後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏の楽しみかた・・・海に出る、高原の涼風を楽しむ

2015年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム
夏は楽しいものだと私は思いこんでいます。まだ子供だった頃の夏休みの楽しい思い出が心に焼き付いているからでしょう。
しかし老境になるとつい夏の暑さに負けてしまい、海や山に行く元気も無くなります。
それでも夏になると一度や二度は高原の涼しい所に泊まりに行くようにしています。
東京から気軽に行ける美しい湖のある高原はいろいろあります。高原なので空気が乾燥していて涼しい風が吹いているのです。芦ノ湖と箱根、富士五湖と河口湖町、中禅寺湖と奥日光、榛名湖と伊香保、白樺湖と車山高原、そして足を伸ばしば、雲場池と軽井沢、大正池と上高地、などなど沢山あります。
これらの高原は東京や横浜より間違いなく涼しいのです。そして自然の風景も抜群です。
ホテルや旅館も根気よくネットで探すと予約できるものです。出来なければその高原の麓の町のホテルを予約します。
いろいろな高原に行きましたが印象深いところの一つに白樺湖とそれに連らなる車山高原、その奥にある美ガ原高原があります。景色の良いヴィーナス・ラインという自動車道路で、白樺湖から霧ヶ峰を経て、美ケ原高原まで実に楽しいドライブが楽しめるのです。
そして終点には美ケ原高原野外美術館があり感動的な芸術鑑賞が楽しめるのです。その美術館は箱根の「彫刻の森美術館」の姉妹館のようで世界中の大型彫刻が高原の広い庭にゆったりと展示してあるのです。
このコースはまず中央高速道路を茅野で下りて北方向の蓼科湖に向います。蓼科温泉は湖のほとりにあり旅館も多いところです。それから八ヶ岳の横岳の麓を通り、白樺湖に出ます。そこは東京に一番近いスキー場がありスキー客向けのホテルが沢山あります。夏に営業しているホテルもあり予約出来ることが多いのです。私は何度か家族と一緒にそのようなホテルに泊まったことがあります。昔、スキーをするために泊まったホテルです。
白樺湖を楽しむにはスキー場の中腹まで車で上がりその眺望を楽しみます。
スキー場といえど夏にも営業しているホテルがあり高原の涼風を楽しめる穴場のような所です。
例えば何度も泊まった志賀高原などは多数のホテルが夏でも営業しています。木島平スキー場にも夏に泊まったことがあります。それらのスキー客向けのホテルは高級ではありませんが清潔で申し分ありません。
良いホテルに泊まりたい人は日光金谷ホテルや、軽井沢万平ホテルや、白馬東急ホテルや、河口湖富士ビューホテルや箱根宮の下の富士屋ホテルなどがあります。しかしこのような名門ホテルは夏の予約は非常に難しいので始めから敬遠したほうが良いと思います。名門でなくても探せば良いホテルが沢山あるようです。
上に書いたことは夏を楽しむ一つの例に過ぎません。
海でダイビングを楽しむ人。ヨットを楽しむ人。海水浴を楽しむ人。夏山に登る人。北海道をバイク・ツーリングをする人。沖縄の美しい海を楽しむ人。そして海外旅行を楽しむ多くの人々。夏の楽しみ方は人それぞれです。
クーラーを効かせた家にだけ蟄居しないで一度や二度は出掛けて「非日常の体験」をすると良いのではないでしょうか。
どっちにしても時は流れ、やがて涼しい秋が絶対にやって来ます。
それにしても皆様はこの夏をどのようにお過ごしでしょうか?
今日の写真は以前撮った霞ヶ浦の白帆の写真2枚と白樺湖と霧ケ峰高原の写真2枚と美ケ原高原野外美術館に展示してある作品の写真2枚をお送りいたします。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)












脅威の中国の車の販売台数の成長

2015年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム
多くの男の子は小さい頃から自動車に興味があります。いろいろな自動車の玩具で遊びます。成長すると運転免許を取って車を自分で運転するようになります。私も幼少の頃から自動車のオモチャで遊んでいました。本物の自動車は1960年にオハイオ州で買った中古のダッジ・コルネットでした。帰国後はマツダ、トヨタ、ホンダ、いすず、スズキ、日産といろいろな車に乗りました。現在はニッサンのNoteという車に乗っています。
ところで、去年のトヨタの生産台数がジェネラル・モータースを抜いて世界一になったとうニュースを聞いて嬉しく思いました。
そこで最近世界各社の車の生産台数や国別販売台数などを調べていました。
そうしたら中国では2014年に自動車が2349万台も売れたのです。これは世界一です。2位はアメリカの1684万台、そして日本は556万台です。
下にその統計のランキング11位まで示します。
国別自動車の2014年の販売台数(乗用車、小型商用車、トラック、バス)で二輪車は含まない)(http://www.globalnote.jp/post-11249.html)
1 中国 23,491,893
2 アメリカ 16,841,973
3 日本 5,562,887
4 ブラジル 3,498,012
5 ドイツ 3,356,718
6 インド 3,176,763
7 イギリス 2,843,025
8 ロシア 2,545,666
9 フランス 2,210,927
10 カナダ 1,889,437
11 韓国 1,730,322        以下省略
そして更に驚くべきことは2014年に中国内で自動車を2372 万台も生産しているのです。勿論トヨタ、日産、ホンダやドイツやアメリカの中国工場が作っているのも多いのですが中国国内の生産台数が2372万台もあるのです。
国別自動車の2014年の生産台数(http://www.globalnote.jp/post-3184.html)
1 中国 23,722,890
2 アメリカ 11,660,699
3 日本 9,774,558
4 ドイツ 5,907,548
5 韓国 4,524,932
6 インド 3,840,160
7 メキシコ 3,365,306
8 ブラジル 3,146,118
9 スペイン 2,402,978
10 カナダ 2,393,890
11 ロシア 1,886,646 、    以下省略
中国の次は2位のアメリカの1166万台です。日本は3位で年間977万台作っています。
そして中国での販売台数は2011年には1851万台、2012年には1931万台、2013年には2198万台、2014年には2349万台と急増しているのです。このような中国経済の急成長ぶりは日中間の輸出入額の急増を見ても実感出来ます。
中国がこの勢いを持続して成長するならば、その総生産高(GDP)はアメリカを抜いて世界一になる日もそう遠くないのです。
現在、中国の南シナ海や尖閣諸島周辺での無法な行いが大きく報道されています。
しかし巨大化する中国経済は日本へどのような影響を与えるのでしょうか。良い影響と悪い影響があると思いますが、悪い影響とはどのようものなのでしょうか?
日本のマスコミはもっと真剣にこのような問題を取り上げて貰いたいと思います。
歴史的に考えれば我々は漢字を輸入し、唐の律令制度を学び律令国家を作りました。そして現在は経済の上で中国は一番重要な国になっています。日本は中国と注意深く未来志向的な国際関係を築いて行くべきなことは明らかです。大きなそして複雑な問題です。
今日の挿絵の写真は去年の夏に河口湖自動車博物館で撮ったダットサンなどのクラック・カーの写真と最後にオート三輪車が全盛だった頃の小金井青果市場前の光景の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









今日の「海の日」とは何ですか?

