後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

我が人生で し残した趣味(2)小説を書き同人誌を発行する趣味

2016年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
よく若者の無謀な行いを「若気の至り」と言いますが、青春には恥ずかしいことが多いものです。
実は私はある新聞の懸賞小説に2度入選して賞金を貰ったことがあります。賞金で三省堂の金澤庄三郎編、「広辞林」を買いました。非常に厚い辞書で高価な本で今でも使っています。
応募先は仙台市の河北新報で1958年と1959年の2度応募しました。入選作の題目は、「老亜炭堀り」と「冬カッコー」でした。そして新聞に掲載されたのです。
選者は小説家の船橋聖一氏でした。選評で「構成力がある」などと褒めて下さり、嬉しかった記憶があります。
その時フッと思ったことが小説を書いて同人誌を発行する趣味を持つことでした。80歳の現在考えるとそれは無謀な「若気の至り」で恥ずかしくなります。
当時は理科系の大学院に入学したばかりでした。連日、徹夜の実験をしていた頃です。実験科学者として研究を続けるという決心でした。
そんな者に文才がある訳もなく、また時間的な余裕もありませんでした。しかし今でもそんな趣味に憧れています。私の人生での見果てぬ夢です。
ところが1974年に森の中に小屋を作った頃、近所の木内正夫さんの山荘に住んでいた木内光男さんという方と友人になったのです。
光夫さんは正夫さんの弟で当時、兄の山荘に寄寓していました。この兄弟とは何度か一緒にビールを飲み友人になったのです。
その後、この弟の光夫さんはサラリーマンをしながら小説を書いて、20年近くも毎年、同人誌を発行しているのです。
まさに私の夢を実行している方なのです。
その文学会は静岡県の伊東市を本拠地し、「岩漿文学会」と言います。平成9年に発足し、平成27年まで継続して同人誌「岩漿」(がんしょう)を発行しているのです。最近その24号が光夫さんから送られて来ました。
私はこの文学会の会員ではありませんが、初めから興味を持っていました。木内光夫さんはこの文学会を主宰し事務局長をしています。
馬場駿というペンネームで毎号に深い内容の私小説を発表しています。小説の単行本も出版しています。
私は自分の夢を実行してくれている友人なので自然に応援したくなりました。
そこで私のこのブログでは何回も馬場駿の作品を取り上げてご紹介して来ました。
そしてこの他に毎年、「岩漿」が送られて来る度に、その内容と馬場駿の作品の読後感をこのブログに掲載して来ました。
それはさておき小説を書いて同人誌を発行することは趣味なのでしょうか?そのことで生計費を稼いでいないので一応表題では趣味と書きましたが、それは間違っているかも知れません。
木内光夫さんにとって小説を書き文学会を作りその同人を集め、同人誌の「岩漿」を毎年一巻づつ発行することは人生そのものです。
生計を立てるため会社に勤めています。それも木内さんの人生の一部です。しかしもっと重要な人生は小説を書くことです。
ですから木内光夫さんいとっては文学活動は人生そのものだと考えられます。趣味などと言っては失礼にあたります。
木内光夫さんとはそんなひたむきなロマンチストなのです。
彼の主宰する文学会や同人誌のことなどは末尾の参考資料にあります。
あまり長くなりますので最後に彼と会った木内山荘の近辺の写真を示して終りと致します。

上の写真の草原の向こうの深い森の中に木内正夫さんの山荘があり、光夫さんがそこに寄寓していた時にお会いしました。

上の写真は木内山荘に登っていく悪路の様子です。

上の写真は車を停める場所の風景です。そこから100メートルくらい荒地を歩いて行ったところに山荘があります。

上の写真は現在の木内山荘です。光夫さんの兄の正夫さんが独りで暮らしています。

山荘の周辺には鹿や猿や猪が沢山棲んでいます。上の写真は昨年、山荘の近くで撮った野生の鹿の写真です。
===参考資料============
(1)木内光夫のホームページそして、馬場駿と岩漿文学会      
http://aseigansho.web.fc2.com/
静岡県伊東市を本拠地に活動する「岩漿文学会」は平成9年に発足し、平成27年まで継続して総合文芸同人誌「岩漿」(がんしょう)を発行してきました。現在24号に達しています。
同人は静岡県にとどまらず、東京都、神奈川県、山梨県の住人もいてやや広域です。年齢、性別、分野、執筆歴を問わず、どなたでも入会可能です。
発行は現在年1回、原稿締切が毎年1月末日、発行が3-4月となっています。
入会、投稿などの詳細は、上掲の「岩漿文学会」をクリックしてください。活動状況も分かります。
会員が上梓した数々の単行本もご紹介しています。
「馬場駿」は、当ホームページの主宰者で、「岩漿」の編集をしています。
このホームページでは、馬場駿の著作3冊もご紹介しています。興味がおありの方は上掲の
「太田道灌」、「夢の海」、「孤往記」をそれぞれクリックしてご入場ください。
   
馬場駿または会員の出版物を入手なさりたい方は、下記の岩漿文学会編集部のメールアドレスでお便りください。売り切れ、絶版がありましたらご容赦願います。中には「寄贈」させていただくことも可能という本もございます。
当会に入会をご希望の方は、上記編集部のメールアドレスでご連絡ください。
入会後は他の会員が掌る当会の事務局が「連絡機関」となります。
また当会にご質問などがありましたら、同様の連絡方法でお願いします。

(2)総合文芸誌『岩漿24号』  会創立20周年記念号  
  岩漿24号発行  2016年2月1日  200頁A5判  500円
              伊東市 サガミヤ書店 でも販売中! 0557-37-6767
送付図書館  静岡県立図書館 熱海市立図書館 伊東市立伊東図書館 伊東市八幡野コミセン 東伊豆町立図書館 下田図書館 伊豆の国市立図書館 国立国会図書館

ご希望の方は 岩漿文学会編集部へ (上記メール)
・・・・
岩漿、24号の目次:
  ◆小説                      ◆詩
      「夏つばき」 椎葉乙虫        「昨日のように朝が来て」 えびね蘭坊
      「現姥捨(いまうばすて)」 馬場駿  「詩集・四行詩抄」 小山修一
      「老詩人と長靴」 小山修一      「境界線/侵略者」 えびね蘭坊
      「恋歌」 佐木次郎          「あゆみ」 瀬戸あゆみ
  ◆論文                    ◆短歌 
「シベリアに抑留された伊豆の作家」桜井祥行   「母…五人の子どもの。二」 Chaco
 ◆詩集                    ◆短歌集
      「四行詩抄」小山修一       「媼空蝉(おうなうつせみ)」財津公江
     
