あれは小学生の4,5年の頃、終戦直後のことでした。父方の祖父が住職をしていたお寺の小僧になったのです。夏の1ケ月の間だけ毎日意味も分からないお経を本堂で唱えるのが日課でした。誰もお経の意味を説明しないのでチンプンカンプンの呪文のようでした。大人になってから思い出して調べました。般若心経と観音経と大悲心陀羅尼 の3つを唱えていたのです。特に大悲心陀羅尼 はインドの古語の音を漢字で表現したものなので今でも意味が分かりません。
そのお寺は曹洞宗で兵庫県の山がちな小さな集落にありました。小高い場所に建っていたので集落の農家や水田が箱庭のように見下せました。集落の農家は全てお寺の檀家です。家々には金色に輝く立派な仏壇があります。写真を示します。
1番目の写真は私が夏の間だけ子供僧になった田舎のお寺によく似た寺の写真です。正面の石段を登ると本堂があり右に庫裏がありました。左には鐘楼があり朝夕鐘の音を下の集落へ送っていました。この写真は「山里のお寺の写真」を検索して多くの写真から選びました。非常によく似ている寺の写真を選んだのです。
2番目の写真はお寺から見下ろした集落の風景に似た写真です。この写真は「山里の風景写真」を検索して多くの写真から選びました。集落の家は全て祖父のお寺の檀家でした。米や野菜を寄進してお寺の一家の暮らしを支えているのです。日本の伝統文化です。
3番目の写真は寺の本堂での法要の様子です。私も小坊主として後ろの方に座り知っているお経を一緒に唱えました。この写真は「お寺の法要の風景写真」を検索して多くの写真から似ているものを選びました。
4番目の写真は毎年夏のお盆に行う施餓鬼供養の写真です。近隣のお寺から僧侶に来てもらい太鼓や銅鑼を打ち鳴らし賑やかな供養でした。この写真は「施餓鬼供養の風景写真」を検索して多くの写真から選びました。
さてこの夏の間だけの小僧体験で一番印象深かったのは檀家一軒一軒を回ってその仏壇にお経を上げたことでした。私とすぐ下の弟が子供用の墨染の衣を着ます。復員してきた叔父が紫色の豪華な衣を着て小坊主二人を従えて檀家回りをするのです。仏壇へお経を唱えると、その後に冷たいソーメンがでます。紫色の豪華な衣を着た叔父が気取って少しだけソーメンを食べます。どの家もソーメンを出すので少しだけ食べます。
そしてお布施をくれるのです。大きな紙包みと小坊主にために小さな紙包みを2つお盆にのせて差し出します。どの家も差出します。叔父は大きな紙包みを取って残りは小坊主が頂きます。
こうして私は人生で初めてお金を稼ぎました。
しかし稼いだお金は大阪からから仙台までの汽車の旅で使いはたしたのです。駅駅で弟とアイスクリームを買って舐めて使い果たしたのです。
自分で稼いだお金だったので一層アイスクリームが美味だったのです。あんなに美味しいアイスクリームはその後二度と会えません。
当時の東海道線で花形だった流線形の特急つばめに乗って食べたアイスクリームは私の邯鄲の夢で忘れられないものになったのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)