後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「終戦から昭和30年代の 小金井駅の風景」

2022年02月05日 | 写真
ここに示す5枚の写真は終戦後から昭和30年代のJR中央線の小金井駅前の風景と玉川上水の土手の小金井桜です。写真は「小金井市観光まちおこし協会」などからお借りしました。

1番目の写真は小金井駅の東側の踏切です。写真の手前が新宿方面で奥の方が立川方面です。踏切番の様子から終戦直後の写真のようです。

2番目の写真は小金井駅の北口広場と昔のバスです。バスのラジエーターが進駐軍の軍用トラックと同じなので、軍用トラックを改造してバスにしたものと分かります。

3番目の写真は小金井駅の南口です。人々の服装から昭和39年代の写真と思われます。

4番目の写真は小金井駅の北口です。小綺麗になっているので昭和38年頃の写真と思われます。代書屋は府中の免許試験場行きのバスが頻繁に出ていたためです。

5番目の写真は終戦後間もない頃の玉川上水の土手の小金井桜です。写真の奥が上流です。羽村の堰から流れ下って来ます。写真の右手には玉川上水に沿って五日市街道が走っています。現在は玉川上水の土手には木々が鬱蒼と生えていて上水の水は見えません。

こんな写真を見ると毎朝、小金井駅から中央線で通勤していた頃を懐かしく思い出します。それにしても当時の日本は本当に貧しかったと、写真を見ると思い出します。嗚呼。


「シクラメンの花とある園芸店の思い出」

2022年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年11月になるとシクラメンの花の鉢を何個か買うことにしています。シクラメンの花はクリスマスや正月を越して5月まで咲いています。その後庭の畑に鉢を出しておくと年を越して翌年咲くこともあります。毎年、長い間楽しめる花なので我が家の家族のような気がします。
そして長年買い続けていると年々花の咲き方が少しづつ違うことに気がつきます。買った時分の色合いも時がたつにしたがって変わって行きます。でも華やかさは変わりありません。シクラメンは素晴らしい花です。
今日はそんなシクラメンの花にまつわる話を書きたいと思います。
1番目の写真は昨年の11月に買ってきたシクラメンです。

2番目の写真も昨年11月に買ってきたシクラメンです。昨年は特に大きな鉢のシクラメンを売っていたので買って来ました。
このような鉢植えのシクラメンを40年以上の間買い続けてきました。

3番目の写真は2018年に買ったシクラメンの花です。写真は2019年の1月に撮ったので背景の庭に薄く雪が積もっています。草木が枯れて冬の庭です。

4番目の写真は2019年の2月の頃のシクラメンの花です。2月なので背景の庭に梅が咲き出しています。

5番目の写真は2019年の5月に撮ったシクラメンの花です。さすがに少し疲れが見えます。背景の庭はスイセンやヒトリシズカ、ホウチャクソウなどの春の花々が散ってしまって一段と緑が濃くなっています。5月の庭の風景です。

シクラメンの花や植木をよく買った馴染み深い園芸花店は五日市街道にありました。自宅に近かったので四季折々よく花を買いに行きました。
その馴染みの店が10年程前に突然倒産して消えてしまったのです。常日頃なじんでいた園芸店です。ショックを受けました。
その大きな園芸花店では数棟の広い温室に熱帯の花々もあふれるように育てていました。
花の売り場も広くて2棟の店内には鉢植えの花が沢山売られています。店の前には梅、桜、藤、椿などの花咲く苗木、実を付けた蜜柑、柚子、柿、栗、葡萄等果実の苗木も売っていたのです。
毎年、11月末になると見事なシクラメンの鉢を幾つも買うのが家内の楽しみでした。家内の稽古事の先生や親類へのお歳暮にしていました。我が家用のも買いました。毎年時間をかけて花の色や形に迷うのも楽しい行事のようでした。
庭に植える八重桜やライラックの木、桂の木、椿も何種か買いました。
何時行っても四季折々の花々が豊かに飾ってある園芸店だったのです。
およそ50年前その店に初めて行った時、雪の残る広い畑で背の高い物静かな青年が一人で花々の苗を育てていました。その青年から雪の中に鮮やかに咲いていたパンジーの苗を買ったのが付き合いの始まりでした。
間もなく体格の良い陽気なお嫁さんが来て温室を建て、その数が次第に増え商売が繁盛していました。
女の子が産まれ、やがて成人して他の店で園芸の勉強をしていると奥さんが嬉しそうに話していました。アルバイトの若い男女を大勢使うようになり華々しい雰囲気の園芸店だったのです。
それが十年ほど前に突然倒産し消滅しました。
張り切って花を栽培し売っていた陽気な奥さんと、物静かな夫の姿が消えました。あれ以来二度と会っていません。近頃は数カ所の園芸店を廻って年ごとに違う店でシクラメンを買ってます。

懐かしい園芸店の跡はしばらく空地になっていましたが、洗車場が出来ました。しばらくして写真館、大きな回転寿司の店がやってきました。
私は一人で出かけ、寿司を食べながら「ああ、この辺には温室があったな!色々なランの花があったな」と花々のことを鮮明に思い出します。あの折々の家内の明るく輝く顔も思い出します。

シクラメンの花にまつわる思い出を書いていたら昔のことがあれこれ思い出しました。
オリンピックのあった1964年に私どもは小さい家を建てて小金井町に引っ越して来ました。

6番目の写真は1963年に小金井市本町小学校西交差点から北に向かって撮影した写真です。私達の家の近所です。私どもが小金井市へ引っ越してくる前の年の風景です。写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。
道路は砂埃の舞い上がる土の道で、交差点には信号機が一切付いていませんでした。
道の左手に酒、味噌、醤油、野菜などを売るよろず屋が一軒あるきりでした。
その周囲には畑になっていて野菜が伸びています。
この道の奥の左側には現在は消防車庫になった火の見櫓があり、その向こうは当時としては贅沢な鉄筋コンクリート4階建ての公務員住宅が並んでいました。
引っ越してから食料品はこのよろず屋から買っていました。仲良くなりずいぶん長い間のお付き合いでした。それも十数年前に倒産してしまい、現在は有りません。

7番目の写真が現在の同じ場所の写真です。道路の左にあるマンションと果物の看板のある八百屋さんが、倒産した昔のよろず屋の跡地に建ちました。
日本の高度成長の結果、土の道は完全舗装され信号機も付きました。
道路の両側から畑が消え、住宅や商店が綺麗に並んでいます。泥や土埃が完全になくなり清潔な街路になりました。
その後、この通りで繁盛していたソバ屋さん、本屋さん、電器屋さん、お茶屋さん、御菓子屋さんなどの個人商店が10年くらい前から一軒一軒と消えて行きました。
京王ストアーというスーパーだけが生き残りましたが現在そのスーパーも廃業して消えてしまいました。
日本の経済の高度成長のお陰で我々の生活レベルは格段良くなりましたが、何故か淋しいかぎりです。

少し視野を広げると、東京駅前の旧丸ビルも無くなりました。有楽町駅前の日劇ビルや朝日新聞社も消えてしまいました。
時の移ろいに何か空しいものを感じます。

今日はシクラメンの花にまつわる話とある園芸店の思い出を書きました。そして近所の風景の変化も写真とともに書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)