ヴォルガ川はロシアの西部を流れるヨーロッパ州最長の川です。ロシアの主要部を水系に含む「ロシアの母なる川」でもあります。全長は3,690kmもあります。
ヴォルガ川の支流はたくさんあり、ヴォルガ川水系はモスクワ都市圏をはじめロシアの人口の多い地域や経済的・政治的に重要な地域をすっぽりと覆っているのです。
帝政ロシア時代にはヴォルガ川海軍艦隊が置かれていました。
またヴォルガ川は水運が盛んなほか、ヴォルガ・ドン運河、モスクワ運河、ヴォルガ・バルト水路など多くの運河が建設されています。それらの運河やドン川を伝って、白海、バルト海、カスピ海、黒海などの間が水路で繋がっているのです。それではヴォルガ川の写真を示します。
1番目の写真はヴォルガ川の中流の写真です。中流でもこんなに広い川です。写真はインターネットからお借り致しました。
2番目の写真はヴォルガ川の中流の夕暮れの写真です。この写真の右下には鉄道を走っている列車が写っています。それと後ろの川と比較するとヴォルガ川の大きさが分ります。
さてヴォルガ川の風景は多くの絵画に描かれています。その中からリア・レーピンの絵を取り上げてみたいと思います。日本では見ることの出来ない農奴による船引きの絵です。ロシア特有の農奴が過酷に船を曳いている光景です。
このロシア特有の船引きの仕事は16世紀から20世紀にかけてさかんに行われていました。1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真さえ残っているのです。しかしソ連政府は1929年に、船引きを正式に禁止しました。
3番目の写真はレーピンの『ヴォルガの船引き』の油彩画です。サンクトペテルブルクのロシア美術館にあります。
イリヤ・レーピンが初めて船引きを目にしたときその重労働の光景に悲しみを感じました。悲惨な光景が彼の心に刻まれたのです。そして有名な『ヴォルガの船引き』を完成させる前に、『浅瀬を行く船引き』(1872)を制作したのです。
4番目の写真はレーピンの『浅瀬を行く船引き』(1872)です。現在、モスクワのトレチャコフ美術館に所蔵されています。
船引きが最もさ盛んだったのはヴォルガ河でした。河畔のルイビンスクは「船引きの首都」と呼ばれていたくらいです。ルイビンスク市は商業・物流の一大中心地になり貨物船、ポーター、荷馬車の御者など多数の労働者が住んでいました。
さてレーピンの他にも絵がいくつかあります。例えば、歴史画家ワシリー・ヴェレシチャーギンの「船引き」は、レーピンの傑作より6年早く、1866年に制作されています。
レーピンの少し前には、アレクセイ・サヴラーソフも、「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)で、この苦しい労働を描いています。
5番目の写真はアレクセイ・サヴラーソフ作の「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)です。
レーピンの絵の方が絵画として優れています。批評家はレーピンの絵を賞賛し作家ニコライ・ゴーゴリの小説の力になぞらえました。レーピンの絵は極めて芸術的であり、しかも労働者の生活の苦しさを描き出していると評価したのです。大作家フョードル・ドストエフスキーも、その『作家の日記』のなかで、この絵を、芸術における真実の勝利と呼んで高く評価しました。
これらの絵画に描かれた光景の実際の写真を示しておきます。
6番目の写真は1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真です。写真の出典は次です。
https://jp.rbth.com/history/79264-burlaki?fbclid=IwAR3tUomY2wKW5oJ-WIsP4SmfXPCDUy06TBOXE_Q1lMMztdTmcFb2fGD115g
7番目の写真は男性の農民が舟を曳いている写真です。写真の出典は4番目の写真と同じです。
今日はロシアの西部を流れるヨーロッパ州最長の川のヴォルガ川をご紹介致しました。そしてイリア・レーピンのヴォルガ川の船引きの絵画を紹介しました
21世紀の現在、女性の船引きの写真を見ると衝撃を受けます。人間の歴史にはこんな事もあったのです。嗚呼。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)