日本各地の墓地は江戸時代以降のお墓が並んでいます。その墓石を見ながら散策するとその土地の歴史や当時の人々の感情がそこはかとなく分かってきます。
先週行った函館でもロシア人墓地とその隣にある函館ハリスト正教会墓地を見てきました。
ロシア人墓地には1859年に作られたアスコリド号の航海士のお墓も含めて43人のロシア人が眠っています。墓碑はみな大海に向いています。
はるか遠くの蝦夷の地で死んだロシア人の家族は墓参も出来ません。函館ハリスト正教会の日本人信者が供養を続けているようです。
その函館ハリスト正教会の日本人の墓地が隣にあります。
私どもが訪れたときいはエゾハルゼミが、あの世からの声のように悲しい声でしきりに鳴いていました。目の前の函館湾の碧さが目にしみます。
両方の墓地に眠る全ての故人の冥福を祈ってまいりました。
函館は江戸末期から明治にかけてロシア文化の影響を深く受けた特別な地域だったのです。横濱や神戸よりもロシア文化の息づかいが強く感じられる土地です。
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このブログの記事はなるべく取材の旅を繰り返して書くようにしています。
現地を何度も訪問して、長期間の取材をして丁寧に書く場合もあります。
しかし、おざなりな取材やいい加減な調査で書く場合も多いのです。
ですから記事は玉(?)石混交で、あまり信用できません。
しかし長期間、何度も現地を訪問して丁寧に取材して書いた一連の記事もあります。
その一例に、モリアオガエルに関する記事があります。
その一連の記事は、この文章の末尾に一覧表がで示してあります。かなり良心的に現地取材をしてきたと自負しています。
記事の題目をクリックしても前の記事は開きません。サイドバーにあるバックナンバーを開いて、検索すると読めます。
昨日は再度、木内正夫(以前のペンネームは鬼家雅雄)さんの山荘を訪問し、樹上に生みつけられた卵塊の写真を撮ってきました。
現地に行って実物を見ると、その卵塊の巨大さに吃驚します。感動します。
卵塊は野球のボールかソフトボールくらいの大きさです。
それが池の上にかぶさっている樹木の枝に産み付けられているのです。その塊は白い泡で、中に数百の卵がつまっています。
モリアオガエルの取材は2008年から始めましたが、樹上の卵塊の実物を見るのは初めてです。
その大きさに驚きます。そしてそれが必ず静止した水溜まりの上の枝に産んである不思議さに驚きます。小川や沢のような流れの上には生んでいないのです。
実はこのカエルの取材を続けている理由は2つあるのです。
一つは本州と佐渡ケ島の山奥にしか棲んでいない珍しい樹上生活のカエルだからです。
もう一つはこのカエルを保護している木内正夫さんの生き方や人生観に興味があるからです。
彼はもう30年間も山林の中の山荘に一人で暮らしています。誰にも迷惑をかけず、一人で野草の花や自然を愛して静かに暮らしているのです。その生活は現代の仙人のような雰囲気する感じられます。
以下に昨日撮ってきた写真を示します。
これは偶然、2匹のカエルが前後に同じ場所に卵塊を産んだものです。下の卵塊からは少しずつオタマジャクシが下の池に落ちています。一週間くらいでオタマジャクシになるそうです。
確実に池に落ちない恐れのある枝にある卵塊は、写真のように底が網状になっている箱に移して、オタマジャクシになるのを待ちます。この写真では4つの卵塊が保護されています。
このような池を木内さんは5つ作りました。池を沢山作ったので今年は卵塊の数が15にもなりました。池を作れば産卵のためにモリアオガエルが集まって来るようです。上の池には樹上から落ちて来た小さなオタマジャクシが沢山泳いでいました。
この写真のような暗い雑木林をモリアオガエルは好きなようです。
木内さんの山荘もこの写真のような暗い雑木林に覆われています。この位、自然な所でないとモリアオガエルは出て来ないのかも知れません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘
=====モリアオガエルに関する記事の一覧表====
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