  ◆随筆
      「爬虫類と暮らす」 桂川ほたる    ◆ひろば
      「孤高の人」 瀬戸あゆみ      「映画オタク」桜井祥行
      「てつびん」 深水一翠       「爬虫類に触れるよ」桂川ほたる
      「老いの悲しみ」 日吉睦子     「胎動」瀬戸あゆみ
  ◆編集部                  「愛書」岩越孝治
   「追悼」「作家と作品」「編集後記」    「流流子、語る」流流子
(3)馬場 駿の作品に関してこのブログに掲載した記事の例
以下はそのニ、三の例です。
「同人誌、「岩漿」を手にして趣味と人生を想う」、掲載日、2015年5月5日
「馬場 駿 著、「夢の海」の紹介・・・旧友の小説」、掲載日、2012年11月16日
「小説家、馬場 駿のドラマチックな生の軌跡」、掲載日、2011年06月01日
「馬場駿著「小説大田道灌」の読後感」、掲載日、2007年11月27日

我が人生で し残した趣味(1)海洋ヨットレースへの参加

2016年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は70歳や80歳になると旅立ちが近いことをなんとなく感じるようになります。そして自分の人生は一体何だったのだろうかと思います。
それは実に短いもので邯鄲の夢とも感じますが、とてつも長い時間だったとも感じます。よく70歳、80歳まで生きてこられたとも思います。
長い人生であんなことはしなければ良かったという後悔の念も沢山あります。恥多い人生だったと悔やまれます。
しかしその一方でこんなことをすればもっと、もっと楽しい人生だったと思うことも沢山あります。人生で仕残した趣味のことです。
もう体力も時間もありませんので、それをこれから始める気持ちは一切ありません。そこでその仕残した楽しいことを連載ふうに書いてみようと思います。人生の終わりにそんな仕残したことを書くことが楽しいのです。幸せな境地になるのです。
今日はヨットの趣味の話です。
私は中年の50歳でヨット技術を江の島や葉山で習い、クルーザーを25年間霞ヶ浦に係留しヨットの趣味を楽しみました。
ところがクルーザーヨットの趣味を大別すると、独りでゆったり帆走を楽しむ「ブルーウォーター派」と仲間とチームを作って専らヨットレースを楽しむ「レース派」との二つに分かれます。
レース派には体力と仲間と一緒に練習を重ねる時間が必要です。仕事の忙しかった中年に始めた私はブルーウォーターになるのが自然でした。それでも霞ヶ浦や猪苗代湖でクルーザー・レースに何度か出てレースの面白さをかいま見たことがあります。
葉山から大島までの外洋レースは憧れでした。葉山から熱海沖の初島回航レースにも憧れていました。
でもこのレースを楽しむ趣味は単なる憧れとして終わったのです。我が人生でし残した趣味の一つになったしまったのです。
しかしインターネットは便利です。ここ数日、ヨットの外洋レースの写真や動画のYoutubeを沢山見て、このし残した趣味の世界を楽しんでいます。「ヨットレースの写真」を検索すると、写真はいろいろ沢山出て来ます。その中から3枚だけを選んでお送り致します。

1番目の写真相模湾横断ヨットレースです。出典は、http://blog.livedoor.jp/rr2111/archives/50757374.html です。
下田から三浦半島のマリーナのシーボニアへ向けて相模湾を横断するビッグレースで、「相模湾横断ヨットレース」と呼ばれています。

2番目の写真は宇和島の「うわじまパールカップレース」の写真です。の出典は、http://whitehawk2007.at.webry.info/theme/be49af3d64.html です。

3番目の写真は静岡県清水の「折戸マリーナカップ」の写真です。出典は、http://www.sanmei-kikou.co.jp/recruit/staffblog/2009/07/281354.html です。
これら3枚の写真のヨットは風に美しく舞っているのです。碧い海の上でバレリーナのように優雅に踊っているのです。エンジンはレース中に絶対に使いませんから聞こえるのは波が船体にあたる心地よい波音だけです。風がハリヤードやステイに切られる音だけです。
それは陸上では考えられない別世界です。
そして無事レースに勝利したヨットの上で飲む祝杯の美酒を想像するとなんとも言えぬ良い気持ちになります。
しかしヨットレースの魅力は静止した写真にあるのではないのです。
それはヨットレースのyoutube動画にあるのです。レースの動画は沢山インターネットにありますが、一つだけ以下の作品を選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=lf8rFbNm43k です。
ご面倒でも是非この動画をご覧ください。そこにはレース中の華麗なヨットの動き方が映し出されているのです。
この拙い記事の全てを忘れても是非この動画をご覧ください。そこにヨットという船の不思議な、そして美しい動き方が写されているのです。
そして大航海時代に万里の波濤を越えて日本へやって来た西洋の帆船はこのヨットを大きくして3本マストにした船だったのです。
何か悠久の時間を感じられませんか。
趣味はいろいろです。楽しむ人の思い込みも重要です。今日は私個人の思い込みを書きました。少しでもお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

アメリカ大統領候補、トランプ氏の人気を支える3つの理由

2016年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム
トランプ氏は過激な発言を繰り返していますが相変わらず共和党候補者の一位の座を守っています。
メキシコ人を差別し、イスラム教徒のアメリカ入国禁止を叫び、差別的な思想の持主だと言われています。
それにもかかわらず共和党の大統領の候補者として選出される勢いです。一方の民主党はヒラリー氏になるのでしょうか。
今後の選出過程で何が起きるか予断は出来ませんが、このトランプ氏支持のアメリカ人が多い理由をアメリカ人の立場になったと仮定して想像してみました。
いろいろな理由はあるのでしょうが、私は3つの理由があると考えています。
(1)従来の政治権力機構に一度も入ったことのない政治の素人としての新鮮さ。
(2)差別用語禁止、全ての差別反対というアメリカの偽善的な社会風潮への反発。
(3)不動産業で何度も倒産したにもかかわらず、その都度、再復活をしたアメリカ資本主義の   具現者としてのトランプ氏への尊敬。
以上の3つの理由は日本社会では考えにくい理由と思います。
ですから少しだけ説明を加えさせて下さい。
(1)政治の素人。
アメリカではどんな分野でも専門家というものへ疑いを持つ文化です。それは専門家を尊敬するヨーロッパ文化とは対極にある文化です。
アメリカではマニュアルさえあれば素人でも立派な仕事が出来ると信じられています。かつて俳優だったレーガン氏が名大統領だったのをアメリカ人は忘れていません。
共和党の幹部は職業的な政治家なので、当然、従来の政治権力構造の信奉者です。この共和党の主流派はトランプ氏の素人性を嫌がっています。ですからトランプ氏は「反主流派」と言われています。
アメリカ人はこの主流派の権力構造に疑いを持っているようです。トランプ氏を支持したくなるのでしょう。
(2)差別撤廃の偽善性。
黒人の職場での優遇、女性の消防士や兵士の増加、国内でのイスラム教徒の増加、などなどは誰が考えても少し程度が過ぎていると思うのではないでしょう?
この社会風潮に賛成しないアメリカ人がトランプ氏を支持していると考えられます。
これはアメリカの理想主義の偽善性に対して批判的なアメリカ人が多いという証左ではないでしょうか。
(3)何度も倒産したがその都度、立ち上がったトランプ氏。
日本では会社を倒産させるとその経営者は社会的に葬られ、二度と立ち上がってはいけないという文化を持っていす。倒産して多額の謝金を踏み倒したのだから反省して償いをすべしという文化です。
しかしアメリカの資本主義では倒産は罪悪でありません。経済的ルールに従って投資を集め事業を成功させようと努力したのです。運悪く失敗して倒産したら借金を踏み倒しても罪悪ではありません。それは投資だったのです。事業が成功したら投資は利潤を背負って返ってくるのです。
投資にリスクがつくのは当たりまえです。
そしてアメリカでは失敗した者へチャンスを何度でも与えます。
トランプ氏はこのアメリカの資本主義の忠実な実行者だったのです。多くのアメリカ人が支持するのは自然なことなのです。

