後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

上野の西洋美術館の松方コレクションの48点のロダンの彫刻

2015年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム
松方コレクションの感動的な分野に48点ものオーギュスト・ロダン(1840-1917)のブロンズ彫刻があることです。しかもそれらはロダンの代表作を網羅しているのです。野外の前庭と展示室の第一室にあります。
今日は野外展示のロダンの3点とブールデルの弓を引くヘラクレス像をご紹介いたします。
続きの「近代抽象画」は追ってご紹介いたします。
なお松方コレクションの全ての絵画とその題目や制作年は、https://www.google.com/…/the-national-museum-of-western-art… にあります。
一番目の写真は「地獄の門」、1880-1917年制作です。
二番目の写真は「カレーの市民」、1884-2188年制作。
三番目の写真は「考える人」、1902-1903年制作です。
四番目の写真は「弓を引くヘラクレス」、E.A.ブールデル作(1909年制作)です。







死が訪れるまで情熱的に生きる方法(2)外国のことに好奇心を燃やし続ける

2015年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム
情熱的に生きるとはどういう生き方なのでしょうか?
それは毎日、すべてに対して疑問を感じ、何事にも好奇心を持って活き活きと考える生活を送ることだと思います。しかし考える問題は文化的に意義があり、また社会的に新しい考え方を示唆出来るような問題を取上げたいものです。
実例をあげます。フランスのシャルリー・エブドという週刊誌が昨日、再度、ムハンマドの風刺画を掲載しました。この行為に対して他の国々はどのような反応を示したでしょうか?
これが今日の問題です。この問題を考えると日本人が表現の自由をどのように制限しているかが明快に分かります。そして日本の文化の特徴の「和をもって尊しとなす」いう文化を再度確認できるのです。大げさに言えば西洋と日本の比較文化論になるのです。
さて大げさな話は止めて、風刺画再掲載に対する各国の反応を整理してみましょう。
(1)中東のイスラム教諸国とインドネシアは反発しています。
シャルリー・エブド社の再掲載はイスラム教への悪質な挑発と理解して猛反発をしています。当然、イスラム諸国の新聞はこの風刺画の転載を一切していません。エジプトの主要紙もイランの新聞もトルコの通信社も激しく反発しています。そしてインドネシアのレププリカという有力新聞社は転載はせずに、抑えた表現を用いて批判的な論説を掲載しているそうです。
(2)アメリカの新聞各社は「ムハンマドの風刺画」の転載、転送には慎重です。
ニューヨーク・タイムズは風刺画の転載はしませんでした。「宗教的な感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」と言っています。
AP通信も風刺画は配信しませんでした。「一貫して人種差別的な表現や、宗教的、性的な中傷表現は避けている。」と言っています。
またテレビ局の多くは風刺画の映像は流さなかったのです。その中でワシントンポストだけが風刺画を転載したそうです。
(3)イスラム教徒の多いドイツとフランスの新聞では転載したか?
ドイツの大衆紙のビルドは風刺画を大きな誌面で転載しました。しかし有力紙のフランクフルター・アルゲマイネは風刺画を転載せず小さな写真を出しただけです。
一方フランスのル・モンド紙など各新聞は風刺画を転載しました。保守系のフィガロは転載しませんでした。
(4)日本の新聞社は風刺画を一切転載しませんでした。テレビも一切映像を流しませんでした。日本人は風刺画を見ていません。日本人の多くはそんな「風刺画」を見たくないと思います。
さて上に書いた(1)から(4)の反応の違いを比較してみるとそれぞれの文化の違いが鮮明に分かります。
私自身は(2)の「宗教的な感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」とか「一貫して人種差別的な表現や、宗教的、性的な中傷表現は避けている」というアメリカ人の良識に強く賛同します。それが人間としての守るべき倫理ではないでしょうか?フランスの言論の自由には疑問を感じます。必要以上に争いごとを起こしているようで困ったものです。
さて日本人はまず和を重要視する文化を古来から持っています。言論の自由という概念が西洋から入ってくるずっと以前から他人の嫌がることは言わないという文化を持っているのです。
ですから風刺画を掲載することに反対です。別に言論の自由を論ずる必要などないのです。
今日の新聞には言論の自由に関する論文が出ていましたが、それは日本人の感性にはしっくりしない欧米流の論説のような感じがします。
今日の挿絵は神代植物園の静かに茂る植物の写真です。2013年11月29日に撮りました。この温室は現在大規模な改装中で閉館しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)





