後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ヒイラギナンテンの花の写真をお贈りいたします」

2021年12月03日 | 写真
ヒイラギナンテンはまだ寒さの残る3月頃~4月頃が開花時期です。香りのある、たくさんの小さな黄色い花を咲かせます。
ヒイラギナンテンの花の雄しべは、触ると雌しべの方向に動くというのが特性です。これは昆虫に花粉をつけるためだといわれています。
花が終わるとたくさんブルーベリー色の実をつけます。葉だけではなく、実のつき方もナンテンに似ているといわれています。







「楽しいクリスマスと今年も家々に来るサンタクロース」

2021年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
師走に入ると日々が一段と早く過ぎ行きます。すぐに楽しいクリスマスがやって来ます。クリスマスツリーを飾りパーティをします。夜にはサンタクロースが家々に来て子供達へプレゼントを置いて行きます。

そこで今日はイエスの誕生を祝うクリスマスとサンタクロースのことを書きたいと思います。

さてイエスは12月の24日の夜に中近東の貧しい馬小屋で生まれました。ローマ皇帝の勅令のおかげで馬屋で生まれる羽目になったのです。
当時、中近東のシリア地方(現在の地中海東沿岸一帯)は元々ヘロデ王が支配していました。しかし後にローマ帝国が完全に占領します。ヘロデはローマへ忠誠を誓い、王権を認められます。
当時のローマ皇帝はアウグストウスでした。彼はローマの全領土の住民に、登録せよとの勅令を出したのです。全住民は急いで出身地へ戻って、登録しなければいけません。多くの人々が急に旅をするので当然、宿屋が足りなくなります。ナザレで大工をしていたヨゼフと、身ごもっていた妻マリアが出身地のベツレヘムの町に着いた時はすでに宿屋が全て満員でした。寒い野外で夜を明かすよりは馬屋の中の方がまだましです。その馬小屋の中でマリアがイエス様を生むのです。そして飼い葉桶の中に藁を暖かくしき、生まれたばかりの赤子を寝かせるのです。
この一人の赤ん坊が、その後の2000年の間に全世界に広がるキリスト教の教えを説くのです。
教えはイエス様の死後80年くらい経ってから弟子たちが「福音書」として記録に残しました。これが新約聖書です。
なお、旧約聖書とは当時のシリア地方のユダヤ民族の信じていたユダヤ教の聖書をそのまま引きついた文書です。
イエス様の生まれたのは約2000年も前のことです。正確な月日など分かる筈が有りません。そこで次第に冬至の頃と設定して誕生を祝う人々が増えて12月24日に定着したのです。
その時、シリアの東方の砂漠の部族の3人の賢者が星に導かれて拝みにきます。これが後に、「東方の三賢者」と伝わっています。
このようにして12月24日にイエス様の誕生を祝いクリスマスパーティをするようになったのです。

しかしサンタクロースは別の話です。
サンタクロースはフィンランドの森やノルウェーのオスロ市に住んでいるのです。現在も手紙を送ることが出来ます。
サンタクロースはどのような森に住んでいるのでしょうか? 写真でご説明いたします。ついでにフィンランドの教会の写真もお送りします。出典はフィンランド政府観光局のHPです。




キリスト教の国々ではサンタクロースの思い出は人々の一生の宝です。
サンタクロースは一瞬にして世界中の子供のいる家々へ贈り物を届ける神業をします。そしてトナカイの橇に乗って来るので常日頃はフィンランドやノルウエイやスウェーデンの深い深い森に住んでいると信じられています。

皆様はサンタクロースの思い出をお持ちでしょうか? 戦争中に幼少期を過ごした私にはその思い出はありません。しかしサンタクロースの話を聞くたびに楽しくなります。幸せな気分になります。

その上、サンタクロースが住む土地を北海道に作った町があるのです。帯広の南の太平洋岸にある広尾町です。
そうして広尾町に本当にサンタクロースが住んでいることをノルウェーの首都オスロ市に正式に認定して貰ったのです。
詳しくは、http://www.santaland.or.jp/welcome/youkoso.html をご覧下さい。

今日はイエス様の誕生を祝うクリスマスに関連して誕生の経緯を書きました。そしてサンタクロースの伝承を書きました。
このクリスマスのシーズンはお正月とともに家族が一層仲良くなるシーズンです。皆が幸せになる季節です。楽しい気分でクリスマやお正月を迎えましょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)