後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

鬱陶しい梅雨の気分を晴らす爽快な海の写真です

2012年06月18日 | 写真

梅雨の間は日差しが見えても空には雲が多く、気圧も低いのでどうしても気分がスッキリしません。

なにかスッキリするような写真でもブログへ掲載しようとあれこれ探しました。

2009年の5月14日に城ケ島のそばの三崎港から東京湾を縦断して浜離宮まで帆走したおりの海のたたずまいの写真を見つけました。南風の強い一日で、長さ39フィートのドイツ製の大型ヨットが船体を傾け、狂ったように疾走しました。

梅雨の鬱陶しさをお忘れ頂ければ嬉しく思います。

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鉄道マニアが必死で写真を撮る気持ちが分かりますか?

2012年06月18日 | 写真

昔、全国の国鉄の路線で蒸気機関車が大いに活躍していた記憶をお持ちでしょうか? 70歳以上の高齢者ならきっとあの石炭の煙の匂い、悲しげな汽笛の響きとともに懐かしく回想されると思います。

それが高じて鉄道マニアになり、カメラスポットに三脚をたて列車を待つ趣味になる人もいます。

しかし昔の体験のない若い人々にも鉄道マニアが多いのです。

写真を撮る、模型を作る、鉄道グッズを蒐集する。いろいろな楽しみ方があります。

私は鉄道マニアではありませんが気持が理解できます。船のマニアだからです。船なら機会がありさえすればどんな船にも乗ります。

帆船日本丸、豪華客船日本丸や飛鳥II、川崎ー九州の快速フェリー、名古屋ー北海道の豪華フェリーの木曾、伊豆諸島通いの かめりあ丸、快速の水中翼船、河口湖や山中湖の子供向き遊覧船、なんでも乗りました。乗ってエンジンの調子や船の重量配分や揺れ方などを考えながら楽しみます。

写真も撮ります。自分が撮った写真を5枚掲載します。

はじめの2枚はいつもレンボーブリッジを車で通るとき見える白い船体の写真です。独立行政法人航海訓練所の練習船の青雲丸(後)と大成丸(前)のです。

その次の写真は伊豆七島通いの水中翼船です。

4枚目の写真はシンホニィークラシカ号で最後の写真はヴァンデアン号です。夕方の観光クルーズの様子です。

写真を撮った日はいかにも梅雨空の暗い日で、鮮明な写真にはなりませんでした。

最後にもう一枚、独立行政法人航海訓練所の帆船日本丸の優雅な写真をつけ加えます。1999年博多港での写真です。同じ型の帆船、海王丸も航海訓練所にあります。 (出典:http://www.yado.co.jp/ship/nipponmaru/nipponmaru.htm 

このような何の変哲も無い船の写真を見ているだけで幸福感につつまれるのです。気持ちが元気になるのです。鉄道マニアも同じような心理状態なのではないかと思います。

ご覧になって幸福を感じて頂ければ嬉しく思います。

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日露戦争の時、ロシアに逃げ帰らなかったロシア正教の聖ニコライをもっと知ろう!

2012年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

幕末にロシアからやって来た聖ニコライは東京にニコライ堂を建て、ロシア正教を日本に根づかせた偉大な宣教師でした。

私はカトリックなのでロシア正教の教義や習慣を知りませんでした。そこで神田のニコライ堂を何度か訪問し、ロシア正教の流れを汲む日本正教会の教義を少し調べて見ました。

ニコライ堂の礼拝式にも参列し、正教会の信者と一緒にイエス様へお祈りしました。

ニコライは日露戦争が起きてもロシアに帰らず、日本の信者のために自分を捧げたのです。

彼は日本で亡くなりお墓は上野の谷中にあります。葬儀のときには明治天皇が花輪を贈りました。この聖ニコライやロシア正教、そして日本正教に関する記事の一覧表は下の通りです。