新聞社襲撃事件に対する反応はドイツとフランスでは違う・・両国のイスラム教徒の出身地が違う

2015年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム
イスラム過激派のフランスでの新聞社襲撃事件以後、フランスではイスラム過激派の排斥とイスラム教徒移民に対する憎悪が強まる一方です。国民がますます感情的になっているのです。しかし隣国のドイツではイスラム移民の受け入れと融和を進めるデモが行われているのです。勿論、ドイツでもイスラム教徒排斥運動のデモも行われているのです。フランスは感情的になっていますがドイツは冷静です。
この違いを報ずるNHKのネット版のニュースを以下に示します。
仏テロ事件受け独でデモ 国民二分懸念1月13日 10時35分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150113/k10014624621000.html
フランスで起きた一連のテロ事件を受けて、隣国のドイツでは、東部のドレスデンで行われたイスラム過激派に反対しイスラム排斥のデモに数万人が集まったのに対し、イスラム社会との融和を求めるデモも各地で行われ、国民が二分することへの懸念が高まっています。
ドイツ東部の町ドレスデンでは、イスラム過激派の台頭などを受けて、去年10月から毎週月曜日にイスラム過激派の排斥やイスラム系難民の受け入れの厳格化などを訴えるデモが行われています。
12日、フランスで17人が死亡した一連のテロ事件後初めてのデモが行われ、地元の警察によりますとこれまでで最も多いおよそ2万5000人が参加しました。
デモに参加した男性は「訓練を受けたり紛争地から戻ったりしたイスラム過激派が、ずっと静かにしているとは思えない」と述べ、過激な思想を持つ人たちがテロを起こすことへの警戒感を表していました。
一方、この日は、イスラム社会との融和や難民の受け入れの拡大を求めるデモもベルリンやミュンヘンなどで行われ、数万人の市民が参加しました。
メルケル首相は会見で「イスラム教もドイツの一部だ」と述べて、宗教によって差別することがないよう国民に訴えかけました。
ドイツには人口の5%に当たる400万人のイスラム教徒がいるとみられており、フランスでのテロ事件をきっかけに国民が二分することへの懸念が高まっています。以下の写真はドイツのドレスデンで行われたイスラム教徒排斥デモの光景です。

イスラム教徒移民を受け入れたり排斥したりする原因はドイツとフランスの植民地主義の歴史や国内の政治、経済の要因などが複雑からみあって簡単な問題ではありません。
しかし今回の新聞社襲撃事件に対する反応が違う一つの原因はフランスの移民は植民地として搾取したアルジェリアなどの北アフリカからの移民です。
一方、ドイツの移民は第二次大戦で同盟国であったトルコからの移民が主でした。
私は1970年頃ドイツに住んでいましたが、ドイツ人は昔の同盟国のトルコやル-マニアや日本を大切にするのです。理由もなく何度も親切にされました。ある時はドイツ政府招待でトルコ人、ルーマニア人やブルガリア人と一緒にドイツ国内の観光旅行をしたこともあります。
そしてこれは決定的なことですがドイツがモスクワ近郊まで攻め込んでロシアを占領した事実です。それはオスマン・トルコの仇討をしてくれたことになります。ですからこそトルコ人はドイツ人を尊敬しています。その自然の流れで、ドイツ人の多くはトルコ人が好きです。トルコ人も少し付き合ってみると礼儀正しい民族です。彼等も東郷元帥を尊敬し、日本人が好きです。
欧州にイスラム教徒が急増したのは第二次世界大戦後のことです。欧州諸国は第二次世界大戦の戦災復興の労働力を求めて、旧植民地であったアフリカ・アラブ諸国から多くの移民を積極的に受け入れたのです。その数は1500万人に上ると言われています。
宗主国と旧植民地の間には経済格差があり、アフリカ・アラブ諸国の人々は皆英語やフランス語などを話せたため、自然と働き先として欧州に渡ることになったのです。
主なイスラム教徒移民の出身地と行先を示せば、イギリスへはインド、パキスタン、バングラデシュなどから移民が移住し、フランスへはアルジェリア、チュニジア、モロッコ、セネガル、などから移住しました。そして植民地をもたなかったドイツは当初東ドイツやポーランドから労働力を受け入れていたが冷戦勃発後はまずユーゴスラヴィアから、続いてトルコからの移民が急増したのです。
その結果ヨーロッパ各国のイスラム教徒の人口は
・フランス500万人
・ドイツ300万人から400万人
・イギリス160万人
・スペイン100万人
・オランダ95万人
・イタリア80万人
などとなっているのです。
それぞれの国でそれぞれの共存の仕方がありました。しかし2000年代に入って欧州でイスラム教嫌悪の運動が台頭し、対立と差別が表面化してきているのが現状です。
この詳細は市販の本にも書かれているし、その内容の一部は、ネット上にも紹介されています。
この様に、ヨーロッパのイスラム移民との融和と抗争はますます混迷の度を深めているのです。そしてそれはイスラエルとパレスチニア自治区との抗争とイスラム国との欧米との戦争と深く関連しているのです。一朝一夕には解決のつかない21世紀の世界が抱える大きな難問なのです。日本の外交も賢明であるようにと祈ります。(続く)

