後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本人の油彩画(1)30歳でパリに客死した佐伯祐三の油彩画」

2022年04月28日 | インポート
佐伯祐三の油絵数十枚をまとめて見たことが一度だけあります。2008年、横浜そごうデパートでの特別展でした。
油彩画には絵の具が盛り上がり、画家の熱い息づかいが感じられるのです。30歳で客死した佐伯祐三の情熱が直接伝わって来るのです。
彼はパリに魅せられ狂ったように絵を描き続けました。最後は文字通り狂って彼の地の精神病院で息を引き取りました。たった10年間ほどの画歴でした。
粛然とした想いで佐伯祐三の絵の写真をお送りいたします。

1番目の写真は「パリ街景」です。原画の大きさは38.1×45.4cm です。

2番目の写真も「パリ街景」です。1927年作で大きさは65×81cm です。

3番目の写真は「郵便配達夫」です。1928年の作品です。原寸は80.8×65.0cm です。

4番目の写真は「ラ・クロッシュ」です。1927(昭和2)の作品で原寸は、52.5×64.0cm です。

5番目の写真は「靴屋(コルドヌリ)」です。1925年作で原寸は,72.5x59.0cmです。.

絵画の写真について解説は不要です。命を削るようにして描いた作品群の前では、どんな美辞や賛辞も空々しくなります。
2008年、横浜そごうデパートでの特別展で一番感動した絵は3番目の写真の「郵便配達夫」でした。パリの自宅に来た郵便配達夫をモデル80.8×65.0cm の大きな油彩画にしたのです。彼の描いた人物画の最後になりました。彼の死後奥さんの米子が手を加えて完成したと言います。

さて佐伯祐三の略歴を記します。https://ja.wikipedia.org/wiki/佐伯祐三 からの抜粋です。
1898年4月28日 に生まれ 1928年8月16日にパリで没しました。佐伯は大阪府西成郡中津村にある光徳寺の男4人女3人の兄弟の次男として生まれました。1917年(大正6年)東京の小石川にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事します。
旧制北野中学を卒業した後、1918年(大正7年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し1923年(大正12年)に卒業します。
東京美術学校の在学中に結婚した佐伯の妻・佐伯米子(旧姓・池田)も絵を描き二科展などにも入選していたのです。
佐伯はその後満30歳で死去するまでの6年足らずの画家生活の間、2回パリに滞在し代表作の多くはパリで描かれた絵です。
第1回のパリ渡航は1924年(大正13年)1月から1926年1月までで、約2年の滞在であった。この第一次滞仏時の作品の多くはパリの街頭風景を描いたもので、ヴラマンクとともにユトリロの影響が明らかです。
佐伯はパリに長く滞在することを望んでいたが佐伯の健康を案じた家族らの説得に応じ1926年にいったん日本へ帰国します。
2度目の滞仏はそれから間もない1927年(昭和2年)8月からであり、佐伯はその後ふたたび日本の土を踏むことはなかったのです。
1928年3月頃より持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となります。
「黄色いレストラン」が屋外で描いた最後の作品で「描ききった」と家族に説明していたといいます。
自殺未遂を経てセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院します。
一切の食事を拒み、同年8月16日衰弱死しました。墓所は生家である大阪市の光徳寺と東京都千代田区の心法寺にあります。
現在、佐伯の作品は大阪中之島美術館50点、和歌山県立近代美術館14点など、日本各地の34か所に所蔵されているそうです。

今日は30歳でパリに客死した佐伯祐三の油彩画をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「西洋の美しい絵画(2)印象派の先駆者エドゥアール・マネの油彩画」

2022年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は印象派の先駆者の油彩画を示します。印象派には数多くの画家がいますが、やはりマネの油彩画には心が打たれました。
エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)は、19世紀のフランスの画家です。近代化するパリの情景や人物を、伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し、絵画の革新の担い手となりました。
その後の印象派の画家にも影響を与えたことから、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられてい画家です。7枚の絵の写真をお送りします。
1番目の写真は「笛を吹く少年」1866年、油彩、161×97cmです。所蔵はオルセー美術館です。この絵は1866年のサロン展に出品し、落選しました。私が好きな絵です。

2番目の写真は『草上の昼食』です。1863年作、208 cm × 265.5 cm の大きさです。完成度の高い絵です。オルセー美術館蔵。展覧会に出品し物議をかもした作品です。

3番目の写真は『オランピア』です。1863年作、130.5 cm × 190 cm でオルセー美術館蔵。この女性の身分に関して憶測があります。

4番目の写真は『ローラ・ド・ヴァランス』です。1862年、油彩、キャンバス、123 × 92 cmです。オルセー美術館に蔵。 

5番目の写真は『テュイルリー公園の音楽会』です。1862年、油彩、キャンバス、76.2 × 118.1 cmです。ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵。

6番目の写真は『老音楽師』です。1862年、油彩、キャンバス、187.4 × 248.2 cmです。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。 

7番目の写真は最後の大作『フォリー・ベルジェールのバー』です。1882年作、92 cm × 130 cmで、コートールド・ギャラリー、ロンドンにあります。マネが完成させた最後の主要作品で、1882年に、サロン・ド・パリに出品されました。

今日は印象派の先駆者エドゥアール・マネの多彩な作品を7点ご紹介いたしました。如何でしょうか。皆様お楽しみになったでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)