後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ヨットを男の隠れ家のようにして使う

2012年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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昨年の秋まで24年間、霞ヶ浦にキャビンのついたヨットを係留していました。

回りのヨットを見ると、船を出さない人が意外に多いことに気がつきました。

数年前のある冬の日、上の写真のように、マリンブルーに黄色のラインが入った綺麗なヨットの中で何かしている人が目に入りました。

「こんにちは!」と声をかけると、キャビンの中から顔だけ出して、ニッコリします。そして、「今コーヒーを淹れているから寄ってきませんか」と言います。

言われるままにキャビンに入ると、初老の男性が洒落たチョッキを着て、コーヒーを淹れています。中をよく見るとヨット専用のケロシンを燃料にした立派なストーブがついています。

そのヨットの名前が不思議です。「Sanssouci」とフランス語で書いてあります。その意味を聞くと、彼はコーヒーをゆっくり淹れながら、「この名はドイツにある無憂宮という館の名をとったのです。この中に居ると何の憂いも無くなるのです。時々は泊りますよ」、と教えてくれたのです。

いろいろ話を聞きました。若い時はレースで優勝するのが楽しみだったが、最近はヨットを別荘のように使っているという話でした。

ヨット専用のケロシン・ストーブも外国から取り寄せたそうです。冬に泊る時、威力を発揮するそうです。

奥さんも孫も居るそうですが、ヨットには独りで来て、一日中読書をしたりして行くそうです。泊る時は上質なワインを少しだけ飲みながら、好きな西洋料理を一品だけ作って夕食にするそうです。

このサンスーシー号の前を、10年以上、何度も通りましたが一度も出港したところを見たことがありません。私は勝手にこれが「男の隠れ家」なのだと理解しました。

その影響で、私も時々、自分のヨットに泊る趣味をおぼえました。湖の岸にある小さな、小さな別荘と思って何度も泊ったもです。

下の写真は私のヨットの後から撮った写真です。船尾が低く、湾曲した台になっています。

台の上面が水面すれすれに出来ていて、夏に水中へ飛び込んで泳いだ人が水中から船の上に簡単に上がれるような構造になっています。遊びの為の台ですので、プレイ・デッキといいます。

冬は泳ぎませんがこのプレイデッキの上に坐して水面を見て楽しみます。水面すれすれで風景を見るとまた別な美しさが楽しめます。

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さて次はヨットのキャビンの中について説明いたします。

ヨットの船体の中は全て空洞になっています。3ケ位の部屋にしてあります。前甲板の下は寝室、中心がメイン・キャビンで炊事場と食堂、後甲板の下は細長い2人が寝れるカプセルホテルのような構造になっています。

ヨットの楽しさの一つは、料理を作り、食事をすることです。下の2枚の写真にはプロパンコンロ2口と、流しと料理台を示します。

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燃料のプロパンのボンベは舵を取るとき座るベンチの中に収納してあります。

流しの排水は船底に付けてある排水パイプから水中へ排出します。

コンロと流しと料理台さえあればどんな肉料理も魚料理もできます。

料理台に面してガラス戸のついた戸棚があり食器が入れてあります。鍋やフライパンは別の戸棚です。包丁や切り板や料理道具、そしてナイフやフォークや箸などはガスコンロの下の引き出しに分類してしまってあります。

パーティなどをするときはビーフシチューやオデンの煮込みを作ります。それにオードブルの盛り合わせをつけて乾杯します。シャンパンがあれば上々です。このような炊事道具がヨットの中についているのです。

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キャビンの中での生活を快適にするために欠かせないのが水洗トイレです。上の写真の真ん中に縦に光っているステンレスの棒はマストの下部構造です。その右に見える入口と白い壁が水洗トイレのある小部屋です。白い壁の上の方には丸い小さなキャビン灯がついています。