死が訪れるまで情熱的に生きる方法(1)熱帯の花々や植物を見て情熱を貰う

2015年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム
老境にいたると何事に対しても欲が弱くなり枯れてきます。それが老境の幸せな状態をつくるのだと思います。
しかし私利私欲が弱くなることと良い意味での情熱を失うことは別問題だと信じています。
私は死が静かに訪れるまで情熱的に生きる決心をしています。
そこで今日から「死が訪れるまで情熱的に生きる方法」と題する連載記事を書いていきたいと思います。私が実践している簡単な方法を幾つか書いてみたいと思います。
その第一の方法はいろいろな所にある温室を訪れて熱帯の植物を見ることです。
温室の中ではこんな寒い冬でも花々が咲き、実をみのらせ、緑濃い葉が茂っています。それらを見ると人は自然に情熱を感じ、その情熱が自分の体に乗り移ってきます。下に熱帯の花々写真を示します。

(全ての写真は独立行政法人筑波実験植物園の温室にて、2010年1月21日に撮影しました)





熱帯の植物を見ると情熱を感じるのは個人的な体験に関係しているのかも知れません。
まだ中年で元気の良いころに赤道直下のシンガポールに行ってイギリス人が遺して去っていった熱帯植物園を訪問したのです。
シンガポールは赤道にあるので四季が無く一年中気温32度です。夜になっても30度です。植物園には大きな熱帯の花々が咲き、空を覆う巨大な樹木が繁っていたのです。そして聞いたことのない声で熱帯の鳥が鳴いているのです。それは圧倒的な光景でした。そして熱帯の情熱を感じたのです。その情熱が体の中に沁み込んだのです。
そしてこのような植物園をえいえいと努力して作りあげたイギリス人達の植物へ対する情熱へ思いを馳せ、頭の下がる経験をしたのです。
それ以来、私は日本でも各地の温室を訪ねては植物から情熱を貰っています。
そのシンガポールの植物園の光景は心に焼き付いて、温室の植物を見るたびに思い出し興奮するのです。そしてものの見方が情熱的なるのです。
下に温室の中の植物の写真を追加して示します。
私はこのようにして最後まで情熱的な人生を過ごしたいと思っています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)







