後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「鯉のぼりが待ちどおしい、しかし端午の節句は元々は女の節句だった」

2022年04月22日 | うんちく・小ネタ
皐月の空に舞う鯉のぼりが待ち遠しい季節になりました。
青空に鯉のぼりが泳ぐ端午の節句が近づきました。
そこで青空に鯉のぼりが舞う写真をお送りし、端午の節句はもともとは女の節句だったというお話しをしたいと思います。
昭和の初めころの鯉のぼりは真鯉と緋鯉と吹き流しの三つが普通だったような記憶があります。昭和11年生まれの私の家の庭には太い丸太の棒を立て、真鯉と緋鯉と吹き流しが五月の風に青空を泳いでいました。それは戦前のつかの間の平和な時代でした。
その頃は鯉のぼりは男の子のいる家で上げるという風習でした。

1番目の写真はそのような時代の鯉のぼりです。写真の出典はhttp://nobrin7.exblog.jp/11057098/ です。

2番目の写真は五島列島の鯉のぼりです。
写真の出典は、http://yonchiworld.blogspot.com/2016/05/blog-post.html です。

3番目の写真は富士山の朝霧高原にあるドライブインの鯉のぼりです。
写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/akatukinosuzu/3851302.html です。

4番目の写真は新潟県の鯉のぼりです。
写真の出典は、http://shinkai-y.seesaa.net/article/449406484.html です。
この出典にある写真の説明文も少しだけ抜粋します。・・・残雪の山並みをみる丘に鯉のぼりが泳いでいます。やわらかく吹く風はやさしくて、眩しいほどに遠くまで太陽の光が透き通っています。鯉のぼりはそんな中、多くの人たちが歩く姿を少し高い位置から眺めているのでしょうか?
この丘の向こうでは、一面にある菜の花畑の道を多くの人が歩いています。日曜日の午後、よく晴れてくれました。・・・
 
さて端午の節句にまつわるお話しをしたいと思います。端午の節句は時代によって随分と変化したようです。
端午(たんご)は五節句の一つです。端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれます。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習がありました。
現在ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ国民の祝日「こどもの日」になっています。地方では旧暦や月遅れの6月5日に祝う地域もあります。

旧暦では午の月は5月にあたり(十二支)5月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なる5月5日が「端午の節句」の日になったのです。端(はし)は「始め・最初」という意味であり、「端午」は5月の最初の午の日を意味していましたが、中国語で「午」と「五」が同じ発音「ウ-」であったことから5月5日に変わったのです。

端午の節句はもともと女の節句だったのです。
昔、中国では五月は悪い月とされ、薬草をとって悪い気をはらう行事がありました。かおりの強いアオイや菖蒲には、魔よけの力があると信じられていたのです。
また、このころは、ちょうど田植えのシーズンでした。田植えは、昔、女性の仕事だったので、この日は女性が大切にされ、女性だけが菖蒲をふいた屋根のある小屋に集まり、そこで過ごし悪い気をはらう行事がありました。
これが「菖蒲の節句」でもともとは女の節句だったのです。
中国の「女の節句」が日本の鎌倉時代ごろから、菖蒲が「尚武(武を重んじること)」に変わり、男の子の節句となったのです。
鎌倉時代ごろから、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、端午は男の子の節句となったのです。
端午の節句では鯉のぼりだけでなく、鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾ります。
ただし「こいのぼり」が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となりました。
しかし京都を含む上方では、当時は見られない風習であったようです。
また端午の日には柏餅(かしわもち)を食べる風習があります。
柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まりました。 
以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/端午 からの抜粋です。

それにしても端午は元々女性の節句だったとは面白いですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)



「東京の観光(5)規模壮大な昭和記念公園の魅力」

2022年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
戦後米軍が旧立川飛行場を接収した、立川市と昭島市の両市にまたがる立川基地跡地の180haが昭和記念公園となっています。
「緑の回復と人間性の向上」をテーマに1978年(昭和53年)度より国土交通省の手で施設整備が進められました。
そして1983年(昭和58年)10月に昭和天皇臨席のもとに約70haで開園したのです。
その後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次々と施設が整備され、2005年(平成17年)11月にはみどりの文化ゾーンが共用され、同時に昭和天皇記念館が開館したのです。
園内は広大で四季折々次のように花々が咲いています。
春 は、 ツバキや水仙からナノハナ、サクラ、チューリップ、ポピーと続く花の開花リレーが楽しめます。夜桜も有名です。
夏 は、 梅雨の頃はアジサイ、夏場はヒマワリが見頃です。花火大会もあります。またレインボープールもこの季節に開かれます。
秋は、 大規模なコスモス畑は有名です。イチョウも黄色に染まり、黄色のじゅうたんが広がります。
冬 は、 毎年12月には、クリスマスイルミネーションとシャンパングラスツリーが幻想的な光を演出します。
私どもは何度も規模壮大な昭和記念公園を歩きまわりました。
老齢になると歩くのが疲れるので園内を巡回しているトロッコ電車や貸自転車に乗って園内をまわりました。
5番目の写真にトロッコ電車が写っています。
コスモス祭りの頃は何度も行きました。
広いので足に自信の無い人々はトロッコ電車が便利です。時速15kmくらいで園内を巡回しています。1時間に3回か4回、廻ってきます。
勿論、自分の自転車を持ち込むのは自由です。自転車専用道路は無料です。
私共は自転車でも何度も公園を廻りましたが風景が違ってまた格別な感じを受けます。
是非、規模壮大な昭和記念公園をお楽しみ下さい.
交通は JR青梅線の西立川駅を下車すると歩道橋で結ばれています。

それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)