2015年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
「海の日」とは何ですか?と問われれば返答に困るのは私だけでしょうか?
調べれば海の恩恵に感謝し、海事思想を振興する祝日ですと書いてあります。
ところが海事思想とは何でしょうか?また分からなくなりました。
四方を海に囲まれた我が国ではエネルギーや食糧、工業原材料のほとんどを海外から輸入しており、その99.8パーセントまでを海上輸送に依存しています。
 また、海は漁業やレクリエーションの場としても大きな役割を果たしており、海を利用し活用することなくして、今日の私たちの生活を維持することは困難となっています。
したがって海事思想とは海上輸送業と漁業を振興すべきという思想のことです。
そして「海の日」は昔の7月20日の「海の記念日」が国民の祝日になったのです。
平成8年にはその日が「海の日」として国民の祝日に制定されました。その後、「国民の祝日に関する法律」の改正により、 平成15年から7月の第三月曜日が「海の日」となり、三連休化されました。
そして「海の記念日」とは明治天皇の偉さを讃える記念日だったのです。
 明治9年(1876)6月2日、明治天皇は東北・北海道御巡幸にお出かけになりました。埼玉・茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の各県を巡幸されたのち、7月16日青森から御召艦に御乗船され、函館を経由して20日横浜へ御帰着されたのでした。『明治天皇紀』によれば、3日間荒波のため動揺はなはだしかったそうですが、明治天皇は終始“端然”としておられ、港で待ち受けていた人々を安心させたそうです。
これを記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され、平成8年から「海の日」として祝日となったわけです。昭和16年といえば真珠湾攻撃で第二次大戦を始めた年です。当然、「海の記念日」は国威発揚のためだったのです。
しかしそんな歴史に関係無く現在の海の日は海で大いに遊ぼうという日になっています。
それは海事思想の振興などという曖昧な運動なので仕方がありません。
私がヨットの趣味をしていた霞ヶ浦では毎年、海の日にクルーザーのレースをしていました。体力と技量に劣る私は何時もビリから2番目でした。
そんなことを思い出しながら、爽快な海洋ヨットレースの写真おを送りいたします。
写真はHiroshi Ogawa さんの2014年5月19日の葉山沖でのヨットレースの記事と写真をお借り致しました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。
====Hiroshi Ogawa さんの2014年5月19日の記事======
「最高のヨット日和」
昨日はクラブ恒例のレース、年一度の運営でした、コースはいつもと少し違う葉山御用邸前にブイを打ち回航マークとした約11マイル。参加艇16艇。南の順風に恵まれスピンランの長いコースでした。
本部船はスタートさせた後、ブイで待機、1艇ずつ富士山バックに写真撮影。防水カメラも古くなり、写りが悪くなって来た、又は気温のせいかピンとがぼける。
それでも全艇快適なセーリングを楽しんだ様だ。
パーティー後は大島レースの準備、2次会はいつもの川端亭で楽しい気持ち の良い1日でした。 https://www.facebook.com/hiroshi.ogawa.357?hc_location=timeline より転載致しました。





全国の夏祭り一覧表と日本の祭り文化

2015年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
昨夕、近所の納涼祭に行きました。家内が祭り好きで毎年、浴衣に帯を締めてウチワ片手に出かけます。私はそれほど好きでありませんがこれも義理と思いついて行きました。数多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしています。
ここ数日かなり深刻に考えています。お祭りとは何か?何故そんなに多くの人が楽しめるのか?お祭りと宗教の関係はあるのか?日本の祭りと外国の祭りとの違いはあるのか?などと老化した頭をグルグル回して考えています。
それで皆様にお願いしたいのですが、末尾にある全国のお祭りの8月の一覧表をザッとご覧下さい。
全国の8月の表ですから非常に数多くあります。私はその数の多さに吃驚しました。そして昨夕行ったような小さな納涼祭りはこの一覧表には入っていません。従って小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?
この数の多さは日本だけかも知れません。私は祭りに関しては素人ですが、欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。
狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではState Fair (州の農産物市場)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようです。そして南ドイツでは10月になるとOktobar Fest (十月祭)がありオハイオ州のState Fair と同じです。しかしドイツでは牛の丸焼きや大きなジョッキのビールが出ます。
そしてローテンブルグに近い村では提灯行列祭りもありました。
これは私の思い込みかも知れませんが、欧米の祭りでは伝統を重んじ、規模も大きいような気がします。日本のような気軽な納涼祭は無いようです。
それはそれとして、祭りで人々が楽しければ良いのです。昨日、子供たちが納涼祭で楽しんでいる光景を見て平和のありがたさを感じました。
祭りは元来は宗教と関係があったようですが、現在の祭りは殆ど関係が無いと考えられます。
それは末尾の全国の祭りの一覧表を見てもそのようです。
イエス・キリストが神殿の境内で店を出している商人を暴力的に追い出した場面が聖書にあります。その気持ち分からないでもありません。しかし夏はそんな堅い事を言わずに大いに祭りを楽しみ、猛暑を吹き飛ばすのも良いと思います。
今日の写真は昨日の納涼祭の光景です。一番目の写真の右の方に浴衣を着た家内の後姿が写っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:全国のお祭りの月別の一覧表========
8月のお祭り予定表の一覧: (http://www.maekawa.co.jp/valeur/maturi/index.html)
祭りの開催日は、その年で変わることがありますので、
必ず確かめてから、お出かけ下さい。

