後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「写真で見る別世界の伊豆の魅力」

2022年02月15日 | 写真
伊豆半島の樹々は熱帯を想わせるような種類です。植生が本州と違います。
海岸が石が多く複雑に入り込んで僅かな平地に人々が住んでいます。
西側の伊豆には三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎、妻良などがあります。伊豆半島の東には網代、宇佐美、伊東、熱川、河津などが連らなり突端に下田市があります。
伊豆半島は本州とは違う美しい別世界なのです。その魅力に惹かれ何十回も旅しました。

今日は伊豆の魅力を以前家内が撮った写真でご案内いたします。
西側から始めます。伊豆半島の西側は鉄道も無く、その上道路が細くて不便です。景色も良く温泉も良いのですが何故か陸の孤島のような感じがしています。
西伊豆にも何度か旅をしました。そこには美津、戸田、土肥、安良里、田子、堂ケ島、松崎、妻良という美しい所が連なっています。その西伊豆には沼津から入り海岸沿いに南下します。

1番目の写真は駿河湾に面した美津浜から見た富士山です。西伊豆の海岸沿いを走っているとこのように富士山が見えます。

2番目の写真は美津浜の沖に係留してあるヨットです。

3番目の写真は展望台の上から見た戸田港です。湾を囲んでいる岬は大瀬崎と同じように砂州で出来たもので、伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。

4番目の写真は戸田からさらに南下して土肥に行く道から見下ろした海岸です。
伊豆半島の西側は険しい山々が海にそのまま落ち込んで、絶壁の下の岩礁に太平洋の白波が激しく打ちつけています。
そして同じような険しい道が土肥、堂ヶ島、松崎、そして石郎崎、下田へと続いているのです。

さて戸田には「戸田造船郷土資料博物館、駿河湾深海生物館」があります。ヨットや帆船が好きな人なら見逃せない博物館です。
江戸幕府が西洋式帆船の造船技術を導入し、風上にも登れるスクーナーを10隻以上も建造した事実を紹介しているのです。

5番目の写真は日本で作られた最初の西洋式の帆船「ヘダ号」を再現した帆船です。この写真は「戸田造船郷土資料博物館、駿河湾深海生物館」のHPからお借りしました。
「ヘダ号」は1855年5月に西伊豆の君沢郡、戸田村で完成しました。そしてロシアに向けて出港したのです。それは明治維新の12年前の史実です。
江戸幕府はこのスクーナーの構造の帆船を君沢形と命名し、幾つかの藩に、その造船技術を伝えたのです。江戸幕府は西洋式の帆船の量産体制を作ったのです。そして東京湾防備の品川台場の付属砲艦として12隻が一時期配備されたのです。
それはさておき伊豆半島の西海岸をさらに南下します。

6番目の写真は堂ケ島温泉の「かくれ湯、清流」という旅館の部屋からみた夕日です。この夕日を眺めながら冷えたビールを飲みました。
さて堂ヶ島の近くに松崎という町があります。コテを使った鏝絵の天才、入江長八の漆喰画(鏝絵)の生まれた町です。
長八は幕末に松崎の浄感寺にあった塾で学び、23歳で江戸に出て、狩野派の絵師に絵画を学び、それを漆喰細工へ応用し、独創的な漆喰を用いた「鏝絵」を生み出したのです。そして浄感寺の本堂の天井に有名な龍の鏝絵や客間の欄間に天女の絵や室内を飾る鏝絵など合計20点の鏝絵を完成したのです。現在その本堂と左右の客間は「長八記念館」として公開されています。

7番目の写真は入江長八の作った漆喰の壁です。松崎には長八の作品50点を集めた「長八美術館」があります。長八の作品は鏝絵だけではなく多くの建物の美しいナマコ壁としても残っています。

松崎をさらに南下すると美しい港町の妻良があります。民宿に泊まって駿河湾でカサゴを釣った思い出のあるところです。
さらに南下して突端に行くと下田市ががあります。
8番目の写真は下田港です。ヨットが舫っています。

9番目の写真はアメリカの最初の総領事館が3年間あった玉泉寺です。

ペリー提督が三浦半島の浦賀で江戸幕府と日米和親条約を作ったのが1852年。帰国後、ペリーはタウンゼント・ハリスを初代の在日総領事として下田へ派遣したのが1856年です。ハリスを乗せた3本マストの帆船で蒸気機関を持ったサン・ジャシント号が下田港に錨を下ろしました。ボートで陸に上がった所に玉泉寺があります。玉泉寺は420年の歴史のある曹洞宗の古刹です。江戸幕府はその寺をハリスにアメリカ領事館として与えたのです。
1856年8月5日にハリスは通訳官ヒュースケンを伴い、玉泉寺に入ります。次の日に高い旗竿を立てて、日本で初めて、星条旗を掲揚したのです。それから2年10ケ月の間、ハリスはこの寺にとどまり、アメリカの初代総領事館を守ったのです。

さて伊豆半島は小さな火山の連続的爆発で盛り上がった山々が半島になったと考えられます。従って山々が急峻で、黒い溶岩が固まった凸凹の激しい地形になっています。溶岩がそのまま海に流れ落ちて崖になっていて、その崖が伊豆半島をぐるりと囲んでいます。それでも注意深く観察すると狭い砂浜が所々にあり小さい漁船が発着できます。堤防で囲って漁港が崖のくぼみにあります。
溶岩で出来た半島なので稲作や畑作は無理です。しかし人間は山影にしがみつくようにして住んでいます。温かい黒潮が半島を洗っているので冬でも温暖です。山々は常緑樹で覆われています。ミカンの栽培が盛んです。関東地方の平野にはケヤキ、クヌギ、コナラ、カシワなどの樹木が生えていますが、伊豆半島はタブノキ類樹木種で覆われています。伊豆半島の植生は武蔵野と全く違います。伊豆半島は伊豆七島の大島や神津島、そして八丈島と土地の出来方が非常に良く似ています。
本州に繋がっていますが、元来は伊豆七島のように太平洋に浮かぶ島だったのかも知れません。植生が本州とあまりにも違うのです。伊豆半島は文字どうり別世界なのです。
伊豆半島の東の海には伊豆七島があります。伊豆七島には北から大島、利島(としま)、ウドネ島、新島、式根島、神津島、遠く離れて三宅島が有ります。そして八丈島や青ヶ島も伊豆七島では重要な島です。島の数は多いのですが略して伊豆七島と言います。

10番目の写真は伊豆半島の稲取海岸から見た伊豆七島です。左から利島、ウドネ島、新島、それに付いているように見る式根島、そして右へ離れて神津島が写っています。大島は左の方で視界に入って居ません。

半島が伊豆七島の親類だという話はこれくらいにして以下では伊豆半島の観光名所をご紹介いたします。
伊豆半島の東側の観光名所は城ガ崎海岸、一碧湖、池田20世紀美術館、稲取漁港、外浦海水浴場、爪木崎の野生の水仙群生地、須崎のえびす島、下田の玉泉寺、などなどです。

11番目の写真は城ガ崎海岸です。城ガ崎海岸の岩礁に砕ける波の光景です。

今日は別世界のような伊豆の魅力を写真でご案内いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)