上野の西洋美術館の松方コレクションの印象派の絵画

2015年01月13日 | 写真
65歳以上無料のうえ、写真撮影が許されているので楽しみながら写真を撮ってきました。撮影を許可していることに感謝します。
今日は印象派5点をご紹介いたします。
続きの「近代抽象画」は追ってご紹介いたします。
なお松方コレクションの全ての絵画とその題目や制作年は、https://www.google.com/…/the-national-museum-of-western-art… にあります。
それにしても松方氏は西洋美術を日本への紹介した偉大な人物だったので以下に紹介しておきます。
================================
国立西洋美術館は1959(昭和34)年、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために東京の上野公園尾に設立されました。
「松方コレクション」を築いた松方幸次郎(1865‐1950)は、明治の元勲で総理大臣も務めた松方正義の三男です。旧制一高の前身である大学予備門からアメリカに留学して、エール大学で法律の博士号を取得し、ヨーロッパ遊学を経て帰国後、父親の秘書官などを務めましたが、神戸の川崎造船所の創業者である川崎正蔵に見込まれ、1896年(明治29)年、同社の初代社長に就任しました。一時は神戸新聞、神戸瓦斯などの社長も兼ね、神戸商業会議所の会頭や衆議院議員にもなった人物です。
以下、http://www.nmwa.go.jp/jp/about/matsukata.html に続きます。











日本各地の豊かなローカル文化を考える(6) 個性的で魅力ある地方の美術館

2015年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム
政府は地方活性化とか地方創生とかいって地方の経済活性化の政策を進めていると言っています。もう長い間この政策をしていますが一向に効果が見えません。そのような政治家の宣伝や補助金行政とはまったく関係なく日本の地方、地方は豊かな文化生活を楽しんでいるのです。その一例が地方美術館の増加と、展示内容の充実ぶりです。
例えば山梨県美術館一覧や長野県美術館一覧というキーワードで検索すると数十の美術館があることが分かります。そして各美術館を詳しく調べると、いろいろな企画展や常設展をしている様子がわかります。
昔は美術館といえば東京や京都のような大都会にだけあったものですが、現在は地方、地方に個性豊かな美術館があるのです。地方の文化レベルを見るとその国の豊かさが分かると言います。私は近年、日本も随分と豊かになったものだと感慨を深くしています。
そこで今日は一例として山梨県の美術館をご紹介いたしたいと思います。
山梨県の26の美術館の一覧は、http://www.walkerplus.com/spot_list/ar0419/sg0121/にあります。
その中で甲府の県立美術館はミレーの傑作絵画を蒐集展示していることで有名です。画家には成功作とそれほどでない絵画があるものです。山梨県立美術館は成功作だけを集めているのです。そして訪問するたびにミレーの油彩画の数が増えているのです。
上野の松方コレクションは宗教画から印象派、そして抽象画まで総合的に蒐集しています。それと対称的なのが山梨県立美術館です。
そして北杜市の清春美術館は銀座の吉井画廊が建設した美術館で大正時代の白樺派の作品を集めた特徴のある美術館です。他にルオーの宗教的な絵画が多数展示してあります。ここも風光明媚な場所にありレストランが洒落ているのでよく行くところです。
そして韮崎市の韮崎大村美術館は基礎医学で世界的な研究成果をあげた大村智氏が個人的に作った美術館です。大村氏はその完成後に韮崎市に寄付したのです。
この美術館は大村氏が好きだった鈴木信太郎の作品、23点と日本の女流作家の絵画数十点が展示してある個性的な美術館です。外国人の油絵が無いので何故か優しい雰囲気が漂っています。日本人女性の描く油彩画の和の世界が芸術性豊かに広がっています。
そしてこの館長の大村智氏の企画で森田元子展のような女流絵画家の企画展を開催しているのです。
下にこの美術館の正面と側面の写真をしめします。先週の1月9日に撮ったものです。



そして下の写真は一階の森田元子展の様子です。

下は2階の鈴木信太郎の作品18点を展示している部屋です。

下の写真は2階の陶器類の展示室から見た山並みです。

上の写真のようによく出来た個性的な美術館なのです。この展示絵画を見ると日本人の油彩画の静かで優しい特徴が明確に分かります。画家がパリへ行くと絵画が混乱するとよく言いますが、その理由が分かるのです。
その他、山梨県の八ヶ岳山麓には平山郁夫美術館など数多くの美術館もあります。そして富士五湖の周辺にも美術館があります。
それはさておき皆様のお住まいの地域にはどのような美術館がるでしょうか?鳥取県の美術館や島根県の美術館を検索すると個性豊かな美術館があります。
日本のローカル文化は伝統的な文化の上に近代的な芸術が重なり合って奥深い豊かさを呈しています。日本は本当に良い国になったものです。これで「日本各地の豊かなローカル文化を考える」と題する連載の完結と致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

