おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

六ツ木水門。垳川排水機場。稲荷下樋管。県境。

2012-06-30 12:56:12 | つぶやき
 足立区と埼玉県との県境。このあたりになると、中川の流れもこころなしか静かで美しく、堤防も緑に覆われ、周囲ものどかな自然の雰囲気に包まれてきます。釣り人も釣り糸を垂れてのしばしのくつろぎ。ジョギングする方も目につきます。
 足立区側は西に綾瀬川、花畑川(花畑運河・綾瀬川と中川を結ぶ)や垳(がけ)川、東には中川。葛飾区側は大場川と、このあたりは、川に囲まれた地域。水害防止、水質改善などのための水門(樋門)が目立ちます。「六ツ木水門」「稲荷下樋管」。大場川には大きな水門、等。
 昭和30年代後半まで、このあたりは水田地帯。さらには、水運も盛んでした。その後は、宅地開発。このあたりの川も生活排水、工場排水のために濁って悪臭までも。下水道の完備などで、再び川の流れを取り戻していく。そんな水と人々との関わり合いの歴史もあります。
 垳(がけ)川の東端、中川との接続点に昭和54(1979)年に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。垳川は綾瀬川本流で、江戸初期に綾瀬川から切り離され、江戸中期の1729年には中川とも切り離されて、河川としての機能を失ってしまいました。中間部で北から合流する葛西用水路の溜池としての役割を果たしてきましたが、ひとたび大雨で増水すると浸水騒ぎ。
 そこで、増水時には水害防止のため、綾瀬川や中川に排水する施設が設置されました。現在、その役目を担っているのが、垳川排水機場。

 垳川排水機場の南側には中川と垳川をつなぐ稲荷下樋管があります。中川の土手にある操作室はユニークなつくりです。

道路をはさんで反対側(垳川側)のフェンス内にある「境界標」(東京都と埼玉県の県境)下の方は雑草に覆われて判読不可。
「東京都/埼玉縣潮・・」
垳川からの排水機場。
中川の少し上流の橋。潮止橋。かつては、満潮時に海水が混じってくることもあったでしょうか。
綾瀬川方面に向かって垳川沿いが「神明水の森公園」。遊歩道が整備されて、静かな水辺を散策できます。冬には渡り鳥の姿も見かけるとか。
公園の入り口付近の農家。昔ながらのつくりでした。便所も外(今、使用しているかどうかは不明)。
六ツ木水門(足立区)からの中川。遠くに見えるのが、大場川(葛飾区)の水門。
花畑川。釣り人がいました。遠くに見えるのが「六ツ木水門」(中川側)。
葛西用水。花畑川の南側。かつては花畑川の下を北から南にくぐっていました。
葛飾区側の中川土手。こんな細い道のところもあります。下流を望む。
散歩道。上流を望む。
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足立区佐野いこいの森

2012-06-29 19:30:08 | つぶやき
 つい先日、水戸街道に架かる中川大橋から中川の右岸を上流に向かって自転車で行きました。葛飾区、足立区と埼玉県の県境(八潮市)まで。よく整備されたジョギング・コースですが、自転車でも通行できます。ただし、何カ所か細い草地あり。また、散歩する人やジョギングを楽しむ人も多く、要注意。大半は、車道と隔てられ、安全な道が続いています。
 その途中。「足立区佐野いこいの森」に立ち寄りました。ここは、日曜と水曜の二日のみ一般開放されています。

 佐野いこいの森は江戸時代から残る屋敷林。スダジイ、ケヤキ、マテバシイなど約30種(約500本)の樹木があり、様々な野鳥も訪れる生態系上貴重な森です。 区民の皆さんに森と親しんでいただき、その大切さを感じてもらうことで、魅力ある自然とみどりを守っていきたいと考えています。(以上、足立区の広報)
 
