後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「忘れ得ぬ人々(13)大学の自分の研究室の学生さん達」

2023年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は昔東京工業大学にいた頃の自分の研究室の学生さん達のことを書いてみたいと思います。まず昔の学生さん達の写真の一例を示します。

 この写真は2018年の7月の研究室の最後の同窓会の写真です。
写真の前列の右端の須佐さんから左方向へ私、川上さん、雀部さん、永田さん、左端は幹事の山口さんの奥さんです。後ろの列は右端は私の家内、その左は幹事の山口さん、その左方向へ板谷さん、そして左端は丸山さんです。
最後の同窓会は小平市の「いろりの里」という料亭でした。

川上さん、雀部さん、永田さん、山口さん、板谷さん,須佐さんの6人は私の研究室に5年以上いて工学博士の学位を取りました。
そして、川上さんはスウェーデンに留学し、雀部さんはドイツに留学し、永田さんはベネズエラの国立研究に、山口さんはペンシルベニア大学に留学しました。

その後、川上さんは豊橋技科大の教授、雀部さんは千葉工業大学の教授、永田さんは東京工業大学の教授、山口さんは東京大学の教授、須佐さんは東京工業大学の教授として活躍しました。板谷さんは川崎製鉄の中央研究所の主任研究員のなりました。
皆は定年まで活躍しました。現在はそれぞれ楽しい老境です。
なお後列の左端の丸山さんはすでに助教授になってから私の研究室へ加わったです。

皆それぞれ個人的な思い出があります。雀部さんの父は東大教授でした。三鷹の自宅に行って話をうかがいました。温い方でした。
川上さんの豊橋の家には泊りました。奥様が歓迎してくれました。
山口さんは盛岡で結婚式をあげました。我々夫婦が仲人をしました。東京の自宅から車で行ったので、市内を見物し不来方の城や北上川について思い出がたくさんあります。
板谷さんの立川の実家に行って両親に会い土地のお話をお聞きしました。板谷さんは退職後農業を始めて、毎年見事なそら豆、新玉葱など送ってくれました。
永田さんの実家は飛騨の金山にありました。訪ねたら父親がいろいろ飛騨の話をしてくれました。車で行ったので帰りは野麦峠を越えてドライブを楽しみました。

それにしても自分の研究室の学生さん達皆には公私とも随分お世話になったものです。深く感謝しています。そして懐かしいです。

今日は東京工業大学の自分の研究室の学生さん達のことを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)