後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「感動的な旅(1)別世界のような伊豆半島とハリス初代領事」

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム
長い人生でいろいろな所へ旅に行きました。日本国内は勿論、アメリカやヨーロッパの辺境へも旅に行きました。その数多くの旅の中から感動的だった旅を選び連載として旅日記をお送り致します。
今日の第一回目は別世界のような伊豆半島への旅について書いてみたいと思います。そして江戸時代末期に下田に初めて来たアメリカのハリス初代領事のことをご紹介します。
さて伊豆半島は何故別世界のようなのでしょう?それは伊豆半島が小さな火山の連続的爆発で盛り上がった山々で出来ているからです。
従って山々が急峻で、黒い溶岩が固まった凸凹の激しい地形になっています。溶岩がそのまま海に流れ落ちて崖になっていて、その崖が伊豆半島をぐるりと囲んでいます。
それでも注意深く観察すると狭い砂浜が所々にあり小さい漁船が発着できます。堤防で囲って漁港が崖のくぼみにあります。
溶岩で出来た半島なので稲作や畑作は無理です。しかし人間は山影にしがみつくようにして住んでいます。温かい黒潮が半島を洗っているので冬でも温暖です。
山々は常緑樹で覆われています。ミカンの栽培が盛んです。関東地方の平野にはケヤキ、クヌギ、コナラ、カシワなどの樹木が生えていますが、伊豆半島はタブノキ類の樹木種で覆われています。
伊豆半島の植生は武蔵野と全く違います。伊豆半島は伊豆七島の大島や神津島、そして八丈島と土地の出来方が非常に良く似ているのです。
本州に繋がっていますが、元来は伊豆七島のように太平洋に浮かぶ島だったのかも知れません。植生が本州とあまりにも違うのです。伊豆半島は別世界なのです。
伊豆半島を紹介する方法はいろいろあります。多くの観光名所もあります。しかし私はこの半島が伊豆七島の親類だということを最初に強調したいのです。写真は以前私共が撮ったものです。
伊豆七島には北から大島、利島(としま)、ウドネ島、新島、式根島、神津島、遠く離れて三宅島が有ります。そして八丈島や青ヶ島も伊豆七島では重要な島です。島の数は多いのですが略して伊豆七島と言います。
1番目の写真は伊豆半島の稲取海岸から見た伊豆七島です。左から新島、それに付いているように見える式根島、そして右へ離れて神津島などが写っています。大島は左の方で視界に入っていません。
2番目の写真も稲取海岸かから見た新島です。新島の右にあるのは式根島です。その右が神津島などです。
3番目の写真の真ん中に横たわっているのが大島です。稲取海岸から北へ数キロ行ったところから大島を撮った写真です。
伊豆半島が伊豆七島の親類だという話はこれくらいにして以下では伊豆半島の観光名所をご紹介いたします。
伊豆半島の東側の観光名所は城ガ崎海岸、一碧湖、池田20世紀美術館、稲取漁港、外浦海水浴場、爪木崎の野生の水仙群生地、須崎のえびす島、下田の玉泉寺、などなどです。
4番目の写真は城ガ崎海岸です。
5番目の写真は城ガ崎海岸の岩礁に砕ける波の光景です。
6番目の写真は下田港です。ヨットが舫っています。
7番目の写真はアメリカの最初の総領事館が3年間あった玉泉寺です。
ペリー提督が三浦半島の浦賀で江戸幕府と日米和親条約を作ったのが1852年。帰国後、ペリーはタウンゼント・ハリスを初代の在日総領事として下田へ派遣したのが1856年です。ハリスを乗せた3本マストの帆船で蒸気機関を持ったサン・ジャシント号が下田港に錨を下ろした所は6番目の写真の付近です。この写真の海からボートで陸に上がった所に玉泉寺があります。
玉泉寺は420年の歴史のある曹洞宗の古刹です。江戸幕府はその寺をハリスにアメリカ領事館として与えたのです。
1856年8月5日にハリスは通訳官ヒュースケンを伴い、玉泉寺に入ります。次の日に高い旗竿を立てて、日本で初めて、星条旗を掲揚したのです。それから2年10ケ月の間、ハリスはこの寺にとどまり、アメリカの初代総領事館を守ったのです。
7番目の写真の寺の入口の階段でハリスが登り降りした階段です。ハリスが住んでいたのは本堂でした。この中にアメリカから運んできた大きな薪ストーブを取りつけ、冬の寒さをしのいだのです。
本堂の前庭では牛を殺して牛肉を食べていたと記録にあります。牛乳も飲んでいました。夏は暑くて、大きな蚊に悩まされたとハリス日記に書いてあります。ハリスの世話をしたのが唐人お吉でした。
寺の本堂の右手に大きなハリス記念館があり、当時ハリスが使っていた文房具、家具、調度などが展示してあります。展示物は数多く、ハリスの人物像もあり当時の生活の実態がよく分かります。
このお寺の裏山には、ペリー艦隊の5人の死亡者のお墓もあります。ロシアの黒船の3人の墓もあります。
アメリカ人の5つの墓もロシア人の3つの墓も見かけは佛教風な作りですが、墓石の前面には大きく十字架が彫り込んであります。 特に興味深いのはアメリカ人の墓の一つは若い海兵隊員のものです。海兵隊(Marine)が当時からアメリカの軍隊組織の中に独立した組織として区別されていたのです。
江戸時代からアメリカ領事館が日本に有ったのです。やがて明治維新が起き、アメリカ総領事館は東京へと移転して行くのです。幕府の外交方針は閉鎖的な考えに基ずいて居ました。外国人は江戸からなるべく遠方に離して置いたのです。それは函館に最初のロシア領事館を置いたことでも分かります。

