後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「東京の観光(9)八丈島と多数の縄文土器の出土」

2022年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
八丈島は想像以上に大きな島です。10万年前に噴火で出来た三原山が東にあり、西に1万年前に出来た八丈富士があります。そして西の海上には八丈小富士が突き出ています。この3つの山が近過ぎず、遠過ぎず、丁度良い距離でどっしりと座っています。この配置が雄大な景観を作っています。島の周囲は60Kmで東京の千代田区、港区、新宿区、中央区などの合計位の大きさです。
八丈富士の中腹に広大な牧場があり、そこまで車が上がれます。写真を撮るには丁度よいので2回登りました。
伊豆七島の大島や神津島へは何度か行きましたが、景観の雄大さという点で八丈島は抜群です。八丈島は東京都ですがいろいろ興味深いところが沢山ある観光地です。立派なホテルも美味しい寿司の店もあります。伊豆七島では一番面白い島です。写真でご紹介します。
1番目の写真は東の三原山の中腹から撮った八丈富士の風景です。手前の町は大賀郷町です。左の方向に飛行場が見えます。そして町の左右に港があります。風の向きによって客船の発着する港が変わります。

2番目の写真は大賀卿町の中心にある公園です。
公園の真中にドライブウエイがあって車で楽しみながら通り抜けられるようになっています。八丈島で感動的なことは、島全体が熱帯性の植物で覆われていて、さながら天然の植物園のように見えることです。1月の末なのにウグイスが啼いていました。

3番目の写真はフリージアの畑です。毎年3月に楽しいフリージア祭りが開催されます。
八丈島ではご紹介したいことが沢山あります今日は八丈島から出土した縄文土器や石器の話だけに致しました。
八丈島で忘れられない人に歴史民俗資料館でお会いした細谷昇司氏という方がいます。地域歴史の専門家で、その後、数か月にわたってメールの交換もしました。島独特の風習や歴史を教えて頂いたのです。
細谷昇司氏から教わったことですが、島から約6000年前の縄文時代の人々の遺骨や石器・土器が多数出土しているのです。
石斧の石は海岸にある石ですが、土器に使われた粘土は火山で出来たばかりの島には有る筈がありません。従って縄文人は土器を持って太平洋を渡って本州から来たのです。それを証明するために海用のカヌーで伊豆半島、大島、神津島と島づたいに漕ぎ渡った青年の写真も送ってくれたのです。

4番目の写真は八丈島の歴史民俗資料館に展示してある縄文土器です。

5番目の写真は歴史民俗資料館に展示してある縄文時代の石器です。

6番目の写真は歴史民俗資料館に展示してある多様な縄文土器です。

7番目の写真は八丈島の歴史民俗資料館です。これらの写真は2009年1月29日に撮りました。
八丈島は東京から約300キロメートル南の太平洋上に浮かぶ孤島で、また黒潮本流の外側に位置する亜熱帯の島です。驚いたことに縄文時代の人々は丸木舟で伊豆半島から黒潮を横切って漕ぎ渡ったのです。現在の日本人の体力からは考えられない事です。
東京に帰ってから八丈島の考古学的研究をいろいろ調べてみました。
そうしたら国学院大学の小田静夫先生の「八丈島の先史文化」という題目の研究論文を見つけました。以下はこの研究論文です。
http://ac.jpn.org/kuroshio/hachijo2005/index.htm に出ています。
現在までに4ヵ所(湯浜・倉輪・八重根・火の潟遺跡)の考古学遺跡が発掘調査され、その成果から八丈島の有史以前の歴史が判明したのです。
その成果によると、この南海の孤島には「八丈島先史時代」と呼称できるほどの特徴的な島嶼文化が形成されていたのです。
詳しい資料は以下に出ています。
国學院大學考古学資料館紀要 第21輯(「加藤有次博士追悼」特集号)2005.3.31 所収(pp.55-84)「八丈島の先史文化」、http://ac.jpn.org/kuroshio/hachijo2005/index.htm  に出ています。

このように八丈島は興味深い縄文文化があり花々が豊に咲いている楽しい島なのです。宿泊施設も整い、寿司屋も数店あり、伊豆七島では一番面白い島です。
機会があればお出かけになってみて下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)