甲斐駒岳の麓の山林の中に独りで何十年も住んでいる友人がいました。木内正夫さんという方です。
視力が弱くなる眼病になってインターネットへの書き込みが出来なくなりました。そのせいで10年以上毎日のように更新してきたブログを止めることにしました。
彼の最後の記事です。・・・「さようなら」
眼の状態が思わしくなく、ブログの記事さえ満足に読めなくなり皆様のブログにも訪問がむずかしく なりました。本日をもって終わりにします。・・・今まで応援していただき感謝しています。
コメント欄は開けておきますが返信は出来ません。ブログは人生の記録として残しておきます。 さようなら。・・・・
詳しくは、http://sizen068.blog95.fc2.com/ にあります。このブログは今でも見ることが出来ます。下の写真はこのブログにある木内正夫さんです。
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今日は彼への私の感謝の記を送りたいと思います。
私がこうしてインターネットの上で毎日、写真や文章を掲載出来るようになったのは彼のお陰です。
2007年の秋に山小屋に泊っていた私を訪問してくれて、ブログを始めませんかと勧めてくれたのです。そして彼の山荘へ私を誘いインターネット上に写真や文章を掲載する技術を丁寧に教えてくれたのです。
そのお陰で私は2007年の11月から「後藤和弘のブログ」を始めました。
その後、木内さんとは大変親しくなり、いろいろとお世話になったのです。
彼は山荘の周囲の広い敷地にいろいろな花を育てていました。水芭蕉の花、クリンソウ、ヒトリシズカ、イカリソウ、フクジュソウ、ヤマブキ、などなど多種多様な花々を咲かせていました。
そして雑木の丸太を並べて椎茸やナメコも栽培していました。敷地にはクリタケが沢山生えていました。
草花の好きな家内へクリンソウやヒトリシズカやイカリソウを鉢に入れてくれました。私はシイタケの原木を5本も貰ったのです。東京に持ち帰った原木から3年間もシイタケが採れたのには驚きました。
私の家の庭には木内さんから貰ってきたヒトリシズカやイカリソウの花が咲きました。
木内さんは優しい性質の人でした、
自然を愛し小さな花や森の中の生き物を注意深く観察していました。
とくに熱心に努力したことは珍しいモリアオガエルを育てることでした。
彼の山荘の敷地の真ん中に小川が流れています。その傍の樹木の枝に直径10cm位の白い泡の塊があるのを見つけました。春、オタマジャクシが泳ぐ頃です。彼は直ぐにモリアオガエルの卵塊と気が付き、生まれたオタマジャクシを少しだけ分け取って、家の中で飼うことにしたのです。
モリアオガエルは本州と佐渡島にしか棲んで居ない日本固有種で深山にしか居ない珍しいカエルです。
白い泡の塊の中にある数百の卵が オタマジャクシになると下の水溜まりへ落下して小さな可愛いカエルになります。まだ尻尾が付いているのに樹木の枝に這い上がり、一生、樹上生活をします。
飛び跳ねる力が強く一回に3メートル位を飛びます。ですから樹から樹へと、猿のように飛び回って、虫を食べて大きくなります。大きくなるとガマ蛙くらい大きくなります。手足に吸盤がついていて木の葉にしがみ付きます。
ここで5枚の写真を示します。
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1番目の写真は木内さんの山荘に行く道です。なお私の山小屋は木内さんの山荘から更に500m位入った山林の中にあります。
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2番目の写真は森の中に埋まるように建ててある木内さんの山荘です。この位森と溶け合っていないとモリアオガエルは産卵に来ないのです。
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3番目の写真は木内さんが庭に作った池の上の木の枝に産み付けられたモリアオガエルの卵塊です。中に数十匹以上のモリアオガエルの卵が入っています。
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4番めの写真はオタマジャクシから孵って手足が消えた若いモリアオガエルです。これに虫の餌をやって育てると大きくなります。
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5番目の写真は越冬して大きく育ったモリアオガエルです。翌年は自分が生まれた池の上の枝に卵塊を生むために森の中から帰って来ます。
このように写真を順に見て行くと簡単に飼育出来るように見えます。しかし木内さんの苦労は並大抵ではありません。
オタマジャクシを家の中の容器の水に移し、毎日、ゆで卵と野菜の餌で細心の注意を払って飼育します。
手足が出てきたら草の葉を入れ、這い上がらせます。これで水中生活から一生の間、縁が切れます。
そこからは別の大きな飼育箱へ入れ、ヨーロッパイエコオロギの小さな子どもを餌としてやります。春に孵化したオタマジャクシが11月なってやっと2cmから3cm位に成長するのです。
