おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

沖縄「慰霊の日」。6月23日(金)。沖縄全戦没者追悼式。沖縄というのは非常に力のある平和製造工場なのだby池澤夏樹。

2023-06-23 18:22:48 | 平和

      

沖縄は今日、「慰霊の日」を迎えました。

沖縄は太平洋戦争において、日本国内で唯一の地上戦が繰り広げられた場所。

昭和20年6月23日未明、沖縄防衛第三十二軍司令官・牛島満中将と同参謀長・長勇中将が糸満の摩文仁にて自決したため、この日を実質的な沖縄戦の終結日ととらえて『沖縄慰霊の日』に制定。戦没者の霊を慰め、平和を祈る日として1991年に沖縄県内の公休日として定められました。

この日は平和祈念公園にて『沖縄全戦没者追悼式』が行われ、さらに、同時に県内各所でも慰霊祭が行われました。二度と悲惨な戦争を繰り返すまいという沖縄の願いを全世界に伝えています。

沖縄戦では20万人以上の戦死者を出し、その半数に近い9万4000人余りが一般県民や子供という悲惨なものでした。

追悼式が行われた糸満市摩文仁の平和記念公園にある「平和の礎」には、日米の兵隊、沖縄の民間人を問わず、沖縄戦で亡くなった人達の名前が刻まれています。本土の日本人の名前も、アメリカ人の名前も男ばかり。しかし、沖縄は、半分が女性です。

米軍の空襲によってもたくさんの本土の街並みが破壊されましたが、昭和20年(1945)3月10日・「東京下町大空襲」が典型的なように、その犠牲者も多くは、取り残された老人、女性、子供たちでした。広島や長崎への原子爆弾の投下も同様です。

自分たちの住んでいるところが戦場になる、ということはこういうことなのでしょう。

戦後78年。今、米中関係の緊張、台湾有事になったらと、南西シフトとして「沖縄」への自衛隊の部隊配備、敵基地攻撃能力を持つミサイルの配備も取りざたされています。

マスコミなどにより、ロシアのウクライナ侵攻による国民の不安感をかきたて、自公政権は、防衛費の大幅な増額も財源を後回しにしてまで、国会で成立させました。結果、アメリカのバイデン大統領からは「俺の言うとおりにさせた」とうそぶかれる始末。・・・

友人達が20日から沖縄辺野古移設反対の座り込み行動に出かけています。4年前、小生も参加しました。

美しい辺野古の海は、反対の声にいっさい耳を貸さず、着実に埋め立てが続けられています。しかし、軟弱な地盤を相手にいつ完成するかも分からない工事になっているような・・・。

今朝(6/23)の朝日新聞。「オピニオン&フォーラム」欄のインタビュー記事で、作家の池澤夏樹さんが登場していました。その示唆的な発言のいくつかを取り上げてみます。

・「歴史というのは、毎年、本を床に1冊ずつ積んでいくようなものだと考えています。1冊積むごとに少しずつずれが生じる。前の年だけを見て新たな本を積むと、ずれがだんだんと大きくなる。ある段階まで達すると、重心が一番下の本から大きく外れてしまい、崩壊する。戦後の最初の1冊は憲法9条だったわけですが、それを見ようとしないから初めに戻れない。敗戦によって日本国憲法ができ、平和国家として再出発して、少しずつずれながらも、よたよたとここまで来た。それが、ここ10年で、ずれがいきなり大きくなったように思います。やはり、本の積み方を是正しようとする力が働かなかった。・・・」

・「沖縄に住んでいた2001年、9・11テロが起きると、沖縄の米軍基地は最高度の厳戒態勢を発し、武装した米兵達がフェンスの外側に銃口を向けた。その年、全国から来るはずだった修学旅行の予定が一斉にキャンセルされました。米軍が最厳戒態勢を敷いている危ない所に子供を送りたくないという学校や保護者の意向でした。そのとき、沖縄にも子供が住んでいることを想像した人が本土にどれだけいたでしょうか。9・11のときは、日本国内に住む人も大きな衝撃を受けましたが、実際に目の前の何かが変わったのは、沖縄だけでした。」

・―戦後の日本が掲げ続けてきた平和主義の旗に、逆風が吹いているように見えます―

「ぼくは、平和は消費財だと思うんですよ。一つ一つの問題を何とか解決して平和を維持していく。放っておくと平和は減っていくから、その分、どこかでつくらなければならない。その意味で、沖縄というのは非常に力のある平和製造工場なのだと考えています。戦争体験が有り、平和への意志をもって伝え続けてきた人達がいる。県立の公文書館を備え、あの戦争とは何だったのか、考えるための史料を集めている。他の地域で、これほどのことをしているところはありません。

・「・・・ただ平和と唱えていれば、平和が来るわけではありません。憲法9条にしても、護持していればいいというものではなく、積極的に運用しなければいけない。その意味でも、現状にあらがって平和をつくり続けている沖縄は、日本の宝なんです。」

(聞き手・真鍋弘樹)

2022/12現在。

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「東日本大震災」「福島原発事故」から12年目・3月11日。読書を通して、大震災と原発事故を考える。

2023-03-11 20:33:15 | 平和

未曾有の大震災・原発事故から12年。このブログでも2年後に訪問した記事やその後の様子など何度か掲載していますが、今回は、《読書無限》で掲載した本をいくつか紹介。ただし、掲載当時のままの文章ですので、あらかじめご了解を。

『初夏の色』 橋本治

 3年前の「東日本大震災」。その傷も未だ癒えずにいる、その中で、生活する家族、そして一人ひとりの生き方。
 阪神淡路を超えてきつつあった多くの日本人が再び未曾有の災害に見舞われ、まして、福島原発事故に遭遇し、それまでの生き方、生活の見直しを余儀なくされた・・・。
 しかし、3年を経過し、原発の再起動路線が政治日程に組み込まれ(「日本復興」という大義名分のもとで)、いつしか風化しつつある(風化させられつつある)今日、改めて、三年前を振り返る。立ち止まって考え直す。そんな連作。最近の橋本さんらしい一代記風の慌ただしさで、家族の、夫婦の、親子の「絆」を、どこかで声高に叫ばれるものとは異なる切実な思いのこもったものとしてではなく、とらえ直していく。
 橋本さん自身、「面倒臭い病気になってぶっ倒れ、その後には大震災によって日本そのものが『立ち止まる』」状況に立ち至った」かなりやっかいな病気に冒された橋本さん。
 ・・・。身辺を巡る時間と空間を自在に操る橋下さんらしい切り口。

※橋本治さんは、2019年(平成31年)1月29日、70歳で亡くなりました。

『恋する原発』 高橋源一郎

 刺激的過ぎる書。良識派からは不謹慎、いくら表現の自由があるからと言ったって、というような具合に。福島第一原発事故をモチーフにした作品は他にもあるだろう、ただし、小説的なものではなくて。これは、タカハシさんなりの(顰蹙文学としての)原発事故のとらえ方である。
(信じるしかなかった、信じ込まされた)安全「神話」が瞬時にして崩壊し、多くの地域・住民を巻き込んでの大惨事。
 現在の人間だけでなく、未来の人間(生まれてくるであったろう人々)の生存権までも奪ってしまった、現実。福島県の人口は(日本全体の人口が減少は、するのだが)20年後には事故前の50%~60%に減少するという予測も登場している。
 カワカミヒロミさんの「神様2011」によってタカハシさんが触発された、あるいは、『苦海浄土』イシムレミチコさんに語らせているように・・・、結局は脆弱に過ぎなかった、と一撃の下に暴露された日本という国土の、政治の、経済の姿をとらえ直している。
 そんなばかな!この小説だかなんだかわからない書き物は、たかがAVディレクターの世迷い言の世界。読むに堪えない下品な語句の羅列によって繕っただけのものではないか、という批判、あるいは無視、侮蔑・・・。それを甘んじて受けてもいいと居直って(そう計算して)読まれる作品。
 人間の根源的な生の生き様をオブラートに隠していた世間、常識をあえて暴いて見せた、という言い方も実にあえて通俗的に。
 これまで「神話」とか「物語」というきれいな表現で見失ってきたものをとらえ直す時期なのかもしれません。でも、物語を喪失させた時代からは、いったい何を見いだすことができるのか。そこを見据えたとき、「物書き」の真骨頂があると思います。
 すでに薄消しより、無修正のものが、あるいはますます過激になって巷に(まさにネット上に)出回っている現在、タカハシさんなりに、少しおとなしめに(わざと郷愁的に)描いた業界話でもあります。

『神様2011』 川上弘美

 1993年に書かれた短編「神様」。熊の神様が登場するお話。暑い季節、三つ隣の部屋に引っ越してきた「くま」に誘われて近くの川原に散歩にでかます。そこで出会った親子連れとの微妙にすれ違う会話、水に入って魚を捕るくまのようす、干物にしてくれる・・・。「いい散歩でした」、と。
 作者は、2011年3月末にあらためて「神様2011」を書き、「群像」6月号に掲載されました。その二つを合わせて一冊の本にしたものが、これ。
 川までの道の両脇に広がっていた水田もなく、川には親子の姿は消え、防護服を着た人物がいるのみ。荒涼とした風景の中でのくまとの会話。同じように魚を捕ってもその放射能含有量のことが常に話題になる。・・・
 川上さんは、日本のみならずこの地球上には人為的な神様もいれば、自然の神もいる。そういう様々の神様の存在、それらとの人間の関わり、相手から見た人との関係性、どちらも人間の都合から神様をとらえていくことへの傲慢さ。そうしたことを突いています。
 今は、むしろ自然の神様の側から人間の所行をどのように見ているか、特に地中深く眠っていた放射性物質を人間の欲望のために取り出し加工し、今回のような事態を生んだ近現代の歴史。神をも恐れぬ人類の営みへの警告、それを肩を張ったものではなく描いています。
 今回の原発事故、さらに原発再稼働を考え、行動する糧として一読をお勧めしたい。

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』辺見庸

 米軍と一体化した、むしろ肩代わりすら当然とする「安保法制」法案。中国、北朝鮮の脅威をその根拠として、万一の場合にはアメリカ、オーストラリア、イギリスと共に軍事的行動に出ることの法制化。
 しかし、アベ達が具体的に挙げていた、イランによるホルムズ海峡の機雷封鎖云々も現実的ではなくなって、今度は南シナ海を挙げてくる。日本人を輸送する米艦が攻撃されたら云々も今や言い出さない。

そして、つまならいたとえ。

 「お前を殴るぞと脅かしている相手が隣にいる自分の友人を殴りかかってきたら、友人に加勢して相手を撃退する。」

 →そんな兆候があったら、先制的に相手を殴る行動を一緒に行う。むしろ友人の代わりにやっつける。

 「隣家が火事になったら、一緒に火事を消す。」

 →火事の原因となった放火犯を一緒に捕らえに行く。むしろ放火しそうな行動を起こすことをキャッチしたら、放火される前に積極的に相手をたたく。いな、友人に代わってやっつける。