 飯塚橋から中川をさかのぼること数キロ。中川の右岸沿いに「佐野いこいの森」があります。古くからの大地主(新田開発)の佐野家屋敷林の一部を一般公開しています。周囲を堀に囲われ、林内には内堀が残っています。自然のまま残されていて、細い遊歩道をゆっくり歩きながら、奥深い林のようす、どこからともなく聞こえる鳥のさえずり、足下の木漏れ陽、・・・。じっくりと自然を堪能できます。周りは静かな住宅地ですが、それでも森の中は、静寂そのもの。
 管理する方と外周りの掃除をする方と、ボランティアの方が2名。外でせっせと草取りをしていた老人と立ち話。会社を退職後19年、外周を整備している。80歳、元気な方。家が近所なので、毎日行っている、とか。森の中は、なるたけ自然にを心がけているようす。小さなサツマイモ畑がありましたが、近所の小学校の生徒がやっている、と。奥の方は、竹藪。
北東部分には他よりも地面が高い場所があり、そこにある5つの石造物は、佐野家旧屋敷神基壇。
足下は、下草で覆われています。木々も朽ちたまま。
周囲を囲む内堀の跡。
屋敷を囲むように堀が巡らされています。
案内板。
土手からのようす。
 中川を自転車でさかのぼっているときに、ふと目の下に発見した森でした。自然との不思議な出会い、人との出会いでもありました。
葛飾区側から中川をはさんで。遠くに見えるのが、佐野いこいの森。

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自民党に屈服した野田政権はとことん断罪すべし、それが当選への道、というのが小沢的立場。

2012-06-28 21:13:01 | つぶやき
輿石氏、造反者の除籍に慎重…対応一任確認へ(読売新聞) - goo ニュース
 にっくき自民党を完膚無きまで潰すことが、小沢さんの政治家としての行動の原点。
 今回の消費増税。自・公に100%「民主党の魂」まですっかり売ってしまった野田首相と執行部を絶対に許すわけにはいかない。選挙になったらボロ負けするのは、必至なのに。
 小沢グループの面々、選挙資金の調達・面倒からどぶ板選挙戦術まで、大勢の秘書を動かしてノウハウを伝授して当選させた連中の行く末を思うと、いよいよ野田が憎い、許せない! 野田と海江田との党首選。勝ってさえいればこうはならなかったはず、と。
 被告の身であるが故に、党首選にも出られず、党員資格も剥奪され・・・それもこれも、無実の俺を何としても被告の座に座らせて政治家として失脚させる、そういう国家権力の陰謀に乗った輩がいるからだ、と。
 たしかその時の党首選。菅さんの唐突な消費増税による参院選に大敗北したものの、野田さんは、菅さんの路線を受け、消費増税の旗を掲げて選挙戦に臨んだ。野田さんを選んだ時に、すでに民主党内の勝負はついていたのだったが、そんな話は、全く納得できない話。
 せめて、俺の息の掛った、従順でかわいい連中だけは、何とか次期総選挙で残ってほしい、と。そのためには「反増税」「脱原発」なら国民受けするはず、当選さえすれば、またその先は・・・。
 ちょっと待って。自由党党首時代は、自公両党と連立を組んで、まもなく解消。民主党党首の時には、自民党の福田さんに民・自大連合を持ちかけ、党内の大反発で立ち消え。そもそも増税では、細川内閣で突如福祉税(それも7%というもの)をぶち上げて、細川内閣を瓦解させた(細川さん自身の政治献金問題もあって)。
 頭の中は、常に自らの思惑通りに事を動かす(小沢さん的には、国を動かす)、それには、手駒の数と政治資金の多さが、決め手。およそ政治理念などとはほど遠い政治的駆け引きを政治(生命)力と捉えている御仁(他の政治家も持ち合わせてはいないが)。考えてみたら、この方、自ら選んでの常に「少数派」でしかなかった。
 一理ないわけではないが、今もまた小沢的「心」に振り回される、日本の政治の貧困さよ。これは、けっして民主党だけのことではない。他の政治家も、マスコミも、国民も、・・・。世論調査では、シビアな傾向(小沢NO!)は出たようだが、果たしてどう打って出るか?
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民主党という白砂糖にむらがるシロアリの存在。

