受け容れてきただけなのだ。
現存の普天間移転合意は、「暴力団が街の中心にいるのは困るから、人員を減らして、人里離れた所へ移転してください」というのと同じではないか。この程度の合意を得るために、「血のにじむような努力をしてきた」と自民党は言うが、その程度の交渉しかできないことが自民党の外交のレベルだったのではないか。この程度の合意なら、政権交代を期に、合意を白紙に戻して、「最初から基地の根本的縮小交渉をやりましょう」というのは当然ではないか。
アメリカのヴェトナム戦争やイラク戦争に日本のアメリカ軍基地は総動員された。しかし、それらの戦争が誤りだったと総括されているのに、日本の政治家は脳天気である。イギリス議会はブレア元首相のイラク参戦を検証しているが、日本の政治家はアメリカの威に隠れて後方支援という形で参戦してきたことに頬被りである。要するに、アメリカの戦略の後追いをしているだけだから、自らの定見がない。本当に正しかったのか、それとも誤りだったのかという程度の議論すらないという政治レベルなのだ。だから、日本の外交が国際的に舐められるのは当然だろう。経済一流、政治三流と言われる所以だ。骨のある保守であれば、自立した定見を保持し、民族的な利益を守ろうとするだろう。ところが、アメリカに従属し、牙を抜かれた保守政治家には、そのような気概はない。日本の保守や右翼はアメリカの軍事占領60年で骨抜きにされ、腰抜けになった。アメリカに追随するだけで愛国心が高揚するはずがない。
鳩山首相が唱える「駐留なき安保」は日本がアメリカの軍事占領状態から自立するための最低限の条件。それが実現しない限り、日本はいつまでもアメリカの従者であり続ける。そのことを理解できない日本人は情けない。(終り)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
趣味人倶楽部のマイフレのyuyuさんが昨日ご紹介した丸山和則さんのビジネスマンから牧師への転身の決断の見事ぶりを褒めるコメントをお送り下さいました。ここで改めてご紹介いたします。なおyuyuさんは尾張裕峯さんという作陶芸術家で天皇陛下へ 染付香炉を伝献上したような華々しい経歴の持ち主です。一方、日本藝術協会を主宰して芸術の普及と国際的発展にも貢献しています。
(日本藝術協会のHP:http://yuhoh.hp.infoseek.co.jp/)
==========尾張裕峯さんからのコメント========
よいお話ですね。優秀な彼が、出世階段を捨てて、友人の遺言を守る。
そこには金銭中心の出世社会からの、脱却でしょう。それを支える奥様がまたすばらしいです。
お二人ともに洗礼を受けられたのでしょう。それだけでその決断は容易にできるものではありません。
そこにはサラリーマンの出世街道に対する疑問が、悩みが背景にあったのでしょうか。
いずれにせよ、一流になれる人は、決断もお見事です。精神的に人間的な大出世とエールをお送りしたいです。(終り)