今日は伊豆半島から見える伊豆七島をご紹介し、その後でアメリカの最初の総領事ハリスについて詳しくご紹介致しました。江戸時代末期に下田にアメリカの総領事館があったのです。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「箱根、芦ノ湖畔に咲く花々」

2023年07月24日 | 写真
箱根、芦ノ湖畔に咲く花々の写真をお送り致します。
写真の出典は、http://88yokohama.com/ashinokolake.html です。

写真は順に、芦ノ湖畔箱根園に咲くサツキの花、箱根神社通り遊歩道に咲くミヤマヨメナの花、芦ノ湖畔に咲くシモツケの花、芦ノ湖畔に咲くアジサイの花です。


「印象深いホテル(6)新婚の頃に泊った箱根の山のホテル」

2023年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム
私共は1963年に留学さきのオハイオ・コロンバスで結婚しました。1964年に帰国して新婚旅行のように箱根への旅をして「山のホテル」に泊まりました。新婚の妻は美しく初々しい女性でした。性格が素直で優しい人でした。おれから茫々60年余です。妻は随分老いましたが、素直で優しい心はかなり残っています。
それはさておき、今日は新婚の頃に泊った箱根の「山のホテル」をご紹介いたします。
「山のホテル」は芦ノ湖の岸にあり見下ろすと碧い湖が見え、目を転ずると美しいツツジの庭の向こうに雪を頂いた富士山が見えるのです。まさに絶景の場所に建っているのです。
この「山のホテル」へは其の後何度も行きました。箱根に行くたびに昼食を食べました。名物の庭園からツツジの苗も買って来て毎年楽しんでいます。

1番目の写真は箱根の山のホテルから買って来たツツジの花です。庭に植えてから10年以上になります。高さ20センチ位の小さな苗でしたが大きく育ち毎年美しく咲きます。見る度にホテルの洒落た雰囲気や美味しかった料理・パン、スタッフの親切だったことなどが心に浮かびます。
そんな訳で箱根の山のホテルにはいろいろな思い出があります。そこで山のホテルの歴史をご紹介致したいと思います。
参考にしたのは、https://www.hakone-hoteldeyama.jp/history/ です。
『山のホテル』がオープンしたのは、1948年(昭和23年)5月15日。新緑が輝き、初夏の風に芦ノ湖の湖面が揺れる、美しい日がホテルの誕生日となりました。
国際観光株式会社が、岩崎小彌太男爵の箱根の別邸を買い取り、ホテルとしてオープンしました。芦ノ湖畔では箱根恩賜公園に次ぐ景観を誇り、見事なツツジ、シャクナゲ庭園を擁する別邸は、ホテルとしての魅力にあふれていたのです。
2番目の写真は1948年(昭和23年)の箱根の山のホテルです。1964年に私どもが泊った「山のホテル」はこの建物でした。この写真から7番目の写真まではインターネットからお借り致しました。

