おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

選挙でイラクはこのままおさまるのか

2005-01-31 19:50:13 | 平和
 シーア派は大勝利を宣言。このまますんなりと政権を担うことになるのか。投票率は公表60%。事実なら日本の各種選挙よりも数段良い結果。だが、選挙をボイコットしたスンニ派は、弾圧を警戒、武力反撃も辞さない構えである。また、シーア派は、イランの政権と同じ宗派。そのため、イランを敵視するアメリカも痛し痒し。もう既にイラク周辺諸国はシーア派の台頭を警戒し始めた。
 アメリカ合衆国の民主主義的政治体制は、大きな政策的違いのない(伝統的な支持基盤・地域の違いはあるものの)2大政党の下で成立している。反面、二大政党の主張の中に組み入れられないような政治的立場は、なかなか現実の政治には反映されない。そうしたことへの不満はアメリカ国民の間に根強くある。いずれにせよ、政権交代の行われる政治体制が、国民の積極的な政治参加に根拠を与える、それ自身を「議会制民主主義」というならば、それはアメリカ合衆国という多民族国家が選んだ政治的知恵の表れであろう。しかし、フランスにはフランスの、ドイツにはドイツのあり方がある。日本にも日本のやり方がある。日本では二大政党制は馴染まない制度なのにもかかわらず、無理にそうさせようとしているところに、今も混乱がある。
 そもそもイラクという国自体が存在するのか。イラク「国民」の間に、明確なヨーロッパ的な国民国家意識を持っているのかどうか、はなはだ疑問を感じている。自らが帰属する民族・宗教による、政治・経済・教育等の規範行動様式に基づいて生活している、つまり、それぞれが国家という括りでは掌握できそうにもない、生活をしているとしか思えないのだ。
 そこに、軍事的圧力によって強引に自らの理想とする「選挙」まで持ち込んだアメリカ的自由と平和。今後の混乱の収拾もアメリカが最後まで責任を負わなければならなくなった。イラク戦争の大義名分は最初からなかったにもかかわらず、次々と戦争の理由付けをしてきたアメリカ・イギリス。アメリカ・ブッシュは、もう選挙後もテロはなくならない、とアメリカ軍の長期駐留を自己合理化させた。選挙で選ばれたとされる「イラク議会」が本当に機能するかは未知数が多い中で、アメリカ軍は、いつ果てることもない、見えない敵との戦闘状態を続けなければならない。
 こうした中、日本の自衛隊がイラクの治安維持、「反テロ共同行動」という、アメリカの言いなりに、ずるずると派遣を続けていいのか。
 現地の自衛隊は、給水活動他の支援活動も一定のめどが立ったとしてテロから自衛隊員を守るための要員のほうを増強するとの方針を明らかにしている。これは、まさに本末転倒というべきだ。イラクにおいて自衛隊による「復興支援・人道支援」を強いて続行するならば不測の事態も予測されることを自衛隊上層部は認識しているということではないか。
 選挙後の混乱に乗じて起こるかもしれないテロ攻撃に対して、「反テロ」という名目で駐留を続けることは、ブッシュを喜ばせるだけで、イラク国民の指示を得られるだろうか。明らかに選挙後のイラク国民の多くは、アメリカをはじめとする外国の軍隊撤退に焦点を合わせてきているのだ。この際、選挙の結果を見届けた上で、早期に自衛隊の撤退を行うべきではないか。
 こういうと、「敵前逃亡」だというような反論が出てくるだろう。もし今自衛隊がいなくなったらイラクの混乱はますます続く、と。
 待って下さい。そもそも今回のイラクへの自衛隊派遣の目的は何であったか。現状においてもなお治安維持、まして「反テロ」のために駐留を続けようとするならば、明らかに派遣目的からの大きな逸脱である。もしそうしたいのなら、「イラク特措法」の法律的吟味を改めてきちんと行った上で、法律改正をしなければならない筋合いのものだ。それは、実は、憲法違反の法律を作ることになるのだ。コイズミが「自衛隊のいるところは、戦闘地域ではない」と強弁せざるをえなかったように、戦闘地域への自衛隊派遣は、間違いなく憲法違反であるのだから。
 なし崩し的に自衛隊の派遣を続けるならば、自衛隊をますます泥沼に追いやることになる。自衛隊員に犠牲者が出る前に、自衛隊は、イラクから出来るだけ一日も早く撤退すべきだ。 
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内なるナチズム

2005-01-30 16:50:35 | 平和
 アウシュビッツ60周年。英国王室の王子がナチの格好をして、その無知さ加減をたたかれて。
この青年は、何かとお騒がせ男らしい。あまりインテリジェンスを感じない、ただのお馬鹿さん。でも、それがことによると将来、英国王室を担うことになるんだから、死んだ母さんも気が気じゃない。もうとっくに過去のものとなった、大英帝国の栄光とやらにひたっているひまなぞないはずだ。でも、ブレアもまた栄光の余韻に酔いしれて、イラクに派兵しいよいよ泥沼。右も左もあったもんじゃないか。
 しかし、そうのんきなことばっかり言ってられない。何だかじわじわと過去のナチズムに憧れ、信奉する輩が、あちこちで蠢きだしてきているらしい。特に若い連中に浸透してきている? 
 かたちを変えて、外国人労働者・移民に対して排外主義から圧迫を加え、暴力を振るう。ドイツでもフランスでも・・・。もうアウシュビッツの悲劇も知らない・きちんと教わっていない人たちが増えてきているのだ。
 ふりかえって、日本の若者は、どうか? 何とかというロックバンド。一昔前の長~い学生服着て、腕にはカギ十字みたいな赤い紋章付けて、NHKに出ているのをみたことがあった。熱狂的なファンがいるようで・・・。本人たちは悪気がなく、ただカッコい~いって感じかも知れないが、何だかイヤな感じがした。思想信条とは無関係に。
 ロックならまだいいが、ひょっとしてカリスマ的な奴が、強烈なメッセージ性をもって訴え始めたら。日本の若者は、コロッといってしまうのではないかしら。いったい誰とはいわんが。右でも左でも、まだまだ元気なおじん・おばんが旗振って、煽っているうちはいいけれども。
 悲しいくらい、人間の本性には、とてつもなく権力志向がありそうだ。はたまた、権力には迎合し、うまい汁を吸おうとする。権力には、人間の心を麻痺させる魔性が棲みついているよう。
 アウシュビッツでも、強制連行され、死を余儀なくさせられた「ユダヤ人」の中で、それをまとめる役に立った人間がもっとも権力に忠実で、誰よりも同胞に対して暴力的であったという。自分は死から逃れるために(それすら叶わなかったのだが)。
 これは、けっしてアウシュビッツだけではないかもしれない。「戦争」という極限状況が示したものだというふうに逃げてはならないだろう。ヒットラーは、人間の心の奥に棲む「魔性」を暴き出し、見事に利用した。かつて日本は、そのドイツのナチズムに熱狂し、共に多くの犠牲を払って敗北した。しかし、そのことに至った経過も満足に反省することなく、「一億総懺悔」でごまかした。戦争遂行の一端を担った者が首相になり、戦後の日本を牽引した。
 ドイツでも、ネオナチの若者は多くいるという。まともな反省をしてこなかった日本。じわじわと教育現場から戦争の悲劇を風化させてきた日本。
 そして、今の若者を新たな戦争(反テロか、反北朝鮮か、反中国か、それとも・・・)への担い手にさせるべく、甘い言葉やささやきで自尊心をくすぐり、外国への差別意識を植え付けようとする政治家ども。
 今、戦後の平和は、風前の灯火になった。でも、平和の火を消してはならない。たとえ細々としたものであっても、と思う。
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いよいよ花粉症に