2012-06-27 21:15:19 | つぶやき
「白アリ退治できないうちに…」反対票の鳩山氏(読売新聞) - goo ニュース
 誰が味方か敵か。白砂糖か、シロアリか。部外者には、皆目、分からない民主党。という感じ。もちろんシロアリは、砂糖には群がりません。
 シロアリ(白蟻)は、ゴキブリ目シロアリ科 の昆虫。主に植物遺体を食べる。木造家屋などに棲みつき木材を食い荒らす害虫として忌み嫌われる。さすれば、民主党という木造家屋(にわか作りの建築物に近い)を内から食い荒らす害虫は、誰か。今や、主客入り乱れて言い合っています。
 「シロアリ退治」。ハトヤマさんの言い方(真意?)をちょっと斜めに読んでみました。家のオーナーとしては、心配・・・、もっともいまだに「オーナー」気取りなのも、悲しい存在です。

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読書「ヒトラーのウィーン」(中島義道)新潮社

2012-06-26 19:20:17 | 読書無限
 続いて、若き日のヒトラーに関するもの。筆者の中島さんは、哲学者。時間論関係などの本を読んだことがありますが、新書版タイプが多く、けっこう親しみ深い内容でした。
 今回、手に取った時、異色な印象を持ちました。どういうわけで、ヒトラーを採りあげたのか、と。中島さんの哲学との関係性は?
 しかし、ご自身がウィーンに自費留学(挫折し、将来の不安と混沌をかかえながら異国の地で哲学、思索にふけった自らの)体験をオーバーラップさせながら、若き日のヒトラー像に迫っていく内容に驚きました。
 題名にもその思いが伝わってきます。「ヒトラー」にとっての「ウィーン」は、「筆者」にとっての「ウィーン」でもある。いわば心象風景としてのウィーンを語っていく趣向です。そこに、この書のおもしろさがあります。
 挫折体験としてのヒトラー像。それが後にナチズムとして形成されていく彼の思想形成につながっていったこと。このことをウィーンの町並み(ヒトラーが観察し、共感し、批判し、拒絶された町並み、権力者、市民の実態。それに、中島さん自らが見聞きし身心に刻んだ町並み・人々の姿)を絡み合わせて書き進め、ヒトラー像(ヒトラー自身もつかめなかった)の真実と虚構を捉えようとします。特に建築家を志望しその望みを叶えられなかったヒトラーにとって、シェーンブルン宮殿、国立歌劇場、ウィーン大学、国会議事堂、英雄広場・・・。政治に関心を持ちはじめ、次第に反ユダヤ主義者になっていく過程を克明に追っていきます。。
 「ヒトラーにとって、ウィーンは足腰立たなくなるほど自分を痛めつけた所である。だからこそ、結果として絶望から這い上がる仕方を教えてくれた所でもある。その『最も過酷な人生の学校』(『わが闘争』)を卒業したからこそ現在のこの自分がいるのだ、と」。その心の根っこには「憎悪」があった、と筆者は語りながら、「心象風景」そのものをヒトラーの眼差しに感じとります。
 
