後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「懐かしい南ドイツの初夏の草原に咲く花々」

2023年06月07日 | 写真
茫々50年前に南ドイツに住んでいました。初夏になると郊外の草原に色とりどりの小さな花々が咲きました。そんな風景写真をお送り致します。
写真の出典は、https://www.istockphoto.com/.../5-%E6%9C%88%E5%8D%97%E3... です。


「6月はやはりアジサイの花」

2023年06月07日 | 写真
6月はやはりアジサイの花の季節です。
何度もアジサイの花の写真を掲載していますが、6月はアジサイが一段と美しくなります。もう一度掲載いたします。
1番目の写真の出典はttps://www.jalan.net/news/article/554195/ です。
その他の写真の出典は、https://chishikiso.net/ajisaipark/ です。


「日本人と仏教、欧米人とキリスト教の関係と人間性の重視」

2023年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教とキリスト教は私の好きなものです。私の考え方に大きな影響を与えています。
今日はに日本人と仏教の関係と欧米人とキリスト教の関係を書いてみたいと思います。そして宗教と関係の無い人間性の共通性、同一性を強調したいと思います。
さて日本人は無意識のうちに仏教や神道の影響を受けています。日本人の考えかたや感じ方は仏教の無常の教えの影響を下敷きにしています。 日本に仏教が伝来したのは日本書記によると552年、欽明天皇の時、百済から伝わったということになっています。それ以来、仏教は日本人の考え方や感性に深い影響を与えてきました。
日本人特有の室町時代に明文化され形造られた『侘び寂び』の感じ方は仏教の無常感とつながっています。お釈迦様のすべては空(くう)ですという教えにつながっています。このような感性は欧米人にはありません。彼等は無意識のうちにイエスさまの教えの影響を受けているのです。キリスト教を信じていない欧米人もその影響から逃れることが出来ません。幼少の頃からキリスト教の水を飲んで育っているのですから考え方や感じ方が聖書の影響を受けているのです。
私は仏教国の日本で生まれ育ち、約50年前の35歳の時、カトリックの洗礼を受けキリシタンになりました。
私のカトリックは当然ながら仏教の影響を受けております。私のキリスト教は欧米のキリスト教とは違いがあります。
しかし共通の部分もあるのです。その共通の部分から、欧米人の考え方や感じ方がほぼ理解出来るのです。理解できれば親しみが湧きます。何故か自分の住んでいる世界が広々として明るくなったのです。

ここで欧米人と日本人の考え方の相違を一つの例で説明したいと思います。
佛教徒の日本人は「欧米人は悪いことをしても謝らない」と非難がましく言います。そうです日本のように気軽に、「すみません。申し訳ありません。悪いことをしてしまいました。心から謝罪します。」とは言いません。
キリスト教の欧米人は悪いことをした場合は神に謝るのです。人間には謝らないのです。教会のミサの冒頭で自分の罪を告白して神に祈るのです。
教会に行かない不信心の西洋人は独りになった時心の中で神に謝っているのです。これは仏教徒の日本人の考え方に無いことです。仏教では神がいないのです。お釈迦さまがいるだけです。
「欧米人は悪いことをしても謝らない」という非難は間違いです。仏教とキリスト教の文化の違いで起きた誤解なのです。
欧米の人々は悪いことをしたらその罪を神に対して個人として懺悔します。そしてその悪行の被害者には深く同情し、被害者の心に寄り添います。
これも欧米人とキリスト教の関係の一つの例です。

このように仏教の日本人とキリスト教の欧米人の間には大きな違いがあるのです。しかし宗教とは関係の無い「人間性」は全く同じなのです。先生を敬う心や家族を愛する心などは全く同じです。郷土を愛する心や祖国愛は同じなのです。
欧米人を深く理解し親近感を持つためには宗教の違いを理解し、その上で「人間性」が全く同じだと固く信じべきです。

今日はイスラム教の国には言及しませんでした。しかし今日書いたようなことはイスラム教の国々にも同じように当てはまるものです。イスラム教の国々の人間性は日本人と同じなのです。

ですから宗教と関係の無い人間性の共通性、同一性を信じることが世界の平和の支えになるのです。

今日の挿し絵代わりの写真はいろいろな宗教の人が仲良く暮らしているニューヨークの風景写真です。写真はインターネットからお借り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)