人は誰でも老境に入ると自分の人生を振り返っていろいろ考えるようです。
私も時々考えています。そうすると自分の考え方が大変間違っていたことに気がつきます。
恥ずかしい話ですが私は若い時、立身出世だけのためにアメリカへ留学しました。その経験と、そこで知り合った人々の力を借りて偉くなろうという気持だったのです。その後、ドイツやスウェーデンにも留学しました。それは自分の職業の分野で出世するための手段と考えていたのです。
しかし老境にいたってそのような外国体験で得られた一番の宝は友人だったという考えに変わったのです。それは立身出世よりももっと、もっと大切なことと信じるようになったのです。
始めのアメリカ留学の時、オハイオ州立大学で同級生だったジョージとジムの2人は終生の親友としてつきあってくれました。お互い、家族同士のの付き合いで、アメリカへ行くと、よく彼等の家に泊ったものです。楽しい思い出がいっぱいです。そして随分とお世話にもなりました。
ジョージは旅立ってしまいましたが、ジムは健在です。オハイオからアラスカに移住して雄大な自然を愛し、幸せな老後の夫婦生活を楽しんでいます。
そして、現在、考えてみるとジョージとジムだけが友人でなかったことに気がつきます。私を、そして私の家族をいろいろ助けてくれた人々は皆かけがえの無い友人だったのです。
私共に友情を感じたからこそ助けてくれたのです。その有難い友情に充分こたえなかった自分のいたらなさを後悔しています。
現在、これらの人々をよく思い出します。そして深い、深い感謝をしています。
この感謝の気持ちはもちろん日本の友人に対しても変わることはありません。
人生における最も大切なことは友人を持つということです。そしてその全ての友人へ深い感謝をすることです。
感謝の気持ちが私の人生の宝なのです。これは老境に至ってはじめて得た確信です。
話は変わりますが、南アメリカの人は知り合いの人をすべて友人と言います。アミーゴと言います。アミーゴはスペイン語で友人という意味です。私も南米の人に何度もアミーゴと言われました。
しかし私はこの言葉を軽蔑していました。知り合いを全て友人と呼ぶその軽薄さを軽蔑していたのです。南米の人は調子が良いだけで信用出来ないと思っていたのです。
しかし老境にいたって自分の考え方が決定的に間違っていたと思いました。
縁あって知り合った人々とはすべて友人になるべきだという教えなのです。人間の絆を大切にしなさいという教えなのです。しかし現実には、そのように出来ない人間の悲しみが含まれた言葉でもあります。
南米の人がアミーゴと言う時の優しさと悲しさを一緒にしたような表情を思い出しました。それはとても人間的な表情でした。
彼等を軽蔑していた私が決定的に間違っていたのです。
そのような南米の人々も含めて、全ての外国の人へ対する尊敬と感謝の気持ちで書いた一連の記事がこのブログにあります。
ブログを始めたころから書いた、「外国体験のいろいろ」という連載記事です。老境に至って、自分のものの見方や信念がどのように変わってきたか考察してみようと思ったのです。 そして全ての外国人への尊敬と感謝の気持ちを念じつ書いた連載記事です。
このブログを始めた2007年11月から75回ほど掲載しました。
そのリストを作りました。クリックするとそれぞれの記事の本文が出ます。
幾つかご覧頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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===下は留学先のオハイオ州立大学の写真===========
下の写真は1962年から1964年まで留学したThe Ohio State Univerisity の当時のDepartment of Metallugical Engineering の2つの建物です。
上がLord Hall の現在の写真で、下が1905年創建当時の写真です。この建物の中に、私の作った実験装置がありました。最後の写真は当時の学科主任のFontana 教授の居たFontana Lpboratory の建物です。
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