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党派性のあり方。日本(人)的解決。もしくは小沢的方法。

2012-06-25 07:06:44 | つぶやき
造反予備軍をランク付け 首相、自ら電話で説得(朝日新聞) - goo ニュース
 アメリカの議会。民主党と共和党。どちらも右から左までかかえている。重要な議案では双方入り乱れての多数派工作。党派のしばりは緩やかで、議員個々の政策的判断(議員自身の選挙対策面、あるいはロビーストの圧力?)が賛否の基準。党議に違反したからといって、処分云々は聞かない。大統領制のためだろう。
 一方、議院内閣制のイギリスでは当然、党派のしばりは強い。日本は、イギリス型。党議に違反すれば、即、何らかの処分。
 そもそも、税制は、国の根幹をなすもの。国会議員にさまざまな考え・立場があって、当然。特に、民主党は「政権交代」のスローガンで多数を得ただけで、党是などはあいまい。マニフェストだって本気で実行を考えていたか・・・。右から左まで支援団体もさまざま。
 今回、議院内閣制である以上ありえないことだが、双方で、手段を選ばぬ多数派工作。自公が揶揄するように政党の体をなしていない。消費増税、自民党や公明党の中にだって異論・反論はあるはずだが(公明党はないか)、今回、党議に逆らう議員はほとんど出ないだろう。
 「与党」とは、時の政権を支持し、協力する党という意味。それがこの有様だから何とも・・・。これまでの党内での遺恨試合の結果、小沢グループは、この際、(野田)内閣を支持せず、協力しない党派になっていこうというのだから、無理にいてもらうこともない。その他の議員はま、少し穏便な処分がいいのではないか、と素人は思うのです。ただ、今後は小沢グループ(新党)は内閣不信任決議を出すだろうから、その後がみものではある。
 宗派性にこだわるあまり、異教徒の存在は認めても(埒外だから)、異端は認めないのが、日本の宗教界。どうも今や日本の政党は、宗教界に似てきたのでは・・・。政治の世界にはなじまないと思います。
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カラスは人を見る、という経験。

2012-06-24 09:30:03 | つぶやき
菅原城北大橋 襲撃相次ぐ 子育てピリピリ…カラスご注意 (産経新聞) - goo ニュース
 現役時代のこと。カラスが、職場の敷地、大きく緑豊かな木の高いところに巣を作りました。二羽のカラスが忙しそうに飛び回っての子育て中(らしい)。気がついた職員が木を見上げたとたん、さっと飛んできて、低空飛行、頭を激しく突っついて飛び去った。その時は、黒い帽子をかぶっていたので事なきを得た。しかし、その後、どうもその職員の風体をしかと記憶したらしく、その木のそばを通るたびに襲うようになった。
 そこで、しょうがないから、小生、「カラスの巣あり。ご注意」とのビラを壁に貼ったり、木の枝にくくりつけることにした。そしたら、同じようにこちらを攻撃してきた。いきなり背後からやって頭の上を低空飛行。他の人がその樹の下を通り過ぎても何ともない。どうも覚えられてしまったらしい。二人が主に攻撃対象、困った!困った! 梅雨時でした。そのうち、子育て終了。やっと平穏な日々に戻りました。
 それ以後、カラスが毎年のように巣作りにやってくる。上空を飛び回るようになったら、すばやく木の枝を落とす、高いところだから大変、大変。それがこの季節の仕事になりました。
 ある時は、産んだばかりの卵のある巣ごと切り倒したことも。上空では、二羽のカラスが飛んでいました・・・。この大木、子どもたちの通学路、大勢の人が行き来する通りに面していた。仕方がないことですが、何となく心傷むことでした。
 我が家でも、ベランダのハンガーがなくなったり、地面に落としてあったり、と、巣作りのためにカラスも必死になっています。都会のカラスも大変でしょう。「カラスなぜ鳴くの・・・」などと唱歌に歌われたのどかさは、もうすっかりなくなってしまった。
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久々の「蜂の一刺し」(になるか)。タイムリーすぎる仕掛け。