→が「集団的自衛権」の実体的な行使になるわけ。でも、けっして言わない。「 」は、言葉遊びに過ぎないことは承知の上で。

 「友人(隣家)は、自分(我が家)に被害が及ばないよう、わざわざ体張ってがんばっているんだから」とも言う。でも、友人はそれほど体をはることはしない? 結局、「個別自衛権」の行使となり、自衛隊の出動となる。どちらにしても、自衛隊の海外派兵に結びつく。
 アベ達は、「自分や友人によけいなちょっかいをだしてきたら、このように戦うぞ」。これが戦争の抑止力になるのだという。しかし、これが本当の「抑止力」たりうるのか?
 アベにとっての究極の抑止力は「核兵器保有」。そう公言できないから次善の策として、「日米軍事同盟」強化と称し、「ガイドライン」など国会をないがしろにしてどんどん進めている(アメリカのいいなりに)。また、「安保法制」を先取りした合同軍事作戦行動訓練を展開している(沖縄のヘリ事故でその一端が暴露される)。
 さらに、何としても自前の国軍を持つことが究極の選択。それが憲法改正(悪)。これをめざして「譲るべきところは、(やむをえず)譲る。そうすれば支持率は回復する」、その典型が「総理談話」。
 そこへの「一里塚」(それどころか、何本もの法律を十把一絡げで提案するのだから、一里毎ではない、「一里塚」がまとめて築かれるようなもの。)が、今回の「安保法制」。もちろん「(憲法9条を廃棄しての)戦争の道への一里塚」。
 のんきに東海道・京都までの「一里塚」をたどるようなものとは訳が違う。
辺見庸さんの作品をもう一つ。

死と滅亡のパンセ』 辺見庸
 辺見さんの出身地が昨年の3月11日の大震災で壊滅した。その時まで行き来し、親しんでいた故郷。多くの人の命を奪い、懐かしい土地を一瞬うちに奪い去られたという現実の「出来事」への言語による痛切な総括。未来への言葉を紡ぐため自らを励ましながら、屈折した思いを語る。
 特に震災後の言論界が詩人も小説家も評論家も自己規制のもとで画一的な言動を吐いていることへの厳しい批判、ともすればそれに屈服してしまいそうな自らをも「叱咤激励」しながら言論活動。脳出血で倒れ、ガンに冒されまだまだ不自由な身体とも対峙しながら「闘う」作者のすさまじい「思い」をひしひしと感じる。
 
 2011年(平成23年)3月11日。突如襲った「東日本大震災」。それによって、故郷石巻が壊滅的に破壊され、土地も人も生活も文化も伝統も、一切合切、一瞬のうちに失われた(失わさせられた)という痛切な体験の上に(それもその場ではなく、映像や風聞や友人・知人の切々たる言葉によって知らされたものであった)筆者の痛恨の思いを書き綴った書。
 「2011年4月24日に放送されたNHK『こころの時代 瓦礫の中から言葉をー辺見庸』で話したのをきっかけに全面的に書き下ろした、わたしなりの3.11論である。」(あとがき)翌年の1月に初版が出された。
 文章と写真と自らの詩による構成。そこには、郷里・石巻にとどまらず、その後明らかになった「福島第一原発」メルトダウンという衝撃を語る。「安全」、「神話」、「平和」・・・、言葉はいかに人間をだましてきたか。言語表現を生業とする筆者の自らを鞭打ち、自己批判し、それでもなお言語によって、人間の、社会の回復(これすらもまやかしの言葉だが)を思うしかない人間の業。
 とりわけ自らの命をずたすたにされ死んでいった多くの死者に(文字通り手も足も頭もバラバラにされて)、はたして語りかける言葉があるのだろうか。自問自答の末、振り絞っての言葉が真に迫る。辺見庸さんは、読者に何を語りかけているのだろうか?
 一人ひとりにとっての「東日本大震災」「福島第一原発」が問われている。

 「・・・すべてを震災ビジネスが吸収しつつあります。言葉はいま、言葉としてたちあがってはいません。言葉はいま、言葉として人の胸の奥底にとどいていません。言葉はいま、自動的記号として絶えずそらぞらしく発声され、人を抑圧しているようです。」(P182)
 「・・・われわれはほんとうのところは、言葉に真に切実な関心をもっていないのではないでしょうか。それは、かつて石原吉郎が指摘したように、人間そのものへの関心の薄らぎを示すものかもしれません。」(P160)

 「よいひと」吉本隆明の言動批判、堀田善衛「方丈記私記」の記述作法批判など、また桜本富雄さんの文学者の戦争責任追求の諸作に関わって、震災以降の言論状況が新たなファシズムを内包していることへの指摘、さらには自身の詩集「目の海」にもふれながら渾身の(といっては失礼だが)の「パンセ」。「思い」とは、「思」であり「想」であり、人を含む生きとし生きるものへの「愛」(根源的な)である。
 
呪いの時代』 内田樹

 2011年11月発行の書。ということは、「新潮45」誌上に2008年11月から不定期に連載してきた内容にプラスして、「東日本大震災」以後のものが加わっているということ。
 加筆修正があるとはいえ、第1章「『呪い』の時代」で提起した時代状況(「現在」に対する問題意識)がそのままより深まっていくことに驚く。11年以前と以後との筆者の、現在のとらえ方に大きな変化はない、つまり、「東日本大震災」とりわけ福島原発の未曾有の事故が起こったことで、よりいっそう2年半前から思索してきたこととのつながりを持つ、と。
 改めて2011・3・11以前と以後のスタンスに変化がないことに驚嘆する。それは、一貫して主張してきたことに間違いはなかったという筆者の確信でもある。特に、筆者自身が「阪神淡路大震災」を直接に経験したことが、より強い説得力を持っている。

 ますます「呪い」「呪われ」の様相を見せている社会情勢。特にメディア、左翼的な批判的態度への批判は鋭い。

 そうした中で、「呪い」から「贈与」という価値観をもとにした人間関係、社会的な関係を結ぶことによって社会の未来を見いだす、安定させていくことができる、このことを提唱しているが、今はそんな「悠長な」価値などなどは「くそ食らえ」の世の中。にもかかわらず、あえて「徒手空拳」的価値観をかかげる武闘家としての筆者の立場は一貫している。

 呪詛も贈与も人類と同じだけ古い制度であり、それがどう機能するものかは誰でも知っている。けれども、多くの人々はそれは神話や物語の中のことであって、私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうではない。呪詛は今人びとを苦しめ、分断しているし、贈与は今も人びとを励まし、結びつけている。呪詛の効果を抑制し、贈与を活性化すること。私が本書を通じて提言しているのは、それだけのことである。(P285 「あとがき」より)

 さて、世間はそう甘くはない。この書が世に出てからの4年間。自滅した民主党からアベ政権に移った後の政治、経済、文化状況はどうであろうか。 
 責任をとらない・認めない、反面、自らの主義・主張を数の多さで国民に強要し、(領袖様の恩恵を有り難く頂戴せよと)、メディアへ露骨に介入してもの言わぬ国民にさせ(物をいわせぬように仕向け)、一方でもの申す人々に対してレッテル貼りをし(呪詛し)、・・・。

 それでもなお、「贈与」の価値観を訴える筆者だとしたら、騎士道物語を読んで妄想に陥ったの主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語の主人公のようではある。
 が、この物語をもとにした「ラマンチャの男」の主題歌が「インポシブル・ドリーム」(邦題が「叶わぬ夢」でなくして「見果てぬ夢」)であることにまさに筆者は価値ある「夢」を託しているのだろう、と。

人間が永遠に続くのではにとしたら』 加藤典洋

 人は思索することで人間としてより深く変容する。とは思うが、突き詰めれば、言語活動としてとりわけ他者に向けて発信することによって、必然的に生じるアクション、リアクションの関係でより思索が深化する、という実に当たり前のことを思う。それはまた、外界の事物・現象に向かう(対処する・思索する)自らの体内作用、そして体外への発露としての言語活動ということになるのだろう。
 人は、そういう永続的な言語活動によって、自らをより次元の高い、あるいは次元の低い立場(あくまでも過去の自らにとっての)に置くことになるのだろう。評論活動というのは、たぶんにその成長と怠惰と停滞という進行の中にあるのだろう。そういう意味では、加藤さんだけでなく、内田さんも、高橋さんも、自らの発した言語によって打ちのめされ、励まされ、降りかかってきた火の粉に敢然と立ち向かって意図的に「変容」し続けるのだろう。読者としてはまさにその面白さがかの方々の評論活動にはあることを想う。吉本だとかの人達とは一皮も二皮も剥けていく、その興味が読者を誘うのだ。
何と自由なことよ!  西洋哲学に依拠した哲学者たちの不自由な言語活動に比べれば。 けっして皮肉ではなく。
・・・これから考えていく手がかりは、全くの「シロート」として、技術、産業、科学といった道の新しい領域に「非正規的な思考」を駆使して、抗いながら、踏み行っていくことだろう、
 ・・・私たちは、かつて革命について、戦争について考えたように、いまは技術、産業、事故について考えることで、ようやく世界で起こっていることがらとそれがさし示す未来とに、向きあうことができるという気がする。(本文あとがきP416)
 その思索の根底には、地球と世界が有限性を前にして、人類の新しい経験の核心にあるものはどのような試練か? がある。
 人間が人類であるとともに生命種でもあること、そのような人間観に立った場合、「いまある問題がどのように私たちの前に見えてくるかを見定めよ、それが私たちの最初の課題なのだ、と」(P402)
 そして、「贈与」の本質、原理を提示する。

※加藤典洋さんは、2019年5月16日、71歳で亡くなりました。

「権力はリセットだと私は数年前に言った。今、言い換えというよりはもう一度言う。降り積もった汚染をなかった事にするためにそれは物事をゼロにするのだ。しかし汚染を引き受けさせられた身体を持つ、人々はけしてゼロに出来ない。そこで権力はその人達を見えなくする。そしてその理不尽の中からまた新しく税をとっていく。そう、結局リセットは国家にとっては税の契機に過ぎない。それと、学生に講義している最中に思った事を今ひとつ付け加える。汚すという事と経済という事は表裏一体ではと、大儲けの欲とは汚してはならないものを汚したいという欲望を内蔵しているのかも。
 回避出来る汚染を回避させず、人を汚染するもの、それが権力だ、その汚染をつかってまた大金を儲ける事と汚す事の両方が権力の目的だ。そう言うと性の話みたいだが、これが『核』ではないのか。」(P208)

