(13:52)小さな集落に近づきます。生活している方はいるようですが。
川合玉堂の歌碑。
明治30年玉堂24歳の時の歌で、
山の上の はなれ小むらの名を聞かむ やがてわが世を ここにへぬべく
(13:57)しばらく行くと、「道所橋」。この橋も吊り橋です。
ここで老夫婦と娘夫婦らしき4人連れに出会います。二人ともずいぶんご高齢に見えますが、しっかりした足取り。若い方々は振り返り振り返り、声をかけ、面倒をみながらゆっくり歩いて行きます。
振り返り、「道所橋」を望む。
上流方向。
沢筋には小さな滝が落ちる。
(14:09)ベンチとトイレがあり、「奥多摩むかし道記念植樹」。
奥多摩町は水と緑を大切にし人と自然との調和した潤いのある町づくりをすすめています。平成元年かつて青梅街道として利用され小河内ダム建設によって廃道となったこの道を「奥多摩むかし道」として蘇らせました。・・・
その先で水道局の敷地となり、通行止めになります。旧道はこのまま敷地内に向かい、沿道の集落とともに「小河内ダム」で水没します。
案内板。
舗装道路を急角度で切り返し(「西久保の切り返し」)、左手の山道に入って行きます。ここからは旧青梅街道ではなくなり、名実ともに「奥多摩むかし道」となります。
いきなり急な上り坂に。
右手に何軒か建物跡らしきもの。
木の間越しにダムサイトが見え隠れ。
標高差150㍍くらいの上り坂が続きます。左手はガレ場。
(14:34)やっと民家のところに出ます。東側は眺望よし。
数軒の家があります。北側に現青梅街道(国道411号線)があり、「中山」という集落の一部。民家の横を抜けるとまた山道が続きます。「浅間神社」を右に見てさらに進みます。左手は崖になっています。
ダムサイトが近づきます。
右手には小さな沢。
(14:56)分岐点。この先、直進すると「青目立不動尊」を過ぎ、大きく回り込むように進むと、「むかし道水根入口」となり、一気に奥多摩湖に降りていくことになります。
一方、左に折れると、国道と接するところに「廃線跡」がある、とか。進むかどうか迷いましたが、ここで左手の坂道をおりることに。
「水根新道」解説板。
水根集落への道は明治37年(1904)まで中山集落経由の不便な旧道だけでした。明治35年奥平周作氏の発議によって衆議一決、自らも大金を投じ有志の拠金・用地の寄付・労力奉仕と篤志家の寄付金によって2ヶ年の歳月をかけ鎧塚~水根間950m・幅1.8m・高度差150mの水根新道が開設されたのです。
足下の悪い急坂を一気に降ります。
(15:02)右下に廃線の橋脚が見え始めます。
朽ちかけた階段を上ると、左手にはトンネルがあります。
反対側(橋脚側)。
以前、水根への山道が通行不能になったときにはこのトンネルが「奥多摩むかし道」の最終地点だったこともあったようです。
トンネル内を進んでみようと思いましたが、手持ちの小さな懐中電灯では役に立たず、断念。
トンネル内から望む。
橋脚の上は雑草に覆われています。
国道に降りて「滝のり沢」バス停から「奥多摩駅」まで戻りました(15:23)。駅前広場では賑やかにイベントが行われていました。
次回は、いよいよ「大菩薩峠」にチャレンジです。旧道はほとんど湖水の中に消滅しているので、再び旧道が復活する「奥多摩湖」の上流近くまでバスで向かい、「小菅」か「丹波山(たばやま)」の集落から「峠」に登るという若干、安易な方法を考えていますが、はたして。
川合玉堂の歌碑。
明治30年玉堂24歳の時の歌で、
山の上の はなれ小むらの名を聞かむ やがてわが世を ここにへぬべく
(13:57)しばらく行くと、「道所橋」。この橋も吊り橋です。
ここで老夫婦と娘夫婦らしき4人連れに出会います。二人ともずいぶんご高齢に見えますが、しっかりした足取り。若い方々は振り返り振り返り、声をかけ、面倒をみながらゆっくり歩いて行きます。
振り返り、「道所橋」を望む。
上流方向。
沢筋には小さな滝が落ちる。
(14:09)ベンチとトイレがあり、「奥多摩むかし道記念植樹」。
奥多摩町は水と緑を大切にし人と自然との調和した潤いのある町づくりをすすめています。平成元年かつて青梅街道として利用され小河内ダム建設によって廃道となったこの道を「奥多摩むかし道」として蘇らせました。・・・
その先で水道局の敷地となり、通行止めになります。旧道はこのまま敷地内に向かい、沿道の集落とともに「小河内ダム」で水没します。
案内板。
舗装道路を急角度で切り返し(「西久保の切り返し」)、左手の山道に入って行きます。ここからは旧青梅街道ではなくなり、名実ともに「奥多摩むかし道」となります。
いきなり急な上り坂に。
右手に何軒か建物跡らしきもの。
木の間越しにダムサイトが見え隠れ。
標高差150㍍くらいの上り坂が続きます。左手はガレ場。
(14:34)やっと民家のところに出ます。東側は眺望よし。
数軒の家があります。北側に現青梅街道(国道411号線)があり、「中山」という集落の一部。民家の横を抜けるとまた山道が続きます。「浅間神社」を右に見てさらに進みます。左手は崖になっています。
ダムサイトが近づきます。
右手には小さな沢。
(14:56)分岐点。この先、直進すると「青目立不動尊」を過ぎ、大きく回り込むように進むと、「むかし道水根入口」となり、一気に奥多摩湖に降りていくことになります。
一方、左に折れると、国道と接するところに「廃線跡」がある、とか。進むかどうか迷いましたが、ここで左手の坂道をおりることに。
「水根新道」解説板。
水根集落への道は明治37年(1904)まで中山集落経由の不便な旧道だけでした。明治35年奥平周作氏の発議によって衆議一決、自らも大金を投じ有志の拠金・用地の寄付・労力奉仕と篤志家の寄付金によって2ヶ年の歳月をかけ鎧塚~水根間950m・幅1.8m・高度差150mの水根新道が開設されたのです。
足下の悪い急坂を一気に降ります。
(15:02)右下に廃線の橋脚が見え始めます。
朽ちかけた階段を上ると、左手にはトンネルがあります。
反対側(橋脚側)。
以前、水根への山道が通行不能になったときにはこのトンネルが「奥多摩むかし道」の最終地点だったこともあったようです。
トンネル内を進んでみようと思いましたが、手持ちの小さな懐中電灯では役に立たず、断念。
トンネル内から望む。
橋脚の上は雑草に覆われています。
国道に降りて「滝のり沢」バス停から「奥多摩駅」まで戻りました(15:23)。駅前広場では賑やかにイベントが行われていました。
次回は、いよいよ「大菩薩峠」にチャレンジです。旧道はほとんど湖水の中に消滅しているので、再び旧道が復活する「奥多摩湖」の上流近くまでバスで向かい、「小菅」か「丹波山(たばやま)」の集落から「峠」に登るという若干、安易な方法を考えていますが、はたして。