私はトランプ氏を支持しません。ヒラリー氏を支持します。
今日の挿絵代わりの写真は自宅の庭に咲いている梅の今朝の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









色彩を楽しむ

2016年02月14日 | 写真
ある事情でデパートと言えば高島屋に行きます。立川の高島屋にはよく行きますし、時々は日本橋の高島屋にも行きます。
今日は一度も行ったことのない世田谷の二子玉川の高島屋に行きました。家内が買い物をしている間に私は婦人服のいろどりを楽しんでいました。
その写真をお送り致します。春めいた色をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。










東京都内で一番大きな梅林が今梅まつりをしています。

2016年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
東京にはいくつか観賞用の梅林がありますが、都内市街地の一番大きな梅林は府中市の郷土の森博物館公園の梅林と言われています。その梅の種類は60種類もあり、梅の木は1,100本もあります。多摩川に沿った13.7ヘクタールのなだらかな丘陵に梅が華やかに咲いている景観は素晴らしいものです。広さが13ヘクタールもある梅園は23区内は勿論周辺の市街地にはありません。
今年の「梅まつり」は2月6日(土曜日)から3月13日(日曜日)迄です。
そこで昨日、カメラを持って梅の花の写真を撮りに行きました。
ほとんど満開に近い開花です。すっかり嬉しくなりシャッターを切ろうとしたらカメラが言うことをききません。何と老人ボケで、電池を充電後にカメラへ入れるのを忘れたのです。
写真を撮らなくても良いので実にゆったりした気分で紅梅や白梅を鑑賞してきました。
家内も写真に気を取られないで静かに梅林を歩くほうが良いと慰めてくれます。
帰宅後にいろいろ検索して梅林で見た光景に一番近い感じの写真集を二つ見つけました。
その二つの写真集から7枚の写真をお借りして府中の梅林の写真を示します。
はじめの3枚の写真の出典は、http://nupcoba.blog.fc2.com/blog-entry-1356.html です。
あとの4枚の写真の出典は、http://www.tachikawaonline.jp/local/ume/fuchu.htm です。













昨日は気温が20度もあり晴天で春風駘蕩です。梅まつりなので琴や尺八の演奏もありました。
琴の音を楽しみながら梅林の中を歩いていると桃源郷のような気分になります。
公園の片隅には茶室もあり抹茶もたてています。春らしい明るい色の和服姿の女性が受付をしていました。
そしてこの公園には郷土資料館もありプラネタリュウムもあります。
昨日は子供連の家族がみな楽しそうにしています。そんな光景に心が和みます。
「梅まつり」は3月13日の日曜日までです。
心からお薦めしたい梅林です。是非お出かけ下さい。
初めての方は是非、http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/access/ にある交通案内を丁寧にご覧下さい。広大な無料駐車場があり車で行くのには問題はありませんが、バスの便は詳しく調べて行くほうが良いです。徒歩なら武蔵野線・南武線、府中本町駅から20分、京王線・南武線、分倍河原駅より20分、西武多摩川線、是政駅より20分です。
参考資料として今年の「梅まつり」のいろいろなイベントを示します。
梅の花だけでなくイベントや資料館やプラネタリュウムも合わせてお楽しみ下さい。家族連れで一日楽しめます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料==============
府中郷土の森博物館公園の梅まつりの間のいろいろなイベント:
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/bunka/ibento/kurashi/MumeFestival2016.html

期間:2月6日(土曜日)から3月13日(日曜日)
注記:期間中の休館日はありません。
時間
午前9時から午後5時
注記:入場は午後4時までです。
会場:郷土の森博物館
入場料:大人200円、中学生以下100円、4歳未満無料
注記1:市民の方には、入場料が大人100円になる市民優待券を、70歳以上の市民の方には、入場料が無料になる高齢者向け市民優待券を郷土の森博物館券売所で発行しています。住所と年齢の確認できるものを持参してください。
注記2:市内の小・中学生は、「府中っ子学びのパスポート」のご提示で無料になります。

くず湯サービス:2月8日(月曜日)から10日(水曜日)と12日(金曜日)時間、10時から11時30分まで、園内売店、先着100名様へ無料サービスします。

野点茶会のだてちゃかい:2月14日、21日、28日、3月6日のいずれも日曜日、11時から15時まで
会場:旧府中町まち役場横梅園ばいえん、協力、府中市茶道8連盟、費用は茶券代として600円。茶券は当日販売します。

琴・尺八演奏会:2月13日、20日、27日、3月5日のいずれも土曜日、11時から14時まで、博物館本館1階エントランスホール。協力、府中市三曲協会

梅まつり手作り工房;2月21日、3月6日のいずれも日曜日、10時から12時まで、13時から15時まで、ふるさと体験館、参加費として200円から500円まで作品の材料費により金額が異なります。
梅のステンシル、ピンクッションなど、梅にちなんだかざりを作ります。

お茶室で呈茶(ていちゃ)2月15日(月曜日)から19日(金曜日)まで、11時から11時45分まで
13時から15時15分まで、会場;園内茶室「梅欅庵(ばいきょあん)」、上生菓子(じょうなまがし)呈茶(ていちゃ)(各日先着20名様まで)500円、通常呈茶(上生菓子の在庫終了後)300円。

園内梅の木散歩;2月25日、3月3日のいずれも木曜日、13時30分から14時30分まで
集合場所、旧府中町まち役場前、
内容
梅にまつわる話や、各品種の解説を聞きながら梅園を散策します。
ガイドは日本梅の会会長の大坪孝之(おおつぼたかゆき)氏
古民家探検ツアー;期間中の土曜日、13時から14時まで
集合場所、旧府中町まち役場前

府中芸能あらかると;3月13日(日曜日・最終日)11時30分から
協力
武蔵国府太鼓「響ひびき会」
番場ばんば自治会連合会
芝間しばま稲荷いなり神社氏子うじこ会
内容
府中ゆかりの伝統芸能で梅まつりのフィナーレを演出します。
武蔵国府太鼓演奏会
大太鼓巡行おおだいこじゅんこう
御輿みこし展示
府中囃子(ふちゅうばやし)演奏