 ここに来て、高橋さんの『恋する原発』をものした意味・意図の一分が理解できた。たかがお湯を沸かす道具・装置に過ぎない、それでいて、何千年かけても処理しようのない放射性廃棄物を生み続ける「原発」。そのマイナスをも儲けに変えるシステムそのものを覆さなければ、未来はないだろう。

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3月11日「東日本大震災」から11年目。福島第一原発事故から11年。「学習会」講演記録。

2022-03-11 20:09:12 | 平和

              爆発後の3号機原子炉建屋の外観(2011年3月15日撮影)

現在のようす。

 「東日本大震災」から11年が経ちました。地震発生当時、新宿の都庁にいて、大きな縦揺れ、横揺れでただ座席に座り込んでいたのを、昨日のように思います。

 その日の夕方、同僚が「原発があぶない」と。すぐ福島にいた娘さんに「早く避難した方がいい」と連絡していたことが印象深く残っています。

 その後の推移をみると、ひとたび原発事故が起こると、人々の生命や暮らしが大変な事態になるという現実を思い知らされます。

 ウクライナでロシア軍がチェルノブイリ原発に攻撃をした、他の原発にも砲弾を、という報道を見聞きするたびに、「福島原発事故」の悲惨さ、現状をきちんととらえ直す必要がある、と。

 昨年12月、下記のような講演会に参加しました。発言内容を参加した方で発言内容をPCにそのまま打ち込める方がいて(速記者のようです)、その記録も参考にしながら、その内容をおおまかに掲載します。

福島第一原発の1号機~4号機(2020年撮影)

2021年12月4日

福島原発事故から10年
          見えない化される事故被害をどう伝える?

講 師 満田夏花(みつたかんな)さん

①原発ゼロにしなければならないこれだけの理由

 311の前は、原発がないと電気が足りなくなる、原発は安い、原発は安全とか、私たちは刷り込まれていたと思いますが、もはやそれを信じている人は誰もいないという感じですね。
 国際的にみると再生可能エネルギーが急成長しています。(グラフを示して) これは、世界の、太陽光、風力および原発の設備容量の推移なんですが、かなり昔に風力も太陽光も原発を上回っている。実際の発電も上回ったというようなニュースが最近流れていました。
 日本も今東日本では原発ゼロの状況が続いています。宮城県の女川原発では来年以降動くんじゃないかということで、県民が県民投票条例を求めて県議会に提出しましたが、否決されました。茨城の東海第2原発も2022年以降に動くかもしれないのですが、県知事も含め周辺自治体が慎重です。各地で色々な住民の反対運動や訴訟も起こって、一旦稼働したものも止まったりしています。原発というのは技術的のみならず社会的にも不安定な電源になっています。
 四国電力エリアの2018年5月20日の電力の供給と需要を表した図(画像を示しながら)で見ると、需要の線を供給が上回っている状態で調整しなくてはいけない。一日のうち数時間の間なのですが、再生可能エネルギー100%という状況は作られているですが、太陽光は変動型の再生可能エネルギーなので、それをどういう風にうまく調整していくのかが課題になっています。
 言うまでもなく、原発は高いです。特に、建設費が高騰していて、今一基建てると1兆円くらいかかってしまう状況で、政府の計算でも原発は太陽光より高いというような結果になっています。国際的にも、太陽光とか風力は導入が進むにつれてどんどん安くなってきています。原発は事故とかトラブルがあるたびに後付けで安全対策が必要になり、事故のコストは政府試算でも21.5兆円です。この負担は東電が負担すると見せかけて、社会全体でこのコストを負担するという仕組みができてしまってます。
 先般、COP26がグラスゴーで開かれました。石炭火力に脚光があたったんですが、原子力産業の皆さんも、気候変動対策に原発を使おうという動きをしていましたが、本当に気候変動対策になるのでしょうか。実は原発を気候変動対策にすべきでない理由がいくつもあります。(ビデオ視聴)

1)解決不能な核のゴミ……核のゴミの放射能が十分に低くなるには10万年かかる。地下300mにうず
めるというが、場所も決まっていない。

2)原発のコスト……近年原発の建設費は一基あたり1兆円以上、地震や津波、火災などに対する安全対策の額は5兆円を超える

3)原発は不安定でリスクが大きい……福島第一原発はすべての電源を失い、炉心が冷却できなくなり、
原子炉建屋があいついで爆発。全国各地での原発を巡るトラブル、あわやという事故、データの改ざん、運転差し止め訴訟。社会的にも技術的にもリスクが高く、安定しているとはとても言えない。

4)原発止めてもCO2は減少……2014年からCO2の排出量は減少傾向。再生可能エネルギーの増加と電
力需要の減少が理由。一方、原発増加の過去50年、CO2は増加。原発の存在そのものが、電力の大量
消費を促進した側面がある

5) 再生可能エネルギー100%は可能……日本でも、需要の100%を再生可能エネルギーでまかなえるエリア、時間帯が出てきている。変動型の再生可能エネルギーを揚水発電や他地域との融通で調整する仕組みも進む。再生可能エネルギーの拡大や、省エネルギーこそ、確実で有効な気候変動対策

 第6次エネルギー基本計画が10月に閣議決定されましたが、原発は「低廉かつ安定的な電力供給、地球温暖化への対応」と相変わらずで、前回同様2030年度の電力供給量に占める割合が20~22%ということになっています。今は4%程度ですから20~22%というのは、実現不可能と思われる数字です。
核燃サイクルはすでに破綻しています。六ケ所再処理工場は25回も工事の完成時期が延びて、動かないうちからもう老朽化しているという状況になっています。非常に危険な高レベル廃液を生み出して、その過程で大量の放射性物質が環境中に出てしまうという怖い施設です。何としても止めたい。

②終わらない原発事故と被害の見えない化

(アニメーションを示して)これは原発事故の直後の放射性物質を含んだ「プルーム」と呼ばれる大気の塊の流れを再現したもので、風向きによっては内陸の方に行っているのがお分かりだと思います。県境とか関係ないんです。3月15日、北西の方向にプルームが伸びて、その時に雨とか雪が降って、放射性物質が地上に降って、セシウムが土に固着して、細長く飯館方面に伸びるエリアに強い放射性物質の汚染が残ってしまったと言われています。

今、各地の原発は、30キロ圏の自治体が避難計画を作ることになっているんですが、単純な距離など全然関係ないのが(画像で)お分かりだと思います。
 福島の震災関連死は多いです。原発事故によって避難を強いられた人、すごく長い避難を強いられ、元々の暮らし、生きがいを失ってしまった、もともとのコミュニティが壊れてしまった、というのが原因だと思います。自殺された方もたくさんいます。
 2011年4月、文科省が学校施設の利用基準を年20ミリシーベルトにしようと福島県の教育委員会に通知を出しました。国際勧告では公衆の被ばく限度は1ミリシーベルトです。訓練された作業員の方が働く基準、放射線管理区域の基準も年5ミリシーベルト、白血病の労災認定の基準も年5ミリシーベルト。年20ミリシーベルトを子どもも含む一般公衆に強いるのかということで、父母たちが撤回を迫るということがありました。FoE JAPANもいっしょに取り組んだ運動のひとつです。文部科学省は20ミリを撤回はしなかったけれど、年1ミリシーベルトを目指すというあいまいな通知を送り直しました。
福島第一原発事故とチェルノブイリ原発事故の対応を比べると差が歴然としています(画像を示しながら)。チェルノブイリ原発事故の場合は年5ミリシーベルト以上は強制避難。年1~5ミリシーベルトは移住の権利。つまり、避難した人に対して、国家としてのサポートがあったということなんですね。
 ところが日本は20キロ圏という距離と、放射線量としては年20ミリシーベルト以上を避難指示の区域としました。チェルノブイリの方は、土壌汚染の基準も設けていたんですが、日本の場合は空間線量だけで、土壌の問題を言っても特段問題にされませんでした。
 (この画像は)2011年当初の住民たちの声ですが、避難指示が出た地域以外の人たちからも苦難に満ちた声があがりました。FoE JAPANとしてこういう声を集めて、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会にこういう人たちにも賠償すべきだと言いました。国連の人権理事会の関係の調査をしている人たちにもこれを英訳して送りました。
 その甲斐があったのか、2012年6月、私たちが「子ども被災者支援法」と呼んだ「避難した人もとどまっている人も帰還した人も、それぞれが自らの選択を行えるように、国が適切に支援する」という趣旨の法律が議員立法でできました。しかしこの支援法は棚上げされ、実施されなかったんです。基本方針を決めることになっていたのに全然決まらずに2013年まで来て、訴訟を起こされる段になって基本方針が閣議決定されました。すべて骨抜き、被災者とか支援者が言ってることはすべて無視した内容でした。一番問題だったのは、支援対象区域というのを法律では線量(我々は「1ミリシーベルト以上」と主張)で決めることにしたのに、福島県の浜通りと中通りという地域で切られました。しかも支援内容が、既存の施策の寄せ集めで、支援法で追加的にこういう支援がある、というのはほぼなくなりました。
 そうこうするうちに避難指示区域はどんどん打ち切られ、今はこのピンクの帰還困難区域が残るのみです。2020年の3月に海側に常磐線が通り、それより前に高速道路が開通し、それより前に国道6号線も通れるようになるという感じで、どんどん避難指示区域は解除されていきました。2020年、オリンピックイヤーに合わせたように、「帰還困難区域解除」という見出しが新聞に踊りました。

 今は、空間線量自体は下がっています。それは喜ばしいことだと思います。問題は土壌汚染で、空間線量ほどは下がっていません。例えば私たちが支援している南相馬市の原町区の土壌汚染の状況でいうと、青色で描いてあるところ以外は全部放射線管理区域以上の汚染になっています。

 避難者はやはりどんどん減っています。帰りたいと思って帰った人も多いんですが、避難継続が無理で帰らざるを得なかった方々もいらっしゃいます。避難者数は減っていますが、カウントされていない避難者もいらっしゃって、福島県発表の数字は35703人と書いてありますが、市町村が把握している避難者を足し合わせるとその2倍ぐらいになっています。     

 2017年3月に区域外避難(自主避難)対象者の住宅支援が打ち切られ死活問題となったのですが、7割くらいの人は福島に帰らずに避難継続を選択されました。東京都が7月に行ったアンケート調査では世帯収入10万円未満が22%とか、5万円未満という人が8.7%とか、厳しい状況に置かれているということがわかります。国は実態調査をしませんでした。

