夏になりましたね。夏と言えばソーメンの季節なのでしょうか。私はソーメンが好きなので夏になると毎日のように一生懸命たべます。
しかし世の中には冷たいソバは好きだがソーメンは嫌いだという人もいます。
そこでそういう方々のために先日撮って来た上高地の美しい風景の写真をお送りいたします。
この先はソーメンに関するつまらない話です。お読み頂くほどの内容ではありません。
私はよく間違った思い込みをしています。例えば箱根山の西はウドンとソーメンの文化圏で、東側はソバの文化圏と思い込んでいます。
ところが東京のスーパーでは讃岐ウドンも揖保の糸、三輪ソーメン、小豆島ソーメンも沢山売っています。その上、ある大手食品メーカーは「熟成の極みソーメン」などというものを売っているのです。副題のように「唸るコシ、際立つなめらかさ」などと唄いあげています。
これを見て私はひどく悲しくなりました。
もともとこの日本には地方、地方に豊かなローカル文化があった筈です。それが日本人の心を豊かにしているのです。実に嘆かわしい事態です。
箱根山の東で生まれ育った私がソーメンが好きになった原因は幼児体験だったのです。
祖父が兵庫県の山郷のお寺の住職をしていて、そこで揖保の糸ソーメンを食べたのです。
仙台の大学で働いていた父が毎年、夏に帰省していたのです。そのお寺で何度もご馳走になったのが揖保の糸などの播州ソーメンだったのです。このお寺で最高のご馳走はそうめんでした。揖保の糸でした。祖母が大量のそうめんを茹でて大きな器に冷たい水をはり、ソーメンを漬けて出すのです。祖父、祖母、そして私たちの一家5人がその器を囲んで座り、めいめいが箸でそうめんを掬いガラスのコップの中のカツブシ味のツユに漬けて食べるのです。食べられるだけ食べてよいのです。その美味しさが私のそうめん好きの原因になったのです。
ですから私はソーメンといえば揖保の糸が最高と信じています。
しかし本当にそうでしょうか?
そこで三輪ソーメン、小豆島ソーメン、氷見ソーメン、などなどいろいろ買ってきて食べ較べて見ました。
そうしたら、どれも甲乙つけがたく美味しいのです。歯ごたえや味わいはそれぞれ微妙に違いますが、どれも美味しいのです。
そこで数日前に「唸るコシ、、、、」という大手メーカーのソーメンと埼玉県の名も無い会社が作ったソーメンを買ってきました。食べてみると揖保の糸などの箱根の西で作られるソーメンと比べても遜色がないのです。「唸るコシ、、、」というソーメンは別に唸っていませんでしたが美味です。
ああ、これでソーメンに関する日本のローカル文化は消滅したのです。
しかし負け惜しみになりますが、最後に長崎地方でしか作られていない「ド・ロさまソーメン」をご紹介いたします。
この四月に、五島列島に旅をしました。そうしたら明治時代に作られたド・ロさまそうめんを現在でも製造している会社があることを知りました。
その会社のことは、http://www.sunflead.co.jp/doro.htmlにございます。
最後の写真にド・ロさまそうめんの写真を示します。
このそうめんは明治時代にド・ロさまによって作り始められたのです。
ド・ロさまは、明治12年(1879年)に現在の長崎市の旧黒崎村出津の里に赴任した、フランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)のことです。
彼は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚き、村人の生活の向上のために布教活動のかたわら授産所や救助院を設けます。その上、故国、フランスから小麦粉を取り寄せ、私財を投じてパン、マカロニ、ソーメンづくりなどの技術を教えました。
ド・ロさまは72歳で亡くなるまでの42年間、故郷のフランスに一度も帰りませんでした。終生、長崎の貧しい人々に優しく接したのです。信者でない人々へも等しく支援したのです。
ですから長崎の人は今でもド・ロさまを懐かしく思い出しているのです。決っしてド・ロ神父さまとは呼ばずに親しみを込めてド・ロ・さまと呼びます。
ド・ロ神父さまの活躍の詳細や彼の記念館のことはネット上に非常に沢山出ています。
それらによると、彼は信者であるなしに関係なく苦しむ人々の味方になって助けたのです。徹底的に助けたのです。精魂を込めて助けたのです。
九州の人々とフランス人のド・ロさまの絆の強さを想うと不思議でなりません。そしてソーメンのお蔭で私がド・ロさまと感じる絆も不思議です。このような不思議な絆がこの世にあるのですね。
ソーメンの話がド・ロ神父の話へと脱線してしまいごめんなさい。
こんな変わったソーメンが長崎にあるという話でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
