後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「飯能の岩淵などなどの一本桜の写真」

2022年04月02日 | 写真
飯能の岩淵などなどの一本桜の写真です。

1番目の写真は岩淵の一本桜です。

西武池袋線、飯能駅からバスに乗り、「岩渕」バス停下車、徒歩約10分です。
写真の出典は、https://photomap.info/place/iwabuchinoipponzakura/ です。


2番目の写真は亀ヶ森牧場の一本桜です。

昔から漁師たちの目印、あるいは信仰の山とされてきたところで、山頂には神社があり、遠く宮古市街や太平洋を望むことができます。
写真の出典は、https://www.tohoku-sakurakaido.jp/lineup/iwate/sakura65.html です。

3番目の写真は千葉県 印西市の吉高の一本桜です。

印西市吉高地区にある樹齢300年を超える孤高の一本桜です。周囲には菜の花が植えられ、ほかにも花桃や大根の花などもあります。
写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/trend/ippon-sakura です。

4番目の写真は壇ノ浦に近い山にある保古山の一本桜です。

源平合戦(治承・寿永の乱)の壇ノ浦の戦いの後、平家追討の最後の激戦地となった山川町の「古戦場要川」から東南東にある天保古山(てんぽこやま)の山頂に立っています。
写真の出典は、http://photograph.pro/jp/sakura/kyushu/fukuoka/heike.html です。









「ウクライナ、べラルーシ、ロシアの関係史と武力侵攻」その1

2022年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム
今回のロシアによるウクライナへの武力侵攻は何故起きたのだろうか。こんな暴虐な侵攻は世界に衝撃を与えています。あまりにも理不尽です。
そこでこの侵攻の背景を調べて見ました。それにはウクライナ、べラルーシ、ロシアの関係の歴史を調べる必要があります。

今日は「ウクライナ、べラルーシ、ロシアの関係史と武力侵攻」のその1としてウクライナの歴史を書きます。
まずその前にウクライナ、べラルーシ、ロシアの3国の関係を簡略に書きます。
重要なことはこの3国はソ連時代に団結してソ連を支えアメリカ陣営に対抗した歴史です。
しかし歴史的にはウクライナでは独立運動が続いたのです。これに対照的にべラルーシは「白ロシア」とも呼ばれロシアと友好関係が強かったのです。
まぎらわしいのですが「白ロシア」と「白系ロシア人」とは違います。
「白系ロシア人」とは共産革命(赤色革命)に反対の立場のウクライナ、ペラルーシ、ロシアの人々です。

それでは次にウクライナんの歴史を簡略に書きます。
8世紀ごろ、ウクライナではルーシという国が誕生します。キエフはその首都となったのです。
882年にオレグ公(882年 - 912年)が率いる北欧のヴァイキングがキエフを陥落させます。するとルーシはヴァイキング系のリューリク大公朝のものとなります。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A )
時代が経過して15世紀後半にウクライナの草原においてコサックという武人の共同体が成立しました。有名なコサック騎兵隊です。
そのようにウクライナはいろいろな武力集団に支配されてきた歴史があるのです。
 そして第二次世界大戦後もウクライナはソ連の重要な地域でした。
例えばソ連はウクライナにチェルノブイリ原子力発電所を作ったのです。
これをソ連ではV・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所と呼ばれて最も重要な原子力発電所でした。
戦後の国連ではウクライナは白ロシア共和国(ベラルーシ)とともに、ソ連とは別に国際連合加盟国として国連総会に議席を持ったのです。
しかし現実にはウクライナは相変わらず「ソ連の一部」と見なされました。 

ソ連はミハイル・ゴルバチョフ政権下で「ペレストロイカ」の時代を迎えました。
ウクライナでも「ペレブドーヴァ」と呼ばれる改革・開放を求める運動が起きました。
ウクライナ語の解放・普及を訴えたのです。しかしソビエト政府によって否定されます。
弾圧され続けてきたウクライナ・カトリックは水面下で根強く活動を続け、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は強い励ましを送りました。
そしてついに1989年、ウクライナ語の公用化が成功します。
東欧における民主革命の成功も受けて、ウクライナ民族運動は最高潮に達します。
1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴いソビエト最高会議の元から独立して新たな国家ウクライナとなりました。
この独立をもって、ウクライナはキエフ・ルーシ崩壊以降ウクライナ史上最大の領土を手に入れたのです。 

ウクライナの政体は、司法・立法・行政の三権が分立する議会制民主主義(共和制)であり、大統領制と議院内閣制を並立した形の半大統領制を採用しています。国家元首である大統領は、5年任期で国民投票によって選出され、首相や政府の閣僚を任命する権限を持つが、それには議会の承認を得なければならのです。
ウクライナの国会は、最高議会であり、一院制で450議席です。

以上の歴史を見るとウクライナがロシアと何故勇敢に戦うかが分かります。特にゴルバチョフ政権下でウクライナ語の公認や独立運動が今回の対ロシア戦争に繋がっているのです。歴史は次第に流れて行くもので急に変化するものではないのです。

今日の挿絵代わりの写真はウクライナ関連の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真はウォロディミル・ゼレンスキー第6代大統領 です。
 
2番目の写真はウクライナの外務省 です。
3番目の写真はキエフの聖ソフィア大聖堂です。
4番目の写真は日本人の母とウクライナ人の父の間に生まれた「昭和の大横綱」、 大鵬です。