2005-01-29 21:52:00 | つぶやき
朝からくしゃみがとまりません
鼻もずるずる
熱があるわけでなし、体がだるいわけでなし・・・

今までにない症状
こりゃあ、ひょっとしたら花粉症かな
耳鼻科に行けばすぐ分かるらしいが

何でも、今年は去年の何十倍ものスギ花粉の量らしい
また何で
この年になってまで、花粉症にならなければいけないの
だいたいスギ花粉症なのかもよくわかりません

沖縄には花粉症はないって
聞いたことがありますが
本当ですかね

たしかに戦後、山にはスギの木ばかり植えたようですね
すくっとまっすぐに伸びて見栄えもいいからってことですかね
成長が早いし、木材としても使えるって
でも、丸太くらいにしかならないような

日本の林業も今や手不足
やたら伸ばして伐採もしないのでは
だから、花粉の量も一段と多くなってしまったのではないかしら

花粉症にもいろいろ種類があるようですね
スギだけでなくヒノキとか他にも
キリンソウなんていうのもあるそうですが
ヒノキだったら少し高級な感じですが
キリンソウ(ブタ草)だと何だか惨めな感じ

「ほう、花粉症ですか。ほう、ヒノキの花粉に弱い、そりゃあ結構ですね
あんたは、えっブタ草に!ちょっと大変ですね」ってな会話がありそうな

かつて同僚たちと西伊豆に旅行に行ったとき
スギの花が満開で
その下で木を揺すって黄色い花粉をまき散らしたバチでもあったのですかね
ちょっと・・・・・・・・・・・

今鼻かんだところです

・・・・・・・・・・・
今ちょっとくしゃみをしたところです

一生続くぞって友人に言われましたが
ちょっと勘弁してよってところですね

朝から読書しているんです
井上清さんの書いた「天皇の戦争責任」(岩波書店)
ちょっと前の本ですが、これは、読み応えのある、なかなかの内容です
くしゃみに負けず、鼻ずるずるに負けず読んでいました

これからは、哲学・思想の時代ですよ
確乎たる思想・哲学が一人ひとりに求められていると思っています
自らの生き方・来し方行く末が問われる時代だって

ハハックション!ついでに咳まで出ましたが

ホントは風邪だったらいいのにと思います
だって花粉症は一生もの
風邪は一過性のものですから

すいませんね、勝手なことばかり言って
何かいい対処療法はないですかね
どこかのテレビ局のようなインチキじゃ困りますが
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夜間道路工事迷惑論

2005-01-28 19:57:27 | つぶやき
今晩は、お久しぶりです
ビールにしますか
はい、タンメンにギョウザですね

そうなんですよ、もう工事ばっかりで
最近11時過ぎると毎晩ですから
商売あがったりですよ

何だか今度は下水道管を撤去して
古いのを取り替えてとか
回覧板が来てましたがね
道路の補修はこの間から続いてますよ

そうですか、片道の車線規制ですか
まったく道路も掘り返してばかりで
最近はしゃれた電光掲示板がありますよ
作業員が旗振ってるやつ
なかなか見事な出来映えですね

年度末の予算消化ですかね
そうしないようになったんじゃなかったかな
国道6号線はホントいたるところ
年中工事だらけですね

ほら、店の前にある中央分離帯
せっかく新設したかと思ったら
もう取り壊して作り直してますよ
何が不都合だったんですかね
そんな何年も経っていませんよ
前のとあんまり変わらないような気がするんですがね

車も停めにくいし
入りにくいしね
ありがとうございます
お客さんみたいな人が来てくれて

ほう、陸橋の先の歩道橋が付け替え工事ですか
昇降階段を変更しているんですか
でも
あそこじゃあんまり意味がないですよね
だいたい渡っている人
見たことがないですもんね

それやるんだったら
その手前の陸橋のほうをどうにかしたほうが
雨が強い日には
かなり水がたまって大変ですよ
横を走る車からバシャッ!って
水がフロントガラスにかかって
私でも一瞬目をつぶっちゃいますもんね

はあい!おまちどおさま

えっ!その工事じゃなくて別の工事って
いったい何やってんですかね
そのたびに右に左に車線変更じゃね

そうそう、結構最近見ますね
「作業中」「清掃中」とか掲示した車
道路の端を散水しながら通っているやつ
ジャーってただかけているだけで
効果があるのかしら
車が停まっているとぐるっとよけてかけている
何だかやり残しの多い作業みたいですよね

へえ、作業員が道路脇のゴミを集めていたって
そういうこともしているんですか
水をかけて回って走るだけじゃないですかふだんは
そうですよね

それでなくたって日本は雨が多いだから
わざわざ「国土交通省」がじきじきに車を走らせることはないですよ
翌日が雨だって予報があっても
ムダだなっていう夜にもやってくる
ゆっくり走っているから他の車の迷惑ですしね

そう「休工中」という張り紙をしてある工事現場も
よくみかけますよね
いつ工事を再開するんだか

そりゃ、私らが寝てるときに一生懸命に働いているんだから頭が下がりますがね
でもやっぱり最近の道路工事は変ですよ
予算消化のための無駄な工事や散水車ですか
もう即刻中止したほうがいいですよね

ありがとうございます
ビールと・・・えーと1,550円ですね
また来て下さい
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「国を愛する心」も選挙次第