しかし世の中には冷たいソバは好きだがソーメンは嫌いだという人もいます。
そこでそういう方々のために先日撮って来た上高地の美しい風景の写真をお送りいたします。
この先はソーメンに関するつまらない話です。お読み頂くほどの内容ではありません。
私はよく間違った思い込みをしています。例えば箱根山の西はウドンとソーメンの文化圏で、東側はソバの文化圏と思い込んでいます。
ところが東京のスーパーでは讃岐ウドンも揖保の糸、三輪ソーメン、小豆島ソーメンも沢山売っています。その上、ある大手食品メーカーは「熟成の極みソーメン」などというものを売っているのです。副題のように「唸るコシ、際立つなめらかさ」などと唄いあげています。
これを見て私はひどく悲しくなりました。
もともとこの日本には地方、地方に豊かなローカル文化があった筈です。それが日本人の心を豊かにしているのです。実に嘆かわしい事態です。
箱根山の東で生まれ育った私がソーメンが好きになった原因は幼児体験だったのです。
祖父が兵庫県の山郷のお寺の住職をしていて、そこで揖保の糸ソーメンを食べたのです。
仙台の大学で働いていた父が毎年、夏に帰省していたのです。そのお寺で何度もご馳走になったのが揖保の糸などの播州ソーメンだったのです。このお寺で最高のご馳走はそうめんでした。揖保の糸でした。祖母が大量のそうめんを茹でて大きな器に冷たい水をはり、ソーメンを漬けて出すのです。祖父、祖母、そして私たちの一家5人がその器を囲んで座り、めいめいが箸でそうめんを掬いガラスのコップの中のカツブシ味のツユに漬けて食べるのです。食べられるだけ食べてよいのです。その美味しさが私のそうめん好きの原因になったのです。
ですから私はソーメンといえば揖保の糸が最高と信じています。
しかし本当にそうでしょうか?
そこで三輪ソーメン、小豆島ソーメン、氷見ソーメン、などなどいろいろ買ってきて食べ較べて見ました。
そうしたら、どれも甲乙つけがたく美味しいのです。歯ごたえや味わいはそれぞれ微妙に違いますが、どれも美味しいのです。
そこで数日前に「唸るコシ、、、、」という大手メーカーのソーメンと埼玉県の名も無い会社が作ったソーメンを買ってきました。食べてみると揖保の糸などの箱根の西で作られるソーメンと比べても遜色がないのです。「唸るコシ、、、」というソーメンは別に唸っていませんでしたが美味です。
ああ、これでソーメンに関する日本のローカル文化は消滅したのです。
しかし負け惜しみになりますが、最後に長崎地方でしか作られていない「ド・ロさまソーメン」をご紹介いたします。
この四月に、五島列島に旅をしました。そうしたら明治時代に作られたド・ロさまそうめんを現在でも製造している会社があることを知りました。
その会社のことは、http://www.sunflead.co.jp/doro.htmlにございます。
最後の写真にド・ロさまそうめんの写真を示します。
このそうめんは明治時代にド・ロさまによって作り始められたのです。
ド・ロさまは、明治12年(1879年)に現在の長崎市の旧黒崎村出津の里に赴任した、フランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)のことです。
彼は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚き、村人の生活の向上のために布教活動のかたわら授産所や救助院を設けます。その上、故国、フランスから小麦粉を取り寄せ、私財を投じてパン、マカロニ、ソーメンづくりなどの技術を教えました。
ド・ロさまは72歳で亡くなるまでの42年間、故郷のフランスに一度も帰りませんでした。終生、長崎の貧しい人々に優しく接したのです。信者でない人々へも等しく支援したのです。
ですから長崎の人は今でもド・ロさまを懐かしく思い出しているのです。決っしてド・ロ神父さまとは呼ばずに親しみを込めてド・ロ・さまと呼びます。
ド・ロ神父さまの活躍の詳細や彼の記念館のことはネット上に非常に沢山出ています。
それらによると、彼は信者であるなしに関係なく苦しむ人々の味方になって助けたのです。徹底的に助けたのです。精魂を込めて助けたのです。
九州の人々とフランス人のド・ロさまの絆の強さを想うと不思議でなりません。そしてソーメンのお蔭で私がド・ロさまと感じる絆も不思議です。このような不思議な絆がこの世にあるのですね。
ソーメンの話がド・ロ神父の話へと脱線してしまいごめんなさい。
こんな変わったソーメンが長崎にあるという話でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)