さて『山のホテル』の地は、そもそも三菱の創業者岩崎彌太郎の甥である岩崎小彌太男爵(1879〜この1945年)の別邸が建てられていたところでした。1911年(明治44年)に建てられました。
土地は10万坪。これほど広い土地を確保したのは、自身がケンブリッジ大学に留学していたときに覚えた狩猟を存分に楽しむためだったといわれています。
別邸は、完成して1年ほどで火災のため焼失。その後、ジョサイア・コンドル設計の建物が建てられました。残念ながら、石造りの2階建洋館のこの建物は関東大震災(1923年)によって崩壊しましたが、翌年、コンドル設計の建物をほぼ再現する形で木造で建て替えられました。
別邸庭園には、約3000株のツツジと約300株のシャクナゲが植えられ、5月ともなるとツツジが、そのあとを追うようにシャクナゲが咲き誇りました。これらの花も、別邸を建築する際に植えたもの。
また男爵は、庭園をつくる際、大自然を巧みに取り入れ、西側を眺めると、富士山に向かってツツジが駆け上るように配され、南側に目を転じると芦ノ湖に流れ込むようにツツジが植えられています。
それでは現在の山のホテルの写真を示します。
3番目の写真は現在の箱根の山のホテルです。庭いっぱいに色とりどりのツツジの花が咲いています。
4番目の写真は西の方を見ると雪を頂いた富士山が見えます。
5番目の写真は山のホテルの蘆ノ湖が見える屋外レストランです。
6番目の写真は山のホテルのロビーです。
7番目の写真は客室です。

今日は新婚の頃に泊った箱根の「山のホテル」をご紹介いたしました。
「印象深いホテル」という連載記事はここで一休みしたいと思います。続編では横浜グランドホテル、知床ホテル、伊豆急ホテル、高松のホテルなどをご紹介したいと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「今日の関口教会の年間第16の主日のミサの風景」

2023年07月23日 | インポート
今日の関口教会の年間第16の主日のミサの風景の写真をお送り致します。

今日は関口教会の年間第16の主日のミサにインターネットであずかりました。
その風景の写真をお送りいたします。



「今日の年間第16主日のミサの動画配信」

2023年07月23日 | 日記
今日の年間第16主日のミサの動画配信です。

関口教会の動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=iTTou84-FnY

イグナチオ教会のミサ動画配信、
https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html

写真のカトリック教会は五島列島の教会の写真です。


「炎天下に亭々と茂る大樹の写真を撮ってきた」

2023年07月21日 | 写真
炎天下に亭々と茂る大樹の写真を撮ってきました。
自宅から1Kmくらいの所に亭々と茂る大樹に囲まれた農家があります。大樹の姿を眺めていると元気が出ます。
そんな大樹の写真をお送り致します。


「夏の北海道に咲く花々の写真」

2023年07月21日 | 写真
夏の北海道に咲く花々の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://skyticket.jp/guide/22125 です。

1番目の写真はフラワーランドかみふらのです。
上富良野駅から車で約10分。国道の近くにあるので、アクセスはとても便利です。丘の頂上には鐘や展望台もあり、思う存分雄大な景色を眺め自然を堪能することができます。

2番目の写真は.展望花畑 四季彩の丘です。
15ヘクタールもの広い敷地に30種ほどの花々が咲き誇る、北海道の花の名所です。JR美瑛駅から南に向かったあたりの丘に帯のように広がるお花畑。十勝岳連峰などの山々が連なっており壮大な景色が見られ、眺望も抜群です。

3番目の写真は三島さんの芝ざくら庭園です。
芝桜の花が、約4,000平方メートルにわたり咲き誇っています。残雪の羊啼山をイメージして植えられた赤やピンク、白の芝桜のコントラストに圧倒されるでしょう。

4番目の写真は百合が原公園です。
札幌市の百合が原駅から歩くこと約10分。「百合が原公園」は花を楽しめる公園として、札幌市民に愛され続けている憩いの場です。外国風のおしゃれな庭園の園内には、ゆりの花以外にもチューリップやバラ、ダリアなど、3,500種類もの花が四季を通して咲き乱れます。

「夏の摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、網走湖、能取湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖」