2005-01-27 19:29:33 | つぶやき
 あきれかえった、びっくりした、またまた公明党の姿勢に。
 教育基本法「改正」案は今国会には提出せず、との報道があった。「愛国心」について自民党と公明党の合意が出来なかったからだという。勿論、「改正」案の教育基本法には「愛国心」という露骨な表現は用いない。「国を愛する心」となるようだ。2月11日紀元節(建国記念日)を復活させる際、「建国記念の日」と言い換えた手法と同じだ。
 実は、公明党はこの文言には異議を唱えてはいないそうだ。最終的には、自民党に同調するのだろう。ただ、今回反対したのは、都議選がある。ただその一点。
 彼らにとって、都議選は一大決戦場。都議選のためには、なりふりかまわず学会員を総動員して「完全勝利」を目指して闘っていく魂胆。その時に、今国会で「国を愛する心」という文言の入った教育基本法改正案が審議され、もつれたまま都議選に突入したら、それこそお家の一大事。
 そこで、憲法改正と一緒に考えていったほうがいいとか言い出した。自民党も、今国会は「郵政民営化」が最大懸案事項。それを優先するということで、ここはいったん公明党に貸しをつくって手を引いた格好。
 では、都議選のさなか、仮に郵政民営化法案がもつれていたままだったら、公明党はどういう態度をとるか。またまた、自分たちを不利に置かないため、選挙の一票ほしさで、自民党とつかず離れずというポーズを取るに違いない。自民党が都議選に敗北しても自分たちは負けないかたちでいく・・・。
 ここで思い出すのは、イラクへの自衛隊派遣延長問題だ。昨年12月に延長を決めた際、自民党の中にも延長は「半年」にして、半年後にまた考えようという意見も強くあった。その時、公明党はどういう態度を取ったか。「半年」では都議選に影響があるので反対だ、1年間の延長にすべきだと主張した。結果、1年間の延長が決まった。
 選挙のたび、学会票をあてにして当選するしかない一部の自民党議員。いつもこうして公明党のごり押しに屈するのだ。今回、このような選挙協力の脅しを公明党は自民党にかけたに違いない。そして、都議選が終われば、一気に「国を愛する」入りの「教育基本法」改正に賛成し、自民党と一緒になって、その成立に血眼になるはず。
 国民を愚弄するにもほどがあると思いませんか。
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NHKに反省の色はあるのか

2005-01-26 20:54:09 | 世間世界
 海老沢会長が辞任した。本年度の比べて70億も減った来年度予算を決めて、後継者まで実質的に決めて。後継者は、技術屋さん。海千山千の政治家など内外の強者を御していけるか。海老沢さんの子飼い? 
 海老沢さんは、辞任記者会見で、在任7年余の実績を誇らしげに語った。ついでに、まだ気力も体力も充実しているので、48年の経験を生かし、お役に立ちたいと明言。今後もこれまで培ってきたNHK人脈の上に、「人材育成」に関わるという。院政を敷く気配は濃厚。さっそく顧問に就任した。うがった見方をすれば、在任中の新たな不祥事発覚の防御策か。はたまた新会長のお目付役か。そのための後継者布陣。
 プロデュサーの制作費流用、受信料着服に端を発して、番組「改変」、政治家との癒着(圧力に自主規制・・・)それを契機に受信料不払いの増加など、ぼろぼろにほころび始めた巨大組織。この辞任劇によって再生が出来るのか。巨額と言われる退職金の額については、経営委員会がきめることと質問をはぐらかした。じっさい、退職金はどうなるのか。退職金は、長年働いてきた代償でもある。だから「減らせ」なんて感情論はおかしいだろう。しかし、任期途中で辞任せざるを得なくなった原因は、不祥事発覚の発端は、金銭(受信料)に絡む事件であった。この点で、トップとしての道義的責任が生じるのは当然である。
 また、今回の辞任に追い打ちをかけるように起こった、自民党の有力政治家による番組「改変圧力」疑惑は、新会長の下でも、引き続き解明していく必要がある。海老沢さんが言うように、NHKを陥れようとする一部報道機関の陰謀だとして「NHK自身が自主的に編集して放送した。政治的圧力を受けて番組の内容が変更された事実はない」との見解をとり続け、すでに解決済みだとというふうに決着をつけたということで、受信料不払いが減少するとは思えないのだ。
 一部のマスコミからは、番組内容(従軍慰安婦問題)に関わって、NHKの処置は正しかったという論調が目立つが、これまでにこのような事前検閲のようなもの(放映前に政治家にお伺いを立てること)が行われていたのか、いなかったのかを含めて、議論をしなければならない。
 海老沢さんの退陣と共に、幕引きという感じがしないでもない今回の番組「改変」疑惑は、今後の「朝日新聞」の報道姿勢にも注目しなければならない。お互いがうやむやのままに終結したら、NHKに対するだけでなく、国民からのマスコミ(報道)全般への不信感は募り、かえって「報道の自由」への政治的圧力・法規制を招くとも限らないのである。
 そうしてみると、今回の一連の不祥事と海老沢会長の辞任劇をみていると、NHKにはあまり反省の色はないような気がする。
 政治家連中(永田町)の間で、政治資金などの不祥事が起こるたびにその場限りのいいわけ、かたちだけの反省で済ませてきた、いつも適当にお茶を濁すという長年の得意な手法が、今や、公にも民にも蔓延しているようだ。
 
