寒い日々が続きます。こんな季節にはかつて旅したした沖縄の風景を想います。思い出すと暖かくなります。
沖縄へは2002年以来、4回観光旅行に行きました。レンタカーで観光客の行かない淋しい島へも行きました。
自然の美しさは圧倒的です。想像以上です。
今日はその美しい沖縄の観光名所を写真でご案内いたします。気楽に写真をお楽しみ下さい。
写真は和田義明さんのフォトギャラリー(http://wadaphoto.jp/japan/oki0.htm )からお借り致しました。
1番目の写真は沖縄本島の西に見える伊江島です。沖縄の海の碧さが違います。深い美しい色をしています。
2番目の写真はは沖縄本島の西海岸にあるホテルです。海が綺麗な上に、沖縄のホテルはすべて立派で、格安で素晴らしいサービスなのです。
3番目の写真は西表島から由布島へ浅瀬を渡る水牛車の光景です。
写真では分かりませんが水牛の動きがゆうゆうとして、この世のものではない動きをするのです。御者がジャミセンを弾いて琉球時代から伝わる民謡を不思議な節回しで唄います。
4番目の写真は仕事を終えた水牛がのんびりとしている光景です。由布島は熱帯植物園の様です。
5番目の写真は西表島にある川を観光船で遡った時、私が撮った岸辺の風景です。ガジュマルが水の中へ根をおろしているのが見えます。川を数キロ遡ると熱帯林の中で下船して、林の中を散策します。幹が平らに数か所分かれて地中へ入っている板根というものがあります。異境へ踏み込んだ気分になります。
沖縄は別世界です。沖縄本島の他に宮古島、石垣島、西表島、波照島、竹富島、伊江島、などなど多くの美しい島が散在しています。
さて沖縄の人々の悲しみも考えてみましょう。悲しみは江戸時代から始まりました。
1609年に薩摩藩が琉球王国へ侵攻し、琉球王国は薩摩藩へ重い税金を納めることで琉球王国の存続が認められたのです。財政的に困窮した琉球王府は宮古諸島などへ厳しい人頭税を課したのです。
宮古島に行くと観光バスが、人頭税石の前に一時停車して「この石柱より大きくなった男子には一人一人税金が取られ、薩摩藩へ送られたのです」と悲しげな説明があります。
6番目の写真は 宮古島にある人頭税石です。
この人頭税は驚くなかれ明治になっても続けられ、1903年になってやっと廃止されたのです。
さて沖縄へ行くとサンゴ礁が美しいです。しかしそのサンゴ礁で出来あがった島々は水はけが良すぎて、サトウキビや粟などの農作物しか出来ないことにすぐ気がつきます。人間が住むには過酷過ぎる島々なのです。
明治政府は1879年(明治12年)に琉球処分を断行し、琉球王国は完全に消滅しました。
そして第二次世界大戦では、アメリカ軍が凄惨な上陸作戦をしたのです。
上陸した米軍は地上戦を繰り広げます。機関銃や火炎放射機で沖縄の住民も殺戮したのです。それは歴史に残る残酷な地上戦でした。
7番目の写真はひめゆりの塔(手前)と 奥に見えている慰霊碑(納骨堂)です。塔と慰霊碑の間に口を空けているのが第三外科壕です。その壕は深さ14mあり当時はハシゴで昇り降りしていたのです。多数の女学生が看護師として動員されて死にました。
沖縄の風景は美しいものです。碧い海とサンゴ礁にかこまれた島々が平和な風景を見せていす。しかしその歴史を見ると悲しみも深いのです。
今日はそんな沖縄の風景を写真でご紹介致しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)