開催日 名□□□□□称 場□□□所
第1金・土・日曜日 富山祭り 富山市
上旬 ひまわり祭り 北海道北竜町
上旬 水戸の七夕・黄門まつり 茨城県水戸市
初旬および14日 平戸南蛮まつり 長崎県平戸市
1日 米子がいな祭 鳥取県米子市
1日 諏訪神社下社御舟祭 長野県下諏訪町
1日 筑波山がま祭 茨城県筑波町
1日 足利花火大会 栃木県足利市
1日 石崎奉燈祭 石川県七尾市
1日 山中湖湖上祭 山梨県山中湖村
1日 PL教祖祭花火大会 大阪府富田林市
1日 錦川水の祭典 山口県岩国市
1~2日 石巻川開き 宮城県石巻市
1~2日 わらじまつり 福島市
1~2日 ふるさと宮まつり 栃木県宇都宮市
1~2日 湯河原やっさまつり 神奈川県湯河原町
1~2日 野々市じょんからまつり 石川県野々市町
1~2日 清水港まつり 静岡県清水市
1~2日 万灯まつり 愛知県刈谷市
1~2日 松江水郷祭 島根県松江市
1~3日 草津温泉祭 群馬県草津町
1~3日 長岡まつり 新潟県長岡市
1~3日 大四日市まつり 三重県四日市市
1~3日 萩夏まつり 山口県萩市
1~5日 函館港まつり 北海道函館市
1~7日 弘前ねぷたまつり 青森県弘前市
1~7日 高岡七夕祭 富山県高岡市
2~3日 吉備津彦神社御田植祭り 岡山市
2~3日 気仙沼みなと祭 宮城県気仙沼市
2~3日 高崎祭り 群馬県高崎市
2~3日 糸魚川おまんた祭 新潟県糸魚川市
2~3日 石取祭 三重県桑名市
2~4日 苫小牧港まつり 北海道苫小牧市
2~4日 盛岡さんさ踊り 岩手県盛岡市
2~4日 うねめまつり 福島県郡山市
2~7日 青森ねぶた祭 青森市
2日 西祖谷神代踊り 徳島県西祖谷山村
3~4日 鮎川くじら祭 宮城県牡鹿町
3~4日 キュリー祭 鳥取県三朝温泉
3~5日 沼田まつり 群馬県沼田市
3~5日 万灯祭 滋賀県多賀町多賀神社
3~5日 わっしょい百万夏まつり 福岡県北九州市
3~6日 生田神社大海祭 神戸市中央区
4日 千歳航空祭 北海道千歳市
4~5日 塩釜みなと祭 宮城県塩釜市
4~7日 虫おくり・火祭り 五所川原市
5日 芦の湖鳥居焼まつり・流灯祭 神奈川県箱根町
5日 河口湖湖上祭 山梨県河口湖町
5~6日 高崎祭り 群馬県高崎市
5~7日 竿燈 秋田市
5~7日 花笠まつり 山形市
5~7日 銚子港まつり 千葉県銚子市
5~7日 七夕祭提灯祭り 山口市
5~7日 七夕絵どうろう祭り 湯沢市
6日 びんずる祭り 長野市
6日 鎌倉ぼんぼり祭 鎌倉市鶴岡八幡宮
6日 能代ねぶ流し 能代市
6~8日 仙台七夕まつり 宮城県仙台市
6~9日 姫路お城まつり 兵庫県姫路市
7日 神明の花火大会 山梨県市川大門町
7日 御岳山頂御岳教大御神火祭 長野県三岳村
7~8日 びわ湖まつり 滋賀一円
7~8日 彦根ばやし総おどり 滋賀県彦根市銀座街
7~8日 諏訪神社たてもん祭 富山県魚津市
7~8日 安城七夕まつり 愛知県安城市
7~8日 わらじ祭り 福島市
8日 けんか七夕 陸前高田市気仙町
7~9日 北上みちのく芸能まつり 岩手県北上市
7~9日 新潟まつり 新潟市
7~9日 やっさ祭り 三原市
7~10日 陶器祭 京都市五条坂一帯
8~10日 珍皇寺六道詣 京都市東山区
8日 厳島神社管弦祭 広島県宮島町
8日 琵琶湖花火大会 大津市
8日 按針祭 伊東市
9~10日 壬生寺万灯会・六齋念仏踊り 京都市中京区
9~12日 よさこい祭 高知市
中旬 黒石よされ 青森県黒石市
中旬 シャンシャン祭 鳥取市
中旬 水中花火大会 広島県宮島町
お盆の頃の金・土・日 日本のまつり 東京都神宮外苑
第2日曜を含む3日間 三原やっさ祭 広島県三原市
10日 王子神社槍祭り田楽祭り 東京都北区王子神社
10日 鎌倉花火大会 神奈川県鎌倉市
10日 太田川花火大会 広島県広島市
10日 白樺湖夏祭り 芽野市
10日 ひがしね祭り 東根市
11日 三国夏祭り 福井県三国町
11~12日 生国魂神社 薪能 大阪市天王寺区
11~13日 松山まつり 愛媛県松山市
11~13日 火の国まつり 熊本市
11~14日 高松まつり 香川県高松
12~13日 焼津神社祭り 静岡県焼津市
12日 おろち祭り 出雲市
12~15日 阿波おどり 徳島市
13~14日 八朔祭 石川県富来町
13~14日 高松祭り 高松市
13~15日 深川富岡八幡宮祭 東京都江東区
13~15日 じゃんがら念仏 福島県いわき市
13~16日 郡上盆踊り 岐阜県郡上郡八幡町
13~18日 東山盆踊り 会津若松市東山温泉
14~15日 中元万灯籠 奈良市春日大社
14~15日 放下 愛知県新城市
14~15日 三嶋神社踊奉納 山口県宇部市
14~16日 白石踊り 岡山県笠岡市
14~17日 月の輪神事 島根県安来市
15日 鳥羽・河内火祭り 三重県鳥羽市河内町穏田岡
15日 松島灯籠流し花火大会 宮城県松島町
15日 諏訪湖祭湖上花火大会 長野県諏訪市
15日 精霊流し 長崎市
15~16日 山鹿灯籠祭 熊本県山鹿市大宮神社
15~17日 三嶋大社例祭 静岡県三島市
16日 舟っこ流し 岩手県盛岡市
16日 箱根大文字焼 神奈川県箱根町
16日 時又灯ろう流し 長野県飯田市
16日 宮津灯籠流し 京都府宮津市
16日 京都大文字五山送り火 京都市
17~18日 デカンショ祭 兵庫県多紀郡篠山町
19~20日 花輪ばやし 秋田県鹿角市
19~21日 石和温泉まつり 山梨県石和町
下旬 鶴市の傘ぼこ 大分県中津市
下旬 三沢祭り 青森県三沢市
20~22日 片山津湯のまつり 石川県加賀市片山津温泉
22日 全国花火競技大会 秋田県大曲市
23~24日 千灯供養 京都市化野念仏寺
23~25日 地獄まつり 北海道登別市
24~26日 新庄祭 山形県新庄市
26日 吉田の火祭り 山梨県富士吉田市
26~27日 三河一色大提灯祭 愛知県幡豆郡一色町
26~28日 高円寺阿波おどり 東京都杉並区
26~28日 おしょっぺ祭り 石川県粟津温泉
27~29日 神発田祭り 新潟県新発田市
27~29日 大山阿夫利神社秋期例大祭 伊勢原市
2830日 木崎神社小木港祭り 新潟県小木町
29~30日 臼杵石仏火まつり 大分県臼杵市
29~30日 水軍祭り 広島県因島
31~9/1日 岩木山お山参詣 青森県岩木町
旧暦7月13~16日 チャンココ踊り 長崎県福江市
旧暦7月13~16日 エイサー 沖縄県本島北部