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だらしないぞ野党ってもう言い飽きた

2005-01-25 23:10:35 | 平和
 「郵政民営化」国会が始まった。さっそく、コイズミは得意の軽佻浮薄な弁舌で与野党を煙に巻いた。彼は、あらかじめ敵を作ってそれに対して挑発していく。自分の考えに反対する抵抗勢力に
悪役のイメージをうえつけ、それと対峙しながら悪を懲らしめ、善政を進める、信念の人というイメージを国民に与える。
 すっかり騙された国民は、コイズミをいじめると、ジュンちゃんかわいそう、皆でいじめなくてもいいじゃない!実に大向こう受けするやり方。まさに劇場型政治家の典型。オレオレ詐欺なみなのだ。もうその手法は、すっかりぼろが出ているのに。
 それに対して民主党の岡田さんはまじめ一筋ウン十年という感じ。正攻法で攻めたが、戦いあぐねた。結果、初戦はどうみても残念ながらコイズミの勝ち。所詮、どこかで妥協するのがコイズミ手法。それが分かってての自民党との出来レース。その芝居の中で、野党の存在感は、ゼロ。もうすでに予算も史上最短で成立との諦めムードが野党には広がっているという。
 いったいなんじゃ、このていたらくは。
 今度の国会は、郵政民営化だけではなく、自衛隊イラク派遣延長の是非。憲法「改正」。国民投票。女帝容認。それに政治資金。消費税。・・・今後の日本の進路に重要な影響を与えるさまざまな問題についてとことん深い論議が必要な国会。それが始まったとたん、威勢がいいのはコイズミだけ。以下自民党も民主党もそのほか野党も全く元気なし。公明党は、都議選しか興味なくいたるところに選挙ポスター。
 いったいどうなっているのか、国会は。
 以上あげたさまざまな問題は、どうも国会という表舞台で論議するというより、国民の目に触れにくいところでの話し合い、駆け引きで決着をつけるような様相。そして、道路公団のように骨抜きになって・・・。一方、議員さん方は、国会解散・選挙には戦々恐々。ここでも解散権を握るコイズミ一流の脅し・すかし作戦による独壇場。その政治姿勢を面と向かって誰も諫めない。ただ自分たちの選挙対策。
 気がつけば、あれよあれよという間に、本丸の憲法9条も変えられて、戦時体制の国家へと官も民も取り込まれてしまう。クワバラ、クワバラ!
 ところで、日本の国会は、「質疑応答」というスタイルでしか議論が出来ないのか。質問も答えも脚本通りに近い。お上(政府)に対してお伺いをたてる形式は、戦前からのものなのか。持ち時間も決められ、答弁が長ければ時間もだんだん短くなる。いきおい、質問者も質問だか自分の意見高だか見当がつかない発言をし続ける。中には、自問自答して終わりにするようなわけの分からない議員も。
 もっと国会が国会らしく政策論争を出来るように(最近の党首対決のような)形式そのものを変えていかなければダメだ。時間が来てハイ!日程を消化してハイ!議論終了ハイ!あとは、採決。これも与野党では数が与党が圧倒的に優勢だからよほどのことがないかぎり原案通り可決、成立がもう分かっている。党内で反対意見があっても、党議には従って賛成する自民党、公明党(この党は、はじめから党内民主主義なんて存在しないが)。かつて、造反議員が出て、総理大臣不信任という事態もあったが、今となっては昔の語りぐさ。
 ますます与野党、特に野党が物わかりがよくなり、憲法でも何でも時の政府の言うとおりに。これじゃ、それこそ国会は、国民の目から離れ、その無関心の中で重要法案が成立する。
 どうしたらいいか。それは、野党が本気で一大奮起して大論戦を巻き起こしていくことだ。元気出せ!野党、特に民主党!
 でも、民主党は郵政民営化では、党内はまとまる見込みもない。ならば、徹底して抵抗勢力になりきることだ。今のコイズミ改革の欺瞞性を暴きながら、労組には有無を言わせず、真の改革は、我が党の任せろっていうくらいの気概が必要だ。そういう信頼と実績が大事だ。なのに、いまだに入口のところでまだウロウロしている。このままじゃコイズミ一人勝ち。
 コイズミは小生の敵だ。敵の敵は味方ですぞ。
 それにしても、戦後60年。長年の左翼嫌いがこうじて、今や一億総右傾化。今の国家の体制に批判的な言辞でも吐こうものなら、「黙れ、左翼野郎」てな次第。これでいいのか、日本!
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面接点0点は憲法違反!

2005-01-24 20:49:39 | 教育
 都立高校の推薦入試の受付が始まった。例年、都立では募集人員の何割かを推薦で合格させる。推薦入試は、通常は、中学校からの調査書、面接、自己PRカードをそれぞれ点数化し、その合計点数によって合否を判定する。毎年、募集数の何倍もの受験生が応募することになる。これ皮切りに都立高校の入試がスタートする。
 さて、1月23日付け「東京新聞」に昨年の都立拝島高校の推薦入試で面接0点が10人を超えていたという記事が掲載された。それによると、昨年の推薦入試の際、200点満点の面接において0点が10人以上あったという。
 そして、教育評論家の阿部進氏の「『あなたは試験を受けなかった』と言っているのに等しい。人格否定ではないか。」という内容のコメントを載せた。さらに、東大名誉教授(教育学)の大田堯氏のコメント「零点というのは、『可能性がない』と言っているのに等しい。憲法の基本的人権や教育基本法の『個人の人格を尊び』という原則にも反する」という内容を掲載した。
 どちらの発言にも「と言っているのに等しい」と同じような表現があるので、どちらも発言通り掲載したとはいえないが、それにしてもちょっと待って下さい!って思う。
 そもそも推薦入試は、保護者や中学生がその学校の期待する生徒像や学校の理念・目的に共感して、ぜひ入学したいとの意欲をもって受けるはずのものだ。
 拝島高校では、事前に期待する生徒像を公開している。そこには、「中学で欠席が非常に少ない」「頭髪・制服などのルールを守れる」「授業を真剣に受け、学力の向上を目指す」などがあげられている。その「生徒像」を評価基準として受験生1人につき2人の教師が15分程度面接を実施したとのこと。2人の面接官の点数配分、合計の点数換算などは定かでないが、2人とも0点ということは、常識的に考えれば、受験生自身の、面接態度、服装、意欲、受け答えなどがきわめて非常識だったということではないか。
 一般的には、高校入試(ふだんのテストも)は、できるだけ答案をよく見て、なるたけ点数をあげて合格させる「加点法」、それに対して、大学入試は、できるだけミスを見つけてなるたけ点数をあげないで不合格にする「減点法」だと言われている。そのやり方で0点ということは、よほどのことだ。
 あくまでも「期待する生徒像」の観点から見て「0」ということで、何も人格そのものを否定したものではない。また、何もその人間を「可能性がない」と決めつけたのではない。その学校で学ぶには無理があるとしただけだ。だったら、大学入試で点数によって可能性がないと不合格にせずに、皆の可能性を育むよう、まず大田さんのいた東大から受験生を全員合格させたらいい。ましてや、憲法だの教育基本法をもちだして大上段にふりかぶる必要はない。
 普通の試験だって、白紙で0点ということはあるのだから。   
 拝島高校も、本当にずるければ、最初から50点を与えて(面接に来たことで一律50点加えておく)、そこから加点していけば何の問題もなかったのだ。1年後にこうして新聞記事になることもなかった。
 都教委も都教委。「入試の評価方法は各校の判断に任されている」だと。こういうときにこそ、「各校に任せてある判断については、それぞれ妥当性をもって判断している」くらいのことは言ってもらいたい。
 それにしても、阿部さん、大田さん、まだまだお元気だったのですね。なによりですね。