2012-06-23 14:19:34 | つぶやき
「カバン持ってどこかに」…小沢氏妻の手紙要旨(読売新聞) - goo ニュース
 今から30年以上の昔、1981(昭和56)年10月28日、ロッキード事件公判に田中角栄元首相秘書官・榎本敏夫被告の前妻、三恵子さんが検察側証人(ここが「ミソ」)として出廷。「榎本被告が5億円受け取りを認めた」と爆弾発言。この証言で田中被告は決定的に不利になった、とされている。
 三恵子さんは、その後の記者会見で、「真実を述べるのは私の国民としての義務だと思います。夫は『どうしようか』と言いますので、お金は受け取ったのかと聞き返しますと、顔を上げる際に軽くうなずいておりました」と説明した。元首相を相手に、勇気を持って証言した理由について「蜂は一度刺したら命を失うと申しますが、人を刺すという行為で私も失うものが大きいと思います」と話し、「蜂の一刺し」が当時の流行語になった。その後、三恵子さんは時の人として、TVなどにしばしば登場した。
 蜂などは、敵を攻撃する際にオシリの針を相手に突きさして相手を刺すが、針は相手の体からは抜けない。刺した蜂は、自分も針を抜くことができずに死んでしまう。つまり、「自分の命をかけて相手の致命傷になる急所を突くこと」を、「蜂の一刺し」という。当時の流行語になった。
 しかし、検察側証人としての発言ということで、検察側の起死回生の弾だった。田中裁判は今でも不透明な点が多々あって、田中追い落としのために、検察・アメリカなどによって仕組まれた政治裁判だったとの見方もあるほど。
 今回のこの「一刺し」。「手紙」(真偽は不明)をマスコミに大々的に流し、消費増税法案をめぐり、同志を大勢集めて集団離党を企てる、小沢一郎の政治生命を奪おうとする政治的意図が見え隠れする。「カバン持ってどこかに」という表現は「ためにする」表現そのもの。
 手紙の真偽問題(自筆かどうか、内容は事実か・・・)を含めて、マスコミは与えられた情報操作に自らが加わるのではなく、きちんと検証してから報道すべき。
 小沢一郎的世界に全く共感はしないが、またぞろ出てきた小沢一郎にまつわるマスコミ上げての「反小沢キャンペーン」には与することはできない。
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イシハラ的価値観にはNOだが、これは、正論。

2012-06-22 20:22:23 | つぶやき
増税反対の小沢氏を批判=「具体的に何やるのか」―石原都知事(時事通信) - goo ニュース
 選挙で勝つ。それがすべて。理念も何もない。小沢一郎的世界。イシハラさん的痛烈批判。でも、あの男は、通じない。それを知っていて、あえて発言するイシハラさんは小沢よりも役者が上。たぶん橋下さんも・・・。
 小沢さんが思う・考える政党は、所詮、選挙互助党でしかなかったことを赤裸々にした、いい機会ではある。
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何か恐ろしい密告社会ができつつある、と。

2012-06-21 19:34:04 | つぶやき
自宅外禁酒期間中、福岡市職員1人が居酒屋で…(読売新聞) - goo ニュース
 一人で飲んでいるところを通報。どうして市の職員(氏名まで特定)と分かったのか、よほど名の知れ渡った人物。
 現役のころ、こちらも飲み屋で飲んでいて仕事のまつわる話に夢中になり、居酒屋の女将に素性がばれた、なんてこともありましたが。
 こうなると、ちょっと心配・・・。あちこちで目を光らせる社会。かつての五人組制度、寺檀家制度、隣組(時代背景や目的はそれぞれ違いますが)、そして、防犯カメラ・・・。自分たちの生活の安全ときまりが確保されるためには、と、何だかぎすぎすした社会を為政者も国民も望んでいる風潮が気になります。
 ジョージ・オーウェルの1948年の作品『1984年』。この小説は、スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いています。発表当時は、冷戦時の共産主義体制を批判した作品としての位置づけでしたが、一方で、政府による監視や検閲や権威主義を批判する西側諸国の反体制派にも人気があります。
 ふとそんな作品を思い出しました。
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読書「青年ヒトラー」(大澤武男)平凡社新書