米軍“トモダチ作戦”の災害現場における米兵の救援作業の様子

2016年02月13日 | 写真
今朝掲載しました、「東日本大震災直後の米軍の迅速な救援活動に胸が熱くなる」という記事に追加する米軍兵士の災害現場での活動の写真です。
米軍“トモダチ作戦”の現地画像集 (http://matome.naver.jp/odai/2130021395449584801 )より転載致しました。

上は救援に来た米軍兵士に抱き着いて感謝する被災者です。

上と下は港に散乱する漁網を日本人とともに片づけている米軍兵士です。



上は落ちていいた魚の看板を丁寧に拾う兵士の姿です。

上は地震で倒れた巨大なタンクのそば一輪車を押す兵士の真剣な姿です。

上と下は倒れて通行の邪魔になっている立ち木を切り、取り除いている兵士の写真です。

東日本大震災直後の米軍の迅速な救援活動に胸が熱くなる

2016年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム
東日本大震災は1000年に一度という大地震と大津波でした。その上福島原発が4基も爆発したのです。
死者、行方不明者は2万人といわれ東北、関東地方の太平洋岸の市町村は津波で跡形もなく流されてしまったのです。
これに対して世界各国から多額の暖かい支援が送られ、多数のボランティアが来たのです。
あの大震災から5年が経過して少し復興も進み落ち着いたので、この際、各国からの支援を振り返って深い感謝をしたいと思います。
そんな理由で最近以下のような3編の記事を掲載しました。
「台南大地震へ支援を!東日本大地震への台湾からの支援の恩返しを!」、2016年02月10日
「80歳になって日韓友好を祈る(2)東日本大震災後の韓国人の支援を我々は絶対に忘れな   い!」、2016年02月03日
「東日本大震災後の韓国人の支援を我々は絶対に忘れない!(続き)」、2016年02月09日
世界各国からの支援の全てを書きつくすことは大変なことですが、少しずつもう一度書き出して考え直してみたいと思います。恩を忘れず、そして各国へ感謝することは大変重要なことだと信じています。それが世界平和への道に役に立つと信じています。
さて今日はアメリカ軍の迅速、果敢な救援活動について書いてみたいと思います。
3月11日の大津波は仙台空港をも襲い壊滅します。その滑走路の瓦礫を取り除き、たった5日間で、再び大型輸送機が着陸出来るようにしたのはアメリカ軍と自衛隊の共同作業でした。特に沖縄から来た海兵隊は大活躍したようです。
そして横田基地から救援物資を満載した輸送機が着陸したのです。これにより東北地方の救援物資の輸送が迅速に流れだしたのです。
まだ空港の外には瓦礫がある中を、米軍輸送機が土煙を上げて着陸する姿を見て、仙台出身の私の胸が熱くなりました。
下の写真は全く別の写真ですが、土煙をあげて着陸している様子が仙台空港の滑走路と似ていましたので「アメリカ空軍」のWikipedeaからお借りしました。

2011年3月12日以後の新聞にはアメリカ軍の大規模で、多岐にわたる救援活動が毎日のように報道されています。この作業をアメリカ軍は「ともだち作戦」という名前をつけて大規模に展開したのです。
2011年4月1日の読売新聞一面には、「日米、不明者を一斉捜索」と題した記事が出ています。米海軍と海上自衛隊と海上保安庁の艦艇が一斉に三陸沖、仙台湾、福島沖に展開し海上に流れ出た生存者や遺体の発見に努力したのです。
特に三陸沖にある空母・ロナルド・レーガンからはヘリ20機を飛ばして海上の捜索に当たるのです。艦艇は15隻ていどが展開し、捜索にあたります。
下はこの空母・ロナルド・レーガンの写真です。(写真の出典;Wikipedeaの「原子力空母ロナルドレーガン」)

下は空母から捜索のために飛び立とうとしている軍用ヘリです。

その他に2011年4月1日の読売新聞の28ページ全面を使って、「「日本の力に」眠らぬ艦船、」と題した記事では米軍の救援活動の全てを紹介しています。特に普天間基地の海兵隊の港の瓦礫撤去や水・食料の輸送が感動的に書いてあります。強襲揚陸艦エセックスやトーテュガの活躍が報告されています。
下の写真は空母の上でヘリコプターに救援物資を積み込んでいる写真です。

そして下の写真は駿河湾を通過して被災地に向かうアメリカ軍の駆逐艦です。

大地震発生から3月28日までの米軍の活動は出動艦艇19隻、航空機133機、人員18000人、輸送した救援物資240トンとなっています。この数量の大きさにはあらためて感激せざるを得ません。そして日本人に協力して瓦礫の整理作業をしている2人のアメリカ海兵隊の兵士の姿には頭が下がります。
私はこのような在日米軍の献身的な救援活動を書きながら再び深い感動を覚えます。胸が熱くなります。日米が戦後66年間、えいえいと培って来た友情の温かみが感じられます。嬉しい事です。救援活動にあたった全ての米軍将兵へ深い敬意と感謝の意を表します。

2011年3月17日の読売新聞夕刊の3ページ目に「物資搬送、医療・・・米軍が増強」と題する記事がありました。いよいよ米軍の実質的な支援が始まりまったのです。記事の内容を分かり易く整理して列挙します。
(1)上の写真の空母ロナルド・レーガンが三陸沖から艦載ヘリを15往復して被災地へ救援物資を直接運んだのです。救援物資は非常食、牛乳、果物、医療機器、衣服などです。兎に角、食料を送ってくれることが有難いです。
(2)普天間基地の海兵隊2200人とヘリコプター部隊は強襲揚陸艦「エッセック」など3隻で昨日出発し、東北地方の酒田港沖へ到着する予定です。これにより米軍ヘリは合計70機体制になります。海兵隊は被災地の瓦礫整理や仙台空港や小松基地の復旧作業をするほか、救援物資輸送、医療支援もする予定です。
(3)第7艦隊の強襲揚陸艦「トーティガ」は既に苫小牧港へ到着し、陸上自衛隊の青森側への輸送に協力しています。昨日は自衛隊員273人と車両93台を本州側へ輸送する予定です。
(4)目下、福島原発で苦戦している高圧送水ポンプも米軍が提供する予定です。佐世保基地にある4台を発送し、横須賀基地を経由して16日には横田基地へ到着しています。昨日の17日中には現地で日本側へ引き渡す予定です。

大震災後いろいろな国が多数の復興作業のためのボランティアを日本へ送り込んできました。
大変ありがたいことで、その恩は忘れられません。
しかし一方アメリカ軍は以上のように、大規模な軍隊を動かし迅速に救援活動を展開したのです。
ここ活動は「ともだち作戦」と命名され在日米軍が自衛隊と協力しながら救援活動をしたのです。このアメリカの暖かい友情で心が熱くなった人々は多かったと思います。感謝です。
被害をこうむった人々も大変勇気づけられたのです。
下の参考資料には「ともだち作戦」の総括がしめしてあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料==========
トモダチ作戦とは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%81%E4%BD%9C%E6%88%A6

