春になりました。何か楽しいことが起きそうです。例えば、「友遠方より来たる有り、また楽しからずや」。昔の懐かしい友人が突然やって来るのです。そんな想像をすると訳もなく楽しい気分になります。春ですね。
今日は昔学校で習った論語を思い出そうと考えました。紀元前551年 に生まれた孔子の言葉を弟子が書いた書物です。その幾つかを示します。
子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。
子曰く、学びて時に之(これ)を習ふ。
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
子曰く、朋(とも)遠方より来たる有り、亦楽しからずや。
子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり
考えて見ると論語は70年近く前の高校時代の漢文の時間に教わったのです。それ以来、論語の言葉が心に住みついて時々脈絡もなく出てくるのです。
「論語」は日本書紀の記録では応神天皇の時代(紀元後285年)に朝鮮半島の百済から日本に伝わったとされています。
応神天皇の時代とは伝説でしょうが、歴史上日本人が初めて手にした書物とされており後世の日本の文化に大きな影響を与えました。数例を上げてみます。
1、飛鳥時代⇒聖徳太子の十七条の憲法「和をもって貴しとなす」の語源
2、江戸時代⇒武士必読の書として幕府の正式学問に採用
3、明治時代⇒明治天皇の勅語「教育勅語」にも反映
現在でも「温故知新」は額に入れてあちこちに掲げてあります。
子曰、温故而知新。可以爲師矣。からの言葉です。
意味は、先生はこう言われた「古人の書物に習熟し、現代に応用できるものを知る。そういう人こそ人々の師となる資格がある。」です。
この様に日本人の心に住み着いた言葉が沢山あります。
現在の日本人は論語は意識していませんが人々の行動の規範になっているのです。
この論語を現在も専門に教えている学校があります。栃木県、足利市の足利学校です。訪問してみました。2009年7月のことでした。
足利学校では現在でも論語を教えている専門学校のような教育を続けています。それはさておき、昔の足利学校は日本へキリスト教を伝えたザビエルが、「日本にも大学がある」と称賛した大規模な学校でした。
訪問してみたらその学校は堀に囲まれた平安末期の足利氏の館の跡地にありました。
お堀にかかった橋を渡り正門から入ると足利学校の復元された校舎、施設などがあります。
早速ですが綺麗に復元してある足利学校の周囲の堀や正門や教室としていた母屋などの写真を示します。最後の写真は足利学校の校内にある立派な孔子廟です。1と2番目の写真は2009年7月に自分で撮った写真です。
3、4、5番目の写真の出典は、https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/ashikagagakko です。
足利学校の創建年代についてはいろいろな説あります。
平安時代の小野篁の創建、鎌倉時代の足利義兼、そして室町時代の1487年、時の関東管領、上杉憲実による創建など3説があります。
室町時代の前期には衰退していましたが1432年(永享4年)上杉憲実が足利の領主になって再興に尽力しました。
鎌倉円覚寺の僧快元を校長に招いたり蔵書を寄贈したりして学校を再興したのです。
その成果が上がって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から学生が集まり、代々の校長も全国各地の出身者に引き継がれて行きました。
足利学校は間違いなく日本で最古で最大の学校でした。
ついでに言えば、足利学校と足利尊氏と現在の足利市民の三者にはほとんど関係が無いのです。現在の足利市民は足利尊氏を尊敬したり、親しく感じてはいないのです。
足利氏の先祖は代々は足利市に住んでいましたが足利尊氏は京都で生まれ育ちました。足利市には来ていません。足利学校とは終生無関係でした。
いずれにしても、堀に囲まれた広い敷地に、平安時代からあった学校を見るのは初めてなので感動しました。感慨深いものでした。
この学校では論語に関する数多くの本を出版し一般人に論語の教育活動をしています。
例えば『論語体験プログラム』では孔子の教えである論語を、参加者全員が大きな声を出して読む素読(そどく)体験プログラムを行っています。
また出版物の論語抄は論語の全499章のうち63章を厳選し分かり易く説明してあります。私も買って帰り、折に触れて読み返しています。
栃木県、足利市は遠方ですが車で行くと便利です。「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されている鑁阿寺(ばんなじ)とともに訪問すると面白いと存じます。鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)