後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「川物語(4)ヴォルガ川とイリア・レーピンの絵画」

2023年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
ヴォルガ川はロシアの西部を流れるヨーロッパ州最長の川です。ロシアの主要部を水系に含む「ロシアの母なる川」でもあります。全長は3,690kmもあります。 
ヴォルガ川の支流はたくさんあり、ヴォルガ川水系はモスクワ都市圏をはじめロシアの人口の多い地域や経済的・政治的に重要な地域をすっぽりと覆っているのです。
帝政ロシア時代にはヴォルガ川海軍艦隊が置かれていました。
またヴォルガ川は水運が盛んなほか、ヴォルガ・ドン運河、モスクワ運河、ヴォルガ・バルト水路など多くの運河が建設されています。それらの運河やドン川を伝って、白海、バルト海、カスピ海、黒海などの間が水路で繋がっているのです。それではヴォルガ川の写真を示します。

1番目の写真はヴォルガ川の中流の写真です。中流でもこんなに広い川です。写真はインターネットからお借り致しました。

2番目の写真はヴォルガ川の中流の夕暮れの写真です。この写真の右下には鉄道を走っている列車が写っています。それと後ろの川と比較するとヴォルガ川の大きさが分ります。
さてヴォルガ川の風景は多くの絵画に描かれています。その中からリア・レーピンの絵を取り上げてみたいと思います。日本では見ることの出来ない農奴による船引きの絵です。ロシア特有の農奴が過酷に船を曳いている光景です。
このロシア特有の船引きの仕事は16世紀から20世紀にかけてさかんに行われていました。1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真さえ残っているのです。しかしソ連政府は1929年に、船引きを正式に禁止しました。

3番目の写真はレーピンの『ヴォルガの船引き』の油彩画です。サンクトペテルブルクのロシア美術館にあります。
 イリヤ・レーピンが初めて船引きを目にしたときその重労働の光景に悲しみを感じました。悲惨な光景が彼の心に刻まれたのです。そして有名な『ヴォルガの船引き』を完成させる前に、『浅瀬を行く船引き』(1872)を制作したのです。

5番目の写真はアレクセイ・サヴラーソフ作の「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)です。
レーピンの絵の方が絵画として優れています。批評家はレーピンの絵を賞賛し作家ニコライ・ゴーゴリの小説の力になぞらえました。レーピンの絵は極めて芸術的であり、しかも労働者の生活の苦しさを描き出していると評価したのです。大作家フョードル・ドストエフスキーも、その『作家の日記』のなかで、この絵を、芸術における真実の勝利と呼んで高く評価しました。
これらの絵画に描かれた光景の実際の写真を示しておきます。
6番目の写真は1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真です。写真の出典は次です。
https://jp.rbth.com/history/79264-burlaki?fbclid=IwAR3tUomY2wKW5oJ-WIsP4SmfXPCDUy06TBOXE_Q1lMMztdTmcFb2fGD115g


「川物語(2)千曲川と島 崎 藤 村」

2023年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
川物語(2)として今日は千曲川をご紹介したいと思います。そして島 崎 藤 村の「千曲川旅情の歌」を掲載いたします。
千曲川は信濃川の支流です。以前に私は小諸の城跡の崖の上から千曲川を見下ろして大変感動しました。残雪の北アルプスを背景に、青く光る川がゆるやかに蛇行しながら流れていたのです。詩情わく風景です。
その千曲川の写真を示します。
1番目の写真は八ヶ岳の麓を流れる千曲川です。写真はインターネットからお借りした千曲川の写真です。 

2番目の写真は残雪の北アルプスを背景にして流れる千曲川です。インターネットからお借りした写真です。 
千曲川は、長野県、埼玉県、山梨県の3県の境にある甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)が源の一つです。もう一つの源は八ヶ岳の東の麓です。
そして佐久、上田の2つの盆地を流れて長野市で犀川と合流します。長野市の東縁を流れ、新潟県境に入ると信濃川と名を変えます。
さて千曲川を見下ろす小諸の城跡の崖の脇に「千曲川旅情の歌」を刻んだ碑がありました。

千曲川旅情の歌      島 崎 藤 村
小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかにし
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

