仕事を止めて老人になると社会から縁が切れるので、自分の人生を他人のことのように考えなおせます。すると自分が随分と不器用に生きてきたことに気がつきます。
もう少しスマートに、なんの問題もなく人生を過ごせた筈と後悔しています。
若い頃から人生の達人になれば良かったのです。
老人になってから自分が変わります。「人生の達人」になるようにと意識し、それとなく努力するようになりました。
そこで人生の達人とはどういう生き方なのか?どうすればその境地に至ることができるのか?そんなことに関する連載記事を書いて行きたいと思います。達人になろうとしている途中の自分の考えです。気楽にお読み頂ければ嬉しく思います。
まず全ての人へ感謝する努力をします。
具体的に一歩一歩進んで、終いには全ての人へ感謝する道行きです。
妻や子供や孫へ感謝するのは誰でも出来ます。次のステップは自分の兄弟姉妹への感謝を表明します。
個人的な実例を書けば、私には2人の弟がいます。すぐ下の弟は仙台の大学に残り父母の最後の面倒をよく見てくれました。父のように大学で一生を過ごし、終わり頃には父と同じように、あるお寺の住職になり父母の供養をしています。
一番下の弟は日立製作所の技師になり、停年後は仙台に戻り、やはり老いた父母の世話をしました。優しい性格の弟です。
長男として生まれた私は威張ってばかりいて、老いた父母の面倒も見ませんでした。ですから仙台に住んでいる2人の弟へは感謝しています。自分が老いるに従って感謝の気持ちが深くなります。
兄弟姉妹と言えば家内の姉と妹にも感謝しています。結婚以来、50年間お付き合いをしていますが、常に優しく、礼儀正しいのです。温かい気持ちで私に接してくれたのです。口には出しませんが深く感謝しています。
次に昔、職場で助けてくれた人や競争相手だった人々を温かい気持ちで思い出し、感謝するのです。年賀ハガキには感謝の気持ちをこめた文章を添えます。
昔、職業上での敵だった人々へも感謝しながら思い出します。その人々の健康を祈ります。
まず心の中で感謝します。次に書きます。そして言うのです。
これが出来れば「人生の達人」への道を歩き出したことになります。私はこの道の入り口がやっと見えて来た段階です。まだまだ努力しなければいけません。
次回以降、「人生の達人」になるためのいろいろな考え方を書き進んで行くつもりです。上下の睡蓮の花の写真は先日、水元公園で撮ったものです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)