在日米軍横田基地は、成田空港に着陸予定だった10機以上の民間機を受け入れた。在沖縄海兵隊も支援態勢を整えた。ロバート・ゲーツ国防長官は在日米軍について「すべての部隊に異常はなく、艦船や施設も極めて良好な状態だ」と、大きな被害は受けていないとの見方を示した。
アメリカ合衆国国際開発庁 (USAID) は11日、日本政府の要請に応じ、約150人からなる2つの救援隊の派遣を発表。救援用資機材約150トン分と救助犬十数頭が出発した。
アメリカ軍は日本政府の要請に備え、複数の艦船を被災地周辺に向かわせた。
ジョン・ルース駐日大使は12日夜、都内で会見し、改めて日本を支援することを表明。「日本と協力して災害支援に対応できるよう、アメリカはすぐに救援隊を派遣した」と述べ、三陸沖の海域に原子力空母「ロナルド・レーガン」「ジョージ・ワシントン」を始めとする艦艇を派遣し、活動を始めることを明らかにした。
アメリカ軍は自衛隊の北部方面隊への人員約900人と車両約250両の輸送支援も検討している。
CNNの報道によれば、アメリカ軍による日本に対する救援・支援作戦には「オペレーション・トモダチ」(Operation Tomodachi, 日本語に訳せば「友達作戦」)という名称が付けられている。
同空母は13日午後仙台沖に到着し、海上自衛隊と共に陸上への物資補給を開始した。
在日米軍厚木基地所属のヘリコプターが孤立した被災者の救助作戦を開始した。
アメリカ国防総省や米メディアによると、駆逐艦マッキャンベルなど2隻も既に房総半島沖に到着しており、宮城県沖に移動して海上での捜索活動や陸上の復旧作業の支援などにあたる。また、第7艦隊旗艦ブルー・リッジ、強襲揚陸艦エセックス、揚陸艦トーテュガなどが小型艇や大型ヘリコプター、支援物資などを積み込み、被災地沖に向かった。
3月14日、原子力空母ロナルド・レーガンに搭載のヘリコプターの要員17人が仙台市近くで救助活動を行った際に、福島第一原子力発電所事故の影響か、被曝したことが分かった。これを受け、アメリカ海軍は空母と展開中の艦船を福島第一原子力発電所の風下から離脱中である。

「日常的で平凡な趣味の中に人生の大切なものが隠されている」

2016年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム
趣味にはいろいろあります。海を帆走する危なげなヨットの趣味や、登山などの趣味は厳しさがあり克己心を必要とします。猟犬とともに銃を担ぎ人跡まれな山に入り彷徨する趣味もあります。老境が近づいても大型バイクに乗って山郷の山岳ロードを走る趣味もあります。
一方、分野を絞って文学作品を読み、研究して楽しむ趣味もあります。詩や和歌、俳句などを作って楽しむ趣味、音楽の演奏や美術の創作、鑑賞もあります。どれも知的な作業が必要です。
私は狭量にも趣味とは特別な非日常の世界に遊ぶという性質があり、努力と集中力が必要だと信じていました。
しかし80歳になり体力も知力も無くなると日常的な平凡なものでも味わいの深い趣味になることに気がついたのです。自分の愚かさに気が付いたのです。
その平凡な趣味の一つに「公園の散歩」というものがあります。
この誰にでも出来る散歩の趣味が意外に奥が深く味わいがあることに昨日やっと気が付いたのです。
一言でいうと、人生の平凡な時間のうつろいを大切にして、自然を愛し周囲の人の幸せを想うことが非常に重要だと悟ったのです。
昨日、埼玉県の秋ヶ瀬公園を家内と散歩しながらそんな想いにとらわれたのです。昨日の午後に撮った写真を示します。









この公園は広大なのです。端には田島が原という日本サクラソウの原生地があります。巨大なプラタナスやユリノキやメタセコイヤの樹木が亭々と聳えています。空気が新鮮で空が高く広いのです。
こんなに広い公園は首都圏では都立水元公園と国立昭和記念公園しか知りません。
話はそれますがその広さを示すために公園内の施設をご紹介します。
軟式野球場11面、ソフトボール場6面、サッカー場2面、ラグビー場1面、テニスコート22面、バーベーキュー場50区画、駐車場(977台)などがあるのです。
しかし公園があまりにも広いので散歩していてもこれらの施設がほとんど見えないのです。
見えるのは芝生の広場と大きな樹木だけなのです。
そんな樹木の中を歩いていると自然に人生のあれこれを想います。邯鄲の夢と思います。そして人生で一番大切なことは何かと考えます。
昨日は自然を愛し周囲の人の幸せを想うことが非常に重要なことだと思いました。
老境に至って初めてしみじみとそう思ったのです。
以前は仕事に打ち込むこと、素晴らしい成果を上げることが重要だと思っていたのです。自然の美しさを今ほど深く理解していませんでした。家族や友人を大切にするのを怠って自分の専門分野に埋没していたのです。それは恥ずかしい生き方でした。公園を歩きながら樹木の姿を見ているとしみじみそう思います。
「公園の散歩」も趣味として味わい深いと感じたのです。これも体力も知力も衰えたおかげで理解出来たことです。
ですから日常的で平凡な趣味の中にも人生の大切なものが隠されていると言ってもそんなに間違いでないと思います。
賢い方々はそんなことを始めからご存知です。愚かな私の独り言を書いたに過ぎません。失礼しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

非日常のつらい趣味、そして森敦の「月山」のことなど

2016年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
これは個人的な考えですが、楽しい日常的な趣味は永続きしないように思います。
自分が何十年と続けた趣味は非日常の世界のものでした。そしてつらい趣味でした。つらいが故に楽しさが深まる趣味でした。
先日は、常に横転、沈没する恐れを感じながら帆走するヨットの趣味について書きました。
今日は深い、深い森の中に電気・水道・ガスの無い小屋を作り、そこへ通う趣味に関することを書きます。私はその趣味を42年間続けています。
人家の無い漆黒の闇の夜の小屋に泊まることは恐ろしいものです。厳寒の冬の一晩を過ごすことはつらい体験です。
まず下の写真をご覧ください。

