毎年12月になると真珠湾攻撃のことを思い出す。そしてその年の夏に聞いた仙台の広瀬川の河鹿の美しい鳴き声を思いだす。大学生だった叔父の肩車で鹿落坂(ししおちざか)を登っているとき下の広瀬川で澄んだ声でコロコロと鳴いていた。明るい月夜の晩。その鳴き声はあまりにも美しかった。
その夏の後に真珠湾攻撃があった。
叔父に何が鳴いているかと聞くと、「河鹿(カジカ)だ」と答える。叔父は河鹿蛙だと教えた。が、幼い私は河鹿という魚のことだと信じてしまった。広瀬川には河鹿という魚が棲んでいて月夜の晩に美しい声で鳴くと信じた。これは私の大切な秘密だ。他の人に言うとこの大切な秘密が消えてしまう。私は大人になるまで広瀬川に河鹿という魚が棲んでいて月夜の晩に美しい声で鳴くという不思議を秘密にしていた。しかしその後、夜に何度「ししおちざか」を登っても二度とあの美声は聞かない。
私を肩車で坂を登った叔父は海軍少尉になり幸い生きて帰って来た。余生を全うして死んでからもう何年にもなる。
歳老いて仙台を訪ねると「ししおちざか」は昔のままだ。広瀬川の河鹿の鳴き声を聞いてから80年たつ。真珠湾攻撃から80年たつ。
毎年12月になると広瀬川の河鹿の美しい鳴き声と真珠湾攻撃のことを思いだす。そして河鹿という魚は鳴かなくなった。
1番目の写真は上流の霊屋下橋から見た現在の「ししおちざか」。後ろの山は伊達政宗の霊廟のある経ヶ峰。
2番目の写真は下から見た昭和12年の「ししおちざか」。私が河鹿の鳴き声を聞いたのは昭和16年の夏だ。
3番目の写真はお霊屋下橋から上流を見た現在の広瀬川。
今日は私の子供の頃の思い違いを書きました。しかしそれは私の大切な美しい秘密だったのです。
皆様も幾つか美しい秘密を持っていると信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)