後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ロマン溢れる帆船の写真」

2022年02月10日 | 写真
ロマン溢れる帆船の写真をお送り致します。
1番目の写真は沼津市の帆船Ami号です。帆船Amiは、2本のマストと縦帆7枚・横帆1枚を持つトップスルスクーナー型の帆船です。 駿河湾静浦港を母港として西伊豆を中心に活動しています。 一般の人も乗れます。申し込み方法は、帆船Ami Schooner Ami (schooner-ami.com)  をご覧下さい。
2番目の写真はリビエラグループ 所有の木造帆船『シナーラ』号です。この船は「クラシックボートアワード2021」にて帆船レストア・オブ・ザ・イヤー (over 40ft)を受賞しました。詳しくは、私が書いた記事の「よみがえった帆船シナーラ号にまつわる思い出」、2021年02月26日 掲載記事をご覧下さい。https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

3番目の写真は神戸のグローバル人材育成推進機構 所有の帆船「みらいへ」です。一般の人も乗れます。申し込み方法は、://miraie.org/open_day.html#top  をご覧下さい。

4番目の写真の帆船は私がかつて霞ヶ浦で乗っていた船です。

ロマン溢れる帆船の写真をお送り致した。一般の人も気軽に乗れます。是非帆走の体験をして下さい。

「今日の東京は雪降り、美しい雪景色、そして森敦の『月山』」

2022年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
窓の外では雪が霏々と降っています。予報どおり朝から降り出しました。やがて庭が美しい雪景色になります。まれに降る雪なので楽しいのです。雪国の人々にとっては雪は厄介ものです。同情しながら窓の外の雪を眺めています。
今日は美しい雪景色の写真を皆様へお送りしたと思います。
まず山梨県の山林の中の私の小屋の後ろに聳える甲斐駒岳や付近の雪景色の写真をお送りいたします。
1番目の写真は北杜市から見上げた甲斐駒岳の風景です。以前、自分で撮った写真です。写真の中央付近の森に中に私の小屋があります。

2番目の写真は甲斐駒岳の麓の私の小屋へ登る入口の風景です。

3番目の写真は私の小屋の周囲の雪景色に似た写真です。
写真の出典は、https://www.pakutaso.com/20160323091post-7456.html です。

4番目の写真は私の小屋の庭にある雪の小川に似た写真です。
写真の出典は、https://www.pakutaso.com/20160323091post-7456.html です
さらに美しい雪景色の写真を検索して探しました。美しい写真が沢山ありました。その中から3枚の写真を選んでお送りします。
写真の出典は、 http://iam-publicidad.org/article/%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%AB%E7%B5%B6%E6%99%AF%EF%BC%81%E6%80%9D%E3%82%8F%E3%81%9A%E3%81%9F%E3%82%81%E6%81%AF%E3%81%AE%E5%87%BA%E3%82%8B%E9%9B%AA%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%81%AA%E9%AB%98 です。
5番目の写真は霧氷が枝についたカラマツの森の風景です。
6番目の写真はまるで白い桜のように雪のつもった木々の風景です。 

7番目の写真は雪に埋まった池の光景です。

さて写真で示したような雪景色を眺めていると、森敦の『月山』を思い出します。第70回芥川賞を1974年に受賞した小説です。
雪の月山の麓の夜の寒さを描いた場面が印象深い作品です。
話は森敦が月山のふもとにある注連寺という寺に居候して冬を越すという話です。
東北の月山の冬は雪深く寒いのです。主人公はお寺に残っていた和紙を張り合わせて蚊帳のような形のものを作り、その中で寝るのです。しかし厳しい寒さが忍び寄りまんじりともせず夜を過ごすのです。
「月山」は深い内容の美しい作品として忘れられない小説でした。
この作品は森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品のようです。月山を「死者の行くあの世の山」として描いています。現世とは隔離された異世界として月山を、そして山麓にある村の人々を描いているのです。冬を迎えると月山は雪や吹雪や霧により下界と遮断されてしまう異世界なのです。
森敦はその異世界の中で数々の奇妙な話を聞きます。吹雪の中で行き倒れになったよそ者をミイラにして観光の呼び物にするという風習があったのです。実際、注連寺も即身仏で有名な寺だったのです。
冬の夜の寒さがこの不気味な話と相まって一層寒々と感じるのです。
この森敦の「月山」という小説を読んだ頃に私は山梨の甲斐駒岳の麓に小さな山小屋をを作りました。まだ若く元気だったのでよくその小屋に泊まりました。特に冬に泊まるとすごく寒い夜を体験します。冬の夜に小屋に泊まると「月山」のことを考えてしまいます。

そんな個人的な事情で私は雪景色を見ると森敦の「月山」と甲斐駒岳の麓の山小屋の冬を想うのです。
年老いた現在はその山小屋にはもう行けません。遥かに想うだけになりました。森敦の「月山」を読んでから50年近い月日が流れてしまったのです。今朝は窓の外で降る雪を見ながらそんなことを考えていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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森 敦は1912年(明治45年)生まれ 1989年没でした。

1912年、長崎市銀屋町に生まれる(本籍は熊本県天草)。
1932年、旧制一高を依願退学。
1934年、「酩酊船」(よいどれふね)を「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に連載して文壇に登場。
1934年、「青い花」(文芸同人誌)に参加。1935年より、奈良市、松本市を放浪。
1941年、横光利一夫妻の媒酌により前田暘〔よう〕と結婚。
1945年、この頃より酒田市、弥彦村、吹浦村、山形県庄内地方、尾鷲市などを放浪する。
1951年、8月下旬から翌年春まで真言宗の古刹:湯殿山注連寺に滞在。
1974年、『月山』で第70回芥川賞(昭和48年下半期)を受賞。
1987年、『われ逝くもののごとく』で第40回野間文芸賞を受賞。
1989年7月29日、新宿区市谷の自宅で意識を失い、東京女子医科大学病院へ搬送されたが死去(享年77歳)。旧朝日村名誉村民(現:鶴岡市名誉市民)となる。