2012-06-20 22:42:39 | 読書無限
 最近は、少し薄手の読みやすいものが多くなりました。ちょっと読書疲れ。・・・
 歴史には、「もし・・・たら」というお話は多い。「もしクレオパトラの鼻が低かったら」「もし本能寺の変がなかったら」・・・いくらでもきりがありません。世界の歴史をつくった、人類の生き死にかかわる重要な人物たちにまつわる「if」。この書もそんなトーンで書かれている、と思いました。
 「若き日のアドルフの人生がもっと幸せに進展していたなら、・・・」「あれほど慕った初恋の人物への思いがかなえられ、母の愛情をもっともっと感受でき」「美術家、建築設計家への夢が実現していたら・・・」。一方で、時代が稀代の人物・ヒトラーを生んだとも。
 そういう思いを秘めながら、幼少年期から青年時代。ヒトラーが多感な時代をどのように自己形成していったか、を生誕120年という節目(2009年)に描いた書です。
 長年のドイツ在住生活の中で見聞してきた見識が随所に表れた内容になっています。特に、青年・ヒトラーを熱狂的に迎え、支え、究極的には世界史上前例のない大悲劇につながったドイツ民族。今もなお謝罪の姿勢に一貫しているその姿に共感する、そこに、単純な「if」ものではありませんでした。特に、生来演説に長けていると自覚したヒトラーが、その勢いでユダヤ人を攻撃すればするほど、共鳴者が得られ、期待する以上の支持者を獲得していく過程。そこに、ドイツ民族の悲劇性を読み取ります。
 日本でも、最近、東に西に自信に溢れたアジテーターがあちこちに出現しています。敵を見いだし、徹底的に攻撃する、それによって、政治不信、経済不安・・・、閉塞感に満ちた人々の熱狂的な支持を得ていく、これは、古今東西あらゆる機会に登場する手法です。個人の資質の問題に矮小化してはいけないと思います。
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読書「松井石根と南京事件の真実」(早坂隆)文春新書

2012-06-19 22:19:37 | 読書無限
 この書は、日本陸軍きっての「日中友好」論者であった松井石根が南京事件の罪によってA級戦犯として処刑されたのは、歴史の皮肉である。という主張を述べたものです。
 が、巻末にあげられた参考文献(資料)を見る限り、「南京大虐殺はなかった」派(これにもさまざまなスタンスがあるが、おおむね、その主張の人々。中には、かなりうさんくさい連中も混じっている。)の資料がほとんど(東京裁判」関係では少し色合いの違う資料も参考にしていますが)。また、後書きでは、「加害者」「被害者」「侵略戦争」「ファシズム」という語彙を意図的に使用しなかった、史実が闇に紛れ、真相は見失われる(からだ)、と言いつつ、結論的には、「侵略戦争ではなかった。大東亜主義にもとづき、東亜細亜の理想的な国家関係を築くためのやむをえない戦争であった」という結論を導きます。
 その説の補強として、「大東亜戦争」を、アメリカのイラク侵攻、「アメリカは、民主主義の価値を世界に向けて普遍化する使命を持つ」「サダム・フセインの独裁に苦しむイラクの民衆を解放する」「反米に染まるイラクを一新する」ことを大義として戦争を引き起こしたことになぞらえています。
 そのアメリカの戦争論理がいかなるものであったかは、その後の経過が明らかですが、「民主主義」を「大東亜主義」に、「サダム・フセイン」を「蒋介石」に、「反米」を「反日」に置き換えて、戦争を正当化しています。さらに、アメリカには石油権益という背景があったが、日本には、そうした自己権益を追求しなかった、中国にいる自国の居留民の生命と財産を守るということがあるだけで、むしろ「兄弟げんか」のようなものに過ぎなかった、と。
 一事が万事。こうしたスタンスで松井石根の「悲劇性」(死刑の不当性)を訴えていきます。
 もう一つの柱、「南京事件」。松井は戦時国際法上における不法な命令は一切していない。むしろ一部の日本軍兵士による略奪・暴行・殺害等の報告を受けて慨嘆し、厳戒していた、と。かえって中国(軍)側が自らの不法行為を日本軍の仕業としたケースも多い。また、戦後の南京市内の平穏さからは、虐殺行為があったとは考えられない、と。しかし、南京事件(大虐殺は否定するものの)そのものの存在は、否定しようにも否定できない、そう考えざるをえなかったようで、題名の「真実」にはほど遠い内容でした。
 こういう書、特に戦争物にはありがちな、個人の肯定的な資質を全面展開させ、その悲劇性を浮かび上がらせる、というジャーナリズム・ドキュメンタリー作風が陥りがちな側面を如実に表した書でした。
 
