キリスト教では、神(父)とイエス(子)と聖霊の3つを崇拝します。三位一体といってキリスト教の一番大切なものです。今日のミサでは三位一体の説明がありました。
3つは一体になっていて、しかもそれぞれの役割が違うという話です。
そこで今日は聖霊の説明をしたいと思います。
天上に居る神、そして神からつかわされたイエス様。この2つは誰にでもイメージを抱くことが容易で、理解出来ます。しかし聖霊とは何ですか?という問いへ対して明確な説明の出来る人は多くありません。その形、姿は誰にも見えないものなのです。
しかしキリスト教にとっては聖霊は非常に重要な存在です。
この聖霊は説明がしにくいので、色々な喩え話を使って説明します。
このブログで以前に、ご紹介したニコライ堂の金田一豊師が以下のように説明をしてました。
「神様の説明を比喩的に表すと、父なる神は太陽、子なる神・ハリストス(キリスト)は太陽からそそがれる光です。そして聖神(聖霊)は太陽から注がれる熱です。全てのエッセンスは太陽から来るように神も唯一で、その光も熱も一体です。といいます。」
成程、太陽からの輻射熱がなければ人間も動物も植物も生きてゆけないのです。絶対に必要なものです。これは非常に分かりやすい喩え話です。
ところがもっと分かりやすい喩え話を以前にカトリック小金井教会の主任司祭をしていた山本量太郎神父様から頂きました。
以下にご紹介したいと思います。
「聖霊はあなたの趣味のヨットにとっての風のようなものです。」
山本神父様はすごく忙しい方なのでヨットの経験はありません。将来もそんな暇が有りません。しかし私のブログのヨットの記事を読んで、「聖霊はヨットにとっての風のようなものです」と説明してくれたのです。
ヨットにとって最大の悲劇は無風です。ヨットは波間に漂うだけで、動けないのです。
追い風があれば風下へ向かって快走出来ます。向かい風でもあれば、ヨットが風上に向かってのぼれます。風上45度までは登れます。
風下にむかってセイリングしている時は聖霊が順風のように押してくれているのです。
ですからヨットには風が絶対に必要なのです。
山本神父様はこのようにヨットを趣味にしている私に分かり易く説明してくださいました。聖霊は個人、個人へ直接働きかけてくれるのです。
風が無ければヨットは走りません。聖霊が無ければ人間は活動出来ないのです。
そしてさらに注意すべき事は聖霊に、時々、悪霊が忍び込むことです。
聖霊と悪霊を賢こく見分けながら生きること。活動することが重要ですという明快な喩え話をして頂きました。
山本神父はその後、カトリック小金井教会の主任司祭から、本部のカトリック関口教会の主任司祭になられています。
私が生涯、感謝する卓越した神父様です。
ヨットの趣味を持つ人だけでなく誰にでも聖霊のことが分かる明快な説明です。
キリスト教に関心がある方々にとって聖霊への理解が深まれば大変嬉しく思います。(終り)
これは私の趣味だったヨットの一枚の帆に風を受けて走ってい光景です。
成程、聖霊が風なら、その重要性が理解できます。
あなたが住んでいる日本という国はどのような国でしょうか?明快に返事が出来ないのが普通ではないでしょうか?住んでいる場所が水田の広がる農村である場合は農民の目から見た日本が見えます。東京に住んでいて経済産業省で働いている人々は役人としての立場から見た日本を見ています。
このように国家の見方、別な言い方をすれば「国家観」はその人の住んでいる場所と職業によって変わります。これをもう少し大きな見方へ広げて、日本人の見た日本という国と中国人から見た日本という国を想像して見ましょう。この2つの立場に立つと違った印象を与えるのが当然です。
違った見方や印象のどちらが正しい真実でしょうか?
どちらも正しくないと考えるのが良いと、私自身は思っています。しかし両方を比較してみると日本という国が少し客観的に分かるような気分になります。
これから書く進める「孫文と毛沢東を知れば日本が見えてくる」と題した連載記事は日本という国を少し客観的に分かるようにしたいという気持ちで書くものです。
ですから皆様のご意見や、ご感想をコメントとして頂ければ嬉しく思います。
さて日本と中国を比較する場合に、両国が近代国家になった後の時代に限定します。
日本が近代国家になったのは、1868年の明治維新以後です。一方、中国が清朝の宣世帝を追放し近代国家を作ったのは1912年の辛亥革命以後のことです。この間の45年の間に日清戦争がありました。日本の朝鮮領土化の動きもありました。
ですから辛亥革命は日本の動向によっても影響を受けたと考えるのが自然です。
それはそれとして、明治維新と辛亥革命には大きな違いがありました。日本では薩長土肥の西部日本の諸藩が江戸幕府を倒して、欧米流の近代国家を作ったのです。西部日本の諸藩の武士階級による革命でした。そして連綿と続く天皇制をより強化し、明治天皇を君主とする立憲君主制の近代国家にした革命でした。
一方、辛亥革命は1911年10月10日に武昌に駐屯していた清国の新しい軍隊が蜂起し、それが中国各地での蜂起のキッカケになり、1912年、南京に中華民国が出来たのです。1912年の後半に北京に中華民国政府が出来た時を辛亥革命と見る人もいますが、どちらにしても1911年から1912年にわたる各地の武装蜂起と欧米流の共和国としての中華民国の成立、清朝の宣世帝の追放を辛亥革命と言います。
日中2つの革命の違いは、君主国家を生んだのか欧米流の共和国を生んだのかの違いです。この違いは後の両国の歴史へ影響を与えなたと考えられます。
明治天皇を頂いた日本は中央集権国家として急速に富国強兵に成功しますが、形式だけ共和制になった中国は袁世凱や蒋介石のような軍閥が活躍し、孫文は権力を握ることが出来なかったのです。
辛亥革命の前の1910前後には何万人もの中国人が日本に留学し、辛亥革命を達成する為の結社を作りました。その中心に孫文がいたのです。
しかし孫文だけが辛亥革命を指導したわけではありません。
しかししれでは何故、現在の中国人は孫文を国父として尊敬しているのでしょうか?彼は何回も武装蜂起して、失敗を重ねます。しかし不倒不屈の精神で、何度も立ち上ったのです。そして「革命はいまだならず」と言いながら、民衆が幸せになる日を夢見ながら死んでいったのです。彼の「三民主義」を読むと民衆へ対する彼の深い愛が感じられるのです。
彼は権力慾よりも国民の幸福を強く、強く願った政治家でした。現在の中国人は彼を大切にし、尊敬するのは当然です。
この孫文の性格や考え方と対照的な政治家が毛沢東と私は思っています。
長く、なるので今回の記事はこれで終りにします。
参考文献は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の辛亥革命 と
辛亥革命と日本の反応、李廷江http://www.asia-u.ac.jp/kokusai/Kiyou.files/pdf.files/8-1/8-1-2.pdf です。写真は辛亥革命を祝う旗に飾られた上海の風景です。 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 後藤和弘(藤山杜人)