甲斐駒岳の東側の写真です。ススキの原の向こう側に茫々と深い森が広がっています。
高冷地なので牧場も農地もありません。自然の雑木林が限りなく広がっているだけです。
そこに1974年に2部屋だけの小屋を作ったのです。
何故作ったのか思い返してみると理由が曖昧なのです。
徳の高い僧は方丈といって10尺四方の小屋に住むということに憧れたのかも知れません。などと恰好の良いことだけが理由ではありません。深い雑木林のなかで焚火をしながらビールを飲むという目的もありました。小屋の前には清い水が絶えず流れています。
そして電気・水道・ガスの無い小屋にローソクの光で静かな夜を過ごすのです。小川の水音が響き天上には満天の星が輝いています。
ロマンチックです。小屋を作って一年間くらいはローソクと石油ランプでした。しかし不便です。油煙が臭くていけません。そこでホンダの小型発電機を持ち込みました。
明るい電灯に感激します。それも3年ほど続けていると発電機のエンジンの音がうるさくなるのです。東京電力が延々と山の中まで電線を張ってくれました。また静かな夜が帰ってきました。
現在は水道とガスが無いだけです。この小屋で雪のある夜を過ごす様子を写真で示します。

上の写真は雪で覆われた雑木林の様子です。2014年の2月に撮った写真です。

上の写真は雪がつもった小屋の光景です。

上の写真は夜の闇が雑木林に広がっている様子を窓から撮った写真です。

この写真は厳寒の夜に一番頼りになる有難い薪ストーブの写真です。

この写真は薪ストーブで暖まった部屋の中の写真です。

上の写真はやっと夜が明けて輝く近くの雑木林の光景です。
毎月、2回はこの小屋へ行きます。多くは日帰りですが、年に4回ほどは泊まります。
しかしこの1月に80歳になったので、つらい泊りは止めることにしました。この決心でホッとしました。いつも同行してくれていた家内も安心したと思います。

さて話は変わりますが、この小屋を作った頃、森敦の「月山」いう小説が第70回芥川賞を受賞しました。
話は「わたし」が月山のふもとにある注連寺という寺に居候して冬を越すという話です。
東北の月山の冬は雪深く寒いのです。主人公はお寺に残っていた和紙を張り合わせて蚊帳のような形のものを作り、その中で寝るのです。しかし寒さは忍び寄りまんじりともせず夜を過ごすのです。
この寺では昔深い雪で行き倒れになった行商人をミイラに作り「即身仏」としてお寺に祀ります。
そんなことを読むと寒さが一層身に沁みます。
「月山」は深い内容の美しい作品として忘れられない小説でした、
冬の夜に小屋に泊まる度にこの「月山」のことを考えていました。
そこで数日前から現在、「月山」はどのように評価されているかネットであれこれ検索してきました。
その結果、ある一つの評価文が優れていると思います。それは石橋正雄さんの読後感想文です。http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_4.html に掲載されています。
以下はその抜粋です。
・・・・さて、この作品を私なりに解釈すると、これは森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品である。
 この作品では、月山を「死者の行くあの世の山」として描いている。即ち、現世とは隔離された異世界として、月山を、そして「山ふところ」にある七五三掛(しめかけ)というを捉えているのである。実際冬を迎えることで、この山中の地は雪や吹雪や霧により、下界と遮断されてしまうのだ。
 そして、「わたし」はその異世界の中で数々の奇妙な体験をする。その中でも最たるものが、冬になってこの地にやって来た押売りたちが、吹雪の中で行き倒れになってしまうと、その死体をミイラにして観光の呼び物にする、という風習である(実際、注連寺では即身仏で有名な寺である)。・・・・以下省略。

さて話を表題の「非日常のつらい趣味・・・・」に戻します。
趣味は人それぞれ自由に何を選んでも良いのです。
しかし非日常の世界を求める人はかなり多いようです。
小さなヨットで南極まで航海した人。深い山に入って銃猟をする人。人の近づけない渓流に入って釣りをする人。つらい樹氷の雪山でスキーをする人。こんな極端なものでなくても趣味には努力が必要な要素が必ずあると思います。努力するから永続するのでしょう。そして努力するから楽しさが深まるのでしょう。
そんなことを想う今日、この頃です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

参考:森敦 「月山」 ――― 第70回(昭和48年)芥川賞受賞作品
http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_4.html

台南大地震へ支援を!東日本大地震への台湾からの支援の恩返しを!

2016年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
丁度、5年前の東日本大地震の被害者に対して心のこもった大きな支援をしてくれたのが中華民国の台湾でした。送られた支援金の200億円は世界一の多さでした。
この篤い支援の詳細を思い出すために以下の文章をウイキペディアのフリー百科事典の「東日本大震災に対するアジア諸国の対応」から転載します。
是非、ご一読下さい。
中華民国、台湾の馬英九総統は「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り、要請があればいつでも援助隊を出動可能な状態に待機させた。
同総統は演説で、日本が1999年9月の台湾中部大地震や2009年8月の南部台風災害で台湾を支援したことに触れ、「我々も同様に積極支援する」と語った。
台湾の救助隊28人は3月14日午前に台北市内の松山空港を出発。同救助隊は日本に到着の後、自力で被災地に入り、救助活動に当たる計画を立てた。台湾は11日に派遣の用意を表明していたが、日本側の待機要請により、各国の救助隊が日本入りする中、丸2日間の待機を余儀なくされた。台湾側外交関係者は日本政府の中国の立場への配慮を示唆している。
また、親日家として知られる李登輝元総統は3月12日に、日本語で「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」、「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」と励ましのメッセージを寄せている。
物資支援として、発電機688台、毛布1,599箱、寝袋2,587箱、スリーピングマット236箱、衣類(防寒着等を含む)4,488箱、食品16.5トン及び9,444箱、ストーブ900台、マスク404箱、カイロ150箱、飲料870箱、手袋42箱、暖房器具53台、マットレス33箱、粉ミルク895箱、マフラー21箱、ナプキン10箱、枕16箱、キルト408箱、ティッシュ20箱、トイレットペーパー30箱、懐中電灯3箱、タオル48箱、納体袋24箱を宮城県、福島県、岩手県、新潟県、山梨県に提供。
3月17日・18日には、チャリティー番組「相信希望 fight&smile」と「送愛到日本311震災募款晩會」(日本の311震災に愛を送る夕べ)が放送され、8億9000万台湾ドル(約24億3000万円)が集まった。3月21日時点の義捐金の合計は15億台湾ドル(約41億円)以上に達し、4月1日には100億円を突破した。これは同時期に米赤十字が発表した同国の金額を上回る。4月15日には140億円を超え、世界各国中、最多となった。その後、200億円以上となった。
4月11日、日本政府は台湾への特別メッセージを込めた菅直人首相名義の感謝状を、実質的な在台湾の日本大使館として機能している財団法人交流協会を通じて馬英九総統、呉敦義行政院長、楊進添・外交部長に送った。4月29日、日本政府は東日本大震災の義捐金活動などで貢献した台湾人4名(エバーグリーン・グループ総裁・張栄発氏ら)に対して叙勲を行った。また政府が米国や中国などのメディアに感謝広告を寄稿した一方で台湾の新聞には実施しなかったことについて日本人デザイナーが広告掲載を呼びかけ、5月3日に台湾主要新聞2紙に掲載された。(以下省略)
1番目の写真に台湾の新聞に掲載された日本側の感謝の広告を示します。