2023年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム
北海道は本州とは違ってヨーロッパの風景に似ています。ロマン溢れる所です。そんな魅力に曳かれて何度も旅をしました。北海道の魅力はいろいろありますが何と言っても美しい湖があちこちにあることです。
今日は北海道の美しい湖をご紹介したいと思います。実際にたずねた摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、網走湖、能取湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖などをご紹介致します。
これらの湖の間には広大な大地が広がり、牧場がえんえんと続いています。
遥かに見える牧舎や家々も何故か本州と違い欧州風です。
ここには奈良時代の律令国家も鎌倉、室町時代もありませんでした。道南の松前藩以外は江戸文化も存在していませんでした。アイヌ民族の部落が散在していただけでした。そこへ欧米風の開拓農業が広がったのです。
そんな感じがする北海道を巡る旅を何度もしたのです。
それでは北海道の湖の写真をご紹介します。
阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖、網走湖、能取湖、そしてオンネトーの湖などの幻想的な美しさをご覧下さい。写真は家内が撮ったものです。
1番目の写真は阿寒湖です。
阿寒湖は国の特別天然記念物の球状のマリモが生きている唯一の湖として有名です。
阿寒湖は摩周湖や屈斜路湖とともに美しい湖です。湖岸に大きな阿寒湖温泉街があり、春夏秋冬、一年を通じて多くの観光客を集めています。阿寒湖に行ったら、是非、観光船に乗り、沖にある チュウルイ島マリモ展示観察センターを訪問して下さい。
2番目の写真は屈斜路湖です。
湖水の周りは原生林が取り囲んでいるので、観光客の入れる場所は和琴半島と、コタンアイヌ民俗資料館のある場所と、砂湯という場所しかありません。その湖岸に出るのに根気よく原生林の中の道を行かねねばなりません。湖岸に出ると屈斜路湖が静かに青い水を湛え、はるか沖に中島が横たわっています。
そして網走方面へ抜ける道の美幌峠に上ると頂上に「パノラマ展望台」があり、眼下に写真のように碧く輝く屈斜路湖の全景を楽しむことが出来ます。
3番目の写真は摩周湖です。
カルデラの崖の上にある第三展望台から撮った写真です。摩周湖は、北海道弟子屈町にある湖。日本で最も透明度の高い湖です。急激に深くなっていることとその透明度から青以外の光の反射が少なく、よく晴れた日の湖面の色は「摩周ブルー」と呼ばれている。
約7000年前の巨大噴火によって生成された窪地に水がたまったカルデラ湖です。流入・流出河川がない閉鎖湖であり、周辺の降雨が土壌に浸透した後十分にろ過されて流入するため透明なのです。
4番目の写真は風蓮湖です。
風蓮湖は白鳥の飛来地として有名です。そのせいで何故か素晴らしい湖という印象が心に焼き付いていました。しかし何も無い寂寥とした風景が広がっているだけです。東からの海風が強く湖面を波立せているだけです。白鳥の写真から勝手にロマンチックで華やかな風景を想像していた私の愚かさを独りで笑いながら帰ってきました。
5番目の写真は能取湖(ノトロ湖)です。
網走湖の北隣にあってオホーツク海へつながっている能取湖(ノトロ湖)は観光地ではありません。岸辺に立って沖を見やればただ広い海の水が静かな風波をたたえているだけです。
兎に角、うるさい観光地から逃れて、独り大自然の中に身を置くには丁度良い場所です。そして、しばし考え込ませる場所です。人間の小ささや、人生の一瞬の輝きがあまりにも儚いという実感に身が震えます。そして浩然たる気分になるのです。
6番目の写真はシラルトロ湖です。
川湯から弟子屈町、標茶町と国道を南下すると広大なシラルトロ湖が右側に見えて来ます。シラルトロ湖を過ぎて、しばらく走ると今度は左側に「塘路湖入口」という看板があります。見落とさないで車を入れます。すると塘路湖があります。塘路湖から再び国道に上がり、さらに南下すると「達古武湖キャンプ場入口」という看板が右手に見えます。そこを入り、2km位行くと達古武湖が広がっています。
7番目の写真は網走湖です。
網走湖は観光客が行かない湖です。大きなシジミだけが名物の地味な湖です。網走湖の湿地帯では水芭蕉の花が咲きます。国道から呼人半島の付け根の方向へ少し入った雑木林の下に広がる湿地帯に一面に咲いています。観光地でないので案内の看板も無く、近所の人だけが散歩する細い悪路が林に中に続いていました。
8番目の写真はオンネトーの紅葉です。写真の出典は、https://photoin.exblog.jp/19121491/ です。
北海道東部の阿寒摩周国立公園内にある周囲2.5kmの湖です。大自然に囲まれ、変化する湖面の色と共に神秘的な景色を見せてくれます。特に神秘的なのは波がないときに周りの景色が湖面に映りこむさまです。雌阿寒岳の噴火により螺湾川の流れが止められてできた湖です。十勝地区足寄町の東部にあり、阿寒湖からも車で約30分で訪れることができます。

