後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「パリのエッフェル塔の前の桐の花の並木」

2023年06月08日 | 写真
パリのエッフェル塔の前の桐の花の並木の写真をお送り致します。

なぜかエッフェル塔の前には、桐の並木があるそうです。
他のところは、マロニエとかプラタナスの並木です。
その桐の花の並木の写真をお送り致します。
出典は、https://ameblo.jp/eu21/entry-11530151416.html です。


「初夏に美しく咲く桐の花の写真と桐にまつわる話」

2023年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
旧甲州街道を甲府から松本の方向へ行くと「台ケ原」という古い宿場町があります。地酒の「七賢」の酒蔵や銘菓信玄餅の「金精軒」がある宿場です。
そこから北にある清春美術館へ行く山道に美しい桐の花が咲いているのです。山の斜面に数本そこだけ清々しい空気に囲まれたように華麗に咲いています。
何度も通った道なのでその桐の花の光景は忘れることはできません。
その桐の花に似た写真をネットで検索して4枚見つけました。その写真をお送り致します。桐の花は初夏に美しく咲きます。花期は5 月から 6月にかけてです。丁度、今頃は美しく咲いているでしょう。




何故山に桐の花が咲いているのでしょうか?不思議に思い調べました。
そうしたら羽根のついた種が風に乗って遠方まで飛んで行くそうです。その上発芽率が高く、しかも生長が早いので山に野生化した桐の木が成長するのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA )
ですから桐の自生地はいろいろな所にあります。中国の揚子江流域、韓国の鬱陵島、日本では大分・宮崎県境の山岳地帯に自生地があるのです。したがって原産地は不明です。
日本では特に東北地方、関東北部、新潟県などにおいて桐が植栽されています。中でも福島県の会津桐や岩手県の南部桐などが有名です。
日本各地に野生化した桐の木は全国の野山に生えています。
そして桐は古くから良質の木材として重宝されており、箪笥、箏、神楽面の材料と下駄などに使われてきました。

さて話は変わりますが桐にまつわる話をい書きます。始めは桐の花紋のことです。
桐の花紋は家紋や紋章として使われてきました。有名な家紋は五三の桐です。
上の写真は五七の桐の花紋です。
桐の家紋は嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられ、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章となっています。
また現在でも皇宮警察本部や法務省では「五三の桐」が紋章として使われています。
6番目の写真は筑波大学の校章が五三の桐であることを示す標識です。戦前の師範学校時代からのものです。

さて話はまた変わりますが、桐と言えば源氏物語の始めの一帖に「桐壺」があります。家内が源氏物語を愛読していて話すので私も知っています。
桐の花の美しくも儚いイメージと仄かな甘い香りが女主人公にそぐわしいのです。
粗筋は次のようです。
・・・いつの時代のことだったか、帝の寵愛を一身に受けるさして身分の高くない更衣(桐壺更衣)がいた。父である大納言もすでに亡くし、格別の後見もないため、帝の一のきさきである弘徽殿女御をはじめとする後宮の女たちから嫉妬されながら、更衣は玉のような皇子を出産します。
帝はますます更衣を愛しましたが、女たちからの嫌がらせに耐えかねた更衣は病に伏し、やがて亡くなってしまいます。帝は深い悲しみにくれます。
残った若宮は母亡き後養育していた祖母も亡くなります。成長した若宮は学問や音楽の才があり輝いています。
帝はその若宮が政争の種になることを恐れ若宮を臣籍に降し、源氏の姓を与えたのです。同じ頃、桐壺更衣に生き写しの藤壺の宮が入内した。
帝の心は癒され、源氏も藤壺に亡き母の面影を求めました。帝の寵愛を受ける源氏を「光る君」「輝く日の宮」と呼び讃えたのでした。
元服した源氏は左大臣の娘の葵の上と結婚します。しかし源氏は四歳年上の妻になじむことができず、ますます藤壺への思慕を強めていった。・・・こうして源氏物語が展開して行きます。

それにしても桐の木にまつわる話はいろいろあるのです。桐は本当に日本人にはかかわりの深い木なのです。

今日は美しい桐の花の写真を4枚示し、桐にまつわる話として五三の桐の花紋と源氏物語の桐壺の一帖の粗筋をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)