後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「朝鮮系中国人の友人と朝鮮併合の悲劇」

2022年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム
中国の東北部には朝鮮族の自治区が沢山あります。日本が朝鮮併合した前後に中国領に逃げて行った人々です。私は1980年にそんな朝鮮系の中国人と友人になりました。 金応培さんです。彼は私を瀋陽に招待し東北工学院をくまなく案内してくれました。自宅にも招んでくれました。瀋陽にある清朝の発祥の故宮も案内してくれました。
その後金応培さんは私が働いていた大学に1年間研究留学に来てくれました。大変親しくなりいろいろなことを聞きました。彼は日本語が上手でした。朝鮮族の自治区で習ったそうです。

多民族国家の中国では朝鮮族は一切差別は受けなかったそうです。日本の朝鮮併合は朝鮮民族にとっては悲劇でした。
日本による併合は1910年から1945年までの35年間でした。しかし1910年以前から日本人は朝鮮に進出し朝鮮人を差別し圧迫していました。多くの朝鮮人が国境を越えて中国に逃げて行きました。
満州国が出来たのは1932年ですから逃げた朝鮮民族は中国領に自治区を作って住みついたのです。
友人の金応培さん一族も中国に逃げて行きました。やっと畑を耕して定住し始めると、今度は日本人が畑を接収して朝鮮民族を奥地へ追いやったそうです。奥地で農作物も不足しがちなので金応培さん は松の実を拾い集めて中華料理店へ売っていたそうです。
朝鮮自治区は土地の痩せた辺境の地に散在しているのです。
日本は朝鮮を併合したばかりでなく中国へ逃げた朝鮮族も蹴散らしたのです。
学校では「朝鮮併合」を教えていますがその過酷な実態は教えていません。
学校の歴史教育の限界です。そこでもう少し韓国の歴史を書きます。

現在の韓国は1919年の上海の亡命政府から始まったのです。現在の韓国の憲法にそう明記してあります。
日本人は大韓民国は1945年の日本の敗戦によって生まれた新しい国だと理解しています。
しかし韓国人は朝鮮併合に反対して、上海に1919年に作った大韓民国臨時政府が現在の大韓民国のはじまりだという教育を受けます。韓国の学校では次のように教えているのです。
・・・悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、、、以下省略。
ここに出て来る3・1運動とは韓国人なら誰でも知っている1919年の朝鮮独立運動のことです。現在、3月1日は韓国の祝日になっております。

日本による建国前の満州では大韓民国臨時政府傘下に結成されていた西間島の西路軍政署と北間島の北路軍政署の組職が活動していました。
これらが朝鮮自治区を支援していたのです。

以上が現在の韓国人が理解している朝鮮併合にまつわる歴史です。

一方日本人は朝鮮併合は彼等の希望で平和的になされたものだという理解です。従って日本の学校では朝鮮の独立運動や亡命政府のことは一切教えていません。
このように朝鮮併合の歴史観は日本と韓国で大きく異なるのです。

それにしても朝鮮併合は日本にとって大きな負の遺産となりました。朝鮮民族にとっては歴史的に大きな悲劇になりました。

挿絵代わりの写真は韓国の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)