マストの左奥は前甲板の下に広がっている寝室で、大人2人が寝ることが出来ます。

下の写真は朝食のテーブルの様子です。テーブルの周りには最大7人が座れます。

このようにヨットの構造は寝泊まり出来るための最小の設備を完全に揃えています。

風を受けてセイリングする楽しさ、ジーゼルエンジンで霧の海をゆっくり走る低音のエンジン音の楽しさ、流線形の船体を美しく塗りあげる楽しさ、室内の木製の床や壁にニスを塗る楽しさ、キャビンの中で炊事をしてパーティをする楽しさ、ゆっくり流すように巡航し海鳥や冬鳥を観察する楽しさ。とにかく色々な楽しさがあります。

しかしヨットの係留地を見て回りますと意外に多くの人々がヨットを別荘がわりに使っているのです。船を沖に出すのは危険な上に人数も揃えなければいけません。

そんな理由なのでしょうか、独りでキャビンの中で遊んでいる人が多いものです。

私は昨年までヨットの趣味を26年間ほど続けて来ましたが、今振り返って考えてみるとどうも別荘がわりのように使って来たような気もします。家内もよく一緒に泊ってくれたことを感謝しています。楽しい趣味でした。(終り)


上野の山の精養軒ものがたり

2012年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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上野の山には藝術大学や多くの美術館、博物館があります。動物園もあり、人々も散策のための道が森の中に続いています。そして不忍池を見降ろす高台には明治5年(1872年)創業の精養軒という西洋料理店があります。

私どもはいろいろな美術展覧会へ行くたびにこの古いホテルの西洋料理店で昼食をとるのが習慣のようになっています。戦前生まれの家内が昔両親とともに時々来たらしく、好きな場所のようです。

私は何度も行っているうちに、この店が明治・大正・昭和を偲ばせる雰囲気を持っているのに気がつきました。そのせいで、好きになってしまいました。

新宿の中村屋や日比谷公園の中の松本楼と同じ味です。昔のままのデミグラス・ソースの味が、過ぎ去った昔を思い出させるのです。昔の甘い、ほろ苦い思い出が蘇ってくるのです。

この精養軒は鹿鳴館などが華やかだった頃、外人の多かった築地に出来ました。その後、上野公園が整備され開業されるに伴なって現在の位置へ移転しました。

そして文士や芸術家の交流の場として明治・大正・昭和の文化の一翼をになったのです。この様子は、ある方の「精養軒での文壇の華麗な交流」という

記録;http://gmex.7gs.jp/seiyouken/novelists.html に紹介してあります。

それによると、上野精養軒を祝賀会、記念会、壮行会、送別会などにたびたび使った文士の名前と、どのように使ったかという興味深い話があります。

出て来る文士は、谷崎潤一郎、森鴎外、芥川龍之介、高村光太郎、横光利一、上田敏、中原中也、島村藤村、萩原朔太郎、正宗白鳥、武者小路実篤、永井荷風、夏目漱石、島崎藤村、与謝野晶子、阿部次郎、などなど多くの文士です。そして彼らがどのような性質の会合や祝賀会に使ったかを記録してあるのです。

以前、このブログで中村屋が芸術家を経済的に支援したことに関して記事を書きました。(日本南画の巨匠、河野秋邨画伯の思い出

そして松本楼の関係者が孫文を支援し、辛亥革命の成功へ貢献したことも紹介する記事も書きました。(今日は日比谷公園の松本楼で仙台一高の同窓会がありました

精養軒も中村屋も松本楼も志の高い人々を支援し、文化を愛したのです。

戦前に軍部が華やかだったころ軍人たちで繁盛した料理店は何万もあった筈です。しかしそれらの料理店は消えてしまったのでしょうか?はかなさを感じながら上野精養軒で昔の味のランチを食べて来ました。昨日のことです。

上の写真の一枚目は昔の精養軒の写真です。あとは昨日撮った写真です。そして下には森鴎外、谷崎潤一郎、芥川龍之介、高村光太郎の写真をしめします。当時の日本の雰囲気を感じて頂ければと思い掲載しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

後藤和弘(藤山杜人)

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