コメント (2)
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報道と方向。ダブルスタンダードが、目に余る。

2012-06-17 09:12:04 | つぶやき
石原幹事長「再稼働賛成だが、今回はおかしい」(読売新聞) - goo ニュース
 ??? 
 「本来なら原子力規制委員会で」云々。その法案、3党合意では首相の権限は限定的。「専門家による判断を重視すべき」という主張なのか。しかし、まだ法案が成立せず、委員選考も難航しそうな雰囲気。待っていたらいつになるか分からない。
 今夏の電力需給(橋下発言「節電は、命の問題」は、切実)を考慮せざるをえない、のが実情。それを踏まえての決定(それだけとは言い切れないのが今回の決定)。一方の自公は、衆院選しか眼中にない。敵失を狙う。
 朝日新聞でも、1面の主張と社説のスタンスが異なっている。どこもかしこもダブルスタンダードになっている。政治家もマスコミも評論家と称する連中も。
 
 ほとんどの人間が生きていく中で「それはそれ、これはこれ」などと言いながら、その理由をきちんと説明できなかった経験はあると思われる。
 一般人なら周囲から嫌われる程度で済むが、政治家やマスコミ、国家など政治的影響力の大きさに比例してダブルスタンダードの弊害は大きくなり、非常に厄介である。
 
 とものの本には、あります。
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ササエル・源森橋のオブジェ。他にも・・・。

2012-06-15 22:26:54 | つぶやき
 10日前くらいに突如出現した源森橋のオブジェ。「ササエル」という作品名(?)を持つベンチだそうです。ここに座ってじっくりスカイツリーを眺める、という粋な計らい。一人がもう一人の足を支えています。「支え合う」下町の心情を表したものでしょうか。
 つるつるした素材で、のっぺらぼう。「へのへのもへじ」なんてマジックで書かれないか、と余計な心配。記念にカップルの名を書く人間も出てきやしないか・・・。
 12日の夜遅く通った時にじっくり見ましたが、まだ無傷でした。
 そういえば、去年だったか、幟と風車が橋の欄干にたくさん飾られていたこともありました。この橋はイベント橋なのでしょう。たしかにスカイツリーを眺めるにはいいポジションの一つですから。橋の南のたもとには、一本サクラの木が植わっています。

スカイツリーの近く、業平橋。公園の脇にあるオブジェ。
かなり大きなもの。制作中。
スカイツリーが映り、一直線の道路が延びていく。
これも、制作中らしい。何本もの柱がぎっしりと直立している。
曳舟川通りと言問通りとの交差点近く。白く細く直立した柱の隙間からのスカイツリー。
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下町・向島の銭湯「曳舟湯」