藤村の千曲川旅情の歌をご紹介したので小諸の城跡の写真を示します。藤村が小諸の小学校の教師をしていた頃によく散歩した城跡です。

3番目の写真は小諸城の一番重要な追手門の写真です。この門は小諸駅の北口公園にあり江戸初期の建造物です。国の重要文化財です。懐古園の扁額のある三の門からは300m位も離れていて小諸城の規模の大きさが伺えられます。家内が走っていって撮って来た写真です。

4番目の写真は懐古園の扁額のある三の門です。この門を入ると広い本丸あとになっています。

5番目の写真はが本丸あとにある藤村記念暗です。

今日は川物語(2)として千曲川をご紹介しました。そして島 崎 藤 村の「千曲川旅情の歌」を掲載いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料=========================
千曲川旅情の歌の続き:

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ 

「今日の関口教会の年間第15の主日のミサの風景」

2023年07月16日 | 写真
今日の関口教会の年間第15の主日のミサの風景をお送り致します。
今日は関口教会の年間第15の主日のミサにインターネットであずかりました。
その風景の写真をお送りいたします。



「今日の年間第15主日のミサの動画配信」

2023年07月16日 | 日記
今日の年間第15主日のミサの動画配信です。

関口教会の動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=cpSgKIqP6x8


イグナチオ教会のミサ動画配信、

写真のカトリック教会は順に、以下の写真です。
平戸ザビエル記念教会、大浦天主堂 、浦上教会、青砂ヶ浦教会 です。

平戸ザビエル記念教会は1931年に出来た前の教会の名前を変えたものです。
禁教が解けて平戸に信徒が住むようになり1931年、大天使聖ミカエルに捧げた教会が建てられました。献堂40年後にザビエル像を建て、「平戸ザビエル記念聖堂」と名前を変えたのです。

「川物語(1)北上川と宮沢賢治」

2023年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の自然の美しさにとって川の流れの風景は重要なものです。いろいろな流れの光景が自然の美しさを引き立てています。そんな風景を求めて私はあちこちへ旅をします。
そんな旅で感動した川の風景を連載としてお送り致します。そしてその川にまつわる物語をお送りいたします。
連載の第一回目の今日は北上川の風景とその川のそばに住んでいた宮沢賢治です。
岩手県へは何度も旅しました。北上川の風景が大好きなのです。そして宮沢賢治や石川啄木の故郷だからです。柳田国夫の訪れた土地です。私の心の中では北上川の風景と文学作品が渾然一体になっています。それでは盛岡や岩手の平野を流れる北上川の風景写真をお送りいたします。

ここに示した写真は「北上川の風景写真」を検索してインターネットにある多くの写真から選びました。
さて宮沢賢治は北上川が流れている花巻で生まれました。1896年(明治29年)生まれ 1933年(昭和8年)に亡くなりました。
私共の旅では賢治の作品を初めて出版した盛岡市の光原社も訪問しました。そして賢治がよく行った小岩井牧場に行き、その後で花巻市の羅須地人協会を訪ねました。 写真を示します。
5番目の写真は北上川の岸にある盛岡の光原社です。光原社の創業者は宮沢賢治と親交があり賢治の「注文の多い料理店」を出版しました。
6番目の写真は賢治がよく遊んだ盛岡の郊外の小岩井牧場です。

賢治は北上川の岸辺をよく歩き岸辺を「イギリス海岸」と呼んでいました。そして38歳で亡くなるまでの短い人生で悲しい美しい物語を沢山書きました。
作品には「銀河鉄道の夜」、「よだかの星」、「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」などがあります。

今日は北上川の風景写真をご紹介致しました。そして北上川のそばに住んでいた宮沢賢治の作品を簡略にご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

「夏に咲いている花々」

2023年07月14日 | 写真
夏にはいろいろな花がいきいきと咲きます。数多くの種類の花も咲きます。
その中から馴染みの深い花を5種類だけ選び写真をお送りいたします。
5枚の写真は順に、ユリ、ヒマワリ、アサガオ、ニチニチソウ、ヒャクニチソウ です。
写真の出典は、https://magazine.cainz.com/article/43295 です。


「ロマン溢れる仙台の鹿落坂」

2023年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台の鹿落坂(ししおちざか)はロマン溢れる坂道ですす。私は鹿落坂の上の向山に24歳迄住んでいました。鹿落坂の写真を示します。