このように絶大な支援を「してくれた中華民国の台南で2月6日大地震が起きたのです。
犠牲者の数はまだ正確には分かりませんが100名以上と言われています。
以下は昨日の読売新聞のネット版からの転載です。
【台南(台湾南部)=鈴木隆弘】台湾南部で6日に起きた地震で、台湾当局の発表によると、台南市で倒壊した16階建てビルでは8日午後8時(日本時間午後9時)現在、36人の死亡が確認され、この地震の死者は計38人となった。捜索・救助活動を指揮する頼清徳・台南市長は8日、死者が100人を超える可能性があるとの見方を示した。
 このビルでは約110人が安否不明のままで、うち約100人は横倒しになった建物内の地表に近い部分にいるとみられている。市当局は「救助が困難」との見解を繰り返し示している。
 災害で生存率が急激に下がるとされる「発生から72時間」が9日早朝に迫り、現場では捜索・救出活動が夜になっても続けられた。地震から約60時間が経過した8日夕、この日3人目の救出となる女児(8)が助け出された。女児はがれきの中の隙間で生存していたといい、救助隊員に「水が飲みたい」などと話し、意識はしっかりしているという。さらに約40分後、28歳のベトナム人女性も救出された。
2番目から4番目の写真に台南市の倒壊したビルの光景をしめします。





以下はほんの一例です。朝日新聞のネット版の「東日本大震災の被災地「恩返し」 台湾地震の支援広がる」という記事から転載しました。
この災害で明らかになったことは倒壊したマンションのビルの建設がひどい手抜き工事だったことです。柱にする鉄筋やコンクリートを節約するために塗料の缶を積み上げていたというのです。このことでも台湾の人々の心が深く傷付いたのです。
このような台湾の大地震被害に対して日本中で恩返しの支援運動が広がっています。
仙台市の奥山恵美子市長は6日、「大切な友人である皆様と、おもいをひとつにして参ります」と記した親書を台南市長に送った。台南市からは震災直後の2011年4月、約1億円の義援金が届けられた。仙台市は物資などの支援を検討する。
 宮城県南三陸町も、義援金や救援物資を届ける検討を始めた。昨年開院した町立病院の建設費約56億円のうち、約22億円は台湾の赤十字組織からの寄付で賄った。新しい病院のそばには、町と台湾の旗が刻まれた碑が立つ。佐藤仁町長は「感謝の気持ちを一刻も早く届けたい」としている。
 村井嘉浩知事も6日、「県として、できる限りの支援をしたい」とのコメントを発表した。
 一方、国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(本部・岡山市)は、現地に医師1人と看護師1人を派遣すると発表した。現地の状況次第で支援を拡大することもあるという。(以下省略)
現在、日本赤十字社やNHKで義援金の受付をしているそうです。
台南の大地震で大きな被害が起きるのは本当に悲しいことです。亡くなられた方々、そして遺族の方々のことを想うと心が深く痛みます。
我々は先の東日本大地震の際に受けた台湾の方々の大きなご恩を絶対に忘れません。

台湾の方々が勇気を奮い起し、一日も早く復興することを祈っています。

東日本大震災後の韓国人の支援を我々は絶対に忘れない!(続き)

2016年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム
2016年02月03日に「80歳になって日韓友好を祈る(2)東日本大震災後の韓国人の支援を我々は絶対に忘れない!」と題した記事を掲載いたしました。
今回は、その続きとして数枚の写真を追加いたします。
追加した写真は、若い韓国人が我々への義援金を渡すための行列の写真や、激励の言葉を書いた多数の紙片の写真です。そして韓国の仏教のお寺の門前に掲げられた哀悼の言葉の写真もお送りいたします。
ご紹介する写真は、東日本大震災が起きた後に韓国で撮られた写真です。
これらの写真は友人の中村 文政 さんから教えて頂いた写真集です。
写真は、http://cadot.jp/impression/1794.html?detail から転載いたしました。

2011年の3月11日の東日本大震災の後で、韓国人は我々を激励するメッセージを韓国の町中に掲示し、多額の義捐金や救援物資を送ってくれたのです。その上多数のボランティアの韓国人が被災地の復興に汗を流してくれたのです。

韓国の人々、本当に有難う御座いました。ご恩は絶対に忘れません!









非日常の世界の趣味を楽しく想う

2016年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム
日常生活から完全に離れた世界に遊ぶ趣味の一つにヨットの趣味があります。
30年前にこの趣味の世界に入った場所が三浦半島の相模湾沿いにある葉山マリーナでした。
先週、懐かしくなりそのマリーナを訪れてヨットの写真を撮りました。
それが下にある2枚の写真です。

この写真はヨットの舵を下から見上げたものです。
この形を見て私の胸が早鐘を打つように鳴るのです。この舵をグイと切ってヨットが急旋回している時の体感を思い出して興奮するのです。
大きな舵は海の中に深く伸びています。少しでも重心を低くして、ヨットの姿勢を良く保つために考え抜いた形になっています。機能美です。

これはヨットの船尾から見上げた写真です。船尾からマストの天辺に張ったバック・ステイの傾きに合わせて船尾を切っています。ですから美しく見えます。ついでに船体の右舷からマストの天辺に張られたサイド・ステイの傾きからマストの高さが分かります。船体の長さは35フィートと書いてありますから、そのキャビンは広いはずです。木造の内装にニスがかけてあるのでしょう。そこで飲むビールの美味しさを想像すると楽しくなります。
私は30年前にこの葉山マリーナでヨットの技術を習いました。そして仲間と共に何度もここから相模湾に出て日帰りのセイリングを楽しんだものです。
話は飛びますが猪苗代湖で一緒にセイリングした大学時代の友人のHN君と葉山でもセイリングをしました。彼が亡くなってもう5年もたちました。
そんなことを想いながら先週は森戸海岸沿いに佐島マリーナまで足を伸ばしました。
下はそのマリーナの屋上から撮った写真です。

このマリーナはヨットで来たことはありませんが、風光が良いので何度も来ては海とヨットの姿を飽きず眺めた所です。

上の写真は佐島の漁港に停泊してある9隻のヨットの遠景です。
このヨットの向こうの道路沿いに地魚の美味しい寿司屋さんがありましたが、今は消えて無くなりました。家内と何度か来た懐かしい店でしたが無くなりました。
このようにヨットの姿を見ると、それが日常の生活からとても離れた世界にあるという感慨を覚えます。非日常の世界の趣味だったとつくづく思います。
この趣味は日本文化ともかけ離れています。西洋の文化を背負った趣味でした。ヨットを走らせる度に部品一つ、一つが実に合理的に出来ていて無駄が無いのです。大げさに言えば西洋の合理主義を実体験出来るのです。
だだ一つの難はこの趣味は費用が大きいことです。
しかし私は中古艇を買い、茨城県の県庁が管理する霞ヶ浦に格安の係留地を得て費用を最小に抑えたものです。
5年前にこの趣味を止めましたが、霞ヶ浦のご縁で知り合った繁田慎吾さんと中村文政さんが何度かご自分のヨットに招待してくれました。
そんなことを想いながら森戸海岸まで帰って来たら空が曇りかけてきました。下に森戸神社の脇から撮った写真を示します。