2012-06-14 21:14:07 | つぶやき
 墨田区・向島界隈にもまだ見かける銭湯。
 東京都内の銭湯は、昭和12年には約2,900軒(銭湯組合の組合員名簿による)の銭湯が営業していましたが、昭和20年の東京大空襲により、約400軒に激減したようですが、その後復活、それも、昭和43年の2,687軒をピークに、平成20年4月時点では約900軒の公衆浴場が営業しているだけになっています。墨田区でも、今は30軒余りが営業、最盛期の三分の一だそうです。
 自然に銭湯といっていますが、ものの本によれば、明治以前には江戸では「銭湯」「湯屋(ゆうや)」と呼び、上方では「風呂屋」と呼ぶのが一般的であったそうです。
 また江戸時代には、内風呂を持てるのは大身の武家屋敷に限られ、火事の多かった江戸の防災の点から内風呂は基本的に禁止されていました。江戸末期には大店の商家でも内風呂を持つようになったものの、本格的な内風呂の普及はずっと時代が下って、第二次世界大戦以降の高度成長期からになります。我が家でも、前の家には風呂がなく、今もやっている銭湯に行っていました。
 銭湯・公衆浴場の歴史の中でも、明治に入ると、外国への配慮から混浴は禁止されますが、銭湯そのものは都市化の進展や近代の衛生観念の向上とともに隆盛を極めました。特に戦後、本格的に都市人口が増大すると至るところで銭湯が建築された。さらに、平成に入ってからは「スーパー銭湯」と呼ばれる入浴施設が次々と開業し、もともとの銭湯への利用客が減ってきています。
 「銭湯」と聞くと、昔から富士山の壁絵を思い浮かべます。今の銭湯はどうなのでしょうか。
 富士山のペンキ絵は、東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」が発祥といわれ、大正元年(1912年)に「キカイ湯」の主人が、画家の川越広四郎に壁画を依頼したのが始めで、これが評判となり、これに倣う銭湯が東京や東日本を中心に続出しました。
 また、入口に「唐破風」「破風」が正面にある「宮型」造りという建築様式の都心での発祥は、東京墨田区東向島の「カブキ湯」に始まるということです。
 神社仏閣や城郭の天守を想起させる切り妻の屋根飾りに、合掌組を反曲させた曲線(写真建物の上端部)は、宗教性や権威を誇るディテールであり、また極楽浄土へいざなう入り口を示すシンボリックな側面を合わせ持っているとのこと。
 そこには一般の建築とは様式が違うというだけでなく、非日常性という側面も。当時の主な銭湯の利用客である市井の人々には「お伊勢参り」や「日光東照宮参り」 など、日本各地の神社仏閣への「お参り」旅行は参詣本来の目的に加えて娯楽であったことも影響して、平凡な日常を送る庶民にとって、宮型造りの銭湯に足を運ぶことはいつかの「お参り」にいざなう魅力的な装置としても機能したといえそうです。
 こうした宮型造りの銭湯は、昭和40年代頃まで関東近郊で盛んに建てられましたが、自宅に作る内風呂が普及し、またビルに建て替えられる銭湯も多くなって数少なくなってきています。しかし近年の懐古趣味であるちょっとしたレトロブームに乗って、中には新築で宮型造りの銭湯が建てられる銭湯もでてきたようです。
 写真は、「曳舟湯」。二つの通りにはさまれた、ちょっと窮屈そうな建物ですが、レトロな味わいのあるお風呂屋さんです。
 
 この記事は、4年前の投稿記事。今朝の朝日新聞で、このお風呂屋さんが戦前からの長い歴史を閉じて、廃業するとのこと。この周囲。スカイツリーの開業や京成線の高架化、密集した住宅の集合住宅化(高層マンションや大型ショッピングモールなど)によって、ここ数年の間に大きく変化しています。時代の流れでしょうか。
 それでも、この界隈、ちょっと横町に入ったところにも、まだまだ頑張っている銭湯があります。
「曳舟湯」付近から見たスカイツリー。
京成線・東武線をはさんで曳舟湯と反対側にある「飛木稲荷神社」(東京大空襲の生々しい被災を今に伝える大銀杏がある)からのスカイツリー。
曳舟川通りと明治通りとの交差点近くにある銭湯「おかめ湯」。
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