中南米征服の悪行を謙虚に謝罪したフランシシスコ法王

2015年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので宗教に関する短い話を書きます。
宗教にご関心の無い方々は昨日、三鷹市花と緑の広場で撮ってきた花の写真をお楽しみ下さい。
さて、カトリック教会の不思議は自分が通っている小さな教会が直接、ローマ法王の傘下にあるような感じがすることです。ですから何かというとフランシスコ教皇の動静が伝って来るのです。最近は法王は中南米に行っていました。出身地のアルゼンチンへは行かずに中南米が主な訪問地でした。各地で熱狂的な歓迎を受け、大勢の信者を集めたミサを捧げました。
そしてボリビアではかつてスペインやポルトガルが南アメリカを武力で征服し植民地にしたことを謙虚に謝罪したのです。この謝罪は先住民団体の代表らを前にした演説で行われました。
以下に朝日新聞のニュースを転載します。
「 南米を訪問中のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は9日午後、ボリビア東部サンタクルスで、15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、「謙虚に謝罪したい」と述べた。教会の布教の一方で先住民の虐殺や奴隷労働があった負の歴史について、歴代法王より踏み込んだ表現で謝罪した。
 先住民団体の代表らを前にした演説で、法王は「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」と発言。「はっきりと言いたい。アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について謙虚に謝罪したい」と語った。
 会場には、先住民出身のボリビアのモラレス大統領も同席。会場は大きな拍手に包まれた。一方で、法王は「先住民の側に寄り添って布教を続けた司教や司祭がいたことも覚えていてほしい」とも付け加えた。
 スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。1992年には、スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。1992年には、当時の法王ヨハネ・パウロ2世がドミニカ共和国で過去の征服を謝罪した。」(朝日新聞デジタル版:2015年7月11日、アスンシオン=田村剛)
この謝罪は1992年の法王ヨハネ・パウロ2世の謝罪に続く2度目の謝罪ということを強調したいと思います。
日本人のなかには西洋人を非難する場合によく南北アメリカでの原住民の虐殺行為を取上げるする人がいます。
しかし良心的な西洋人はその負の歴史を現在でも重荷として背負っているのです。
ローマ法王が謝っても許されることではありません。
しかしヨーロッパ人が公式の場で真摯に謝ったのはヨハネ・パウロ2世が初めてなのです。
その歴史的謝罪は1992年でした。スペインやポルトガルの南米侵略から実に500年後です。謝罪までに500年もかかったのです。
人間は愚かな存在ですが、法王ヨハネ・パウロ2世とフランシシスコ法王の謝罪は人類の将来に明るい光になるのではないでしょうか。明るいニュースと思いましたのでここにご紹介致しました。
今日は台風が去り、全国が晴れます。しかし猛暑になるそうです。

皆様のご健康と平和を心からお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山杜人)









商店が一つ一つと消えてしまったが納涼祭だけは残った

2015年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
昔、「京王通り」と呼ばれていたささやかな商店街で毎年、納涼祭が行われます。小金井市の自宅のすぐ裏の通りです。
車を通行止めにして、少しばかりの夜店が出ます。毎年、毎年、子共たちが何処からともなく沢山集まって嬉々として楽しんでいます。近所は静かな住宅街ですが子供が地から湧き出たように集まって来るのです。
その通りには昔、京王ストアというスーパーがあって、その前の40m位の通りが商店街になっていました。それで「京王通り」と呼んでいたのです。
昔は酒屋があり、肉屋、お茶屋、本屋、電気屋、蕎麦屋、2軒の寿司屋、中華そばや、錠前屋、クリーニング屋、そして道端では魚の浜焼き屋や軽トラでやって来る焼き鳥屋までありました。ですからその40mたらずの通りは近所の住宅街の人々の生活を支えていました。
それが経済の高度成長と崩壊とともに、一つ一つと店を閉めて行き、気がついた時には京王ストアさえ閉店してしまったのです。残ったのは新しく開業した八百屋一軒だけになってしまいました。
小さな商店のあった跡地には、洒落たアパートや若夫婦むけの小奇麗な一戸建ての住宅になってしまいました。
しかし毎年、夏が巡ってくると、その淋しい通りが賑やかな「納涼祭」の会場になります。商店は消えてしまいましたがこの納涼祭りは最近は「ナンジャモンジャ・京王通り商店会納涼祭り」という長い名前で賑やかに行われています。
今年は明日の7月19日の日曜日の16:30時から20:30時まで開催されます。
少しばかりの夜店が出て、若いタレントたちがちょっとした芸を見せます。そして通りの真ん中を、以前は南米のサンバチームが、そして最近は阿波踊りの一群が踊りながらゆっくり通りすぎて行きます。
昔は両側の商店の旦那さんたちが主催していましたが、皆一人、一人、と消えてしまったのです。そして現在は近くの商店がグループを作り毎年必ず実行します。子供が喜ぶので母親たちも協力しているようです。
私は毎年のように出掛けて行きます。はしゃいで楽しそうにしている子供たちを見るのが楽しいのです。
子供たちを見ていると戦前、戦後の仙台の街中の夜店や愛宕神社の参道に並んだ夜店を思い出します。その頃と子供の喜ぶ光景はまったく同じです。
違うところは照明の仕方です。昔はカーバイトに水をかけ、アセチレンガスを発生させて、アセチレン灯を夜店で使っていました。照明はそれだけですから暗いのです。夜店だけがアセチレン灯で明るいのです。それで一層子供心が湧き立つのです。
それは幻想的な夢のような世界でした。
もう一つの大きな違いは、昔はサンバの踊りや阿波踊りなど一切ありませんでした。ですから子供たちは夜店だけに心を集中していたのです。
そんな違いを思い出しながら、私は銀行の駐車場に作ったテーブル席に座って生ビールを飲むことにしています。
家内は浴衣を着て、楽しそうに歩き回って写真を撮ってくれます。昔は子供や孫を連れて納涼祭りを楽しんだものです。しかしそれももう卒業です。
それにしても日本全国、商店街は淋しくなりました。子供のいない過疎地では納涼祭りも消えていきます。しかし子供の沢山いる住宅街では今でも昔のように賑やかに納涼祭が行われているのです。
時代の流れをしみじみ感じさせられます。
皆様の住んでいるところでは納涼祭はあるでしょうか?
今日の写真は2013年の7月21日に撮ったものです。日本のどこにでもある夏の夜の子供たちの風景ですが、お楽しみ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









数日続いた雨が晴れあがったので湖の写真を撮りに行きました

2015年07月17日 | 写真
湖と書くとロマンチックですが、東京都民の飲み水の村山貯水池のことです。
家から車で40分の所です。貯水池の堰堤の上を往復2kmほど歩いて来ました。
二番目の写真の銀色の丸い屋根は西武球場のドームです。
広々とした風景をお楽しみ下さい。