フランスの370万人のデモに冷静な態度のエマニュエル・トッド氏を讃える

2015年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム
イスラム過激派のパリの新聞社襲撃と12人の殺人犯罪に対してフランスでは360万人のデモがあったそうです。
このデモの規模はフランスがナチス・ドイツの解放の1945年のデモの規模以来の大規模なデモです。
ナチス・ドイツの解放を喜ぶデモには私は深く同情をします。本当に良かったですねとフランス人へ祝意をお送りします。
しかし今回のデモの規模は少し感情的なり過ぎているという感じがします。遠方の極東にある日本の一住民として考えるとフランス人やヨーロッパ人は感情的になり過ぎているように感じます。
その点、大西洋を隔てるアメリカは冷静です。イスラム過激派は徹底的に粉砕すべきですが冷静に戦略的にすべきという態度が感じられます。
そしてパリに在住する歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏が今朝の読売新聞記事にあるように冷静な批判をしているのです。
「今回の事態にフランスはひどく動揺し、極めて感情的になっている。社会のありかたに考えを巡らす余裕はない」と言っています。
そして「私はテロは断じて正当化しない。だがフランスが今回の事態に対処したいのであれば、社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の二世、三世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのは何故なのか。野獣は近年、増殖している。・・・アメリカの同時多発テロは外国のイスラム教徒によって実行されたが今回のテロはフランスで生まれ、育ったフランス人によって起こされたのです・・・」
エマニュエル・トッド氏こそフランスの知性です。彼のお蔭で、やはり私はフランスを尊敬します。たった一人のエマニュエル・トッド氏がフランスの名誉を守ったのです。
この事実をフランス人が理解するのにはまだ数年かかると思います。
はじめ写真は昨日のデモの様子で、二枚目の写真がエマニュエル・トッド氏です。



冬の善福寺池を散歩してきました

2015年01月12日 | 写真
ロウバイの花が咲いていました。シベリアから渡ってきたカモが日向で休んでいました。緋鯉も泳ぎ回り、水ぬるむという感じです。しかし3時を過ぎたばかりなのに陽射しが暗く水面に反射していました。
まだまだ春遠い冬なのです。そのような冬の善福寺池の写真をお送りいたします。









寛永、承応、文化、文政、明治、昭和の時代の流れを実感

2015年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、あるお寺の裏の墓地で2つの事をしみじみ実感しました。思わずため息も出ました。
一つは日本のお墓には西暦ではなく日本独自の年号だけが示してあるのです。明治、大正、昭和は寛永、承応、文化、文政、の単なる続きなのです。
もう一つは時代の流れは農村ではゆっくり流れ、その時間の中身は都会とは非常に違うのです。農村では中央の政治的な変化とは別の静かな時間が流れているのです。
昨日ぶらりと入って散歩したお寺は旧青梅街道にある医王山小川寺です。下にその山門の写真を示します。

このお寺は今から350年くらい前の江戸時代の初期に玉川上水が出来た頃に創建されたのです。この辺一帯を開墾して豊かな小川村が出来た頃、農民のお寺として作られたのです。このあたりは武蔵野の荒地でした。その開拓事業をしたのが小川九郎兵衛でした。彼の14年間の開拓事業は下の写真に説明してあります。

この小川九郎兵衛の名前は現在の小平市の西部に小川町や小川橋として残っています。
それはさておき、このお寺は裏の墓地が広いので時々散歩に寄る所です。下はその墓地の写真です。

この墓地には江戸時代の年号を刻み込んだお墓が延々と並んでいます。下にその写真を示します。

私はその江戸時代の年号に興味を覚え数多くのお墓の墓誌を詳しく見て行きました。そうしたら文化、文政、慶應、に続いて明治、大正、昭和、平成の年号もあります。
私は新しい歴史の視点を教わったような気持になりました。現在、日本で起きるいろいろな事を明治維新以後の欧米文化の視点からだけ観察するのではなく、江戸時代の視点から観察する重要性を知ったのです。お墓には西暦ではなく日本独自の年号だけが示してある事実が教えているのです。そして飢饉があり江戸の大火があり、維新戦争があり、日清と日露の戦争があったことなど一切お墓には書いてありません。ただただ寛永、承応、文化、文政、明治、昭和などと年号が静かに並んでいるだけです。
しかし明治維新以後の大きな戦争で亡くなった軍人のお墓は特別でした。下に戦死したある陸軍曹長のお墓の写真を示します。