1番目の写真は鹿落坂の遠景です。後ろの山は経ケ峰で伊達政宗の霊廟がある山です。

2番目の写真は鹿落坂の上から見た仙台の中心街です。

3番目の写真は下から見上げた鹿落坂です。

4番目の写真は昭和12年の鹿落坂です。
鹿落坂は昔は車道が狭くて、左側に広い歩道がついていて人間が下の広瀬川の景色を見ながら登れたのです。車道にはバスだけがたまにしか通りません。
私が5歳の頃、ある月夜の夜にカジカカエルの鳴き声を聞きながら叔父さんに肩車をして貰って登ったことを鮮明に憶えています。昭和16年のある夏の夜でした。その叔父さんもとっくに亡くなりました。
そもそも鹿落坂を経て川を渡る道筋は城下町仙台の誕生以前にありました。 元禄年間に書かれた地誌『仙台鹿の子』には、「鹿落坂は越路観音下の坂なり 古よりの細街道にてある故此坂口より鹿とも里へ下り出る故鹿下り坂と書かれています。ところで私の家の東北方向には愛宕山があり、東南の方向には伊達家代々のお墓のある大年寺がありました。
ついでに鹿落坂の下にある霊屋橋の写真を示します。
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5番目の写真はお霊屋橋です。橋を渡って、左に曲がるとやがて鹿落坂になります。
お霊屋橋は正宗の廟所への入り口なので白い石材で綺麗に出来ていて、この写真のように欄干の上には石燈籠があります。
上の記事では、https://www.hirosegawa-net.com/?p=625 を参考にしました。謝意を表します。

さて皆様にもこのような故郷の風景の思い出がある筈です。そして故郷の思い出は財産です。とくに高齢者になってみると、「故郷の思い出」こそが大切な財産になるのです。

今日は私の昔住んでいて何度ものぼりおりした仙台の鹿落坂をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏が来れば思い出す宮戸島と嵯峨渓」

2023年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
夏が来ればいろいろなことを思い出します。その一つに奥松島にある宮戸島のことです。そしてその嵯峨渓の光景です。私の祖父が宮戸島の小学校の校長をしていたご縁で宮戸島に行き来していたのです。70年前のことです。
ある夏の日に祖父の教え子が私を小舟に乗せて嵯峨渓を見せてくれたのです。峩々とした白い岸壁が青い波の上に不思議な姿で聳えているのです。少年だった私は何故か不思議な感動をしました。写真を示します。

ここに示した写真は「宮戸島の嵯峨渓」を検索してインターネットにある多くの写真から選びました。
「嵯峨渓」は日本三大渓の1つとも言われています。
さて私の祖父がこの宮戸島の小学校の校長をしていました。その祖父は私が生まれる前に死んだので会ったことの無い祖父でした。
祖父が下宿していたのが観音寺というお寺でした。そして観音寺へは私も何度も泊まりに行きました。
その寺の住職さんが昔の祖父の思い出をいろいろ話してくれたのです。
祖父は泳ぎが得意でした。夜遅くなり連絡船が無くなると松島から泳いで宮戸島へ帰って来たそうです。また健脚で浜の小学校から裏山を越えて観音寺へ帰って来たそうです。
小学校では生徒に慕われ評判が良かったそうです。本当のようでした。教え子が魚市場の 幹部になり私の家に見事な鯛やカキ、カツオを何度も届けてくれたのです。祖父に可愛がって貰った恩返しだと言うのです。
祖父は宮戸島で幸せな日々を送っていたようです。そんな宮戸島へ行くと私も幸せになります。それは会ったことの無い祖父の私への贈り物だったのです。

今日は日本三大渓の「嵯峨渓」を写真でご紹介しました。そして宮戸島の小学校の校長をしていた祖父のことを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「臼杵の石仏の前にある蓮の花」

2023年07月12日 | 写真
臼杵の石仏の前にある蓮の花の写真をお送り致します。
大分県臼杵市には臼杵磨崖仏はあります。磨崖仏で臼杵石仏の名で有名です。 1952年に国の特別史跡に指定され、1995年には、磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定されました。

臼杵磨崖仏は全4群61躯で構成され、そのうち59躯が国宝に指定されています。
その石仏の前にある蓮の花の写真をお送り致します。