仙台に生まれ育った私は近くの松島に何度も遊びに行きました。四季折々いろいろな季節に行きました。松島でまず五大堂の島へ歩いて渡ります。島の向こうには美しい松が生えた島々が広がっています。見事な枝ぶりの松が生えた数多くの島が浮かんでいる美しい海です。それは幻想的に綺麗な海でした。
特に印象深い思い出は雪の降った冬に行った時見た松島の風景でした。
茫々あれから60年以上の月日が流れました。いろいろな思い出のある松島です。
そこで今日は遥か曾遊の地の松島の雪景色の写真をお送りいたします。私の幼少から結婚後まで慣れ親しんだ懐かしい松島です。
1番目の写真は雪の日の松島です。仙石線の松島駅の高台のホームから見える風景です。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=02616000608 です。
2番目の写真は雪の松島の五大堂です。この写真の右に松島湾が広がっています。写真の出典は、http://orgeldiary.da-te.jp/e404943.html です。
3番目の写真は雪の松島五大堂への橋です。この木造の赤い橋を何度も渡りました。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=02335001591 です。
4番目の写真は雪の瑞巌寺へ続く参道です。海の風景を見た後は山の方にある瑞巌寺に歩いて行きます。淋しい参道でした。写真の出典は、https://yurika2018.blog.fc2.com/blog-entry-35.html です。
5番目の写真は雪の日の松島の町の全景です。写真の出典は、https://twitter.com/hashtag/%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E9%9B%AA%E6%99%AF%E8%89%B2 です。
さて松島に関するいろいろな思い出の中から一つだけ書きたいと思います。高校時代のことです。
少し大きいボートのカッターに乗って仲間達と碧い島々の間を何度も漕ぎ回った楽しい思い出です。それは不思議な体験でした。
仙台一高に入学したのは昭和26年でした。旧制の仙台一中の生徒が3年生にそのまま残っていました。
入学してすぐ「木工部」に入りました。驚いたことにその部は木工など一切しないで、もっぱら松島湾でカッターを漕ぎ回る倶楽部でした。
大人のような3年生が東北大学の塩釜の艇庫からカッターを借り出して来るのです。
1年生と2年生の部員が塩釜の岸壁で待っていると3年生が何処からかカッターを漕ぎよせて来ます。皆が乗り込むとカッターは島々の間を縫って松島湾を周航します。
昼になれば適当な島の砂浜へボートを乗り上げて持参のオニギリを食べます。
午後も漕ぎますが、塩釜までの帰路は漕ぐのを止めて帆走なのです。
この帆走も不思議な体験です。帰路になると3年生がカッターの先端に低いマストを立てます。後は風まかせで塩釜まで帰ります。
そしてある時は9人乗りの細身の競走用のボートを漕いだこともありました。競走用のボートにはフィックスと座席が前後に動くスライデイングという2種類があるのです。どちらも船体が薄く出来ています。細心の注意が必要です。
このように海でボートを漕ぐ体験を何度もしましたのです。今思うと不思議な体験でした。
この体験があったので、私は松島の素晴らしさは海の上からも見ないと分からないと考えていたのです。
妻と初めてデートした時も松島を海の上から案内しました。塩釜港でチャーターした小さな船で彼女を松島まで案内したのです。緑の島々が浮かんでいる海を周航したのです。彼女は初めて海の上から見た島々の美しさに感動しました。
今日は松島の雪景色の写真を示しました。そしてはるか曾遊の地、松島の思い出を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)