「日本の伝統文化になじまない豪華客船、ヨットの趣味」

2015年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の文化は質素を美徳とする「侘び寂びの文化」です。それは仏教の教えるこの世のものは全て無常という思想に影響を受けています。
ですから贅沢をなんとなく嫌う傾向があります。
私は中年になってからカトリックの洗礼を受けましたがまぎれもないない日本人なので贅沢はいけないと思っています。人間は清貧であるべきだとも思っています。
一方、欧米文化は「侘び寂びの文化」ではありません。贅沢に対する嫌悪感がありません。
何故こんなことをあらためて書きだしたかと言うと、最近、豪華客船パシフィック・ヴィーナスに乗ってしみじみ感じたからです。それは横浜から名古屋までの一夜のクルージングでした。船内の素晴らしい内装や乗員の質の高い接客に感動しました。
しかし一方でこれは日本の伝統文化になじまないと強く感じたのです。豪華客船に乗ると楽しいのですが何故か居心地が悪いのです。違和感を感じます。贅沢過ぎるので少し罪悪感する感じます。
結論的に言えば、豪華客船に乗って楽しむ趣味は日本人にはなじみにくい趣味なのです。
そこで豪華客船のことを少し調べてみました。
世界の豪華客船の年間利用者は2000万人と言われていますが、日本人はたったの18万人前後です。その数は過去25年間横ばいです。増加しないのです。米国では1990年にクルーズ人口が350万人だったのが、2000年には690万人、2011年には1044万8000人と約3倍に増えています。
海外の豪華客船は22万トンと巨大な船を含めて数百隻もありますが、日本には3隻しかありません。
日本人の利用者数の18万人比較をみると日本のGDPが世界3位なことに対してあまりにも少な過ぎます。豪華客船の数もたった3隻で、世界全体の数百隻に比較してひどく少ないのです。
誤解なさらないで下さい。日本の豪華客船の数がたった3隻だからいけないと非難しているのではありません。この数の比較を一例として欧米の文化と日本の文化の違いを明らかにしようとしているのです。それは人生に対する考え方の違いに過ぎないのです。
船といえばもう一つの比較も良い例です。
過去25年間で日本にあるヨットの数が3000隻前後で増加しないのです。急に絶滅する趣味ではありませんが、ヨットの数が少しずつ減っているようです。私はヨットの趣味を25年間していましたので全国のヨットハーバーの数やヨットの数を丁寧に調べていましたので、この数は大きくは間違っいないと思います。
欧米の人口とヨット数の正確な統計はありませんが日本のヨット数は明らかに少ないようです。
その原因は、それらが「侘び寂びの文化」の対局にある趣味だからです。
そして以下の伝統的習慣も原因の一つになっています。
江戸時代の末期まで、働く日本人は盆暮れ以外は休みません。
明治の文明開化で土曜日が半ドン、日曜日は休みになりました。最近は国民の祝日も数が増えました。しかし現役の日本人は長期のバカンスをとれません。とると出世しないのです。
そして昔も現在も、多くの日本人にとって職業はその人の人生の全てを捧げるべきものなのです。ですから仕事の邪魔になるような趣味は罪悪でした。
勿論、日本人もいろいろですから、趣味に一生を費やす人もいます。そかしその数は非常に少ないのです。
一方欧米人の多くの人は、趣味こそが自分の個性を発揮できる重要なものと信じています。個性を大切にする文化です。
すると職業はその趣味の費用を得る手段になります。当然、全人生を職業へ捧げる人は非常に少なくなります。長期のバカンスは個人の権利として認められる文化なのです。
長期の休みが無ければ長期の客船の旅も出来ません。手間のかかるヨットの趣味など学生時代の部活動としか考えられません。
勿論、どんな国にも例外はあります。職業へ人生を捧げる欧米人も沢山います。しかし大多数はそうではありません。
以上の理由に加えてもう一つの彼我の文化の大きな相違があります。
欧米人は船に乗って楽しむという文化を持っています。
日本人は船は漁業に使うか物資を運ぶ仕事以外に使ってはいけないという牢固とした伝統を持っています。
この違いは25年間のヨットの趣味をしている間に身に沁みて体験しました。
ヨットに乗っていると海上では漁船や貨物船が優先です。欧米では帆船であるヨットが航路の優先権をもっているのに、日本ではヨットが舵を切って、航路をあけなければいけません。ヨットは遊びで、他の船は仕事をしているので当然と考えます。
港に入ればヨットは一番不便な、港口に近い岸壁に停めるのが原則です。絶対に漁船の邪魔をしてはいけません。
岸壁で舫いロープを整理していると、釣り人が近づいてきます。
そしてこの船は沖で釣りを楽しむために持っているのかと聞いてきます。
私が釣りはしません。帆走を楽しむのですと答えると、いささか軽蔑したようにあいまいな笑顔をして去って行きます。釣りをしないのに船を持っていることがどうしても理解できないのです。
豪華客船に乗って遠洋を渡りながら美味しい食事を楽しむ。レストランの大きな窓の外には果てしない海が白波を立てている。船の上ではゆったりと時間が流れて行きます。それだけを楽しむのが客船に乗る趣味です。
欧米人と日本人の趣味の違いは人生観の違いによって生じるのです。根が深いのです。
それぞれの国々の違った文化を大切に尊重する。するとこの地球は住んで楽しい惑星になると私は信じています。ですからこそ他国の趣味も理解することも大切なことと信じています。

下の一番目の写真は日本の豪華客船の飛鳥II(50,146トン)です。二番目は世界最大の豪華客船の、オアシス オブ ザ シーズ号、(22万5千トン)の内部の様子です。
三番目の写真はパシフィック・ヴィーナスの窓から撮った横浜の夜景です。四番目はその船内のピアノです。そして最後の写真は私が帆走を楽しんでいたヨットの写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









=======参考資料==================
日本と海外の豪華客船の一覧表(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E5%AE%A2%E8%88%B9)
======日本の豪華客船================
•郵船クルーズ(日本郵船系)、 飛鳥II:50,142トン
•商船三井客船(商船三井系) 、にっぽん丸:22,472トン
•日本クルーズ客船(SHKライングループ) ◦ぱしふぃっくびいなす:26,518トン
======海外の豪華客船================
•アイーダ・クルーズ(ドイツ)
アイーダディーヴァ級<同型船7隻> (総トン数69,203t 2007年就航<第1船>)アイーダヴィータ級<同型船2隻> (総トン数42,289t 2002年就航<第1船>)アイーダカラ (総トン数38,557t 1996年就航)•MSCクルーズ(イタリア)
MSC ファンタジア級<同型船4隻> (総トン数137,936t 2008年就航<第1船>)MSC ムジカ級<同型船4隻> (総トン数90,409t 2006年7月就航<第1船>)MSC リリカ級<同型船2隻> (総トン数59,058t 2003年6月就航<第1船>)MSC アルモニア級<同型船2隻> (総トン数58,714t 2001年6月就航<第1船>)MSC メロディ(総トン数35,143t 1982年4月就航)•オーシャニア・クルーズ(アメリカ)
マリーナ級<同型船2隻> (総トン数66,084t 2011年就航<第1船>)レガッタ級<同型船2隻> (総トン数30,277t 1998年就航<第1船>) ノーティカ (2000年就航)•カーニバルクルーズライン(アメリカ)
カーニバル・ドリーム級<同型船3隻> (総トン数128,251t 2009年就航<第1船>) カーニバル・ブリーズ(総トン数128,251t 2012年就航<第3船>)カーニバル・コンクェスト級<同型船6隻> (総トン数110,239t 2002年就航<第1船>)カーニバル・デスティニー級<同型船3隻> (総トン数101,353t 1996年就航<第1船>) カーニバル・トライアンフ(総トン数101,353t 1999年就航<第2船>)カーニバル・スピリット級<同型船4隻> (総トン数85,920t 2001年就航<第1船>)ファンタジー級<同型船8隻> (総トン数70,367t 1990年就航<第1船>)•キュナード・ライン(イギリス/アメリカ)※カーニバルクルーズ傘下
クイーン・メリー2(総トン数148,528t 2004年就航)クイーン・エリザベス (総トン数90,901t 2010年就航)クイーン・ヴィクトリア (総トン数90,049t 2007年12月就航)•クラシック・インターナショナル・クルーズ(ポルトガル)
プリンセス・ダナエ (総トン数16,531t 1955年就航)•クリスタル・クルーズ(アメリカ)
以下省略

