後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本海側、山間部集落に元日にかけて大雪、そして北越雪譜」

2021年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の冬は数年ぶりに寒い冬になりました。積雪も多いと予報されています。大みそかの31日午後6時からの24時間の降雪量は多い所で、関東甲信地方が50~70センチ、東北、北陸地方が40~60センチ、近畿が20~40センチとなる見込みと報道されています。
例年12月には雪が少ない岐阜県はすでに大雪で埋まっています。雪の白川郷の写真1枚と岐阜市の大雪の写真を3枚示します。インターネットに出ていた写真です。




以下はあるインターネット記事です。
「日本海側に元日にかけて大雪に気象庁が警戒呼びかけ」2021年12月29日、 
https://www.asahi.com/articles/ASPDY5WYTPDYUTIL00L.html
上空に強い寒気が流れ込み、強い冬型の気圧配置になる影響で、30日から1月1日ごろにかけて、北日本から西日本の日本海側を中心に大雪や荒れた天気になる、と気象庁が29日発表した。積雪や路面凍結による交通障害、落雪、強風、高波などに警戒するよう呼びかけている。
 気象庁によると、30日午後6時までの24時間の降雪量は多い所で、東海地方が40センチ、・・・以下省略します。

大雪の場合、平野部は除雪車やブルドーザーが使えますので交通はすぐに確保されます。しかし山間部の集落へ除雪車やブルドーザーが行くのは困難です。
日本のあちこちの山間部の集落は大雪に埋まったまま春を待つのです。食料や燃料も次第に少なくなり心細い暮らしが続くのです。
この冬の山間の暮らしの心細さは江戸時代とあまり変わないと思います。心理的には江戸時代に書かれた「北越雪譜」という本のような感じがするのです。この本の雪国の人々の冬の暮らしぶりが描かれた部分を抜粋します。

鈴木牧之と「北越雪譜」の詳しい紹介は以下にあります。
http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/kokugo-hokuetsuseppu79.html 
簡略にしてご紹介きたします。
著者の鈴木牧之の生れた南魚沼郡は、東南に波濤のごとき高山が連なり、大小の河川が縦横に走り、地相的に見て“陰気”の充満した山間の村落であった。初雪は九月の末か十月の初めに降り、しかも一昼夜に六、七尺から一丈(約一・八~三メートル)に達する。

・・・「されば暖国の人のごとく初雪を観て吟詠遊興のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷の寒国に生たる不幸といふべし。雪を観て楽む人の繁花(はんくわ)の暖地に生たる天幸を羨ざらんや」・・・

彼はまず、雪が北国人にとっては生活上のハンディキャップであり、レジャーの対象ではありえないことを、くどいほど強調しているのです。
・・・「江戸では雪見の船とか雪の茶の湯を楽しんでるいるが、自分たちは雪の降るまえに大急ぎで屋根を繕い、梁や柱を補強し、庭木は雪折れせぬよう手当てをほどこし、井戸には小屋をかけ、厠(かわや)も雪中に汲み出せるよう準備せねばならない。食物も、野菜の保存にはとりわけ苦心する。凍るのを防ぐため、土中に埋めたり、わらに包んで桶に入れたりする。「其他、雪の用意に種々の造作をなす事筆に尽しがたし」・・・

現在とちがって、建物が平屋建てで窓ガラスもなかったころの雪ごもりは、想像もつかぬほど陰鬱なものだった。雪が屋根の高さにまで達すると、明りがとれないので、昼も暗夜のごとく、灯火を必要とした。
・・・「漸(やうやく)雪の止たる時、雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窗(こまど)をひらき明(あかり)をひく時は、光明赫奕(かくやく)たる仏の国に生たるこちなり」・・・
鳥や獣も、冬期には食物が得られないのを知り、暖かい地方へ移っていくが、人間と熊だけは雪の中にこもっている。
・・・「熊胆(くまのゐ)は越後を上品とす、雪中の熊胆はことさらに価貴(あたひたつと)し」というわけで、出羽あたりの猟師たちが熊捕(くまとり)にやってくる。その方法がおもしろい。まず、熊の呼吸穴を見つける。雪が細い管のように溶けたものだ。猟師がこの穴から木の枝や柴(しば)のたぐいを挿(さ)し入れると、熊が引っぱりこむ。何度もくりかえすうちに、自分の居場所が狭くなって、熊が穴の入り口に出てくるところを槍で突き殺す。もう一つは「圧(おし)」といって、穴の前に棚をつくり、その上に大石をのせておいてから熊を燻(いぶ)り出し、怒ってとび出す瞬間、石を落として殺すという方法もあった。
もっとも、このようなことは他国者がやることで、地元の農民たちは熊を殺すと山が荒れると信じて、手を出さなかった。ましてや、雪中に遭難した人間が、熊に助けられたという話も伝わっているからには、なおのことである。」・・・

牧之は八十二歳の老人から聞いた話として、この老人が若いとき雪の中で道に迷い、熊の穴にまぎれこんで凍死を免れたということを記している。そのとき熊は、闖入(ちんにゅう)した男に暖かい居場所を譲ったうえ、おのれの掌(てのひら)をさし出して嘗(な)めろという仕草をした。男は熊がアリを食べるということを思い出し、おそるおそる嘗めてみると、甘くて少々にがく、大いにのどをうるおした。

けっきょく熊と四十九日間の同居したが、ある日熊に促されて穴を出ると、人家のある方へと案内された。男がようやく我が家へ帰りつくと、両親が法事を営んでいる最中だったという。

以下省略しますが北越雪譜の全文は 青空文庫、https://www.aozora.gr.jp/cards/001930/files/58401_70229.html に出ています。この中には雪国の珍しい話や不思議なことが沢山書いてあります。
江戸時代の雪国の生活が客観的に、そして具体的に活写されているので記録映画を見ているような気分になります。文化人類学の本のようでもあります。
私はこんな本が江戸時代に出版されたことに驚いています。

今年の例年に無い大雪の報道を見ながら「北越雪譜」を思い出したので簡略のご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)