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大学入試はどこへ行く

2005-01-23 12:09:27 | 教育
 戦後、国立大学の増加と共に、大学入試が東大などの旧帝大系を中心とした一期校とその他(旧師範学校やその他各県の国立大学、蔑称で駅弁大学などとも言われた)の二期校と二回の試験体制が続いた。それは、一期校の優位の体制、二期校はどうしても劣るイメージ。受験戦争の激化と共にその是正のために「共通一次試験」が導入された。
 これは、一期校・二期校の区別なく一律に共通問題にすることで大学入試を緩和しようとする政策。しかし、現実は、共通一次の得点・偏差値によって、東大を頂点として全国立大学の上から下まですっかり序列化されてしまった。それも、たった1回の試験で決まってしまうのだ。また、今じゃ考えられないが、センターは、試験の各問の配点も公表せず、平均点などもいっさい公表しなかった。いきおい、予備校がその配点や平均点を予想し、受験生にデータを提供することになる。
 こうしてこれを機に、大手予備校、受験業界は全盛期を迎える。大学進学率も急速に伸びて大学進学への世間の関心が高まる中、偏差値によって大学が決まる(自分の興味や特性には関係なく)ことで、またまた弊害も多くなった。そこで、今度は、現在の「センターテスト」体制になっていく。
 これは、基本的にはセンターテストを一次試験として各校で二次試験を行う、その日程も基本的には前期・後期とすることにしたのである。いわば、「センター」を大学入試の資格試験的なものにしようとする考え方がベースにはあったのだが、今や、その片鱗すらなさそうだ、作る側には。
 そのうち、私立大学もセンターに参加するようになる。今では、センターの成績だけで判定し、各大学での二次試験なしで合格させる大学も増加してきた。受験料だけは事前に取っておいて、センターで得点が出たとたん、その大半を不合格にするというひどいやり方をする大学も多い。だから、ここでもやはり平均点や得点率がものをいう。やっぱり予備校頼みはますますひどく・・・。
 このように、戦後の大学入試制度改革は猫の目改革、いつも右往左往させられるのは、受験生。 まして、「ゆとり教育」路線で小・中・高(但し公立校のみ)の授業時間は大幅削減され、英語を中心に学力低下は否めない。しかも、国立・私立を問わず難関大学の入試は、少数激戦化。またしても、一般の高校側の受験指導は、もう苦労の連続。
 なにしろ「ゆとり」でやってきた中学生にとって、大学ははるか高いところに位置するはず。いってみれば、高校はかのヒマラヤのように、南北から押し上げられた褶曲山脈(?)みたいなもの。雲の彼方にある高き山に向かって、はるか下からやっこらさ人を登らせなければならない。
 一方、大学側は学力低下対策で、7科目体制を選択。外国語(英語)、数学、国語、理科2科目、社会2科目が、文系理系どちらにも課せられることに。はたして間に合うの?高校3年間(センターが1月だから、3年は事実上2学期までオシマイ!)で、と。もうこれじゃあ、現場は落ち着いた雰囲気では、授業が出来ない。
 そこで、またしても生徒は予備校通い。学校を終わっても、そのまま予備校に。途中でコンビニに寄って夕飯を買ったり食べたり・・・。予備校で勉強し、帰宅は11時を過ぎることも。すると、今度は、東京都青少年条例により「深夜徘徊」の疑いで見回りの警察官に補導される。渋谷や池袋の「非行」補導ではなくてですよ。
 なぜいまさらこんなことを書いたか。
 今回のセンターテストで国語Ⅰで教科書と同じ文章が出題されたというミスや英語での時間ミスなど初歩的なミスが重なったことでセンターが一躍、注目されている。
 しかし、ことの本質は違う。
 そもそも大学入試制度に問題があるということだ。それは、入試制度が変わっても、けっして変わらないものがあるからだ。大学入試になんだかんだ通ってしまえば、もうそれで、終わり。あとは大学生活をエンジョイする、というふうになっていることだ。最近は、大学側も卒業資格を厳しく設定し、簡単に卒業させない大学も増えてきてはいるが。それでも、まだまだ楽なのだ。
 どんどん落第させる、単位を簡単に取れなくさせる。「入りは易く、出は難く」。欧米では当たり前の制度を導入していくしかないと思う。という、誠にごく当たり前で世間でも考えている結論。但し、今の日本の大学のように、展望も理念もない、自転車操業的大学では無理かも知れない。と、これも誰もが思っている結論。
 お後がよろしいようで。
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ブスはいいけどデブはだめ

2005-01-22 12:42:50 | 世間世界
 我が連れ合いの血液型はB型、小生はA型です。それもBでもBOのB、AでもAOのAらしいのです。だから子供たちには、AもBもABもOもすべての可能性がありました。結果的には、子供に、AもBもOも出現しました。だから、我が家族は、血液型の見本市みたいなものです。
 Aは、神経質・几帳面、これは本当かいな。Bはずぼら?だかどうだか、今でもとんと分かりません。ただ、色の趣味はB型の人間は黄色が好きらしく、我が家はトイレカバーからはじまり、黄色系がたしかに多いように思います。見事に娘の家も同じようです。ある時、小物入れを探しているとき、二人とも同じような色のものを探していたらしい。小生は、青系統を好みます。それは、A型の特徴だとか。たしかに、青系が好きで、黄色系は好きではありません。
 家の電気をこまめに消すのは小生の仕事ですね。戸締まりも。よく鍵をかけ忘れるのです、我が家の人間たちは。だから、毎晩、最終確認の係りです。てなことで、血液型も何か同じような傾向はあるのかなあと(あくまでも統計的な推定で)思うこともあります。動物占いや星座占いはどうなんでしょうね。ラーメン占いなんていうのは。
 でも、それが差別的先入観で決めつけられたら、当人はたまったものではありません。当人にとって変えることも出来ない、先天的なものですから。
 最近、TVではやっているらしいですね、血液型をお笑い風にちゃかしたやつが。
 傷つく人もいるんだから、適当にブームになって、適当にブームを終えるっていうのが、一番いいですか。こういう占いや性格判断ものというのは、流行があるらしいですね。いっときの、「天誅殺」っていうのは、今はどうなっているんですかね。「風水」コパは相変わらず元気ですか。そんな!「血液型」と一緒にするなと怒られそうですが。
 まあ、小生も、血液型で一緒になるかならないなんて、考えもしませんでしたね。もっとも自分の血液型も知らなかったのですから。ある時、献血をしてはじめて分かったくらいです。ただし、かみさんのおやじさんは、姓名判断で二人はやめた方がいいとは言っていましたね。それから何十年。そのおやじも、とうの昔に亡くなりました。
 だいたい日本人にはA型が一番多いんですよね。一番少ないのがAB型ですか。地球上に何十億といる人間のパターンを4種に分かつってこと自体が、おおざっぱすぎますね。それが、お笑いの種になっている(といっても、そもそもお笑いにしてはいけない問題でしょうが)程度でとどまっているうちは、毒にも薬にもなりませんが。
 これが、もっと細かなデータ(?)がそろって、この血液型のこのパターンの血液が一番いいとか、ダメとかなったら大変です。それもなまじっか科学の装いを凝らして、インチキ権威主義が横行したらって思うと、コワイですね。
 誰でも自分じゃ変えられないもの、また誰が見ても客観的にそれとわかるもの。それを取り上げてあげつらったり、差別の対象にするのはよくありませんね。
 だから、「デブ」とか「チビ」とか「ハゲ」とは絶対に言ってはいけないのです。相手を本当に傷つけるからですね。
 でも、「ブス」は言ってもいいのです、なぜなら価値観の相違ですから。仮に「ブス」って言われても、「お前みたいなやつに言われる筋はないよ」って反論すればいいのですから。だいたい、昔から「あばたもえくぼ」とか「蓼食う虫も好きずき」ってことばもあるのです。気にしないですむのですね。そうじゃなきゃ、世の中、皆、美男美女同士しか結婚できませんもの。
 けれでも、「デブ」は、絶対にダメ。本当に相手を傷つけます。好きで太っているとは限りません。病気の治療や病気的に太っている方もいますから。
 しかし、甘いものばかり飲んで食べて運動もせず、お相撲さん級の、0.1トン以上になったらそれはしかたがないかもね。・・・う~ん!それでもやっぱり「デブ」といってはいけませんぞ。
それにやっぱり「ブス」といってもいけないか。
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またぞろ妖怪が現れた