夏の風物詩、お盆の幻想的で美しい風習

2015年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
夏になると地方、地方で違ういろいろなお盆の行事があります。先祖の霊を迎え、霊をなぐさめ供養するのです。ご先祖さまをなぐさめるためにいろいろなお供え物を捧げます。そして盆踊りを楽しんで貰います。青森では佞武多(ねぶた)も楽しんでもらいます。
この世とあの世の行き来の乗り物としてキュウリやナスで作った馬と牛を供えます。果物やそうめんも供えます。
迎え火で亡くなった家族の霊を家に迎えます。盆の行事がすむと送り火でご先祖様たちをあの世へ送ります。精霊流しで霊が安らかにあの世に帰るのを祈るのです。
このようにあの世の人との交流なので神秘的な行事です。幻想的で美しい行事がそれぞれの地方でおこなわれるのです。
盆踊りはどんなに騒がしくても死者への捧げものなので一抹の哀愁がこもっているようです。
たとえば激しい踊りの郡上八幡の盆踊りの中にも淋しい曲と所作が混じっているのです。
私が見たいろいろな盆踊りの中で一番印象深いものは富山県の八尾町のおわら風の盆です。
踊り手の男女は笠を深くかぶり、絶対に顔を見せません。姿だけの踊りで先祖の霊を供養するのです。男衆は何故か淋しげな表情で三味線や胡弓を奏でます。哀愁がこもった美しい曲です。通りに面した家々は電燈を消して静かにしています。
ああ、これが本来の盆踊りなのだと感動したことが忘れられません。
この風の盆の写真を3枚お送りいたします。
写真の出典は、http://henmi42.cocolog-nifty.com/yijianyeye/2014/08/post-8c8c.html です。
そしてついでに精霊流しの写真を2枚お送り致します。写真の出典は順に、http://blogs.yahoo.co.jp/yokohama_crows/GALLERY/show_image.html?id=50643264&no=2 と
http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/tass/blog/123614.html です。
お盆には胡瓜と茄子で馬と牛を作った思い出がある方々も多いと思います。そして美しいお盆提灯を押入れや蔵から持ち出して縁先に飾った思い出もある人もいるでしょう。
ところで私自身はお寺の本堂に特別に作った施餓鬼棚の前で数人のお坊さんが輪になってお経を唱えていた光景が忘れられません。毎夏、帰省していた兵庫の曹洞宗のお寺ではお盆になると決まって施餓鬼供養をするのです。餓鬼道に陥った亡者を供養したり、道ばたに倒れた人の霊を慰めるのです。そしてその時、全ての祖先もあわせて供養するのです。
この施餓鬼供養は6,7人のお坊さんが銅鑼や太鼓や鐘を打ち鳴らす珍しい供養で、子供心にも深い印象が残ったのです。それから茫々、数十年。昨年、奥多摩のある曹洞宗のお寺に何気なく入っていったら、その施餓鬼棚が本堂の前に飾ってあったのです。それは懐かしい光景でした。お盆といえば施餓鬼供養を毎年思い出しています。
このように人それぞれお盆にはいろいろな思い出をお持ちのことと思います。
お盆の時期は地方によって違います。先祖の霊の迎え方やお供え物も違います。盆踊りも違います。これこそ豊かなローカル文化として、夏の美しい風物詩になっているのです。
皆様のお盆にまつわる思い出をお聞かせ頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料================
お盆:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86
・・・地方によっては、お盆の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意することがある。4本の麻幹あるいはマッチ棒、折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚に供物とともに配する。きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められている。
地方によっては「施餓鬼」(きこん または せがき)と呼ばれ、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作り、道ばたに倒れた人の霊を慰めるなどの風習もこの頃に行われる。また、盆提灯と呼ばれる特別な提灯を仏壇の前に飾ったり、木組に和紙を貼り付けた灯篭を流す灯篭流しや、提灯を小船に乗せたようなものを川などに流す精霊流しを行う場合がある。特に長崎県長崎市の精霊船を曳き、市内を練り歩くのが有名。 特殊な例として盛岡市では供物を乗せた数m程度の小舟に火をつけて流す「舟っこ流し」が行われる。・・・









夏の風物詩、お盆にまつわる幻想的で美しい風習

2015年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
夏になると地方、地方で違ういろいろなお盆の行事があります。先祖の霊を迎え、霊をなぐさめ供養するのです。ご先祖さまをなぐさめるためにいろいろなお供え物を捧げます。そして盆踊りを楽しんで貰います。青森では佞武多(ねぶた)も楽しんでもらいます。
この世とあの世の行き来の乗り物としてキューリやナスで作った牛や馬ををかざります。
迎え火で亡くなった家族の霊を家にむかえます。盆の行事がすむと送り火でご先祖様たちをあの世へ送ります。精霊流しで霊が安らかにあの世に帰るのを祈るのです。
このようにあの世の人との交流なので神秘的な行事です。幻想的で美しい行事がそれぞれの地方でおこなわれるにです。
盆踊りはどんなに騒がしくても死者への捧げものなので一抹の哀愁がこもっているようです。
たとえば激しい踊りの郡上八幡の盆踊りの中にも淋しい曲と所作が混じっているようです。
私が見たいろいろな盆踊りの中で一番印象深いものは富山県のおわら風の盆です。
踊り手の女性は笠を深くかぶり、絶対に顔を見せません。姿だけの踊りで先祖の霊を供養するのです。男衆は何故か淋しげな表情で三味線や胡弓を弾けます。
通りに面した家々は電燈を消して静かにしています。
ああ、これが本来の盆踊なのだと感動したことが忘れられません。
その風の盆の写真を3枚お送りいたします。



富山市八尾町のおわら風の盆:http://henmi42.cocolog-nifty.com/yijianyeye/2014/08/post-8c8c.html

精霊流しの写真:http://blogs.yahoo.co.jp/yokohama_crows/GALLERY/show_image.html?id=50643264&no=2
精霊流し夜景:http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/tass/blog/123614.html



====参考資料================
お盆:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86
・・・地方によっては、お盆の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意することがある。4本の麻幹あるいはマッチ棒、折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚に供物とともに配する。きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められている。
地方によっては「施餓鬼」(きこん または せがき)と呼ばれ、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作り、道ばたに倒れた人の霊を慰めるなどの風習もこの頃に行われる。また、盆提灯と呼ばれる特別な提灯を仏壇の前に飾ったり、木組に和紙を貼り付けた灯篭を流す灯篭流しや、提灯を小船に乗せたようなものを川などに流す精霊流しを行う場合がある。特に長崎県長崎市の精霊船を曳き、市内を練り歩くのが有名。 特殊な例として盛岡市では供物を乗せた数m程度の小舟に火をつけて流す「舟っこ流し」が行われる。・・・