それぞれの記事は右端の投稿年月日を参考にして、左サイドバーのバックナンバーから容易に見つけることができます。

日本人が読めば必ずや感動するような記事もあると信じています。

お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

1904年、明治37年に日露戦争が始まりました。翌年日本の勝利で終わりましたが、日本側の死傷者は20万人、ロシア側は15万人という凄惨な戦争でした。

日本人のロシア人へ対する敵愾心は凄まじく、全国に散在するロシア正教関係の教会や集会所は暴徒の襲撃に会います。

しかし東京、駿河台のニコライ堂に居るニコライは顔色一つ変えず動揺しません。

日本の政府や軍部関係者は日露戦争の間、軍隊の一小隊を常時派遣しニコライ堂を暴徒から守ったのです。

特に1905年9月15日の日露講和条約(ポーツマス条約)の日には激しい日比谷公園焼き打ち事件が発生します。神田、駿河台のニコライ堂へ暴徒の群衆が押し寄せます。

しかし日本の軍隊が暴徒を一歩もニコライ堂の構内へ入れなかったのです。

日露戦争になる前にニコライはロシアへ逃げ帰ることも出来たのです。しかし彼は、「私はロシアに仕えるのでない。キリストに仕える者です」と明言して断固日本に残留したのです。日本の信者を見捨てる筈はなかったのですが、それを実際に見た政府関係者や軍部も武士道精神に従ってニコライを大切にしたのです。

これだけではありません。ロシア正教の日本人信者とその家族がロシア兵の捕虜の慰問を日本政府と軍部が許可したのです。慰問にはロシア正教の礼拝式を捕虜収容所で行うことも含まれていました。

1905年にはおびただしい数のロシア兵捕虜が日本の収容所へ送られて来ました。旅順や奉天での捕虜も含めるとその数は7万人以上と言われています。

日本国内には27ケ所の収容所が、弘前から始まって仙台、京都と南の熊本まで各地に散在していました。

ロシア語の出来る日本人の司祭がそれぞれの収容所を担当して死者の埋葬、病者の見舞い、家族からの郵便の配布、ロシアからの慰問袋の仲介、礼拝式や祈りの会の開催、行方不明者の調査などなどを日本人司祭と信者が手を尽くして行ったのです。

私の手元にはそのような当時の写真があり、それを見ながら書いています。

捕虜収容所を訪問したニコライと日本軍幹部との記念写真。イオアン小野帰一司祭の指導による大阪、浜寺捕虜収容所の祈りの会の風景。松山捕虜収容所を担当したセルギイ鈴木九八司祭の上半身肖像写真。ペトル内田 補司祭と信者の家族とロシア兵捕虜との集合写真。京都、伏見捕虜収容所を担当したシメオン三井道郎司祭の上半身肖像写真。習志野捕虜収容所でのイアコフ藤平新太郎司祭とロシア兵との集合写真。神田、駿河台のニコライ堂前でのロシア兵捕虜慰問会の集合写真。

ここで皆様に是非ご想像して頂きたいのです。1905年と言えば、1917年の共産党ソ連の出来る随分前です。ロシア人はロシア正教徒でした。戦いに敗れ、呆然自失の状態で敵国の収容所へ送られたのです。そのような傷心の時、突然ロシア語の話せる日本人の司祭が現れたのです。信者の家族が親類のように子供連れで遊びに来てくれたのです。彼らの心が躍った様子が目に見えるようではありませんか?

それを許した明治時代の日本人は心が広く、本当に偉かったと思います。1912年、聖ニコライは75歳で日本の土になりました。明治天皇が大きな恩賜の花輪を供えました。

第二次大戦のアメリカ兵の捕虜に対して軍部は過酷な扱いをしました。アメリカからのキリスト教牧師が慰めに行くのを許しませんでした。それどころか敵性外国人として監視やスパイの嫌疑で逮捕していたのです。

明治時代の日本人のロシア兵に対する寛大な処置は長く外国から称賛されたのです。我々日本人はこのような明治時代の日本人をもっともっと誇りに思うべきではないでしょうか?

そして日本のロシア正教が実質的に日本正教会への育って行ったのはこの日露戦争の頃からと私は感じています。皆様は如何お考えでしょうか?(終り)

Wikipedea でニコライ・カサートキンを検索すると以下の紹介があります。取りあえずここに転載しご紹介いたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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