何故か幸運にも非日常の世界のヨットを趣味にしました。それは25年間の趣味でした。止めて5年、80歳になってからもその趣味のことを想うと楽しくなります。幸せになるのです。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

都立薬用植物園の温室の花々の写真を撮ってきました

2016年02月07日 | 写真
この頃は一番寒い季節なのか自然の野山には花が絶えてしまっています。
そこで都立薬用植物園の温室へ行って熱帯の花々の写真を撮ってきました。
クロッカスの花は温室の外で咲いていました。
最後の写真の桜の花は途中のあるお寺に咲いていたものです。これは家内が見つけて、撮って来た写真です。この春で一番はじめに見た櫻花です。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

















歳時記としてのリオのカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味とお互いの関係

2016年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
リオのカーニバルが新聞やテレビに出てくるようになると、ああ 春が近づいたと感じます。
そしてそれが終ると「灰の水曜日」があり四旬節が続いて復活祭がきます。
それは春先の季節のうつろいを示す歳時記のようなものです。
今年の灰の水曜日は2月10日です。ですからリオのカーニバルはその前日に一斉に終了します。
そのあとの四旬節は今年は2月10日に始まり、復活祭の3月27日へと続くのです。
北半球の西洋では春先ですが南半球は夏の終わりです。その季節のうつろいを示す祝祭日です。
西洋の祝祭日のクリスマスやバレンタインなどと共にカーニバルや復活祭が日本の俳句の季語になっていることは面白いと思います。
その上、外国人も俳句を作るようになっています。俳句の世界も広くなったのです。
そこで今日はリオのカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味とお互いの関係を簡単にご説明したいと思います。
まず下にリオのカーニバルの写真を2枚示します。



リオのカーニバルでは山車の飾りつけを競います。そして女性の踊りもついています。毎年、四旬節の前に行われるお祭りです。
南米での、このようなお祭りさわぎはヨーロッパではしません。
南ヨーロッパでは仮装を中心にした宴を開きます。謝肉祭の宴です。
下の写真ははイタリアのヴィネチアのカーニバルの仮装の写真です。

南ヨーロッパのカーニバルは仮装を競う宴ですが、謝肉祭とも呼ばれます。
その一方、ドイツなどの北ヨーロッパではカーニバルのお祭り騒ぎをしません。
ところで本来はカトリックのお祭りのカーニバルは日本人も参加するようになりました。
下の写真は昨年、ブラジル・サンパウロのカーニバルに参加した青森県五所川原市の立佞武多の人形灯籠の「ねぷた」です。ねぷたの写真は、http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3G_U5A210C1CR8000/ より転載しました。

昨年は日本とブラジルが外交関係を樹立して120年です。サンバチーム「アギアジオウロ」は日本をテーマに選んだそうです。五所川原市が「日本の復興支援への御礼を伝えたい」とねぷたの参加で協力したのです。
 日系人や日本人650人が参加したそうです。ねぷたを制作した福士裕朗さん(33)は「すごい歓声と拍手に感激した。お祭りの雰囲気は青森と似ていた」と感慨深げに話したと報じられていました。
一方、カーニバルの踊りのサンバ踊りは日本各地の「サンバ祭り」として夏祭りの一つとして広がっています。
サンバ祭りは四旬節に関係なく夏に行われますので宗教行事ではありません。
しかし夏の歳時記の一つとして開催されているようです。
下は私の住んでいる町の隣の小平市に毎年行われるサンバ祭りの光景です。

写真の出典は、http://www.jiji.com/jc/d4?p=smb005&d=d4_int です。
さて日本の俳句の季語は中國の「歳時記」から派生したと言われています。
多くは宗教的な祭りや行事ですが、季節季節の花の名前も季語になっています。
そのような季語にキリスト教の祝祭日がなっているのです。日本文化の寛容性を示しているようで興味があります。
さてそれはそれとして、最後にこれらの宗教的な行事の意味とお互いの関係を簡略に説明しておきます。
イエス・キリストは、ローマ提督、ピラトによって十字架刑にされました。2000年程前の出来ごとです。しかし3日後に復活して生き返りました。そして弟子達と会い、話をして、天国へ登り、神の右の座に着きました。
このイエス様の復活を祝うのが復活祭です。春先の大きなお祭りです。今年は3月27日(日曜日)です。その前の40日間が四旬節として歌舞音楽を控え、断食や節食をしてイエス様の処刑を悼みます。カトリック圏では騒がしい音楽やお笑いがテレビやラジオから消えます。静かな番組になります。禁欲的な生活を送る40日間なのです。
その四旬節の始めの日が、「灰の水曜日」です。灰の水曜日とはその日に神父さまが信者一人、一人の頭に灰をつけてくれるのです。この世の全てのものは土から生まれ、土へ還るということを忘れないように信者の頭に灰をつけるのです。今年は2月10日の水曜日です。
そしてこの日から禁欲の40日(四旬節)が始まります。
この禁欲的な40日間の前に大いに肉を食べ、ワインを飲み、バカ騒ぎをして断食や節食の期間へ突入する準備をします。それがカーニバル、あるいは謝肉祭と呼ばれるお祭りなのです。
ですからこの飽食の馬鹿騒ぎは「灰の水曜日」の前日にピタリと止めます。大規模なリオのカーニバルも2月9日にピタリと止め、世の中は水を打ったように静謐になります。
この謝肉祭が行われるのはカトリックの国々です。特にスペインやポルトガルの植民地だった南米では大きなお祭りとして毎年行われます。
しかし、よくよく考えてみるとイエス様は飽食や、欲望のままに酒を飲むのを喜ぶでしょうか?「汝、肉慾に生きるな」と教えました。ですから馬鹿騒ぎのカーニバルはキリスト教とは関係の無いお祭りだと私個人は理解しています。
けれどもカーニバルは地球上のすべての生物は土から生まれて、土に帰る灰の水曜日の意味を強調してくれます。
「灰の水曜日」はカトリックの重要な儀式で、今年は2月10日で、この日から復活祭の四旬節が始まります。
なお復活祭の日付は毎年変わります。「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日が復活祭」と定められているからです。これは、紀元325年に開かれたニカイア公会議という世界教会会議で定められました。その年によっては最大一ヶ月ほど、つまり月の周期プラス数日のずれが生じるのです。年ごとの日付は、http://www.calvin.org/misato/easter/easter04.htm をご覧下さい。

このような歴史的事情と関係の無いのが日本の夏の「サンバ祭り」です。
しかし日本に定着しているクリスマスと同じようにサンバ祭りも良いものです。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)