 新潟県の検証委員会が昨年出した報告では(画像を示して)ご覧のように「様々な喪失や分断が生じている」とか「人間関係を取り戻せていない」とか「仕事とか生きがいとかを失っている」とか、「母子避難の孤立感」が挙げられています。女性の方がすごく危機感を感じて、自分の子どもを守らなきゃとか、自分も守らなきゃということで避難をしているのですが、里帰りしてすごく責められたり、事故はとっくに終わっているのに何で帰ってこないのとか。いつまで甘えてるんだ、「賠償金をもらっているだろう」とか……。孤立感もあって精神的に追い詰められてしまう方もいらっしゃいます。

 帰還した人はどうなっているのか?(画像を示して)黄色のところは事故前の人口、真ん中の黄緑のところが直近の人口、一番下の緑は実際に住んでいる人口です。実際に住んでいる人の数は数割、実際に住んでいる人の数には、東電関係者とか、子会社の関係者とか、政府のイノベーション・コースト構想でITとかロボットとかモックアップ施設とかその企業の人も含まれているので、もともとの住人はさらに少ないと思います。

③ばらまかれる放射性物質 ALPS処理汚染水をめぐる状況

 汚染水(政府は「処理水」という)もたいへん大きな問題になっています。原発のデブリを冷やした水と地下水が混じりあった水をくみ上げて一部はまた冷却水に使い、多核種除去装置(ALPS)を通したものを今タンクに貯めています。凍土壁をお金をかけて作ったのですが、全然地下水を止められていないので今も流入が止まっていない状況にあります。
 タンクの中には860兆ベクレルのトリチウム、その他にもヨウ素129とかルテニウム106とかストロンチウム90などの放射性物質が基準を越えて残留していてその総量は不明ですが、7割の水で基準越えが発生しており、東電の発表でも基準の最大2万倍です。東電はトリチウム以外の放射性物質については、二次処理して基準以下にしてから放出すると言っていますが、やはり総量は不明です。

今の計画は、この処理汚染水を海水で100倍以上に希釈して一日当たり数十万トン(プール100杯分)以上を30年くらいかけて海洋に放出する、2024年4月1日に開始するということです。東電は海底トンネルを1キロ掘って放出する、風評被害については押さえる、風評被害が起きたら賠償すると説明しています。
 トリチウムは通常の原発からも出されています。福島第一原発の場合は、2010年の実績で2兆ベクレルのトリチウムが海に出されていたそうです。現在、タンクの中にたまっているトリチウムは、その400倍くらい。国内の普通の原発ではトリチウム以外の放射性物質は検出限界以下ですが、福島第一原発の処理水にもトリチウム以外の放射性物質も含まれているわけで、30年間流し続けていいのかということが問われています。
 沸騰水型の原発では、炉心に触れた水と冷却水は別系統になるので、炉心に触れた水は海には流していないのですが、処理汚染水は炉心に触れているので、何が入っているのかわからないのが怖いのです。
 トリチウム自体も、政府は安全な物質であるかのように広報していますが、安全かどうか、放射性物質なので量に応じた影響は当然のことながらあるわけです。水素の同位体なので有機化合物の水素と置き換わってしまって、生物の体の中に入る。DNAを構成する水素原子と置き換わって、ダイレクトにDNAを損傷する。放射線を出してDNAを損傷することもあるかもしれません。

 最後に。私としては風評被害という言葉がすごく気になっています。私どもがたとえば「トリチウムは危険」と言うと、「風評を引き起こす者」というレッテル張りされるわけです。冷静な議論ができないし、問題提起しづらくなりますよね。「風評被害」で加害者の責任をあいまいにするのは、嫌なやり方だと思っています。放射性物質はこれ以上海に流すべきではない、原発も止めるべきだと思います。

福島第一原発。

※写真はすべて「」HPより)

 

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3月10日。「東京(下町)大空襲」から77年。(附)墨田区立第二寺島小学校の「くすのき」。

2022-03-10 20:24:13 | 平和

     焦土と化した本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(「Wikipedia」より)。

右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館※この建物は戦後、「「日大講堂」となる。1983年(昭和58年)老朽化が激しくなっていたため、解体。解体後の跡地には複合ビル施設の「両国シティコア」が建設された。)

「太平洋戦争」末期。昭和20年(1945)3月10日未明。米軍の絨毯爆撃によって、東京の隅田川東部の本所、深川、向島といった下町を焼け尽くしたときから、すでに76年の月日が流れました。このブログでも取り上げたことがあります。

①で掲載した府立三中(現両国中・高校)は、この時の惨禍を悼み、その後、3月10日には「卒業式」という晴れがましい催しを行わない伝統があったそうです。

このブログでも何回か取り上げています。そのうちのいくつかを再掲。

①江東橋付近。旧制府立三中『百周年記念誌』より。

「江東橋」。大横川親水公園。
 東京大空襲。1945(昭和20)年3月10日未明。東京下町地区、現在の台東・墨田・江東区を襲った米軍による焼夷弾・無差別絨毯爆撃による死者、約10万人とも。その正確な死傷者の数は、いまだに分かりません。
 特に、本所深川地区は数万に及ぶ死者とたくさんの負傷者が出ました。ここは、もともと木造家屋が密集していた地域。次々と火の手が上がっていきましたが、四方から迫る炎で逃げまどう人々。その被災民の避難路を断ったのが、この地域に縦横に走る、隅田川などの河川・運河でした。
 逃げまどう人はこれらの河川にかかる橋に両側から殺到しました。橋の上で焼死する者、逃げ場を水に求めて川に飛び込む人。その水中もけっして安全ではなく、高熱の火流が川の上をなめるように渡ったといいます。また、3月中旬の真夜中、冷たい水の中に身を浸し、水死した者もいました。
 翌朝、隅田川など下町の橋の上や水中には、黒こげの死体や水死体が浮かび、地獄そのもの様相を呈しました。
 府立三中(現在の都立両国高校)は、錦糸町駅の南西、大横川にかかる橋・江東橋のたもと付近にある学校。この時の空襲で校舎の一部が 焼失することになります。当時、錦糸町駅の方向から西へ向かう避難民と両国方面から江東橋を渡り、三中に逃げ込もうとする人々は、校門から学校の中に入ることが出来ず、再び江東橋へ戻ろうとする人も多かったといいます。避難場所として多くの住民が避難して来る中、学校では、校長をはじめ教職員が必死に消火活動や避難民受け入れに当たります。この学校の「創立百周年記念誌」(2002年発行)には、当時の生々しい体験(当時の生徒達の声)がたくさん掲載されています。この日の真夜中の惨状、阿鼻叫喚の地獄を知ることが出来ます。
(その一)
 「一面の火の玉、火の塊は一体何が燃えているのであろうか。大きいのはドラム缶ほどの物体が炎を上げながら十数米の高さを飛んで行くのである。多分、火の勢いは既に北側は電車通りの向かい側、西側は江東橋の架かっている辺りまで迫っていたのではなかろうか。避難してきた人々の必死の叫びや、バリバリと物の燃える音、・・・」
 次々と校舎が延焼する中、南側に位置するプールに飛び込んで、凍るような冷たい水の中で一夜を明かし、命が助かった者もいました。一瞬の運・不運が、人の生死を分けました。

(その二)
 「人と煙に追われ、逃げ惑う群衆の中で私達家族はその波に呑み込まれた。家の近くの江東橋の上は火焔と熱風に追われる狂乱の大群衆、それはまさに煮えたぎる地獄の釜の中の様相である。人々は酷熱風火に耐えられず我先に厳寒の死の川へ飛び込んだ。私達家族も猛火に追われ次々に飛び降りた。母は、3歳の弟を背に身をひるがえした。幸い川岸の筏の上に助けあげることが出来た。
・・・その時岸辺の家々があっという間に猛火に包まれた。その熱気で我が身は湯気のかたまりとなった。焼け落ちた家々の向こうを仰ぎ見ると、我が母校は窓々から火焔と黒煙を吹き上げ炎上中であった。
・・・猛烈な火焔と火の粉は川面へ吹き付け、筏にも火が付いた。我々は必死で消火に努めた。呼吸はつまり、目ははれふさがりこの世の姿ではなかった。猛火と熱風との闘いもやっと終わり空も白んできた。3月十日の寒空に朝日が差し込んできたころ、辺りは完全に焼き尽くされていた。」

 この筆者一家は、幸いにも生き延びましたが、生きて夜明けを迎えた人は少数でした。三中の教員で、当日、宿直していた方は、十日朝の江東橋下(大横川)の惨状を「熱風に耐えられず飛び込んだ人々はほとんど全員が寒さで命を落とし、水面がみえなくなるまで死体で埋めてしまった」と、後日、記しています。
 それから、64年の月日が経ちました。
 写真は、現在の江東橋のようすです。橋の下に、大横川の流れはなくなり、一帯が親水公園として広い管理された水面があるだけです。
 京葉道路に架かる橋もきれいに強固な橋として一新され、阿鼻叫喚の地獄図は想像もできません。
 
②錦糸公園。仮埋葬。
JR錦糸町駅のすぐ北東側にある「錦糸公園」。東京大空襲では、1万余の遺体がこの公園に仮埋葬されました。死体は人目につかない公園に集められ、火葬することなく仮埋葬された。錦糸公園1万5千体、上野公園8400体、隅田公園4900体など、公園と空き地は一時しのぎの墓地と早変わりした。仮埋葬された遺体は、戦後三年後に掘り起こされ、墨田区横網町の東京都慰霊堂内の昭和大戦殉職者納骨堂に納められた。写真は、終戦直後のままに残されたと思われる公園の一角。
 
③「本所吾妻橋」付近。
逃げまどう人々は、行き先々で河川に阻まれて、多くの人々が犠牲になりました。言問橋の上だけでも千名近くが焼死しています。また広い川面を火がなめるように渡ったという、恐怖、かつ信じられないような光景を証言する人もいます。一夜明けてからの惨状は目を覆うものばかりでした。一面の焼け野原、おびただしい死体、川には、焼死体、水死体が無数に浮かぶ・・・。
 
④「飛木稲荷神社」の大イチョウ。
目通り回り約4.8メートル、樹齢はおよそ500年から600年と考えられており、墨田区内に現存する樹木では最古とされる。戦災のために、根本から梢まで部分的に焦げてしまい、樹勢が衰えたが、現在は回復。焦げ跡は、東京大空襲の凄まじさを伝える希少な存在。 
         
 
⑤旧江戸川区の文書庫。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 
すっかり焼け野原のなかで焼け残った二階建、特殊コンクリートブロック建物。後世に、戦争の惨禍を語り継ぐため、周りを整地し、こぢんまりとしていることが、かえって戦争の被害の大きさを無言で語っているかのようです。内部は見ることは出来ませんが、掲示された写真からその惨状がはっきりと残っています。外壁は痛み方が激しいためか、補強がなされていて、痛々しい感じです。                                       この文書庫正面に「世代を結ぶ平和像」が立っています。「小松川さくらホール」の小さな公園の中、木々に囲まれた中にあります。