世界の美しい橋の写真をお送りします

2015年07月15日 | 写真
アメリカのオハイオ州に住んでいる旧友の、Bob Rappさんは時々珍しい写真を送ってくれます。彼は以前、オハイオ州立大学の教授をしていました。今年の1月に奥さんが亡くなり意気消沈の様子でしたが、最近は以前のように珍しい写真を送ってくるようになりました。それは友人として大変嬉しいことです。
昨日、世界中の美しい橋の写真を沢山送ってくれました。その中から5枚を選んでお送りします。
一番目から五番目の写真は順々に以下の通りです。
1、Mostar, Bosnia 2、Charles Bridge, Prague  3、Capilano Suspension Bridge, Vancouver, Canada  4、Devilâs Bridge, Bulgaria  5、San Juan de Gastelugatxe, Spain









絶景の乗鞍スカイラインの悲しい歴史

2015年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
この7月4日に乗鞍スカイラインをバスで登りました。主峰の剣ヶ峰のすぐ下の広い畳平まで立派な自動車道路が出来ています。畳平は標高2700mで、剣ヶ峰が約3000mですから、わずかに300m登れば乗鞍山の頂上に立てるのです。
このスカイラインからの風景が雄大です。北を見ると、穂高、大キレット、南岳、そして槍ケ岳へと縦走出来る連山が残雪に輝いています。その少し西を眺めると大きな谷をへだてて笠ヶ嶽の峰々が碧く光っているのです。
そして畳平の大きな駐車場にバスをとめて周辺を散策します。
剣ヶ峰を見上げると戦後に出来たコロナ観測所の白いドームが見えます。そこへ続く大雪渓を登山者が一列に並んでゆっくり歩いています。傾斜が急でないので、私でも若ければ簡単に登れそうです。
新鮮な空気を楽しんでいたら気温が7度しかないことを知り、急に寒くなりました。
とにかく乗鞍スカイラインからと畳平からの風景は雄大な絶景なのです。
7月4日はあいにくの曇りで鮮明な写真を撮れませんでした。5枚を選んでお送りいたします。
風景は美しいのですが、この山岳道路を登るたびに戦前生まれの私の気持ちは悲しみで満ちるのです。太平洋戦争で酷い敗け方をしたことを思い出すのです。そして特攻隊の悲劇を考えてしまうのです。
特攻隊の乗って行った戦闘機のエンジンの改良の研究をこの乗鞍山でしていたのです。
高度10000m以上になっても出力の落ちないエンジンを作ろうとして帝国陸軍戦闘機実験場を作ったのです。そのために畳平まで軍用トラックが登れる道路を建設しはじめたのが1941年です。
そして19年5月ごろから、約80人の技術将校や学生らがグループごとに試作エンジンとともに運ばれ、10日間程度ずつ実験したそうです。
しかしその頃から日本は負け戦に転じ、ラバウル、グアム、サイパン、硫黄島、と占領され沖縄線へと奈落に落ちて行ったのです。
現在、観光バスが楽しげに登っている「乗鞍スカイライン」は帝国陸軍戦闘機実験場のための軍用道路として建設されたのです。
それから幾星霜、この旧帝国陸軍戦闘機実験場だった建物は約65年後の2008年11月に解体されたのです。
この建物の解体に関しては、末尾の参考資料に付けたように信濃毎日新聞が詳しく報道しています。
軍用道路が観光道路になっているのです。
それだけではありません。全国に数多く作られた軍用飛行場が現在は民間飛行場として活用されているのです。その一覧表は、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8258573.html にあります。
こんなにあらゆる努力をしたのに日本は完全に敗れ去ったのです。
乗鞍スカイラインに登るとこのようなことを想い悲しくなるのです。
戦後生まれの若い家族連れが、そんなことを考えないで畳平の新鮮な空気を楽しみ、登れる所まで気楽に散策しています。それを見るのはまた楽しいものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









====参考資料===================
(1)「姿消す本土防空の一舞台 乗鞍山頂の戦闘機実験場解体」
          信濃毎日新聞:2008.11.04

 第2次大戦中に旧日本軍の陸軍航空技術研究所が、長野・岐阜県境の乗鞍岳(3、026メートル)山頂近くに建てた実験所を前身とする「乗鞍山荘」が今秋、老朽化などで解体された。高度約1万メートルを飛ぶ米軍のB29爆撃機に対抗する戦闘機のエンジン改良を極秘に進めた場所で、軍が造ったアクセス道路が今の乗鞍スカイラインのもとになった。本土防空に向けた歴史の一舞台が消えたことを惜しみつつ、平和への願いを新たにする人も少なくない。
 実験所は岐阜側の畳平(標高約2700メートル)に一部二階建てで建設。空気の薄い高高度を飛ぶため過給機(ターボチャージャー)を備えたエンジンの開発が目的で、1944(昭和19)年5月ごろから、約80人の技術将校や学生らがグループごとに試作エンジンとともに運ばれ、10日間程度ずつ実験したという。
 東京工大名誉教授の一色尚次さん(86)=東京都=は、東大で航空工学を学んでいた同年4月、同研究所に動員され、10月に技術将校2人と実験所へ。「高高度の寒さを想定し、毎日午前2時から5時まで、屋外でエンジンをつなげた模型の操縦席内で計器を見つめてデータを記録した」。潤滑油内の空気だまりを抑える実験でエンジンを火鉢で温め、漏れた油が燃え上がる騒ぎもあった。
 高高度用のエンジンは資材不足などで実用化はならなかったとされている。ただ、一色さんは「実験所での成果を生かした改良エンジンが多くの戦闘機に搭載された」という。同年11月から日本本土は本格的にB29の襲撃を受け、友人の弟が戦闘機でB29に体当たりして死んだことを新聞記事で知った。当時は「悲しみより、改良したエンジンでB29を撃墜できたことや体当たりしたことをすごいと思った」と打ち明ける。
 戦後は旧運輸省に勤めた後、東工大などで教え、日本機械学会長も務めた。実験所で一緒だった技術将校や東大生は大学の研究者や自動車メーカーの役員になった。一色さんは、実験所で培った技術も戦後復興を支えたと考える一方、再び兵器製造を求められたとしたら「拒否する。兵器は人を殺すものだ」と話す。
 実験所は戦後、国鉄に所有が移って乗鞍山荘となり、その後JR東海が管理。この間、建て増ししながら観光客や登山客を受け入れた。だが老朽化や、2003年度からのマイカー規制に伴う利用客減少などで07年3月末に閉鎖、今年9月末に解体された。
 閉鎖まで約10年間、山荘支配人だった森本三継さん(66)=岐阜県飛騨市=は、乗鞍スカイラインができた経緯を宿泊客らに説明して驚かれたと振り返り、「歴史を語る建物として、できれば残してほしかった」と話した。

「憲法9条が日本の平和を守ると信じる人が何故多いか?」への補足

2015年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
「憲法9条が日本の平和を守ると信じる人が何故多いか?」という記事に多くの方々から真面目なご意見を頂きまして誠にありがとうございます。
問題は戦後70年間の日本社会の矛盾や混乱を背景にしているだけに単純なものではありません。私はこの記事を掲載したのはそのいろいろな立場にたった真摯なご意見を知りたかったからです。深く考えるべきご意見を沢山頂き有難うございます。
いくつも感動的なご意見を頂きましたが以下に一つだけ再掲載せせて頂きます。
===ドーベルマンさんからのコメント===========
2015/07/13 16:53