2005-01-21 23:12:51 | つぶやき
自民党の憲法改正案に中曽根案だってね。
軍隊の創設と天皇を元首にって。
経済界は、憲法9条。

これで大体憲法改正の狙いは、9条と1条に定まったって感じかな。
改憲問題でいろいろきれい事を言ってた連中も、
衣の下のよろいを見せたってところだね。

いよいよ大論戦を巻き起こして彼らの意図を粉砕しないと、
日本は大変なことに。亡国の道を歩むことになるぜ。

今の憲法の「象徴天皇制」が気にくわない連中は、
戦前の大日本帝国憲法が理想的だと思っているんだろうね。
近代日本をわずか60年で滅びの道に歩ませた路線が魅力的なんだね。
反省も何もあったものじゃないさ、自分たちの。
懲りない面々っていうことかな。

だいたい中曽根なんて時代遅れのおじいさんじゃなかったの。
日本をダメにした一人だよ、中曽根っていう政治家は。
まあコイズミの改革路線ってやつも、中曽根の民活路線の延長だからよほど気が合うだろうね。
中曽根民活路線、ロン・ヤス路線から日本はおかしくなったって思うがね。

自由競争の名のもとで階層分化をさせて「勝ち組」「負け組」に分けていこうって路線だから。
実際には、一部のみ「勝ち組」になって、
国民のほとんどを「負け組」にさせるやり方なのに。
それには口をつぐんでいるって。

まあ、天皇制にはあまりいい気分がしない僕だが
せめて今の憲法の「象徴」天皇制くらいにおさえておいて、
じっくり考えていくしかないと思うね。
今急に天皇制廃止なんていうと右翼に刺されちゃうから、コワイコワイ!

歴史的に見ても、明治憲法の規定のほうが異常だったと思うよ。
元首・大元帥・現人神・神聖にして侵すべからずとか・・・。

まあ明治維新やって、新生日本をまとめる錦の御旗として担ぎ上げる必要があったんで、
京都からつれてきたお公家さん・お坊っちゃんだからね、明治天皇も。
理論は、水戸学でしょうかね。

天皇制を考えると、おおざっぱに歴史的には
「神話時代」「~平安時代まで」「~明治維新まで」「~1945年敗戦まで」
って括ってみることが出来そうだね。
年数じゃなくて制度的にはこういう区分がいいんじゃないか。
鎌倉以降も南北朝とか少しごちゃごちゃするけど。

こうみる視点は、基本的には天皇は「象徴」天皇であったということですよ。
日本の歴史の中で大半は。平安時代から江戸時代。それから今の時代と。
政治と祭祀の分離といったらいいか。天皇は、政治には基本的には関与しないっていう制度。

江戸なんか幕末になるまで、天皇の存在なんてほとんどの人の意識にはなかったものね。
「君が代」って歌も言祝ぎ歌に過ぎなかった、小唄みたいなものさ。
「日の丸」だって薩摩藩の旗印ではなかったかな。
天皇を担ぎ上げる過程であれこれ権威づけていったんだね、幼年天皇を。

話しはずれるが、もともと天皇家だって仏教徒だったんだから、少なくとも13世紀前半からは。
京都の泉涌寺。
今も歴代皇室の菩提所としての風格を持っている。
京都には他にもまだまだゆかりのお寺はけっこうあるよ。
お葬式も仏式でいいんですよ、それを無理に神道に結びつけたような感じだな。
ついでに「廃仏毀釈」なんてとんでもないことをやって。

「富国強兵」政策の中で次第に天皇の神聖化が始まった。
「軍人勅諭」がそのきわみかな。大元帥、誕生。軍服姿が定着。
そのうち昭和天皇をかついで、あれよあれよという間に戦争に突き進んで、
1945年、敗戦ってことさ。

その大きな犠牲の中から生まれたのが、憲法第9条と象徴天皇制だね。
だから、象徴天皇制は、長い日本の歴史の中で、ある意味で昔のよき姿に戻ったっていうことさ。まあ、そうして天皇を位置づけている限り、天皇制はまだまだ続いていく感じだけどね。
いろいろ意見の違いはあってもさ。

中曽根さんがこれから先の日本に責任を持てるはずもないのに、「天皇を元首に」なんて言って、それをそうだそうだ、なんて歴史もたいして知らない政治家どもがはしゃいだら、
自民党だけが亡びるならいいけど、日本の政治も僕等の生活も亡びるね。

まあ、よく勉強するんだね、歴史を。
政治家は未来にも責任をもつことが大事だから。
軽佻浮薄ってやつが一番ダメさ。
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晩節を汚す

2005-01-20 20:52:54 | つぶやき
お互いに年取りましたね
ほんとにそうですよね
まあ
お互い健康には気を付けて

ありがとうございます
なるほど
なかなか晩年をスムーズに迎えるのは
難しいですよね

こっちみたいに金も名誉も
そうそう
地位もなければどうっていうことないですがね

いやあ、そりゃお宅様は
こちらとは違って
いろいろ騒がれることも
あるんじゃないですか
遺産相続をめぐって

いや、すいません
ちょっと口がすべってしまいまして
なまじっか金があると
死んだ後が大騒動ってよくありますものね

でもほんとですかね
なんて言いましたっけ
西武の総帥
そうそう堤って人

電車のつり広告みてたら
渡部とかいう女性が告白して
17歳の時にベッドに押し倒されて
どうでこうでって

何だか嘘臭い感じもしますが
あの方も脱税だとかで
逮捕されるかもしれないなんて
週刊誌にもあったし

そうそう、ちょっと前に功なり名をとげた
おじいさんが
逮捕されて臭い飯を食った
いったい
あの事件はなんだったんでしたっけ

この堤って人もけっこう羽振り
良かった人ですよね

そう、権力を握ってると
それがなくなることが
耐えられないんですかね

この人はって人でも
けっこう晩年は惨めな人っていますよね

あの田中角栄だって
晩年は辛かったでしょうね
逮捕されて失脚してそのうち倒れて・・・

いますよ、いますよ政治家には
晩年になってとちる人
多いんじゃないですか

金丸も逮捕されたり
共産党の野坂参蔵だって
スパイで除名されちゃうし
土井さんもそんな感じじゃないかな
もう右も左もないですね

そうそう、晩年になって惨めな
思いをしたくないじゃないですか
でも結果的にそうなっちゃう
人それぞれだって言えばね
お互いにあんな風にはなりたくないですよ
堤さんだってね
弱り目に祟り目ですかね

