後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「カトリック教会、2022年2月20日の年間第7主日のミサ動画配信」

2022年02月20日 | 日記
ミサの動画配信は以下の通りです。

2022年  2月20日(日) 10時

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/watch?v=orcVHXV-CiM

聖イグナチオ教会、
https://www.youtube.com/watch?v=ukylA4b0bsw

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

写真はポーランドの古い木造教会です。


「私は隠れキリシタン、そうなって良かったこと」

2022年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
昔のことです。私はカトリック立川教会で塚本金明神父から洗礼を受けました。洗礼を受けた頃は嬉しかったので自分がキリスト教徒だと吹聴していました。
しかしそれを言い出すと人々は何となく嫌な顔をするのです。察するに一部の日本人はキリスト教に距離感を感じるようです。はっきり言えば嫌いな人もいるのです。江戸時代のキリスト教禁止の時代が関係しているのでしょうか。
それで私はキリスト教のことを言わなくなりました。自分で「隠れキリシタン」になることにしました。
私は正真正銘の「隠れキリシタン」になりましたが、時々はこのようにキリスト教に関係したことを書いております。

今日は自分がキリシタンになったお陰で良かったことが幾つか個条書きにして書いてみようと思います。
(1)仏教が理解出来るようになった。
洗礼を受けると宗教とはどういうものかが体験的に理解出来ます。その結果、仏教のことも深く理解出来るようになったのです。
仏教をキリスト教と比較しながら考えると日本人の心の基本にある仏教が自ずと判然と分かったのです。
勿論、仏教は奥深く、そしていろいろな宗派がありますから、その概略を少し理解出来たと言うべきです。少しでも理解出来たので仏教に大変親しみを感じるようにまりました。心も豊かになりました。
宗教というものは教祖様の教えと、後の世のいろいろな優れた人の教えから成り立っているのが普通です。
佛教も例外ではありません。特に日本の大乗仏教では、お釈迦様の教えと後の世のインドの人々の教えから成り立っています。
まずこの2者を区別して、整理すると理解しやすいのです。
お釈迦様の教えは般若心経に過不足なく、そして明快に書いてあります。お釈迦様が弟子のシャーリプトラへ教えた内容が書いてあります。
日本の仏教が理解出来ると韓国の仏教も理解できます。そして韓国の民族信仰との混淆も理解出来ます。詳細は割愛して韓国のお寺の写真を3枚示して終わりとします。




キリスト教の洗礼を受けキリシタンになって何十年も教会のミサに出ていると、何となく宗教を信じることはこういう事かと合点がいきます。宗教を深く理解するためには、それを体験したり修行をしないと駄目だという事も分かりました。
私の祖父は曹洞宗のお寺の住職でした。ですから私は幼少の頃からお経を読んだり、檀家回りについて行ったりしました。その経験が私のカトリックの信仰を助けています。
日本は仏教国なのでキリスト教も自然にその影響を受けます。ですから日本のキリスト教は欧米のそれとは少し違います。
洗礼を受けるとそんなことも分かります。

(2)洗礼を受けると日本民族に誇りを感じるようになった
私が日本民族に誇りを感じるのは理由があるのです。それは江戸幕府の禁教政策にもかかわらずキリスト教の信仰を守り続けた歴史です。それは日本人の宗教に対する誠実さの証です。これを私は誇りと感じています。
ご承知の通り豊臣秀吉が始めたキリシタンの禁教政策は徳川家康に引き継がれ、三代将軍の家光の時に徹底的に厳しく実行されるのです。その結果、キリシタンとして捕縛された信者が日本全国で多数処刑されたのです。秀吉以来の処刑者は一説によると30万人に及ぶとも言われています。
しかしキリストの教えが根付いていたのです。250年も代々と人々の心の中に信じられてきたのです。
明治維新後にフランスから長崎へ来たプチジャン神父の所へ隠れキリシタンがやってきます。そして「神父様が帰ってきて教会堂を建ててくれると260年間信じてきました」と言いだしたのです。

4番目の写真は五島列島にある隠れキリシタンの墓地です。

5番目の写真は五島列島のある教会の内部です。
明治時代になって禁教が解けた以後に隠れキリシタン達が美しい教会をたくさん作ったのです。数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行って写真を沢山撮りました。

(3)欧米人の気持ちが深く理解出来るようになった
キリスト教の洗礼を受けるとキリスト教文化圏の欧米人の考え方や気持ちの動きが分かるようになるのです。
詳しいことは省略してノルウェーの木造教会とパリのノートルダム寺院の写真をお送り致します。



さて最後のこれだけは是非書かせて下さい。
宗教を信じても私の悪い性格は一向に改善されないことです。行いはほんの少しだけ良くなったような気がします。宗教の限界です。キリスト教を信じている欧米の政治家には悪人もいます。ですから私は宗教を信じていても善人とは思いません。人間の限界です。嗚呼。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)