明治以後、日本は大きな戦争をして筆舌には尽くせない悲劇を起こしたのです。さきの太平洋戦争では300万人もの死者を出したのです。静かな農村の墓地にはそのことだけは明確な記録を残しています。
昨日感じたもう一つのことは時代の内容は地方、地方によって非常に異なるという「当たり前の事」を再度強く感じたことです。江戸すなわち東京の23区の中心部と都下の小平市小川町では時代の流れ方が全く異なるのです。農村では時間がゆっくり流れ、その時間の中身は都会とは非常に違うのです。農村では中央の政治的な変化とは別の静かな時間が流れているのです。人間は何処に住んでいるかによっていろいろなことを考える視点が変わるのです。当たり前のことですが私にとって警鐘のような感じでした。
昨日、小川寺の墓地を散歩しながら感じたことを書いてみました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料==============
江戸時代の年号一覧:http://www.k3.dion.ne.jp/~edo-cad/edo_jidai_nengouhyou.html
紀元、西暦、年号、江戸何年
2263 1603 慶長 08 江戸 001 - 1家康 -
2264 1604 慶長 09 江戸 002 - - -
2265 1605 慶長 10 江戸 003 - 2秀忠 -
・・・・・・・
2271 1611 慶長 16 江戸 009 108後水尾 - -
2272 1612 慶長 17 江戸 010 - - -
・・・・・・・・・
2282 1622 元和 08 江戸 020 - - -
2283 1623 元和 09 江戸 021 - 3家光 -
2284 1624 寛永 01 江戸 022 - - -
・・・・・・・・・・
2289 1629 寛永 06 江戸 027 109明正 - -
・・・・・・・・・
2303 1643 寛永 20 江戸 041 110後光明 - -
2304 1644 正保 01 江戸 042 - - -
・・・・・・・・・
2307 1647 正保 04 江戸 045 - - -
2308 1648 慶安 01 江戸 046 - - -
・・・・・・・・・
2311 1651 慶安 04 江戸 049 - 4家綱 -
2312 1652 承応 01 江戸 050 - - -
2313 1653 承応 02 江戸 051 - - -
2314 1654 承応 03 江戸 052 111後西 - -
2315 1655 明暦 01 江戸 053
以下省略。

西洋サクラソウの季節になりました

2015年01月11日 | 写真
冬は花々が絶えるので花屋さんは温室栽培の花々を売り出しています。
12月になるとポインセチア、シクラメン、ハボタン、各種のランの花、そして1月になると色彩いろいろな西洋サクラソウが一斉に売り出されます。
今日は新種のサクラソウを幾つも育成した石塚園芸店に行き、この店のオリジナルの「湖畔の花筏」というサクラソウを買って来ました。
ついでにいろいろな西洋サクラソウの写真を撮って来ましたのでお送りいたします。













雪の中に咲く梅の花の写真です

2015年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので何か宗教に関する記事を書こうと思っていましたが止めました。
朝の新聞で谷川俊太郎の詩を読んでしまったからです。

          コトバを
          自分の肚(はら)に収めて
          熟成を待つ
          静かに
          深く
          黙っている
          コトバから生まれる力
          暴力とは正反対の
          力(ちから)
・・・・・・・・・・・・・
このような詰らない私の文章でも書く内容やコトバの熟成を待つことがあります。数日だったり数週間だったりします。
それで今日は黙ることにしました。そして雪の中に咲いていた梅の花の写真をお送りいたします。2012年の3月1日に近所の海岸禅寺で撮った写真です。5枚目の写真は府中郷土の森公園で撮ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)