イエコウロギはインターネットで購入し、数個の飼育箱で子供を産ませます。これが難しくて大変だったと言います。コオロギの飼育箱とモリアオガエルの飼育箱をベットのそばに置いて毎日注意深く飼育しています。冬になったので冬眠させるため暖房の無い寒い部屋へ移そうとしていました。
一方、庭の人工の池で育った数百匹の小さなモリアオガエルは樹木に登って、何処かに飛んで行ってしまいました。森のなかを飛び回って大きくなり、冬眠を始めるのです。
木内さんにモリアオガエルを見せて貰う度に、私は自然の営みの不思議さに吃驚しました。モリアオガエルの美しさに感動しました。
彼は人間が、たまたま独りで森に住んで、そして死んで行くのも自然なことですと言います。モリアオガエルと同じだと言うのです。お葬式もいりません。発見したら玄関の外に書いてある遠方の弟へ電話して下さいと笑っていました。その弟さんは馬場駿という小説を書いている人です。伊豆で岩漿という文学会を主宰していました。
最後には木内正夫さんが眼病になってインターンットの世界から退場すると言うのです。10年以上毎日のように更新してきたブログを止めると言うのです。
その後、木内さんは北杜市の施設に入り、交友が絶えました。私はモリアオガエルを飼っていた木内正夫さんを懐かしく思います。そして感謝しています。
私の数少ない友人の一人でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===木内正夫さんのブログより=================
子供のころから頑固な私・6月中旬でブログを長期休止します
私は横浜の小さな漁村に生まれ、終戦後、横浜市立金沢小学校に入学しました 。まだ、その時代は学校給食などありませんでした。小学校、4年生か5年生の時に引越しましたが、 同じ学区内のため転校はありませんでした。
金沢も人口が増え子供の数も増して一校だけでは収容できず、八景小学校と文庫小学校2校が建設 されました。6年の学級組み換えでは、私は八景小学校に通うことになり、ある雨の日金沢小学校か ら八景小学校に移動したのです。学校は木造二階建ての小さな校舎で、3年生は記憶にありませんが 、4-5年生は金沢小学校に残っていました。1-2年生は授業も短く、教室が足りないため、午前と午後 の二部制でした。
この新しい学校には給食室があり、学校給食が始まり6年生のみ給食がありました。 でも、我が家の経済は最悪期をむかえていたのです。当然のことながら、給食費を払える状態ではあ りません。かといって弁当を持っていける状態でもなかったのです。給食時間になると「家に食べに いってきます。」と教室を出て学校の周辺で時間を潰し、皆が食べ終わった頃教室に戻っていました 。
大雨のときは傘がないので学校は休みましたが、小雨のときは濡れて学校に行ったものの、給食 時間になると、外にはいけず皆が食べているのを見ている辛い状態が何度もありました。 先生にはすぐに家に戻って昼食を食べていないのを知られてしまいました。ある日、職員室に呼ばれ 「木内よ、育ち盛りの今、昼食を食べずにいると将来大変な事になる。給食費は支払わなくても良い から食べるように」と言われましたが子供頃から頑固な私は申し出を断ってしまいました。
勿論、給食費を払えない状態なので、朝食や夕食も空腹を満たすような食事は与えられませんで した。
あの時素直に給食を食べていたら、身長は伸びていたでしょう。今では後悔しています。同時に「武 士は食わねど高楊枝」などの言葉は知りませんでしたが、心の中で意志を貫いた事を誇りに思ってい ます。
後になってわかった事ですが、先生は心配して家庭訪問してくれた事を母の死後、「母の手記」を読 んで知りました。
手記には、
「木内君は真面目で利口だ」と褒めた後、今日はお昼ご飯を食べに戻りましたかと私に聞きました。 先生の話では、「この前木内君に家からパンが届いたよと言って渡したら、家にパンなど買うお金な いよと言って受け取らなかった」と言うのです。・・・以下省略
あの時素直に給食を食べていたら、身長は伸びていたでしょう。今では後悔しています。同時に「武 士は食わねど高楊枝」などの言葉は知りませんでしたが、心の中で意志を貫いた事を誇りに思ってい ます。
後になってわかった事ですが、先生は心配して家庭訪問してくれた事を母の死後、「母の手記」を読 んで知りました。
手記には、
「木内君は真面目で利口だ」と褒めた後、今日はお昼ご飯を食べに戻りましたかと私に聞きました。 先生の話では、「この前木内君に家からパンが届いたよと言って渡したら、家にパンなど買うお金な いよと言って受け取らなかった」と言うのです。・・・以下省略
正しいと思ったら変更しない頑固な考えは今でも続き、命取りになるかもしれません。
でも、ころころと風見鶏のような考える性格にならなくって良かったと思っています。
今風に言えば、風の読めない人間なのですね。
でも、ころころと風見鶏のような考える性格にならなくって良かったと思っています。
今風に言えば、風の読めない人間なのですね。
眼もだいぶ悪くなり、入力も苦痛になりました。6月中旬をもってブログを長期間休止するつもり です。それまで暗いブログですが、お付き合いお願いします。休止後1回だけ更新してから中止したいと 思います。
まだ、通販での画面を見てクリックだけの注文などの生活視力はあります。