⑥東京都慰霊堂。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災による遭難死者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の多かった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に1930年(昭和5年)に建てられた。その後、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲などによる殉難者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、1951年(昭和26)年に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されている。

⑦爆弾によって曲がった旧「浅草国際劇場」の鉄骨、壁。その一部が東武線・鐘ヶ淵駅近くの多聞寺にある。

⑧浅草寺境内にあるイチョウの木が、戦禍にも負けず焼けただれたまま、復活して緑豊かになっている。

焼け焦げた痕がはっきり残っている。本堂の向かって右手。休憩所近く。

⑨隅田川沿いには、橋のたもとや隅田公園などに被災者の慰霊碑があります。

   「東京大空襲戦災犠牲者追悼碑」。

戦災によって亡くなられた方々の碑

 隅田公園のこの一帯は、昭和20年3月10日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。
 第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。
 亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後荼毘に付され東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。
 戦後40年、この不幸な出来事や忌まわしい記憶も、年ごとに薄れ、平和な繁栄のもとに忘れさられようとしている。
 いま、本区は、数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調製するとともに、この地に碑を建立した。昭和61年3月 台東区

⑩「言問橋の縁石」。
 ここに置かれているコンクリート塊は、1992年言問橋の欄干を改修した際に、その基部の縁石を切り取ったものです。1945年3月10日、東京大空襲のとき、言問橋は猛火に見舞われ、大勢の人が犠牲となりました。この縁石は、当時の痛ましい出来事の記念石として、ここに保存するものです。
    

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「東京スカイツリー」では今日を慰霊の日としてライトアップするそうです。

荒川・「四つ木橋」から。

遠すぎるので、下の写真を借用。

(「東京新聞」より。)

(明日は、「東日本大震災」の慰霊としてライトアップするとか。)

(附)東武線「東向島駅」近くにある「墨田区立第二寺島小学校」校庭の「くすのき」。

樹齢400年とも伝えられる「くすのき」は、高さ約6m、幹回り約2.7m、幹の中に大きな空洞ができているが、見事蘇り、校庭のど真ん中にどっしりと構えています

この「くすのき」が東京大空襲の戦禍にも耐えて今もある、ということを聞きました。

さっそく今日、訪問しました。放課後の校庭。何人か子どもたちが遊んでいました。

             

        

                 

 

「東京大空襲」の体験者もほとんどいなくなりました。語り継ぎ、戦争の悲劇を二度と繰り返さないために。

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3・10 「東京下町大空襲」から76年。

2021-03-10 20:29:07 | 平和

焦土と化した本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(「Wikipedia」より)。

右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館※この建物は戦後、「「日大講堂」となる。1983年(昭和58年)老朽化が激しくなっていたため、解体。解体後の跡地には複合ビル施設の「両国シティコア」が建設された。)

「太平洋戦争」末期。昭和20年(1945)3月10日未明。米軍の絨毯爆撃によって、東京の隅田川東部の本所、深川、向島といった下町を焼け尽くしたときから、すでに76年の月日が流れました。このブログでも取り上げたことがあります。

①で掲載した府立三中(現両国高校)は、この時の惨禍を悼み、その後、3月10日には「卒業式」という晴れがましい催しを行わない伝統があったそうです。

掲載時期は、2009(平成21)年9月。そのうちのいくつかを。

①江東橋付近。旧制府立三中『百周年記念誌』より。

「江東橋」。大横川親水公園。
 東京大空襲。1945(昭和20)年3月10日未明。東京下町地区、現在の台東・墨田・江東区を襲った米軍による焼夷弾・無差別絨毯爆撃による死者、約10万人とも。その正確な死傷者の数は、いまだに分かりません。
 特に、本所深川地区は数万に及ぶ死者とたくさんの負傷者が出ました。ここは、もともと木造家屋が密集していた地域。次々と火の手が上がっていきましたが、四方から迫る炎で逃げまどう人々。その被災民の避難路を断ったのが、この地域に縦横に走る、隅田川などの河川・運河でした。
 逃げまどう人はこれらの河川にかかる橋に両側から殺到しました。橋の上で焼死する者、逃げ場を水に求めて川に飛び込む人。その水中もけっして安全ではなく、高熱の火流が川の上をなめるように渡ったといいます。また、3月中旬の真夜中、冷たい水の中に身を浸し、水死した者もいました。
 翌朝、隅田川など下町の橋の上や水中には、黒こげの死体や水死体が浮かび、地獄そのもの様相を呈しました。
 府立三中(現在の都立両国高校)は、錦糸町駅の南西、大横川にかかる橋・江東橋のたもと付近にある学校。この時の空襲で校舎の一部が 焼失することになります。当時、錦糸町駅の方向から西へ向かう避難民と両国方面から江東橋を渡り、三中に逃げ込もうとする人々は、校門から学校の中に入ることが出来ず、再び江東橋へ戻ろうとする人も多かったといいます。避難場所として多くの住民が避難して来る中、学校では、校長をはじめ教職員が必死に消火活動や避難民受け入れに当たります。この学校の「創立百周年記念誌」(2002年発行)には、当時の生々しい体験(当時の生徒達の声)がたくさん掲載されています。この日の真夜中の惨状、阿鼻叫喚の地獄を知ることが出来ます。
(その一)
 「一面の火の玉、火の塊は一体何が燃えているのであろうか。大きいのはドラム缶ほどの物体が炎を上げながら十数米の高さを飛んで行くのである。多分、火の勢いは既に北側は電車通りの向かい側、西側は江東橋の架かっている辺りまで迫っていたのではなかろうか。避難してきた人々の必死の叫びや、バリバリと物の燃える音、・・・」
 次々と校舎が延焼する中、南側に位置するプールに飛び込んで、凍るような冷たい水の中で一夜を明かし、命が助かった者もいました。一瞬の運・不運が、人の生死を分けました。

(その二)
 「人と煙に追われ、逃げ惑う群衆の中で私達家族はその波に呑み込まれた。家の近くの江東橋の上は火焔と熱風に追われる狂乱の大群衆、それはまさに煮えたぎる地獄の釜の中の様相である。人々は酷熱風火に耐えられず我先に厳寒の死の川へ飛び込んだ。私達家族も猛火に追われ次々に飛び降りた。母は、3歳の弟を背に身をひるがえした。幸い川岸の筏の上に助けあげることが出来た。
・・・その時岸辺の家々があっという間に猛火に包まれた。その熱気で我が身は湯気のかたまりとなった。焼け落ちた家々の向こうを仰ぎ見ると、我が母校は窓々から火焔と黒煙を吹き上げ炎上中であった。
・・・猛烈な火焔と火の粉は川面へ吹き付け、筏にも火が付いた。我々は必死で消火に努めた。呼吸はつまり、目ははれふさがりこの世の姿ではなかった。猛火と熱風との闘いもやっと終わり空も白んできた。3月十日の寒空に朝日が差し込んできたころ、辺りは完全に焼き尽くされていた。」

 この筆者一家は、幸いにも生き延びましたが、生きて夜明けを迎えた人は少数でした。三中の教員で、当日、宿直していた方は、十日朝の江東橋下(大横川)の惨状を「熱風に耐えられず飛び込んだ人々はほとんど全員が寒さで命を落とし、水面がみえなくなるまで死体で埋めてしまった」と、後日、記しています。
 それから、64年の月日が経ちました。
 写真は、現在の江東橋のようすです。橋の下に、大横川の流れはなくなり、一帯が親水公園として広い管理された水面があるだけです。
 京葉道路に架かる橋もきれいに強固な橋として一新され、阿鼻叫喚の地獄図は想像もできません。
②錦糸公園。仮埋葬。
JR錦糸町駅のすぐ北東側にある「錦糸公園」。東京大空襲では、1万余の遺体がこの公園に仮埋葬されました。死体は人目につかない公園に集められ、火葬することなく仮埋葬された。錦糸公園1万5千体、上野公園8400体、隅田公園4900体など、公園と空き地は一時しのぎの墓地と早変わりした。仮埋葬された遺体は、戦後三年後に掘り起こされ、墨田区横網町の東京都慰霊堂内の昭和大戦殉職者納骨堂に納められた。写真は、終戦直後のままに残されたと思われる公園の一角。
③「本所吾妻橋」付近。逃げまどう人々は、行き先々で河川に阻まれて、多くの人々が犠牲になりました。言問橋の上だけでも千名近くが焼死しています。また広い川面を火がなめるように渡ったという、恐怖、かつ信じられないような光景を証言する人もいます。一夜明けてからの惨状は目を覆うものばかりでした。一面の焼け野原、おびただしい死体、川には、焼死体、水死体が無数に浮かぶ・・・。隅田川沿いには、橋のたもとや隅田公園などに被災者の慰霊碑があります。
④飛木稲荷神社のイチョウ。京成押上線のガードの手前にある。
目通り回り約4.8メートル、樹齢はおよそ500年から600年と考えられており、墨田区内に現存する樹木では最古とされる。戦災のために、根本から梢まで部分的に焦げてしまい、樹勢が衰えたが、現在は回復。焦げ跡は、東京大空襲の凄まじさを伝える希少な存在。  
         
 
⑤旧江戸川区の文書庫。最寄りの交通機関は、都営新宿線「東大島駅」。           

すっかり焼け野原のなかで焼け残った二階建、特殊コンクリートブロック建物。後世に、戦争の惨禍を語り継ぐため、周りを整地し、こぢんまりとしていることが、かえって戦争の被害の大きさを無言で語っているかのようです。内部は見ることは出来ませんが、掲示された写真からその惨状がはっきりと残っています。外壁は痛み方が激しいためか、補強がなされていて、痛々しい感じです。                                       この文書庫正面に「世代を結ぶ平和像」が立っています。「小松川さくらホール」の小さな公園の中、木々に囲まれた中にあります。

他にも旧浅草国際劇場(現「浅草ビューホテル」)など、いくつか掲載しました。

「東京大空襲」の体験者もほとんどいなくなりました。語り継ぎ、戦争の悲劇を二度と繰り返さないために。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                   

 

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安倍晋三首相の退陣に寄せて。

2020-09-01 19:42:42 | 平和

この機会にかつての投稿を。

読書「大衆の反逆」(オルテガ・寺田和夫訳)中公クラシックス

2015-06-30 23:31:20 | 読書無限


 著者のホセ・オルテガ・イ・ガセーは、スペインの哲学者。1883~1955。
 1930年(昭和5年)に発表された「大衆の反逆」は、文明批評家としての彼の名を広く世界に印象づけました。大衆化社会という20世紀の病理をえぐり出し、その指摘が今なお、80年以上経った現在においても多くの先見性があることに驚きます。
 このかん、日本のみならずアメリカなど世界が「第二次世界大戦」を筆頭にさまざまな壊滅的状況を経験しながらも、未だその人類的教訓を生かしていない、むしろ、1945年以前に回帰しつつある状況(回帰させようとする動き、混乱)を目の当たりにする時に、あらためてこの書の持つ現代的な意義(予見性)をつかむことが必要であるかと思います。
 この文庫版は2002年に初版が発刊され、13年に8版となった書です。今回は、各所にちりばめられたオルテガの洞察的文言を拾い出しておこうと思います。
 