生まれてきて
頑張って
生きてきて
それで最後の最後にみじめになる

そりゃあ辛いですよ、大なり小なり
みじめですよ、あのじいさんはなんだって
言われたんじゃ

そうナベツネも同じじゃないですかね
中内さんも
こうみるときれいに
年取るのは難しいですね

週刊誌の記事が本当かどうかはね、そりゃあね
でもそんな風に書かれてしまうこと自体ね

毛沢東も最後の最後はって
言ったら確かにきりないや

晩節を汚す。
そうなると思って晩年を迎える人は誰もいない。
でも、次々と暴露される。
みじめな晩年。他山の石。
心していかなければならない。
人の評価は棺桶に入って決まるという。
「臨終を習って、他事を習うべし」ということの大変さを。
生老病死は、人生の常。限られた一生をどう完結するか
本当に一番難しい課題だ。
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「総合的学習の時間」の見直しだって

2005-01-19 22:45:53 | 教育
 かつて農林省が日本の農政を牛耳っていたころ、米あまり現象のもと、一方で外国米の輸入自由化の活力も加わり、全国で強力な減反政策が行われた。そして、アメとムチで農民を責め立て、農地(農作物)の転換を迫った。曰わく、これからは酪農だ、果実栽培だと。その先兵となったのが当時の農協だった。
 このとき、国の減反政策に真っ向から反対したのが、秋田県大潟村の一部の農家である。米の格付けから買い付けまでお上の言うことを聞かなかったため、闇米扱い、検挙・送検までされた。それでもその人たちは、屈しなかった。今は、そのやり方・信念が大きな成果を生んでいる。
 一方、東京近郊の農家は、大型開発プロジェクトが次々と打ち出される中、土地を売ったり、転換をお上や土建屋の言われるままに行った。そのため、一時的に経済的には潤ったものの、農地は荒れ放題、農業離れがいっそう加速されていった。地域の自然も人々の営みも破壊され、残ったのは、荒廃してしまった農村社会と多額の借金だった。
 当時を振り返って、茨城で農業を営む知人は、お上の言うことと反対のことを行っていた方が正しかった、頑固に自分たちの農業を進めていればよかったと述懐している。それほど、日本の農業を崩壊させ、農民たちを苦しめた農業政策。この責任をとろうとする役人は一人もいない。
 農政族と言われた議員たちも、国のばらまき補助金をとれるだけむしり取って、国家財政を赤字にさせた一翼を担ったあげく、コイズミ改革の尻馬に乗って(口では文句を言いつつも)今や、知らぬ存ぜぬの態度である。
 これは、さまざまな悪条件の下、農業を営々と行ってきた現場の農家の声を聞くこともなく実行した政策(お上の鶴の一声)の失敗であり、破綻である。
 このことは、農業政策だけではない。外交も軍事も理念なき行き当たりばったりの政策ばかりである。
 困ったことに、最近、トップダウンというのか、上に立つ政治家の思い付き発言ばかりが横行し、そのたびに右往左往する情けない官僚たち。その権威・権力で現場に下ろす役人。それに振り回される現場。
 そこに、今回の中山文科相の発言。
 中山さん、どうせならこれまでの文部行政をきちんと総括して下さいね。
 総合的学習の時間は、導入前から現場からは反対の声が多かった施策だった。それを「ゆとり」教育の目玉として、なんでもかんでも「やれ!」と号令をかけまくってやらせた代物。まことしやかにこの施策の理念を熱く語っていた人たちの責任も必ず問うて下さい。
 学力低下は、今回の学習指導要領改訂によって現場ではすぐに知れたことだ。国際的な学力調査で学力低下がはっきりしからなんていうのは、遅すぎる認識だ。現場ではもうすでに「ゆとり」はなくなっているようである。「全国学力テスト」を実施して、子供たち(教師たち)を競争させて学力アップなどというあなたの発言も、現場では顰蹙ものらしいですからね。
 今一番大事なのは、あなたをはじめとする無知な政治家や自己保身丸出しの木っ端役人がいちいち現場にああせいこうせいとお上の威厳で強制しないことだ。
 あげくのはてに、東京都のように、日の丸・君が代の強制でもって何とか国家への忠誠心を強要するのは、もっとお門違いであろう。もう「日本国」という国家体制はほとんど崩壊しているような感じすらするから。
 日本の政治・行政への不信感はとどまるところを知らない。
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「何とも情けない日本になりました」って、残念~!