冬の雑木林の写真を撮りに行ってきました

2015年01月10日 | 写真
多摩川中流のJR南武線の稲城駅のそばに関東ローム層の断崖があります。その断崖の上に昔から雑木林があり四季折々美しい景色を見せてくれます。
木枯らしですっかり落葉した冬の雑木林は虚空を背にして美しいシルエットを見せています。今日は午後からその写真を撮りに行ってきました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









温室の植物を眺める、それからイスラム過激派を考える

2015年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム
フランスでイスラム過激派が大きな事件を起こしました。この事件を少し広い視野で考えてみましょう。その前に先日、薬草園の温室で撮ってきた植物の写真を示します。
植物と人間の違いを何となく考えながらご覧ください。写真はマンゴーの実やカカオの実や小さな花々です。









温室の中では植物たちが平和に茂っています。静かに豊かな果実を実らせています。
しかし人間界では血なまぐさい戦争が永久に続いています。
戦争の原因は時代によって違います。
戦前は資源や植民地の争奪が戦争の一番大きな原因でした。
そして戦後から1989年のベルリンの壁の崩壊までは共産主義と自由民主主義とのイデオロギーの相違が抗争と戦争の一番大きな原因になっていました。
時代は変わり、1990年以降、特に2001年9月11日のアメリカで起きた同時多発テロ以後はキリスト教とイスラム教の文明の違いが抗争や戦争の一番大きな原因になっています。
これは世界規模の宗教戦争という見方も正しい理解かも知れません。
この宗教戦争は中世のキリスト教の聖地をイスラム教徒から奪還しようとした十字軍の遠征に起源があると考えるのが妥当だと言われています。
しかし近代産業革命以後、イスラム諸国は近代的な武器を持てず、戦争の相手にはなり得なかったのです。
ベルリンの壁崩壊後はアメリカの強大な敵であったソ連も瓦解したのです。アメリカには敵が必要です。そこでアメリカへ敵対する中東のイラクなどのイスラム国と戦争を始めたのです。
日本は戦後、アメリカ陣営に入ったおかげで経済成長しました。ですから今後もアメリカ陣営の一員です。これから数十年は日本の敵はイスラム文明の生んだ過激派という流れになります。
安倍総理がすぐにフランスのフランソア・オランド大統領に電話をしてイスラム過激派の制圧に賛成し激励したのは政治家としての正しい国際感覚です。
ところで話は飛びますが私はキリスト教の一派のカトリック教徒です。従ってイスラム文明とキリスト教文明の対立と抗争は他人事ではありません。
両方の宗教はもともとはユダヤ教から派生した一神教です。ですから両方とも共通に旧約聖書を使います。しかし親類同士の憎悪は他人同士以上に激しいことがあります。
キリスト教は一神教ですから当然排他的です。他の宗教を認めない傾向があります。イスラム教も同様です。争いや戦争になるのは自然なことです。宗教は使い方によっては強大な悪魔的な武器になる本質を持っているものです。
それを防ぐのは「人間の良識」です。そして一神教以外の宗教を良く考えることが大切です。私はカトリックですが自分の良識を信じます。仏教や神道の良い教えを考えます。
日本は幸いにも仏教国です。イスラム教対キリスト教の対立や戦争から距離をとることが出来るのです。国際政治の上ではキリスト教国がわの陣営の一員として行動すべきかも知れません。しかし日本人は本質的にはイスラム過激派の敵にはなり難いのです。従って将来も日本では過激派の武力攻撃事件は非常に少ないと思います。
そんなことをこの頃しきりに考えています。
皆様はフランスで起きた今回の事件をどのようにお考えでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

今日の富士山、八ヶ岳、甲斐駒岳、南アルプス主峰連山の写真です

2015年01月09日 | 写真
今日は中央高速道路から雪山が鮮明に見えました。あまり美しかったので車上から家内に写真を撮って貰いました。
一番目の写真から順々に、富士山、八ヶ岳、甲斐駒岳、南アルプス主峰連山の写真です。富士山は初狩サービスエリアから撮ったものです。
三番目の写真の右の山が甲斐駒岳でそれに続く山々は地蔵、観音、薬師の鳳凰三山です。
四番目の南スルプス主峰連山の写真の三つの峯の右端の山が北岳で日本では富士山の次に高い山です。