 われわれが解剖しようとする事実は、次の二つの問題にまとめることができる。第一、以前にはもっぱら少数派のためにとっておかれた人生の目録と、大綱において一致する目録を、今日の大衆はわがものとしている。第二、同時に大衆は、少数派に対して従順でなくなった。かれらに服従せず、そのあとについていかず、また尊敬せずに、かれらを押しのけ、かれらにとって変わった。(P18)
 
 「大衆の反逆」は、貴族(自らを選ばれた貴族だと考えている者達、大衆化社会に眉をひそめる人々)にとってはまさに溜飲を下げる書という一面がありました。日本でも三島由紀夫などは大いにこの書に触発され、日本の国家像の欺瞞性、大衆によって牛耳られている日本の現状(とりわけ自衛隊・軍隊のあり方)を直接行動によって変革しようとしたあげく、自刃します。
 今日、アベ自身も強烈なエリート意識の持ち主。祖父への尊敬とそれを批判する人間への許しがたい思い、これによって今の自らの政治生命を保っていると考えているようです。ですから、大衆組織である「組合」、特に「日教組」への反感は、並ではありません。
 大衆に迎合せず、君らと違って国家100年の計を立てている私を尊敬しろ! 服従しろ! 従順になれ! このような意識の持ち主でしかないような気がします。底の浅いエリート観に酔っている、そしてお追従する連中の存在。  
 オルテガの語る真の貴族とはまったく異質なもので、浅い世界観・人生観でしかないことを自ら暴露しているようなものです。オルテガがいう「人生の目録」とはけっして「自己満足」というのではありません。「生の充実」ということであって、「本当の生の充実は満足や成就や到達にあるのではない。」(P31)
 のらりくらりと論点をぼかし、最後は数によって「決めるときには決める」。かつての「決められない政治」への強烈な皮肉ですが、そこから生まれるかれの選良意識はとてつもなく恐ろしい。

 自由主義とは、公権が万能であるにもかかわらず、公権自体を制限する政治的権力の原則であり、また、公権と同様に、つまり、最強者、多数者と同様には考えず、また感じもしない人々も生きていくことができるように、公権の支配する国家のなかに、たとえ犠牲を払ってでも、余地を残しておくことに努める政治的権利の原則である。
・・・
 敵とともに生きる! 反対者とともに統治する! こんな気持ちのやさしさは、もう理解しがたくなりはじめていないだろうか。反対者の存在する国がしだいに減りつつあるという事実ほど、今日の横顔をはっきりと示しているものはない。ほとんどすべての国で、一つの同質の大衆が公権を牛耳り、反対党を押しつぶし、絶滅させている。大衆は―団結した多数のこの人間たちを見たとき、とてもそんなふうに見えないが―大衆でないものとの共存を望まない。大衆でないすべてのものを死ぬほど嫌っている。(P91)

 アベ自身、「貴族」でも「エリート」でもありません。「選挙」という「大衆」の洗礼によって登場した「大衆」の一人にすぎません。だからこそ、公権力を握ったとたん、自分に反対するすべての者を「死ぬほど嫌っている」のです。

 《慢心した坊ちゃん》の時代
 以上のことを要約してみよう。私がここで分析しているのは、ヨーロッパの歴史は、いまやはじめて、じっさいに凡庸な人間の決定にゆだねられているように見えるという新しい社会的事実である。
・・・
 今日、あらゆるところを歩きまわり、どこででもその精神の野蛮性を押しつけているこの人物は、まさに人類の歴史に現れた甘やかされた子供である。甘やかされた子供は、遺産を相続する以外に能のない相続人である。
・・・
 生まれたときに突然、なぜだかわからないが、自分が富と特権のなかに据えられているのを見いだす。それらは、かれに由来したものでないから、本来のかれとはなんの関係もない。それは、他の人間、他の生物、つまりかれの祖先の残した巨大な甲冑である。しかも、かれは相続者として生きなければならない、つまり、他の生に属する甲冑を鎧わなくてはならない。そこで、どういうことになるだろうか。世襲《貴族》は、かれの生を生きるのか、それとも、初代の傑物の生を生きるのか。そのどちらでもない。かれは、他人を演ずる運命、したがって他人でもなく、かれ自身でもない運命をしょわされている。かれの生は否応なく、真実性を失い、他の生を演ずる生、あるいは他の生に似せた生となる。
・・・
 世襲《貴族》は、生を使用し努力することがないために、その人格がぼやけたものになっていく。その結果生まれるのは、古い貴族の家柄に特有の、類のない愚鈍である。この悲劇的な内的機構―あらゆる世襲貴族をどうしようもない退化に導く悲劇的な内的機構―を記述した人は、厳密な意味ではひとりもいない。(P121)   

 ところで、《慢心した坊ちゃん》の特徴は、ある種のことをしてはならないことを《知り》ながら、しかも、知っているがゆえに、その行動とことばで、反対の確信をもっているようなふりをすることにある。・・・ふまじめと冗談、これが大衆的人間の生の主調音である。かれらがなにかをするときには、ちょうど《箱入り息子》がいたずらをするのと同じように、自分の行ないは取り消しがきかないのだというまじめさが欠けている。(P127)

 アベをはじめ、坊っちゃん世襲議員によって牛耳られている国会に付ける薬はないのだろうか。

・・・・

 これは、5年前の投稿です。大叔父の記録を塗り替えると辞職するに違いない、と思っていた方は多かったのでは。小生もその一人。案の定、その通りの結末になったようです。28日。識者の中には退陣を想定した新聞社からの依頼に、事前に予定稿を用意したようです。

 本当に持病の悪化が理由なのだろうか。「1億5千万」を皮切りに、身辺に迫りつつある検察の手。それに抵抗(?)しつつ、時には圧力をかけてうやむやにし(握り潰し)、権力をほしいままにしてきた(これから先も)、安倍、麻生、二階、菅の「男たち」の新たな悪巧みの始まりではないか、と。

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「緑のたぬき」の面目躍如。今日は107名。

2020-07-02 19:44:19 | 平和

電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもいいのよ、いいのよほっといて。みんな夜の街が悪いのよ。         

けっして私のせいじゃないわよ、分かっていいるわね。

ムード歌謡。

(日刊ゲンダイ ニュース記者@gendai_newsより)

昼の街の方が人が溢れかえっているのに。夜の街の住人が四六時中、「夜」の街にいるわけでなし。昼も夜も新宿や池袋にばかりたむろしているわけではなし。感染者数も昼の方が多いのに。

特定の地域をやり玉にあげて(悪者にしたてて)、というやり方は、「排除します」と同様のやり口。それで化か(バカ)される方が悪いのかな?

すっかり元に戻った感のある満員電車での感染は皆無?

人はねぐらに帰るもの。そして、家族に・・・。

選挙までは知らぬ存ぜぬで、その後、・・・。

そういえば、昼飯に「緑のたぬき」を食していた!

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検察庁法改正(悪)案に反対します。

2020-05-17 20:15:33 | 平和
恋愛ドラマ風に分かりやすくまとめた相関図(改訂版)
              +ドロドロ最終回Ver.です!

(「lil 金魚@rubberringss」からの借用。)ここでは「?」を付して二つの選択肢がありますが、「取り下げ」は、ちょっと希望的観測過ぎ。時間的余裕はありませんが、もっと反対の声を上げないとならない、と。
 
 来週にも採決する腹づもりの自民党に対して、同じ与党として、「公明党」の山口さん。

 「検察官の定年延長を含む検察庁法改正案の趣旨が国民に伝わるよう、政府として丁寧に説明していただきたい。検察官は一般職の国家公務員でもあり、一方で司法の担い手の一翼でもあることを踏まえて制度化を図っているという趣旨がよく理解できるよう、説明責任を尽くしてもらいたいと考えます。」

 と発言しているようですが、政府与党の党首として、まず自らがきちんと国民によく理解ができるよう説明すべきです。まして弁護士の資格を有している方ですから。
 また、説明責任を尽くさず、審議を打ち切っての強行採決には(この間のように、政権離脱をちらつかせ)反対して下さい。ま、間違いなく、こうした期待は裏切られるでしょうが。
 強行採決した後、今度は「政府として丁寧な説明を行った」とするという、いつもの公明党のやり口?
 まさか「一律10万円」が取引材料だったということはないでしょうが。
 今、こんなニュースが飛び込んできました。櫻井よしこの番組の中で、櫻井よし子さんが「これは法務省の官房長から提案があったのですよね」という誘導尋問した時のアベ首相の返答が元です。

 首相官邸の介入が取り沙汰される黒川弘務・東京高検検事長の定年延長に関し、安倍晋三首相は、法務省側が提案した話であって、官邸側はこれを了承したにすぎないとの説明に乗り出す構えだ。検察官の定年に関する従来の法解釈を変更し行ったと説明している異例の人事は、あくまでも同省の意向に基づくと主張し、理解を求める。
 黒川氏の定年延長を法務省が持ち出したとする説明は、首相が15日のインターネット番組で言及した。問題の発端となった黒川氏人事への政治介入を明確に否定することで、検察庁の独立性が揺らぎかねないと反発する世論の沈静化を図る狙いがあるとみられる。
(この項、「共同通信」より)
 これによって、法務省内はてんやわんやで、アベ発言をフォローするためのつじつま合わせにこの間と同じような手口を取ることに。
 法務大臣は、国会でも記者会見でも一切言及していなかったことです。
 このことに新たな犠牲者が出なければいいですが。 
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東京オリンピック開催と新型コロナウィルスとのこと。もしくは英語のお勉強

