けっこうな人通り。外国人の姿も大勢。
生活道路なので、車がひっきりなしに通ります。
実はお目当てのお店があります。「河村屋」さん。ここで長く仕事をしている方とちょっと遠い縁があって、一度訪ねてみようと思っていました。
「創作漬け物」のお店。本店は「中山道」沿いの大宮にあります。
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「河村屋」。
しばらくお茶を飲みながらあれこれお話をし、「生姜の味噌漬け」など、いくつか漬け物を買って引き揚げます。
とても美味しい品揃え。
東武東上線「川越駅」へ向かいます。途中もすてきな新旧の建物が。
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「埼玉りそな銀行川越支店」。
川越には蔵造りの建物と共に、明治・大正時代の洋風建築も多く残っています。その代表的が埼玉りそな銀行川越支店の建物。
大正7年(1918年)に旧国立八十五銀行本店として建てられ、国の登録有形文化財の指定を受けています。設計は保岡勝也という方。3階建てのインパクトがある佇まいは、時の鐘と共に川越のランドマーク的な存在です。外観の見学は自由。しかし建物内部の見学は残念ながら行われていません。
旧国立八十五銀行は、明治11年(1878年)に川越藩の御用商人横田五郎兵衛・黒須喜兵衛らによって、設立願いが提出され八十五番目にできた銀行です。現在の建物は大正7年(1918年)に建設。なんと埼玉県で初めて設立された銀行なのです。
鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、塔屋・金庫室付の建物で、塔尾の先端までの高さは25.2mあります。ルネサンス様式を基調としながら、ゼブラ模様の付け柱やアーチ部分がサラセン風にデザインされています。料理名の様に例えるなら、「ルネサンス様式建築 サラセン風」となるはずです。
保岡勝也とは?
明治・大正・昭和と活躍した建築家です。丸の内の赤煉瓦オフィス街を初め多くの住宅建築を手がけています。川越では4つの作品を設計していて、旧国立八十五銀行本店、旧山崎邸、山吉デパート、川越貯蓄銀行がその建築で、その内川越貯蓄銀行以外が現存しています。
(この項、「
」HPより)
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「鍛治町広場」。
由 来
この広場のある場所は、現在の町名である仲町になる以前は、「鍛冶町」という町名でした。
室町時代後期、鍛冶職人の平井某が相州(現在の神奈川県)から移り住み、その後弟子田達もこの町に住んだことにより、「鍛冶町」と言われるようになったと、江戸時代に描かれた「武蔵三芳野名勝絵図」に記されています。
高層マンションと蔵造りと。
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水戸街道「石岡宿」で見かけたような看板建築。
「田中屋」。木造モルタル造り(のはず)。
「大正浪漫通り」。
こちらの建物もさっきと同じ造り。
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木造3階建て。
東武の川越駅まではけっこう歩きます。お店が並び、観光客や地元の人が行き交う通りを進みます。
(15:40)。こうして、二日間の「川越街道」歩きを完歩。
道中。都内では宿場と商店街が一体となって今も賑やかな街道筋。埼玉に入っては、まだまだかつての面影を残す旧宿場、裏通り。ケヤキの並木道。
そして、終点。小江戸・川越の賑わい。
当初の予想とは違って、けっこう変化に富んだ街道歩きでした。
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実はお目当てのお店があります。「河村屋」さん。ここで長く仕事をしている方とちょっと遠い縁があって、一度訪ねてみようと思っていました。
「創作漬け物」のお店。本店は「中山道」沿いの大宮にあります。
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しばらくお茶を飲みながらあれこれお話をし、「生姜の味噌漬け」など、いくつか漬け物を買って引き揚げます。
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東武東上線「川越駅」へ向かいます。途中もすてきな新旧の建物が。
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川越には蔵造りの建物と共に、明治・大正時代の洋風建築も多く残っています。その代表的が埼玉りそな銀行川越支店の建物。
大正7年(1918年)に旧国立八十五銀行本店として建てられ、国の登録有形文化財の指定を受けています。設計は保岡勝也という方。3階建てのインパクトがある佇まいは、時の鐘と共に川越のランドマーク的な存在です。外観の見学は自由。しかし建物内部の見学は残念ながら行われていません。
旧国立八十五銀行は、明治11年(1878年)に川越藩の御用商人横田五郎兵衛・黒須喜兵衛らによって、設立願いが提出され八十五番目にできた銀行です。現在の建物は大正7年(1918年)に建設。なんと埼玉県で初めて設立された銀行なのです。
鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、塔屋・金庫室付の建物で、塔尾の先端までの高さは25.2mあります。ルネサンス様式を基調としながら、ゼブラ模様の付け柱やアーチ部分がサラセン風にデザインされています。料理名の様に例えるなら、「ルネサンス様式建築 サラセン風」となるはずです。
保岡勝也とは?
明治・大正・昭和と活躍した建築家です。丸の内の赤煉瓦オフィス街を初め多くの住宅建築を手がけています。川越では4つの作品を設計していて、旧国立八十五銀行本店、旧山崎邸、山吉デパート、川越貯蓄銀行がその建築で、その内川越貯蓄銀行以外が現存しています。
(この項、「
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「鍛治町広場」。
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由 来
この広場のある場所は、現在の町名である仲町になる以前は、「鍛冶町」という町名でした。
室町時代後期、鍛冶職人の平井某が相州(現在の神奈川県)から移り住み、その後弟子田達もこの町に住んだことにより、「鍛冶町」と言われるようになったと、江戸時代に描かれた「武蔵三芳野名勝絵図」に記されています。
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水戸街道「石岡宿」で見かけたような看板建築。
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「大正浪漫通り」。
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東武の川越駅まではけっこう歩きます。お店が並び、観光客や地元の人が行き交う通りを進みます。
(15:40)。こうして、二日間の「川越街道」歩きを完歩。
道中。都内では宿場と商店街が一体となって今も賑やかな街道筋。埼玉に入っては、まだまだかつての面影を残す旧宿場、裏通り。ケヤキの並木道。
そして、終点。小江戸・川越の賑わい。
当初の予想とは違って、けっこう変化に富んだ街道歩きでした。