今日は阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、シラルトロ湖、網走湖、能取湖、そしてオンネトーの湖の美しさを写真でご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「上高地に咲いている可憐な花々」

2023年07月20日 | 写真
上高地に咲いている可憐な花々の写真をお送り致します。
標高1,500mの上高地では、山地帯と亜高山帯それぞれに咲く花々を見ることができます。5月の中旬頃になると、上高地に春の訪れを告げるニリンソウが咲き始めます。たくさんの種類の花が咲き誇る上高地です。
写真は順に、ヤマシャクヤク、エゾムラサキ、サンカヨウ、マルバダケブキ です。
写真の出典は、https://www.kamikochi.or.jp/learn/ecology/flowers/ です。

「川物語(6)夢幻の美、上高地の梓川」

2023年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
「川物語」という連載で私が6番目に選んだのは何度も訪れた上高地の梓川です。自分が一番好きな川ですが、少し遠慮して6番目にしました。
上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に梓川の大正池が広がります。背景は穂高の連峰で、夢幻のように美し場所です。
昔は神垣内と書いたり、神河内と呼んでいたそうですが、とにかく神々しい景観なのです。どこにでもある谷川の風景とは全く違う神秘的で、そしてロマンチックな景観なのです。
早速写真で上高地をご紹介しましょう。

1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。

2番目の写真は河童橋から少し下流の梓川です。清く澄んだ水が流れています。
3番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。
学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。
4番目の写真は田代池の湿地です。バスを入り口の大正池で下車して河童橋まで歩きます。すると田代池の湿地が現れ、しばらくすると帝国ホテルがあります。1番目から4番目の写真の出典はhttps://kinarino.jp/cat8/34828 などです。
5番目の写真は田代池を過ぎて撮った梓川の写真です。この写真は2013年09月20日 に家内が撮ったものです。
6番目の写真は田代池の上方にある上高地帝国ホテルです。山岳ヒュッテです。スイスの山岳地ホテルのように丈夫な石組みの上にがっしりした木造で出来ています。何度か泊った懐かしいホテルです。写真は2011年7月1日にに家内が撮ったものです。

さて昔は梓川沿いのバス道も無く、神河内に入るには北アルプスの徳合峠を越えて、この別世界へ降り立ったのです。苦しい山越えの後で見たこの夢幻的な景観に人々は桃源郷を連想したのです。
明治の始めころ、イギリス人のウエストン卿も徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。そのときの感動を記した彼の著作を読むと私の胸も躍ります。
ウェストンは感動のあまり何度も徳合峠を越えて神河内へ足を運びました。人柄が良く山案内人に信頼されたと言います。このウェストンこそが上高地の魅力を日本人へ教えた人物です。現在、彼のレリーフが静かに梓川を見降ろしています。
私どもも何度も行きましたが、いつも大正池でバスを降りて、梓川ぞいに田代池、田代橋、帝国ホテル、中の瀬、河童橋と散策しました。滔々と流れる梓川の清流が見え隠れする湿地帯に広がる森の中に木道が完備していて歩きやすい道です。空気が新鮮で樹木が美しいのでこの道は何度も家内と一緒に歩いています。
私が上高地を初めて訪れたのは23歳の夏でした。JR大糸線の穂高駅から歩き夜は中房温泉に泊りました。
中房温泉から燕岳、常念岳、槍、南岳、大キレット、北穂、涸沢、徳合小屋と縦走して上高地に降りて上高地と梓川を見た時の感動は忘れられません。
梓川の河原に茂っていた白樺の幹が白く輝いていました。そして上高地特有の川原の泥柳の枝が風で揺れている風景をとても神秘的に感じたものです。あれから茫々60年以上の歳月が流れてしまったのです。

今日は「川物語」という連載の6番目として何度も訪れた上高地と梓川をご紹介しました。そして上高地にまつわる思い出を少しだけ書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)