2020-03-17 18:14:03 | 平和
 新型コロナの感染拡大をめぐり、中止や延期の可能性が議論されている東京五輪・パラリンピック。ところが、安倍首相は14日におこなった記者会見で、東京五輪について、「来週にはいよいよ聖火を日本に迎え入れます。私自身、26日には福島を訪れて、聖火リレーのスタートに立ち会います」「われわれとしては、とにかくこの感染拡大を乗り越えてオリンピックを無事に開催したい」などと語り、予定通り今年7月に開催の意向を示した。
 新型コロナは日本だけでなく世界中に感染が拡大し、いまだ収束の見通しが立たないなかでの安倍首相の発言に、世界中のツイッターユーザーがツッコミを入れまくっています。
「Do you think that’s wise, sir?」
「Only his country will participate」
「There seem to be no sign of intelligent life anywhere」
「He'd better come up with a cure, sharpish」
「Does he know something that nobody else does?」
「Didn’t say which July though did he?」
「He can vow all he likes. But July will be peak covid19」
「To be fair.. we dont know what state the world will be in then. His heart is ruling his head! It's only 16 or so weeks away... They cant leave it to the last minute to call it off」
「It means Nippon will win most of the golds.... and silvers.... and bronzes and with 4th, 5th and 6th also, should hopefully finish top of the medal chart despite the odd drug failure.....」
「Aka we've already spent so much money」
「I do believe in fairies
I do believe in father Christmas
I do believe in the Easter Bunny
I do believe in Tok... well I want to believe, but y’know, really」

 日本国内でどれだけ「感染はそこまで広がっていない」「持ちこたえている」「五輪は開催できる」などと強弁したところで、そんなものが世界的に通用するはずがない。日本のメディアと国民は、この海外からの大量のツッコミを読み返して、少し目を覚ましたほうがいい。
(以上、「リテラ」https://lite-ra.com/2020/03/post-5315.html 3・16 より)

  3月16日、「G7首脳テレビ協議」後、アベは「完全な形で実現することで支持を得た」と発言。中止、延期、無観客ではなく、予定通りの開催を意味するらしい。しかし、「完全な形」という表現が言い得て妙ですね。アベの浅知恵では思いつかない表現。裏の司令官・振付師の入れ知恵でしょう。今夏の実施は諦めて、延期を1年後にするか、2年後にするか、ということになった場合の逃げ道として表現した、とも。発端となったトランプ発言に対してポチ・アベは貫けるかどうか。
 昔からの「アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪をひく」という表現がまだまだ(ますます))相変わらず適用されると思っているのですが。
 そういえば、井上ひさしの戯曲に『うかうか三十、ちょろちょろ四十』というお芝居があります。世間の風に「うかうかちょろちょろ」しているうちに人生が終わりにならないように、自戒。
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東日本大震災から9年目。復興の掛け声と現実は?

2020-03-11 22:00:05 | 平和
 東日本大震災が勃発して9年が経ちました。たくさんの犠牲者を出し、完膚なきまでに破壊された地域。・・・大津波と福島原発事故とまだまだその爪痕はたくさん残っています。新型コロナを理由に大きな慰霊祭は中止となっています。もうすでに過去の出来事? そうなってはならない、と。
 大震災の2年後に現地を訪れたときの記録をブログに掲載しました。その一つを再掲します。(「震災」2年後の2月)
名取市閖上(ゆりあげ)浜
 名取川河口にある浜の名前です。河をはさんで北側は仙台市になります。
 宮城県の地名でも難読とされる閖上(ゆりあげ)ですが、今回の震災で甚大な被害を受けました。
・・・
「ゆりあげ浜」の文字を「閖上」と書いたのは,いつ頃か定かではないが,次のような話が伝えられている。
昔,仙台藩主が大年寺山を参拝したおり,山門内からはるか東に波打つ浜を見て「あれはなんというところか」と家来にたずねた。
「ゆりあげ浜と申します」と答えたところ,重ねて「文字はどのように書くのか」たずねた。「文字はありません」と答えると,藩主は「門の内側から水が見えたので,これからは門の中に水をかいて『閖上』とよぶように」といわれた。
それから「閖」の文字ができたと言い伝えられている。

(以上、「SendaiGumbos 仙台ガンボス: 閖上浜 doraneko-festival.blogspot.com/2011/03/blog-post_31.html」より引用させてもらいました。)

 翌日、ここを案内してもらった。途中、あそこの信号のところには何十体もの遺体が流れ着いて折り重なっていた、田んぼの用水路の中にもあった、白服の人たちが取り囲んでいるのを見ると、また遺体が見つかったんだな、と。
 まったく何もない地域が広がる。ここは住宅がたくさん建ち並んでいた場所。友人の家も失われた。車を運転しながらのつぶやきが切実だった。


はるか遠くの白雪の山並みは蔵王連山。仙台空港が遠くに見える。


一面何もない。ここの地域は土台からすっかり津波にさらわれてしまったのか。住宅地なのか田んぼなのかの区別もつかないほど。


冬の太陽の光がまばゆいほど。


送電線がかつてここで人びとの暮らしがあったこと、そしてこれからの再建の道の遠さを物語る。


一隅にあった卒塔婆。一周忌法要。まもなく「3回忌」を営む日がやってくる。


ほとんどの船が破損したり、流されたりした中で、奇跡的に残った知人の船。こうして今も無傷で停泊している。
 娘の名を付けて、「ASUKA」と。これからの希望を明日に託して。

 二日間、案内してくれた知人、その関係者の方々に感謝、感謝。また来ます。



 人に話せるほどの苦しみ、悩みや望みは、まだまだ軽いもの。人に語れない苦悩、そして願いは、ぐっと心の奥に秘めたまま。
 今回の震災。本当に「難儀だった」ことを思う。厳しい現実・過去を受け入れ、黙して語らない(語れない)深い思いは、未来への深い祈りに通じる。そんな人びとのあるがままの生き様をしっかり受け止めなければ、と。

 追記1:この時案内してくれた方は、当時、土建業を営んでいました。家の移転、仕事のこと、家族のこと、それらを差し置いて、震災復興の事業に関わっているさなか、亡くなりました。

 追記2:
【震災9年 東北各地で虹】宮城県名取市の閖上地区では、地震の発生時間にあわせて遺族たちが集まった場に鮮やかな虹が姿を現し、感激の声が上がっていました。(#東日本大震災 #震災9年 #nhk_news https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325801000.html…より)
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読書「ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想」(宮田光雄)岩波現代文庫

2019-10-23 19:08:37 | 平和
 「キリスト教神学者でありながら,反ナチ抵抗運動の一員としてヒトラー暗殺計画に加わり,ドイツ敗戦直前に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー(1906―45).生命を賭して時代への抵抗を貫き,若くして殉教への道を選んだのは,なぜか.新たな知見も交えながら,その生涯と思想の意味を現代に問う。」とあります。

 極めて示唆的な言葉。1940年頃に執筆された遺稿『倫理』草稿より。

「平穏な時代の静かな流れにおけるよりも、むしろ、嵐の時代において、人間性の弱さは、よりいっそうはっきりと示される。予期しない脅威やチャンスに直面して、不安・欲望・依存心・獣性といったものが、圧倒的多数者の行動の動機として示される。このような時に独裁的な人間軽蔑者があらわれて、人間の心の低俗な部分を養い育て、これにほかの名前をあたえることによって、これを利用することは、まことにたやすいことである。低俗な人間が低俗になればなるほど、彼は独裁者の手の中で御しやすい道具となる。・・・独裁的な人間軽蔑者が、深く人間を軽蔑しながら、しかも彼が軽蔑している当の人たちからの人気を求めれば求めるほど、いよいよ確実に、彼は、自分の人格が群集によって神格化されるのを経験する。人間の軽蔑と人間の神格化とは、深く関連している。」
 ここには、「独裁的な人間軽蔑者」というだけで、具体的に名指しされてはいませんが、あきらかに《ヒトラー》が示されています。しかし、その関心は、ヒトラー像そのものの規定というよりも、むしろ、その犠牲となった人びとに向けられています。しかも、ここでは、権力によって身体的に弾圧・追求されている人びとではなく、一連のデマゴギーによって自立性を奪われ、人権や権力分立についての判断力を奪われ、いわば《未成人化》されて体制の同調者・協力者となっていった民衆の姿に目が向けられています。これは、嵐の時代の中で、「イエス・キリストの受肉」という福音のメッセージが狂信的な指導者崇拝を《非神話化》することができる逆説を鮮やかに示すものでしょう。」(P334)

 今の日本の政治状況を見透かされているようです。その意味でも、未来を透徹した警鐘の書であり、ナチスファシズム時代の遺作でありながら、「未来もまたしかるべし」と。ボンヘッファーの眼には未来にも必ず出現するファシズムへの警告とその流れにどう抗するか、まさに今の日本人、いな世界の人びとに厳しく問いかけている一文です。

 ボンヘッファーが強制収容所で処刑された、そのわずか数週間後にヒトラーの自決によって、ヒトラーファシズム体制は終わりを告げました。
 

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化けそこなったあげく、・・・正体がばれて逃げだすタヌキ。

2017-11-14 23:08:23 | 平和
小池氏、希望代表辞任へ…都政に専念

 結局、「民進党」解体に結びつけた功績はこれ以上の大は、なし。これで、よしとすべきとでも。

 どこぞ(日本会議?・・・)からお褒めの言葉やねぎらいを期待して。

 何しろ機を見るのは敏なお方。葛飾区区議選での敗北コメントもいかにも彼女らしかった。

 殊勝に反省しているとは思えません。この屈辱の仕返しは、必ずするぞ! との決意も新たに。捲土重来を期す、か。

 でも、あれだけ持ち上げたマスコミも「どぶに落ちた犬は叩け」とばかりの論調。

 お気の毒な感じすら。誰に泳がされたのかね?