2005-01-18 21:48:00 | 平和
 1月13夜。NHKの番組改変をめぐって内部告発し記者会見した、番組制作局のプロデューサーの発言に対し、小生なりのコメントを載せました。不利益を被るかもしれないのにもかかわらず公表した、勇気ある姿勢に共感したからです。さらに、さまざまな情報の海の中で我々は泳がされている。その中で、何が真実なのかを見抜く眼を養う事の大切さを訴えました。しばらくして、その内容に好意的なコメントの他に、かなり批判的な投稿が複数届きました。
 以前、小生の記事に対して「黙れ左翼野郎」という小生の記事・言論を封殺する内容のコメントがありましたので、あまりいい気分はしませんでした。しかし、内容的にそれなりに反論しておかなければいけないと思い、時間が経ちましたが、こうして書いてみます。
 事の経過(制作過程を含め)は、本日の朝日新聞朝刊の33面に掲載されていますので、それを参照してほしいと思います。
 その記事の中で、小生なりに重要なポイントだと思うのは、「放送内容の一部が右翼団体などに漏れ、20日すぎからNHKに対して放送中止を求める電話やメールが殺到。27日には、政治団体のメンバーが応対に出た職員ともみ合いになり、別の団体も街宣車で乗りつけた」という内容です。これを見ると、当時、放送内容をめぐってかなり緊迫した雰囲気があったようです。
 そうした中で、政治的圧力というべきでしょうか、または、NHK幹部の政治家(とりわけ政権党の有力議員)の考えを察知したというべきでしょうか、そこから始まった、放送内容の「改変」作業だったのではないでしょうか。
 放送日一日前の29日夕、NHK局長試写。その後の修正、しかしそれでも上層部はカットを命じました。そうして、30日放送直前まで再編集作業が行われ、夜10時から40分(当初は44分の予定でした)放送されたわけです。
 ここに問題点は、二つあると思います。一つは、自民党中川議員の証言でも明らかなように、政治家が「番組が偏向している」という上に立って、放送を中止を求めたことを当然だと思っていること。二つ目は、NHK幹部が、そうした意向を受けて(勘案して)、放送内容を自主規制する方向で動いたことでしょう。いわば自民党有力議員とNHK幹部との癒着の構造というような気がします。
 一方では、NHK内部での番組制作段階での自浄能力、それがなくなっていたこともこうした政治的圧力に屈してしまう事態になったと思います。企画段階から取材、編集、放送まで、マスコミというものの大きな影響力を、もっともっと自覚しなければならなかったはずです。そうした内部努力をせず、政治家の意向(風向き)にやすやすと乗ってしまうところにまた、海老沢長期支配体制の欠陥が現れてしまったともいえます。
 政治家も自分の気にくわなければ、放送権利剥奪、あるいは予算面で制約を加えるなどの脅しをかけていく。もっと卑劣なのは、今日、NHK幹部と口裏を合わせるかのように、事前に会ったこともなければ、圧力も加えた事もないとしている点です。どちらが(朝日か中川氏、安部氏か)真実を語っているのか、どちらが事実をねつ造しているのか、今後、この点をはっきりさせなければなりません。これが、この間の小生なりのおさえです。
 こうした点を踏まえてみると、小生の記事に対するコメントには的はずれなものもありました。 その一つ「国民の代表である政治家の圧力は当然。上(政治家)の指示があったら直すのは当然」。これは、根本的におかしいですね。だいたい、国民の代表だと思って、政治家を見ている人はごく少数でしょう、政治屋とバカにしている人は多いですが。また、政治家の都合(特に政権を握っている政治家の意向)に添うしかならなくなったら、どこかの国と同じ全体主義の国になってしまいます。批判精神をなくした国民は、ものも言えなくなっていき、ついには、国は亡んでいくでことでしょう。
 次に「この放送は重信房子などが進めた。これが公正か」(趣意)。これは、放送の内容批判として放映後に行うべきであって、「事前に圧力をかけて放送中止にする」ことを正当化する根拠としてはいけないですね。また、「不公正な番組にNHKが干渉せずに放送するならNHKの公正自体を疑う」。NHKは、放送のチャンネル(放送帯)を貸して商売するのではありません。1チャンネルも3チャンネルも、すべて番組は自らの手で企画し、(取材等を関連会社に依嘱することはあっても)NHK自身の責任で放送しているものです。投稿者のような立場の企業ではありませんから、念のため。
 従軍慰安婦問題は、教科書への記述をめぐって、「新しい教科書を作る会」からは、政治的圧力を含め、削除要求をされている事柄です。今回の自民党議員たちもそれに連なる方々のようです。彼らにしてみれば、NHKという公共放送の場を使って放送されるのは、許されるべきものではなかったのでしょう。だからこそ、陰に陽に圧力を加えたとみていいのでないでしょうか。
 また、そうした政治的動向に対して、NHK自身がその批判・圧力に耐えるだけのポリシーをもって放送しようとしたのか。上層部の今回の対応を見ると、部下への責任転嫁としか思えない言動が目立ちます。政治家への忠義立てから、その場を取り繕いごまかすことが、海老沢体制の性格の一部なのかもしれません。
 ですから、小生のような意見が、自分たちの意見に合わないからといって、相手をあしざまに批判するのではなくて、こうした放送内容の「改変」というような事態を招いたNHKの体質、またそこに付け入ろうとする政治家の姿勢の問題性をこそ、深く考えていく必要があるのではないでしょうか。
 ところで、「目もかすんで・・・」と自嘲気味に表現したところ、「目も耳も不自由な人だ、左に曲がっている」というような投稿がありました。小生は少し老眼ですが、目も耳も不自由していません。むしろ、この程度の言説を「左に曲がっている」としか表現できない御仁は、よほど濁った眼だと思いますので、早めに眼医者に行く方がよろしいでしょう。
 お互いに「何が真実なのかを見抜く眼を養」いたいものです。そのためのコメントならば大いに歓迎します。
 最近の若い人の考え方で、これまでと異なるのは「上の人からやれといわれてもそれが理に反するものだったら断る」ということがあるそうです。よほど頭の固い小生たちより柔軟な思考の持ち主が増えていることは、本当に結構なことです。「何とも情けない日本になりました」って、「残念~!」けっしてそんなことないですよ、日本は。いっそう自由な言論活動によって、「情けも身もある」日本にしていかなければなりません。
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もう10年かまだ10年か

2005-01-17 23:23:31 | 世間世界
 1995年1月17日。阪神淡路大震災から10年目の今日。10年前、この大地震の発生した時刻に、小生は寝ていた。朝起きて今神戸が大変な事になっている、というテレビ画面を横目で見ながら、家を出た。
 あれから、10年。その年の夏、所用で兵庫県三木市に出かけたことがある。新幹線で「新神戸駅」に着くまでの車窓は、新大阪あたりから様子が一変した。青いシートで覆われた家々が目立つのだ。兵庫に入るとそれが激しくなっていく。新幹線の車窓から下を見下ろすので、屋根の青さがひときわ目に付いた。三木市は、被害もなく落ち着いた田園風景が続いていた。
 それからしばらくして、「甲子園口」近くの知人宅に行く機会があった。このときは、車で駅から少し遠回りしながら向かったので、まだまだ被害の生々しい辺りの様子を目の当たりにした。
 公園での仮設住宅。傾いたままの家並み。幸いに知人宅はほとんど被害はなかったが、地震の大きさ、被害の大きさを少しばかり感じた。
 もっとショックだったのは、電車の中での人々の様子だった。こういっては失礼だが、何にか目が血走っているというか、疲れ切っているというか、それまで小生が行き来していたころの人々の明るい表情はまるでみられなかった。実は、車内になにか殺伐とした雰囲気を感じたのだ。
 たかが部外者・旅行者。そう簡単に分かった顔をして何だ、と批判されても仕方がないが、率直にそんな印象を受けたのだった。
 それからは毎年のように、神戸に出かけることになった。勿論、日帰りの用件でしかなかったけれど。しかし、それでも日増しに活気を取り戻している様子を感じた、建物も人々の表情も。それでも、申し訳ないが5年間くらいは、大震災後の10ヶ月ころの印象としてあった、何となく殺伐とした表情を感じてしまった。
 それからまた5年。去年は行く機会がなかったが、復興の足音が着実に大きくなっているのをうれしく感じた。でも、知人は、まだまだ以前の活気は取り戻せない、町も、人のつながりもと話していた。
 「まだ10年しか経っていないのか」いや「もう早くも10年経ったのか」
 見方によって印象が違う、この10年。小生は正直、「えっ、もう10年経ったの、早いなあ」という感じだった。
 しかし、今日の報道を見る限り、まだまだ大震災の爪痕は、街に人の心に深く刻まれていることを知った。ほんの一瞬の間に、肉親や友の生命を失い、街を破壊され、人々の暮らしを奪われ、そして地域の人のつながり・絆を断ち切られた悲しみ、苦しみ、辛さをけっして風化させてはならないと、今また強く思った。

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