どの人間も心の底には悪魔のような考えを多少持っています。しかし理性がそれを抑えています。ところがロシアの大衆はウクライナへの武力侵攻を命じたプーチン氏を支持しているのです。ロシア人の80%以上が武力侵攻を支持しているのです。これは21世紀に中世のヨーロッパの戦国時代そのままの考え方が生き返ったようです。武力で領土を拡大する戦国時代です。
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1番目の写真はモスクワでのプーチン大統領を支持する大集会の写真す。
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2番目の写真はモスクワでの大集会で大衆に感謝しているプーチン大統領です。
そこで今日は中世のヨーロッパの戦国時代はどのようなものだったかを書いてみたいと思います。
そのために中世の戦国時代に出来たドイツのローテンブルグの町の様子を例として取り上げます。ローテンブルグには私自身が1969年に3ケ月住んでいました。
ローテンブルグはドイツの中世のままで16世紀の町並が現在でも残っています。住んでいたローテンブルグの町の迷路のような路地裏を歩いていると自分が中世の人間になってこの町に暮らしているような気分になります。
そこで観察した中世のドイツの町の特徴を書いてみます。
(1)ドイツの中世の町は堅固な城壁に囲まれているのです。
ドイツでは商人だけでなく農民も城壁の中に住んでいて朝になると城門が開き、周囲の畑に出て農作業をします。そして夕方になると農民は城壁の内側に帰って、城門が固く締められるのです。
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3番目の写真はローテンブルグの城門です。門の上の高い塔は敵襲を見張るための塔です。常に敵襲を見張っていたのです。自分で撮った写真です。
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4番目の写真は城壁を内側から撮った写真です。自分で撮った写真です。
このように城壁の内側には町をぐるりと囲んで屋根のついた歩道が作られていました。中世にはこの歩道の上を衛兵が周回して攻めて来る敵を常に見張っていたのです。
(2)ドイツの中世の町は石造りです敵の侵攻に対して要塞のように作られておりました。
(3)中世の町では中心に必ず広場があり市役所があり、独立国として統治されていました。
市役所には市長を兼ねた領主がいて町を統治しています。広場には毎朝、野菜や食料品を売る市場になります。
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5番目の写真はローテンブルグの中心にある広場の写真です。写真の左の建物が市役所で、そこには領主が住んでいました。
一方、人々の宗教の面倒をみる教会が必ずあります。プロテスタントのエバンジュレッシュ教会とカトリック教会が必ずあるのがドイツの町の特徴です。
このローテンブルグのような町があちこちにあり常に戦争をして領土を取り合っていたのです。それが中世の戦国時代です。
このような考え方がプーチン大統領の考え方です。ロシア人の80%以上の考え方なのです。
21世紀に中世のヨーロッパの戦国時代そのままの考え方が生き返ったようです。武力で領土を拡大する戦国時代です。プーチン大統領と80%以上のロシア人の大きな時代錯誤です。ウクライナ人にとって大きな悲劇です。
ロシアという国の悪逆ぶりに心が痛みます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)