 でも、そのもっと上手をいくのが公明党・創価学会でしょう。

 小池百合子知事が14日に国政政党「希望の党」代表を辞任したことを受け、都議会公明党の東村邦浩幹事長は報道陣に「これまで小池知事寄りのスタンスを取ってきたが、これからは是々非々でやっていく」と述べ、小池氏が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」との「知事与党」関係を解消する考えを示した。
 公明と都民ファーストは7月の都議選で選挙協力し、都民ファースト大勝の一因となったが、東村幹事長は「代表を辞めようが残られようが、我々のスタンスはあの時で決まっていた」と述べ、小池氏の国政進出が知事与党離脱の決定打だったとの認識を示した。
 都議会の定数は127。都民ファースト(53人)と公明(23人)を合わせれば76人となり、都議会の過半数を占めていた。だが、今後は都民ファーストだけでは予算案や条例案を可決できなくなる。
 東村幹事長は「必要であれば自民との対話もしていきたい」とも述べ、都議会自民党との関係修復を目指す考えも示唆した。【毎日新聞 芳賀竜也】

 キツネとタヌキの化かし合い、か!
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読書「銃を持つ民主主義ー『アメリカという国』のなりたちー」(松尾文夫)小学館文庫 《再掲》

2017-10-07 19:33:15 | 平和



 2012-12-31 16:43:28に投稿したものの再掲です。今回の事件でも「銃規制」はできないアメリカという国。何度繰り返されることか! 小学校での銃乱射事件を受け手の投稿でした。

 小学校での銃乱射事件によって大勢の児童・教師が亡くなったことを受けても、今もなお、なかなか銃規制が進まないアメリカ社会。むしろ、全校に武装警官を配置することを主張し、銃規制の動きに真っ向から反対する全米ライフル協会(「NRA」)。日本人からみるとかなりの違和感を持つアメリカ社会における銃規制のあり方。
 この書は、2004年に発刊、その文庫版として2008年に出版された。今回の事態を受けて現在のアメリ民主主義社会の成り立ちを改めて理解する上で格好のテキストに。
 特に銃規制の是非を巡る論議の核心、「憲法修正第二条」。日本国憲法では基本的人権保障条項十箇条の第二条に当たる、という。
 「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」(本書P65)
 この解釈をめぐって、銃規制推進派と反対派は真っ正面から対立しているのがアメリカの現実。前者は当時の民兵、現在の州平の一員となるかぎりにおいて、市民の武器保有が認められると主張、後者は「市民皆武装」こそ、連邦中央政府権力の専制化を防ぎ、市民の自由を守るのに不可欠な個人の権利であり、アメリカ民主主義の生命線だと反論する。
 こうした相反する立場を紹介しながら、後者の規制反対派の優勢なことが、アメリカ民主主義の実態を体現している、と。「銃が増えれば犯罪が減る」との合い言葉が一般化しているアメリカ社会。そうした個人が銃を持つことを容認する「アメリカ民主主義」が、海外派兵などの実例につながっている、と。
 黒人の基本的人権や参政権などについて、合衆国憲法は修正がたびたびなされながらも、この項については210年以上に亘って一度も修正されてこなかったアメリカの歴史。そこに、筆者はアメリカ民主主義の内在する本質的な問題があると捉える。「人民武装の権利」がアメリカの対外的な戦争荷担(海外派兵。多くは、「(アメリカ流)民主主義・自由・平和」を守るという大義名分によるのだが)にも結びついていることへの危惧の念が示されている。最初の出版が「イラク戦争」開戦から一年後という時期であったことにも深く関連する。
 「クワとライフルを持って」とは、アメリカ大陸の東岸から太平洋に面する西側へ開拓していく時のスローガン。この言葉に、その後も引き続く「アメリカという国」が民主主義というオリジナリティを自負し、誇りを持つ根底に、「アメリカ中心主義」があり、個々のアメリカ国民が固有の権利として持つ、銃による武力行使権という「DNA」がある、と。
 そもそも「アメリカという国」の建国は、黒人、先住インディアンに対する徹底した差別と排除のなかで始まった。そこでは、個人・集団による銃という武器を手にした圧倒的する武力行使が主要な役割を果たしたことも、事実(長い間の黒人差別撤廃運動などのうねりの中で、憲法上での人権諸権利は確立されていくが)。
 その後、民兵は「南北戦争」を契機に、アメリカ合衆国軍という強力な常備軍となり、さらに二度の世界大戦を経て、今や世界一の軍隊にまで巨大化してしまった。そのDNAには、抜きがたい「市民皆武装」がある、と。広島、長崎への原爆投下、東京大空襲等の無差別攻撃についても、罪悪感はない(「民主主義」の旗の下で、反ファシズム戦争終結のため、当然)。
 「刀狩り」によって武器を支配階級の「武士」にのみ与えた政策以来、軍隊・警察など以外には銃刀所持を認められない日本人。その日本がアメリカと日米安保体制の下で同盟関係を強固にしていくことの意義を考えるとき、こうした銃を持つ民主主義国・「アメリカという国」の成り立ちと現実を捉え直す必要がありそうだ。
 アベさんが実現を期す「集団的自衛権」の確立とは、日米同盟の質的転換・深化であり、その表向きの第一義は、アメリカ軍が攻撃された場合、日本の「自衛隊(「国防軍」)」は、アメリカ軍とともに武力を行使するということになるのだから。

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さすが! でも、手法は実にわかりやすい、と思っちゃいますが。

2017-10-06 21:21:15 | 平和
 

 今回の選挙。すっかり小池に振り回されている感じ。自民も創価学会も、もちろん民進党も。

 いや、小泉親子も、細川も、小沢も、橋下も(本人は自分の方が一枚上手と思っているようだが)・・・。

 並み居る強者どもを斬った!張った! して我が物顔の御仁。ラブコールする前原なぞは歯牙にもかけない。

 小池にはまってさあ大変♪

 アホな前原。アンタってバカね、何年政治家やっているのよ、と高笑いしたいところをテレビ目線で、流し目。

 さすが政界渡り雌鳥。イヤ、右翼タヌキ。

 元民進の無所属には対立候補なし、公明・太田のところを含め、公明党にも出さず。

 維新には勿論出さず(その代わり維新は東京に出させない。「キムタケ」と連呼していた渡り鳥の御仁も、闘う前に討ち死に? )

 石破にも野田にも鴨下にも出さず。

 しかし、「立憲民主」には刺客を向ける。「民進」を壊しただけじゃ飽き足らず、どぶに落ちた犬は叩け! の戦法。筋金入りのサヨク嫌い。

 甘ちゃん・素人の若狭(実に貧相なお方)如きは、単なる駒、いや、希望の党の候補者は、皆、小池の駒扱い。

 みんなで徹底してガラパゴス化した「立憲民主」「共産」をつぶしにかかりましょう。当然賛成だわね、あんたたち。

 えっ、「都民ファースト」の連中。何を言い出すか分からないおバカさんたちなんだから。

 イヤならさっさと出ておいき、アンタたちには少しお世話になったけれどさ。いや、私がお世話したこともお忘れになる裏切り者め。

 「反自民」をうそぶきながら、憲法9条も、特区も、政策的には自民とほぼ同じ。「反」自民は目くらまし作戦でしかない。

 他の政策も今までどこかの政党が提示していたののまがい物? 横文字厚化粧で隠して・・・。

 腹黒さ、魂胆見え見え! 「自分ファースト」

 でもでも、政界もマスコミも、甘いさえずりやら威嚇の鳴き声に戦々恐々、右往左往。

 天下無敵だったはずのアベちゃんすら手玉に取る手腕は敵ながらあっぱれ! 

 「アベノミクス」ならぬ「ユリノミクス」。「クスッ」という含み笑いが聞こえそう。自己顕示欲まるだしのネーミング。

 今さら「百合」ちゃんじゃないでしょ。それに、

 英語で「urine」(ユリノ)は尿を意味し、尿の成分を識別する「urinomics」の単語まで既に存在している、とか。

 希望の党が打ち出した「ユリノミクス」は、ちょっと微妙な気がする。英語では”urine”(ユリーン)が「尿」なので、「ユリ」がアタマに付く単語には尿器やら放尿やら尿関連の言葉が多い。英語国民には「おしっこ経済」→「垂れ流し経済」ぐらいに聞こえるんではなかろうか。(小田嶋 隆)

 「アベ憎し」だけは本物? 私に冷たくしたでしょ! 許せないわ!

 アンチ・アベの石破でさえも獲物の虫けらにしてしまう勢い。・・・ことによると首班指名の候補者に仕立てる?

 涼しい顔で「選挙はテレビがやってくれるのよ」とのたまいあそばされた、とか。
 
 

 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉

 諸君! どうする? 
 


注1:いまのところ、希望は「消費税率UP」は凍結という立場。また、「原発NO!」だが、再稼働には賛成。
 2:「自由党」は候補者0。
 3:この一覧に「日本会議」云々の欄を設けたら、もっと一目瞭然かもしれない。



 連休中のマスコミの動き(取り上げ方次第で)、「希望」が「失望」に変わりそうな局面で、立候補宣言する、と見た。予想が外れて欲しい、と切に願う。
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「そして誰もいなくなった」、・・・第4弾。もっと早くから・・・

2017-09-29 21:59:30 | 平和

 都議選後の敗北ごたごた騒ぎの中、蓮舫さんの国籍問題でてんやわんやの民進党について投稿した記事の再掲。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 終わりのはじまり。またしても、「そして誰もいなくなった」。

 蓮舫氏の二重国籍問題 昨秋まで気づかず日本国籍選択を宣言

 民主党政権時代の党内混乱がアベ政権を生み、今日の政治情勢、政治不信を生んだことへの反省もないまま、またしても左右(というか無節操な彼我)の引っ張り合い。都議選に惨敗したとたんに、「二重国籍」問題を承知の上で自分たちで選んだ蓮舫さんを、今度は責め立てる。挙句の果てに。

 蓮舫さんも右往左往するばかりで指導性なし。

 野田さんはアベ自公内閣成立の戦犯なのに、相変わらずドジョウ顔。原発事故の菅は離党?

 こうして民進党は、瓦解する気配。

 さっさと自民党入りしたい面々。意地でも自民党に行けない連中は、アベ以上に改憲派で国民会議べったり、実は最右翼である「国民ファースト」になびき、左派は没落「社民党」化。

 ついに「そして誰もいなくなった」! 哀れ! 選挙互助会のなれの果て。「連合」も自民党支持に早晩変わりそうな気配。

 この国民不在のドタバタ劇。国民の政治不信、無関心をことさら強め、そして、選挙の投票率はますます下落、組織を持つところのみがほくそ笑む構造。

 こうしてアベはいなくなっても、親米「愛」国派、保守派はいよいよ安泰。

 以前、民主党の政権転落後の党内不信(責任なすりつけ)劇について、掲載した記事の一部。今回またまた載せます

実は、同じ内容で3回目。すべて民主党・民進党がらみ。)

『そして誰もいなくなった』(原題: 「Ten Little Niggers」 のちに改題「 And Then There Were None」)

          1939年に刊行されたアガサ・クリスティの代表的な長編推理小説。

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 ということで、4回目の同趣旨の投稿とあいなりました。相変わらずしょうもない連中ですね。

 アベさん、自民党が減っても改憲にはもってこいの形勢。

 鵺政党・公明党。本来なら定年制で引退するはずの太田を当選させるために今はじっとガマン、ガマン! 
 小池さんが太田の選挙区には候補者を出さない、という方針なのをいいことにして・・・。
 衆院選が終われば都議会でも「都民ファースト」とは袂を分かつにちがいない。
 公明党と支持団体創価学会にいいようにかき回される、クニもトも。
 いっそのこと、太田のところに「希望の党」から候補者を擁立することにしたら(ほのめかすだけでも)、はたして公明党はどう出るか?
 「希望」のゆきとどく・・・ということをスローガンに掲げたのはどの党でしたっけ?
 「反自民」「反民進」を旗印に立ち上げたもくろみは、早くも達成。「民進党」を見事に粉砕した。「反自民」は選挙対策のみ。いずれ親自民になりそう。
 右ウイングのみ肥大化していったい日本の未来は・・・。いよいよ「戦前」になりつつあるか。
 
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