この連載記事では21世紀の日本にとって中国が非常に重要な国家になるという結論を書く予定です。軍事的には脅威ですが、戦争さえなければ中国経済の隆盛が日本を更に豊かにする筈です。またその為の貿易や経済交流の枠組みを確実に作って行かねばなりません。
その事を考える為には熱烈日中友好を推し進め、中国の市場経済の発展を進めた鄧小平の業績を無視するわけにはいきません。彼は実に1978年から1992年までの14年の間、中国のトップでした。事実上の大統領でした。写真を示します。
・鄧小平夫妻は1978年に昭和天皇を訪問しました。
・1979年にはアメリカ大統領、ジミイ・カーターに会います。
・大平首相とも握手をしました。
・1978年、東海道新幹線に乗って感心します。その後、福田首相とも会談をしました。
鄧小平はどのような経歴で、どのようにして中国の大統領のような強大な権力を握ったかという話は一切省略します。「鄧小平」を検索するといろいろな資料があります。一切省略します。
私の個人的な見方だけを簡単に書きます。
毛沢東が中国を統一国家にし、1949年に独立宣言したことは彼の最大の功績です。その功績が偉大だったので、現在の中国人は天安門に掲げてある彼の巨大な肖像画をそのままに飾っているのです。
しかし彼の1959年以後の大躍進政策では何百万人の農民を餓死させ、文化大革命では知識人や政治権力者を下放させ、内戦で数十万人の人を殺したのです。老舎や巴金のような才能豊かな作家も沢山殺されてしまいました。その多くは自殺だったと言いますが、そのように追いやったのが毛沢東指導の紅衛兵だったのです。
毛沢東は人民の生活を犠牲にしても自分の権力維持に腐心するタイプの独裁者だったのです。その反対に人民の生活の安定こそが強い中国を作ると信じた政治家もいました。毛沢東に殺された大躍進政策時代の劉国家主席です。周恩来総理です。そして最後に市場経済政策に踏み切った鄧小平です。
共産主義の国家が資本主義経済原理を取り入れたのです。経済活動は資本主義で政治は共産党独裁という空前絶後の国家戦略を作り上げたのが鄧小平でした。
1989年の天安門事件のとき鄧小平は戦車でデモ参加者を蹂躙させました。武力弾圧で共産党の独裁を守ったのです。
その延長として、昔の計画経済を復活しようとする意見が大きくなったのです。それを断固として阻止し、市場経済の発展を主張したのが1992年の鄧小平の「南巡講話」でした。再び経済が活発化するのを見て彼は全ての権力を江沢民へ渡すのです。江沢民は嫌らしい反日政策を続けましたが、それは鄧小平の熱烈日中友好の反動でもあったと思います。
私事で恐縮ですが、1981年に中国の2つの大学で招待されて集中講義に行きました。その時の歓迎ぶりは現在思い出しても身が熱くなります。故宮や明の13稜や西大后の離宮へ案内してくれました。避暑山荘の承徳へ招待してくれました。唐時代に日本人が留学した西安の寺や大雅塔へも案内してくれました。
瀋陽の大学でも大歓迎を受けました。
1983年には中国冶金工業省の大臣が日本人鉄鋼協会代表団の為に人民大会堂で歓迎会を開いてくれたのです。
結論を言えば、鄧小平が権力を握っていた1978年から1992年までは日中友好の時代だってのです。
この時代に日本の数千の会社が中国大陸へ進出し、大きな利潤を上げたことは否定の出来ない事実と信じています。その上安い食材が豊富に日本へ送られ、我々の食生活も一段と豊かになりました。もっとも「毒ギョーザ事件」なども起きましたが最近は中国の食材も品質がよくなりました。
この延長で、将来も中国が豊かになれば日本にとっても必ず良い影響が出るのです。その為の賢い外交と経済交流の取り決めを進めるべきと信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。
後藤和弘(藤山杜人)