函館半島の東側は太平洋の荒波が砕けれる岩礁地帯です。急峻な岩山が海に落ち込んでいて、海岸には畑を作る土地もありません。岸壁にしがみ付くように古い家々が連なっています。
恵山道立公園の恵山岬、銚子岬、川汲の、そして臼尻町、から鹿部までの30kmほどの海岸道路には廃屋が点々と続いています。
現金収入は コンブと出稼ぎだけが頼りです。函館などの大きな漁港から出る大型漁船に乗組む出稼ぎです。勿論、出稼ぎにはその他にいろいろあります。
家の周りには畑を作る土地が無いのでジャガイモやカボチャすら出来ません。この地方を車で走っているとスーパマーケットもコンビニもありません。食品を積んで売り歩いている小型トラックを見かけます。住んでいる人は 高齢者が多いのでしょう。
廃屋の多さが生活の厳しさを示しています。
しかし、思い切って都会に出て行って成功して、裕福な生活をするのも人生です。
ですから廃屋の多さが不幸を意味しているとは信じません。
それにしても北海道の生活の厳しさの一つの部分であることは間違いありません。
下にそのような風景の写真を示します。
・このような急峻な岸壁が海へ続いているので小型の磯舟しか入れないような漁港しか作れません。家の裏は絶壁で畑作が出来ません。
・玄関の屋根の作りや電燈が 昔は立派な家だったことを偲ばせています。でも誰も住まなくなってから随分と時が経っているようです。隣の家の人が物置かわりに使っているので電気メーターが生きています。
この家は昔の住人が時々帰ってきて雨が屋内に入らないように手入れをしています。そんな様子が伺えます。
この家は住宅ではなくコンブなどの海産物を加工して箱詰にして出荷する工場だったようです。
この278号線の道路は鹿部まで岸壁が海に迫っています。
昨年の東日本大震災のような大津波が来たら一遍に洗い流されます。それを予測して所々に裏の岸壁に登る鉄梯子があります。その鉄梯子のある風景も怖い津波を連想させ、生活の厳しさが一段と強く胸にせまってきます。
278号線が鹿部を過ぎると途端に平地が開け、小綺麗な家々が見えます。畑作と漁業の両方が出来るとこんなに楽な生活ができるのかと感動します。
鹿部を過ぎ、イカメシで有名な森の町まで行くと平野です。森には水産加工工場が幾つもあって豊かな町のように見えます。何故かホットして少し立派な和食の店で昼食にしました。
刺身定食のほか地魚の八角のサシミとツブ貝を食べました。どれも新鮮でおいしかったです。帰路は海岸を通らないで国道で大沼公園へでました。
それにしても戦中、戦後に育った私の記億では日本には廃屋はありませんでした。当時は物資が不足していた時代なので廃屋の材木は貴重な建築材料や燃料としてすぐに再利用されたのです。
ですから廃屋の多さは日本が豊かになった証拠なのです。喜ぶべきことなのかも知れません。
しかし廃屋を見ると胸の潰れる思いをします。何故か不幸の象徴に見えるのです。そうは思っても廃屋を取り壊して、整理するのは所有主にしか出来ません。都会へ出て行って豊かな生活をしている人は昔の思い出のある家を壊したくないのかも知れません。廃屋を見る度に人生の不可思議さを考え込んでいます。
北海道だけでなく、東京の奥多摩の山地にも廃屋が沢山あります。そんな事を思い出し、考えさせられた北海道の旅でした。(続く)