終戦の前後に家内は群馬県の山里の下仁田町に疎開していました。その縁で私も何度か下仁田を訪ねたことがあります。
上毛三山の妙義山の南麓にある本当に静かな所です。現在は下仁田市になっていますが昔の日本そのままのような町のたたずまいです。
横山美知彦さんは家内が疎開した時の小学校で同級生でした。
その横山さんがときどき山里に暮らす四季折々の随筆や写真を送って下さいます。
======秋の風物詩・・・祭りと山車:横山美知彦=====
10月半ばになると、昼間の澄み切った秋の空の終わりに、夜の帳が足早にやって来る。お祭礼の提灯の明かりが何となく気分を、幼かった頃に引き戻してくれる。
かすかに見ることの出来るその明かりは、いったい何を私に訴えようとしているのだろう。そして何を教えようとしているのだろうか。遠くから静かに聞こえて来る笛や太鼓の独特な音は、私を特別な世界に引き入れてくれる。
町内を引き回す「山車」には、触れることさえ出来ず、上ずった気持ちとは裏腹に、遠巻きに眺めるのがやっと、と云う希望の叶えられないもどかしさを胸に秘めていたことなど、少子化の現在では想像さえ出来ない。山車の上から聞こえて来る笛、鐘、太鼓の音が、乱れる様に祭りを盛り上げる。山車の周りに取り付けられた、組々の提灯が左右に揺れる。正面の高い所に座した、町内自慢の人形も、山車の動きに合わせるが如く僅かに揺れる。・・・深まりし秋の祭りの笛の音は遠き昔と変わることなし・・・
下仁田の町内に位置する、諏訪神社は元は八幡社であったとのことだが、諏訪の 諏訪大社(長野県諏訪市)を崇拝した甲斐の武田氏の勢力が、国境を越えてこの地に進出したときに、現在の社名に変えられたと考えられる。今年の例大祭も10月11日、12日の二日間、町中を賑わし事故なく終了した。町内には七基の山車がある。何処でもそうである様に下仁田町でも若者が減ってはいるが、幼い頃から親しみ、目にして来た祭りには、遠方に居住を移して後も自然に集まり、旧交を温め会い、胸をわくわくさせ、山車に群がり、掛け声をかけながら夜遅くまで綱を引く。こんな状態がこれからも永く続くことを願っている私も、その一人である。平成26年10月23日
上毛三山の妙義山の南麓にある本当に静かな所です。現在は下仁田市になっていますが昔の日本そのままのような町のたたずまいです。
横山美知彦さんは家内が疎開した時の小学校で同級生でした。
その横山さんがときどき山里に暮らす四季折々の随筆や写真を送って下さいます。
======秋の風物詩・・・祭りと山車:横山美知彦=====
10月半ばになると、昼間の澄み切った秋の空の終わりに、夜の帳が足早にやって来る。お祭礼の提灯の明かりが何となく気分を、幼かった頃に引き戻してくれる。
かすかに見ることの出来るその明かりは、いったい何を私に訴えようとしているのだろう。そして何を教えようとしているのだろうか。遠くから静かに聞こえて来る笛や太鼓の独特な音は、私を特別な世界に引き入れてくれる。
町内を引き回す「山車」には、触れることさえ出来ず、上ずった気持ちとは裏腹に、遠巻きに眺めるのがやっと、と云う希望の叶えられないもどかしさを胸に秘めていたことなど、少子化の現在では想像さえ出来ない。山車の上から聞こえて来る笛、鐘、太鼓の音が、乱れる様に祭りを盛り上げる。山車の周りに取り付けられた、組々の提灯が左右に揺れる。正面の高い所に座した、町内自慢の人形も、山車の動きに合わせるが如く僅かに揺れる。・・・深まりし秋の祭りの笛の音は遠き昔と変わることなし・・・
下仁田の町内に位置する、諏訪神社は元は八幡社であったとのことだが、諏訪の 諏訪大社(長野県諏訪市)を崇拝した甲斐の武田氏の勢力が、国境を越えてこの地に進出したときに、現在の社名に変えられたと考えられる。今年の例大祭も10月11日、12日の二日間、町中を賑わし事故なく終了した。町内には七基の山車がある。何処でもそうである様に下仁田町でも若者が減ってはいるが、幼い頃から親しみ、目にして来た祭りには、遠方に居住を移して後も自然に集まり、旧交を温め会い、胸をわくわくさせ、山車に群がり、掛け声をかけながら夜遅くまで綱を引く。こんな状態がこれからも永く続くことを願っている私も、その一人である。平成26年10月23日