例えに出された「新潟平野に上陸してくる敵軍」の場合は現在の9条でも自衛権は認められるというのが歴代の政府の考え方ですね。どうして現在問題になっている集団的自衛権が今必要なのでしょうか。
先制攻撃は駄目だと云っても今の日米関係では日本の自主的な判断など全く不可能です。
NATOの各国は自国の国益をベースにイラク戦争での米国を批判し反省していますが、今の日本は自国の国益なんか問題にもならず米国にただ従うだけです。イラク戦争への反省もしていません。
軍事・外交を全面的に米国に依存し、米国の指示に従うことが絶対である日本の官僚体制では米国の世界的な先制攻撃に無理やり参戦させられるだけです。
そういう米国の支持を断る唯一の手段が9条だったのです。
9条を変えるのは日本が独立国になってからではないでしょうか。
===ドーベルマンさんからのコメントの続き==========
2015/07/13 19:24
もう一つ書き忘れていたことがあります、申し訳ありません。

<<純粋な人ほどその架空な主張を信じます。それが如何に空想的平和論であるかを考えないでひたすら信じているのです。その疑いを知らない純粋さに感銘を受けているのです。>>

という言葉はこのコラムの主にも言えることでしょうね\(^O^)/

在日米軍が日本を守るためだと信じ、そのおかげで日本が平和であるという米国の言い分を素直に信じる純粋さ。

在日米軍は日本を守るための軍隊ではないでしょうね、特に沖縄の海兵隊は他国を攻めるための軍隊です。日本は平和どころか米軍のおかげで常に危険にさらされているのじゃないでしょうか。

日本に駐在することは米国にとっては経済的に笑いが止まらないほどのメリットがあるのです。米国にとっては軍事的にはほとんど意味がありません。日本にとっては逆に危険にさらされるだけです。

日本の官僚体制は米国の指示を忠実に実行することで自分たちの天下が安全に保持されることを身に沁みて知っているのです。日本国民のことなど全く無関心です。米国は戦後70年をかけて米国が日本を支配する体制を巧妙につくってきたのです。

それを覆すような動きがあれば必死になって潰すでしょう。歴史が証明しています。

日本人の気質、歴史、文化、あらゆることを研究して、もちろんマスコミによるプロパガンダ、米国で教育した人材の総動員、すべて今のところはしてやったりと言う気分でしょうね。

ご指摘のように貴兄を含めて日本人は本当にナイーブなんですから。

蛇足かもしれませんが、ひろしま・ながさき、戦争を終わらせるためだったという米国の言い分もすでに研究者の手で化けの皮がはがされていますが、まさか純粋にその言い分を信じているわけはないでしょうね。
===============================
こういう見方は案外客観的な感じもしますので、あらためてご紹介しました。実は私も「米国で教育を受けた人材」の一人なのです。

憲法9条が日本の平和を守ると信じる人が何故多いか?

2015年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、日本の軍備強化と集団的自衛権確立のための法改正で世の中が騒然となっています。そしてその先には戦争放棄を明記した憲法も改正しようとしています。
安保関連法の改正や憲法改正に賛成する人々と、反対する人々が感情的な論争をしています。
そして、反対する人々は、よく日本は憲法9条があって戦争を放棄していたから平和だったと主張します。したがって今後もこの9条さえあれば日本の平和は守れると主張します。
すると憲法の改正に賛成な人々は非常に感情的になって反対派を馬鹿だと口汚く愚弄します。
このような感情的な応酬が目に余るのが昨今です。
最初に言っておきますが、私は憲法9条が日本の平和を守ったとは思いません。簡単に言えば日本に駐留していたアメリカ軍の核兵器や強大な空軍が日本の平和を守ってきたのです。この事情は今後も同様です。その上、日本自身も戦うことも考えなければいけない国際情勢になって来たのです。
それはそうですが、「憲法9条さえあれば日本は平和だ!」いう人がいても私は軽蔑なぞ出来ません。それどころかそのように叫ぶ人の純粋さに敬意さえ感じるのです。
その理由は戦後70年にわたって「日本の平和憲法が日本の平和を守る」と教育され、新聞や雑誌でもこの主張が繰り返されて来た歴史を知っているからです。純粋な人ほどその架空な主張を信じます。それが如何に空想的平和論であるかを考えないでひたすら信じているのです。
その疑いを知らない純粋さに感銘を受けているのです。
第二次大戦中に叫ばれた「神州不滅」という言葉を唯ひたすら信じ、自分が所持していた貴金属類を国家に寄付した人々がいました。そのような人を私は現在でも尊敬しています。
議論する前に、反対論を言う人をまず尊敬すべきなのです。そして愚弄するのではなく静かに憲法9条が平和維持のために役にたたない事を諄々と説明する態度が重要だと私は信じています。
それには反対か賛成か急いで結論を出すのではなく、まず「国家と国民の関係」のいろいろな考え方を話し合うのが良いと思います。
憲法改正反対の人は、「国家が国民を戦争に駆り出すのは絶対にいけない」と主張します。
賛成派の人は「国家は国民の安全を守るあらゆる現実的な準備をすべきだ」と言います。それには軍備を強化して集団的自衛権を持たなければいけないと説明します。
戦争は人間を悪魔にします。ですから戦争を始めてはいけません。すなわち先制攻撃は絶対にしてはいけません。しかし例えば、新潟平野に上陸してくる敵軍をそのままにして良いものでしょうか?そのまま敵の自由にさせていれば、すぐに東京が占領され、日本の国家としての存在が消滅します。憲法9条を守り、武力行使に反対な人々は日本が他国の領土になっても良いとお考えなのでしょうか?
このように静かに説明すれば日本の憲法改正が必要だと考え直す人が増えると思います。
しかし戦後70年にわたって信じて来た人々の考え方を変えるのは容易ではありません。
それには現在のように安倍総理が率先して改革をするのではなく、まず国民投票をして、改革の方向を決めてから、政府が具体的な内容を審議すべきではないでしょうか?
一方で全ての宗教は戦争に絶対反対です。どの宗教でも他人を殺すことは禁じています。
この宗教の教えも勘案しながら、どのような場合は正当防衛にあたるかを議論することも重要ではにでしょうか?アメリカの艦艇が敵からミサイル攻撃を受けたら自衛隊が反撃するとしたら、それは正当防衛でしょうか?議論の別れる問題です。
ここで言いたいことは最近、日本人は少し感情的になり過ぎているこということです。
感情的になればなるほど建設的な結論にならないという原理原則を思い出すのが良いと信じています。
挿絵は心が静かになるようにと西洋の名画を3点お送りいたします。
一番目がマネの「笛を吹く少年です。
二番目がモネのサン・ラザール駅の風景画です。
三番目がカイユボットの「鉋をかける人々」です。